8日・長楽寺の子安地蔵尊を拝観し、懐かしい植原繁市の歌碑にも再会することができました。歌碑を紹介しておきましょう。
2012・3・21のブログで「花と流星の詩人・植原繁市」と題して、繁市を紹介しました。
その時は「現在土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません」と書きましたが、その後の整備の途中で、埋もれていた石碑は見つかり、元の場所に設置されています。
でも、写真のように、歌碑は多くの破損個所ができていました。が、繁市の詩が一層光を増したようです。
歌碑をご覧になりながら彼の詩をお読みください。
花と流星の詩人・植原繁市
その日(2011年より前のある日)は、今にも泣き出しそうな空でした。
風も、木々のざわめきもありません。
長楽寺の境内は、時間が止まっているかのように静かでした。
植原繁市には、こんな風景が似合うのかもしれません。
境内の隅に繁市の歌碑があります。読んでみましょう。
*注:現在(2012当時)土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません。
人に告ぐべき
寂しさにはあらぬ
ゆふぐれをひとり杜にきて
しみじみと樹をゆする
泣けばとて、かえるものかよ
告げばとて、癒ゆるものかよ
しみじみと樹をゆする
繁市の唯一の詩集『花と流星』にある詩「寂しさ」です。
繁市は、明治41年、志方町横大路で生まれました。小学校でも病気がちで、姫路商業高校に入学しますが、胃腸疾患のため二年で退学します。
そうした病弱が彼の繊細さを育てたのかもしれません。(no2014)