南池集落の池大神社に来ています。池大神社と言いながら、近くに池が見当たりません。
池大神社(いけだいじんじゃ)①
神社に説明がありました。読んでみます。
「当社は歴史的に見て神社の地が池の小島であった平安時代に如龍三社(雨乞い・百姓の)神様として)創建されたと考えられている。
元文三年(1786)、現在のように改築され、池大神社は厳島姫とされている。
この神社は南池の守護神、すなわち、産土神(うぶすながみ)として人々に敬われ、信仰も厚く、霊験あらたかな所である。一般に明神さんと敬されている。
祭日は七月十四・十五日である・・・」
南池村は、「あさがら池」を埋め立てた新田
以下は、「高砂市を歩く(189)」の復習です。
南池地区は『播磨風土記』のいう「池の原」のようです。
現在の阿弥陀町中筋から南池・北池のあたりに、古代から江戸時代初めの頃まで、大きな池がありました。
慶長10年(1605)の頃、池田輝政は、姫路藩の治水・灌慨のための土木工事を行って、農業生産力の増大を図っています。
加古川右岸(西側)の灌漑用水として、加古川から水を引く上部用水(うえべようすい)を整備しました。
升田村(現:加古川市東神吉)上流の上部(加古川市平荘町)で加古川から取水し、本流は神吉村(かんきむら)を通って神爪村(かづめむら)、魚橋村、南池村を経て曽根村、魚崎村に至りました。
南池村の開発は、この上部井堰(うえべいせき)の開発と同時に行われたものと思われます。
この時、「あさから池」は、阿弥陀村や魚橋村の人々が入植し、あさがら池を埋めたて北池、南池の二村をつくりました。
江戸時代初期の風景を想像してみましょう。(no2770)
*写真:池大神社(阿弥陀町南池)