下記の別当の説明は『志方町誌』からの引用です。
太字のか所に注目してお読みください。
<別当(べっとう)>
「ここ(別当:東志方野尻)は城山の東北の擁で、城山から尾根づたいに下りて来たところである。
城があった頃は、常時ここに馬を置いて、事ある時には急使を走らすようにしてあったという。
別当の名もその故であろう。
ここはまた城山の麓づたいに柏尾(現:広尾東)に出る道でもあるので、その後柏尾から移り住む人があって、現在三軒(昭和44年現在)、みな久保田姓である。」
柏尾村(広尾東)の百姓が開発を!
地図の右上に別當(以下別当とする)があります。
確かに、広尾東から城山の尾根づたいに別当へ山道が伸びています。
前回、江戸時代の柏尾村(現:広尾東)を説明しましたが、柏尾村は決して裕福な村とはいえません。
絶えず、日照りで悩まされた地域のようです。
そのため、農業を補うため商をしていた人も多くおり、記録では見つけていませんが、出稼ぎに出かけた人も多かったのではないかと想像しています。
また、柏尾村の人は新たな新田の開発地を捜したことでしょう。
その一つが別当でした。
現在、野尻には玉田・坂田姓がほとんどですが、その中にあって、野尻の本村から少し南の別当では、三軒すべて(『志方町誌』が制作された昭和44年時点)が久保田姓です。
現在も、広尾東(旧柏尾村)では久保田姓が数軒あります。
広尾東から別当まで歩いてみたいのですが、先日、近所でヘビに出会いました。
私はヘビが大の苦手です。
ヘビが姿を消す冬にでも探検することにします。