きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「花の宝塚風土記/シニョール ドン・ファン」@宝塚大劇場2回目(宝塚月組)

2003年05月17日 | 宝塚(月組)
 ショーは色合いは綺麗なんだけど単調だと思う。じゃないか。アップテンポから幽玄の世界へ誘うコウちゃんの場面(音楽:東儀さん)で睡魔に襲われてしまうんだわな。ここを乗り切れば寝ないのだろうか。前回も、今回の2回もここで撃沈してしまいました。東京では起きていられるのか?
 さて芝居。前半はサスペンス。レオを殺したいと思う人が何人か現れる。これを最後まで引きずればいいのに、後半からは「ジゼル」のアルブレヒトの贖罪になってしまう。「身分を偽って恋を楽しんでいた男が、身分がばれ、それを知った相手が自殺してしまった」その後の男の心情が描きたかったのかな、とは思うんだけど、そうしたらサスペンスにしなくても、と思う。1時間40分の中でうまく処理し切れていない。後半でレオは、「恋人を死なせた後で自分はいつ死んでもいいと思っている」という割には、前半でエンジョイしすぎなんだよな。昔の女(ローザ)との話を長く書き込む必要もないと思う。ジルも、クライマックスの修道院で、最初は単純に激高しているだけなの、一転して「人間ってどうして・・・」って説教くさくなるのも、なんだかな。そう思う動機も弱いしさ。駄作とは言わないけれど、説明が足りなすぎ。オギーの螺旋は、意図的に「どのようにも取れる話」にしたんだと思う。本当にあった話なのか、アリオンがイブに見せている夢なのか、死にゆくイブの幻想なのか。でも、この「ドンファン」は基本的な設定が把握できない。見る方でも補えないくらい。巨匠の幕前説明台詞が懐かしいぐらいです。たぶん景子ちゃんの中では完璧に話の筋は通っているんだろうけど、金を払っている私にはわからないところが多すぎ。客に合わせて描いてくれんだろうか。特にお願いしたいところは下の別項目で書きます。それ以外に気になるのはバレエ関係。バレエを知らなければ「パリ・オペラ座バレエ学校」とか、そこの卒業公演で踊れるというのがどれだけのことかはわからないと思う。しかし知っていれば、逆に、「バレエ学校は、ダンサーが踊れなくなったときのケアも万全なのに」とか思っちゃうの。ベッシー校長が見捨てたのか?とか(笑)あと言語。レオはイタリア人。ローザはアメリカ人。そして「ベルギー訛りのフランス語」を喋るジル。何語で喋っているのか?みな自国語?


以下、劇場の「あらすじ&配役表」にある程度のネタバレを含みますので要注意。
 レオのデザイナーとしての地位が不明。昔の恋人が死んだせいでデザインができなくなり、ロレンツォがゴーストライター。これが、デザイナーとしての地位を完全に確立したあとなら、まあ、いいのよ。でも、恋人は「パリ・オペラ座バレエ学校」の生徒で「卒業公演」で踊るはずだった。ということは、単純に考えて18歳。で、その時レオは「フランスでデザインの勉強中」で「ロレンツォとルームメイト」。となるとレオはこの時学生かそれに近い状態?そうするとデザイナーとしての地位を確立できたのはロレンツォのデザインのおかげ。それを自分のデザインとして売り出して得意になっているのは、どうよ?と思う。最初から自分はプロデューサー的立場で、ロレンツォは専属デザイナーとして扱ってもいいんじゃない?それとも、「ドンファン・ブランド」を確立し、ローザのためにデザインした衣装でハリウッドのキングとなり、その後フランスに行って勉強し、18歳の学生と恋に落ちた?デザインできないのは、ここ数年だけで、実績はバリバリある?「デザイナー」と名乗っても大丈夫なくらい?デザイナーの才能部分から考えるとその方が自然だけど、でもマリーが女性遍歴のきっかけだろうし、いいトシして「ルームメイト」ってこともないよね。この辺をもう少しくっきりさせて欲しい。だって、デザイナーとしての才能がなければ、「世界の恋人」的なレオの価値がなくなってしまうもの。
 このあたりが、私の中でよくわからないので、いつもモヤモヤしています。マリーが死ぬきっかけになったブラックメールについても、レオが、自分が不倫の末の子供だっていう悩みが、とってつけたかのよう。母を愛しているのか、愛憎の裏返しなのか、父をどう思っているのか。それが全然伝わってこないので、1通のメールで恋人を捨てるっていうのも理解できません。モロモロ、東京公演で直っているのに期待します。
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