長尾新村は寛文五年(1665)に誕生
長尾新村は、寛文元年(1661)東阿弥陀村の松本新右衛門が願い出て、高御位山の麓の原野を開発して成立した村です。
元禄十四年(1701)頃書かれたと思われる「松本家由緒」にその経緯が詳しく記されています。
初めて年貢米を上納したのは寛文五年(1665)のことであり、寛延三年(1750)の長尾新村明細帳には寛文5年から貞享元年(1684)まで8冊の検地帳が存在したことが記されているので、村の成立は寛文五年ということでしょう。
開発以前からあった彦次郎太池、長池、皿池の用水を利用し、自村でも寛文九年に姫路藩に願い出て、その援助のもとで新池、私池を築造しています。
地徳新村は寛文期から元禄期に成立か
地徳新村は両村からやや離れて高御位山の西部の谷間を開発した村で、阿弥陀の人、黒田某が開拓して移住したことに始まるとされています。『増訂印南郡』に、その年次記されていません。
元禄郷帳に「西阿弥陀村枝郷」の注記が付されて村名が見えるのが初出であるので、寛文期から元禄期の間に成立した村であると推測されます。
以上の三ヵ村(北山・長尾・地徳新村)は、何れも17世紀の後半になって開発され、東阿弥陀村、西阿弥陀村から分かれて独立した村です。
農業用水は、谷地や傾斜地をせき止めた溜め池に依存しており、本村とは取水や山の入会権を巡って争論がしばしば起きています。(no2780)
*『高砂市史(第二巻)・通史編近世』参照
*写真:高見位山山頂からの長尾新村(現:阿弥陀町長尾)、写真中央の池の向こうが北山新村(現:阿弥陀町北山)