ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(185) 中世・魚橋窯跡

2015-04-14 08:15:39 |  ・高砂市阿弥陀町

   魚橋窯跡

 高砂市阿弥陀町魚橋の地蔵山の東斜面に続く台地から、すさまじいまでの量の古瓦の破片が出土しました。地元の人は、ここを「カワラッシャ」と呼んでいました。

 今は、そこは現在、東洋金属熱連工業所(高砂第二工場)が進出し、その面影を偲ぶことはできません。

  院政期:東播磨と中央政権のつながり

 これらの古瓦の研究から意外な歴史が浮かび上がってきました。

 瓦の様式からみて、ここで瓦が生産されたのは12世紀の初頭から13世紀のはじめにかけての、ほぼ100年間です。

 瓦の他に、須恵器(すえき)のほか強い火を受けた窯壁も出土しており、この台地に瓦窯があったことは確かなようです。

 つまり、古代から中世へと社会が大きく変動した100年間に限って盛んに瓦を生産したしたことは、なにを物語っているのでしょうか。

 京都・六勝寺(ろくしょうじ・りくしょうじ)は、京都東山の岡崎周辺に建てられた寺

です。

 *六勝寺については、下記の(注)をご覧ください。

 古代末期、時の専制者(天皇・上皇)の造寺等が思いのままであった時代の建造物です。

 六勝寺の研究は、昭和30年代に入って急速に進展しました。

 意外な事実が明らかとなりました。

 六勝寺の瓦には、魚橋窯跡から出土する瓦と全く模様の瓦が多数含まれていたのです。

 古瓦の研究者、今里幾次氏は魚橋窯で焼かれた瓦が六勝寺に供給されたのではないかと推測されています。

 魚橋瓦は、六勝寺だけではなく、さらに広く王城の地の大寺、宮殿に送られたようです。

 六勝寺自体が、古代末期の院政の象徴とも考えられる存在で、魚橋窯は院政とよほど深く関係していたようです。

 (注) 六勝寺:院政期、天皇や中宮の発願で鴨川東岸の白河(現左京区岡崎)の地に建立された6つの寺院。いずれも「勝」の字がつくので六勝寺(法勝寺・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺)と総称されました。(no2762)

*神戸新聞(1981・11・26)参照

*写真:(株)東京金属熱連工業所・高砂第二工場(この場所が魚橋瓦窯跡)

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