「志方郷(第33号)」で、礒野道子さんは「志方棒連中」について紹介されています。
「棒連中」とは何でしょうか、初めて聞く用語です。
説明の一部をお借りします。
志方棒連中
その前に一対の灯ろうと、幟石柱が建っています。
ふだんは、この石灯籠、幟石柱の文字に注意する人は殆んどいないと思われますが、
「志方棒連中」と刻まれています。
お参りの時はご覧ください。
えびす社は、明治12年西宮からお迎えしています。幟の石柱は明治14年、灯ろうは明治16年に建てられています。
そして、これら幟の石柱と灯ろうは共に、志方捧連中が寄進しています。
灯ろう基段には周旋方として、小さな字で15名の名が刻まれています。
「棒連中」とは初めて聞く用語です。
志方棒連中とはどんな人たちでしょうか。
棒の仲間ということですが、この捧とは天秤棒のことで、捧の前後に荷物をぶら下げて売り歩く、行商人たちの仲間です。
えびす神社は、商売繁盛の神様です。
ですから、灯ろうや幟立ては、商売繁盛を願って棒連中が寄進したのでしょう。
志方における棒の行商の歴史が古いようです。
盛んであった棒商
(注)助永村:明治9年、助永村と比室村が合併して、お互いの一字をもって永室村となりました。
「当村百姓作間隙の節(さくまひまのせつ)、塩物、油元ゆい売、丹波路まで罷り出で(まかりいで)一、二夜泊り罷り帰り申候(まかりかえりもうしそうろう)」
この伝統は、作間商人(あきんど)として農家の副業となり、明治の終りまで続き、農家にとって大切な現金収入であつたようです。(以下略)
以上「志方郷(第33号)」より
文体・内容は一部変えています。詳しくは「志方郷」をお読みください。
*写真上:えびす神社
写真下:灯ろうの文字「志方棒連中」