対岸(高砂市)に三菱製紙高砂工場の煙突が二本見える。
一本は、赤と白の高い煙突で、他の一本(写真)は、少し低いくすんだ色の煙突である。
不思議な形をしている。この煙突は、戦時中にその形を変えた。
加古川南高等学校歴史同好会が、この煙突についてまとめているので、転載させてもらった。
「・・・三菱製紙の高砂工場に、途中で少しくびれた形のコンクリートの煙突があります。
この煙突は、元は60メートルあったそうですが、加古川飛行場が建設された時に風向きの関係で、この煙突が離陸時に邪魔になったため、軍の要請でほぼ半分に伐ってしまったようです。
戦後、飛行場がなくなったので煙突を延長することになり、現在のような姿になったという。・・・」(「加印地区の戦争遺跡」より)
有無を言わせない軍の命令であったのであろう。
加古川飛行場については、9月5日のブログ(加古川飛行場)を参照されたい。
*10月は尾上町の歴史を探訪したが、私の住所が今福(加古川市尾上町今福)のため、いきおい今福の話題が多くなって申し訳なかった。後日、尾上探訪は続けるとして、11月は平岡町めぐりを予定している。
その前に、数回「加古川の戦争(14)・特攻」の(9月14日)の続きを書きたい。