山形県に生石神社の分社
『印南郡史』に「秋田県なる生石(おうしこ)は、成務天皇の十一年、当社より分霊を勧請せしものなり」と分社の存在が書かれています。
この『印南郡誌』の記述は、氏子の間では知られていましたが、「はたして、秋田県酒田に生石神社が実在するか、否か?」については、そのままになっていました。
昭和55年、氏子の中で捜してみようという声がおこりました。
ためしに『印南郡誌』に記載されている宛名へ手紙を出すことになりました。
なんと、11月中旬に返事がきました。
差出人は、「山形県酒田市生石大字十二の木1776、生石神社宮司、生石正喜」となっています。
さっそく、氏子19人が酒田市に出向くことになりました。
石の宝殿より神霊を勧請 なぜ?
なんと、酒田生石神社の祭神は高砂の生石神社と同じで、神社には、石宝殿より神霊を勧請し、成務天年、生石村を開いたという伝えが残され、生石子の神という呼び名もあり、石の宝殿を本社とする分社であることがかめられました。
何とも不思議な話です。
今のところ、どういうルートで酒田市に石の宝殿の分社があるのか分かりません。
ロマンのある話です。かくれた歴史の何かがありそうです。・・・
理由をご存知の方は一報ください。
このニュースは、昭和56年3月15日の神戸新聞に大きく取り上げられ話題を呼びました。(no2757)
*写真:山形県にあった生石神社の分社の本殿(神戸新聞より)