阿弥陀村誕生(明治22年4月1日)
この地区は、古くは「大国郷」に属していましたが、荘園制の発達とともに東阿弥陀、西阿弥陀、北池、南池、北山新、長尾新の地区は「雁南荘」に、魚橋、生石の地区は「平津荘」に属しました。
地徳新村は阿弥陀村の住民が後に開拓して移住した村です。
阿弥陀村の地名のはじまりは、もと「北原の宿」といわれていたが、伝承では文永十年(1273)六月、時光上人が日笠の海中より阿弥陀の尊像を得たので、この地に寺(時光寺)を建てて安置したことから「阿弥陀の宿」といわれるようになったといわれています。
明治22年の村制施行にあたり、この地区の中心地である阿弥陀の呼称をとって村名としました。
もう少し付け加えておきます。
江戸時代、この地区には東阿弥陀村・西阿弥陀村・魚橋村・生石村(おうしこむら)・南池村・北池村・北池新村・長尾新村・地徳村の9ヵ村の村々がありました。
その内、東阿弥陀村と西阿弥陀村は、明治9年に合併し阿弥陀村となりました。
そして、これら8ヵ村は、明治22年4月1日に合併して阿弥陀村となりました。
昭和31年9月30日、阿弥陀村高砂市と合併
その後、昭和29年(1954)7月1日、高砂町・荒井町・曽根町・伊保町が合併し、高砂市が誕生し、2年後の昭和31年(1956)9月30日、米田町(船頭・平津を除く)、阿弥陀村は高砂市に合併し現在にいたっています。
なお、北浜村が、高砂市に合併したのは昭和32年(1957)3月10日のことでした。(no2749)
*『兵庫県市町村合併史』(兵庫県)参照
*地図:阿弥陀村