瓢水、大坂で眠る
宝暦11年正月、瓢水の俳諧の師匠であった松木淡々(81歳)は、大坂で没しました。
翌年の宝暦12年(1762)の春、瓢水は大坂に出かけ、そこで病気になり、師の後を追うかのように、5月17日波乱万丈の生涯を終えました。
行年79歳。
大阪市天王寺区生玉町の持明院に眠っています。
墓碑は、門人筒井青瓦により建てられました。
墓碑の銘を読んでおきましょう。
(正面) 瓢水翁の墓
(背面) 門人筒井青瓦建
(側面) 宝暦十二午五月
蜜印山持明院
24日(月)、午後持明院へ出かけました。
騒音の町も、涼しく、すっかり秋の一日でした。
鶴橋駅で昼食をすませ、地下鉄に乗り換えて谷町九丁目駅で下車。
そして、南へ少し歩くと、あたりは寺がたくさん集まっています。持明院は、地図を片手に行くと、すぐ見つかりました。
持明院は、創建の頃は、生玉神社の生玉十坊の一つで現在の生玉神社内にあり、ずいぶん大きな規模を誇っていたようです。
しかし、明治維新の廃仏希釈のさいに、生玉神社を出て現在地に移転しました。その上に、戦災で焼け、その規模も小さくなり現在に至っています。
瓢水の墓碑(写真)は、山門近くの境内にありすぐ見つけることができます。(no3376)
*写真:瓢水の墓碑(持明院境内)