きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ラブリーボーン」

2010年02月21日 | 映画
殺された少女が
天国に行く前に
家族の心配をしつつ
心残りを果たす話。

とでも言えばいいのかな。

サスペンスでも、
ハートフルでも、
スピリチュアルでもありません。

死んだ少女から見た話なので
犯人が逮捕されて罪を糾弾されることもないし
少女の亡骸も発見されない。
犯人は意外な結末を迎える。

「あの世」の映像はシルクスクリーンのイラストのようで
ちょっと期待はずれな感じもするけど
少女の想像は、こんなもんなのかな。

いろんなことが、「映画のお話」としては
中途半端な気がする。
けど、14歳の少女が辿った人生、
そして彼女が望んだこととその結末、
と思うなら、こんなもんなのかもしれない。

彼女の願いは、犯人逮捕ではなく、
自分の遺体発見でもなかった。

母が自分の部屋に来てくれたことを喜ぶ。
それが、彼女にとって「一区切り」のひとつだったのかな。

明智抄の「図説オカルト恋愛辞典」の中に
「珠美ちゃん、きれいだね。 」という話があります。
これを思い出した。
若くして事故にあって亡くなった女の子が
「ハンサムな男の子に『きれいだね』と言われたら
 たった15歳で死んだ自分を許してあげられるのに」
って思う話です。
恨み辛みとかではなく、
ほんとうにちょっとしたことが
「かなえられない希望」として残っているのが
なんとも切なかったです。
「自分を許す」という表現がね。さらにね。泣けるの。
この映画の中で殺された少女(達)も、
そんな望みがあったんだろうなあ。

冒頭の本屋の場面で「指輪物語」が
大きくディスプレイされていた。
インディ・ジョーンズの「クラブ・オビ・ワン」みたいなもんね。

ただねー。
父ちゃんがねー。
自分がショックでピリピリしているのを
妻がなだめてくれているのに
それが「妻の負担になっていると思って」
(それ自体は間違っていないけど)
自分の母(妻から見て姑)を家に呼ぶ。
妻になんの連絡も無しに。
この母ってのが、主婦としては役立たずで
それをたぶん息子である父ちゃんなら知っているはずなのに
呼ぶんだな。
おいおい、って思うけど
70年代の家族って、こんなもんなのかもなー。
それが現代に設定を移さなかった理由なのかな。
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