私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

民主党はテロ特措法延長反対の理由を示せ

2007年08月20日 00時11分06秒 | 民主党関連

 インド洋での海自艦船による活動を、今年11月1日をもって終了させることになっているテロ対策特措法が再延長出来るかどうかは、先の参院選で大勝した民主 党の動向如何に掛かっている。小沢一郎民主党代表はシーファー米駐日大使と会談した際に延長には反対することを表明していることから、このままでは特措法 が延長されず、派遣されている海自艦船は撤退しなければならなくなり、それは日本がテロ撲滅のために国際社会と共同歩調を取ることは出来ず、貢献もしない とする選択をしたことになる。

 民主党内には前原誠司前代表のように「(アフガニスタンでのテロとの戦いから)日本が抜けるのは国益に反する」と発言し、特措法の延長反対に懸念を示す者はいるが、小沢氏の延長に反対する意向は固いようで、延長に賛成する動きは広がっていないようである。

 10日には外務・防衛部門会議が開かれ、政府側のインド洋での海自艦船の活動などについて説明が足りないとの批判が相次ぎ、渡辺秀央元郵政相は「参院第一 党をなめているのか」と叫んだそうだが、政府側の説明が足りなければ説明を求めれば良いことであって、機密事項ではない限り政府も説明するのでなかろう か。

 もし民主党がこのままはテロ特措法延長に反対し、期限切れを迎えたとして、その後のわが国の安全保障、対米関係、また中東情勢に与える影響を十分に熟知した上での反対なのであろうから、まさか、それを政府・自民党に説明して欲しいと考えている訳ではないだろう。

 報道によれば、同党幹部は「安倍晋三首相のお手並み拝見だ」と言っているそうだが、政府与党は特措法延長のための法案を国会に出すのであるから、民主党の反対で延長法案が否決され、時間切れとなれば民主主義のルールに従い海自は撤退するだけである。

 民主党が対米関係を悪化させ、また支那や北朝鮮の脅威が迫る中、資源小国であるわが国がテロ撲滅のためにどのような貢献をするのか、しっかりとした対案を 出してこそ特措法延長に反対するのであればまだしも、これでは安倍総理のお手並み拝見ではなく、民主党のお手並みを先に拝見したいと思っている国民が多い のではなかろうか。

 対米関係を悪化させ、わが国を韓国のようにしてはならず、また、残念ながらわが国の安全保障を米国抜きでは語れない現状を無視することは出来ない筈であ り、インド洋に派遣されている海自部隊に関する説明が足りないとして延長に反対するならば、反対することによって得られるメリットを先に示した上で反対す べきであり、ただ「説明が足りない」と言うのが反対の理由になっているようでは話にならず、これが政権を狙っている政党の主張なのかと呆れてしまう。

 韓国が対米関係を悪化させたからと言って、民主党は、わが国も同じマネをするつもりなのか。小沢代表の国際担当秘書が「世界韓民族女性ネットワーク」と言 うの反日団体の日本代表幹部であるとの情報があるが、これでは日米関係を悪化させ、日本を貶めることなら何でもするであろうから、小沢代表がそのような朝 鮮人スパイ秘書を抱えているようでは、もし民主党政権になったら、恐ろしいことになることは目に見えている。

 ともかく特措法が延長されず期限切れを迎えることは、わが国の国際的信用を失墜させる最悪とも言える選択であり、民主党がそれまで特措法は延長しないで反 対する理由を示してこそ責任政党であり、安全保障に関して与野党間では意見が対立しているか、いないかで政権担当能力の有無が問われるのであって、今のま までは民主党が政権を担当するのは不可能に近いだろう。
(2007/08/19)


写真:テロ特措法に基づきインド洋に向かうイージス艦「こんごう」

食の不安と環境汚染の北京五輪が1年後に迫る

2007年08月19日 00時13分54秒 | 支那関連

 開 催まで1年を切った北京五輪だが、相変わらず大気汚染が凄まじく、莫大な資金を投入して空気の浄化に努めているそうだが、効果はそれほど上がっていないよ うだ。大気汚染により霧が掛かったような状態にまでなっているようでは現地の環境に慣れる意味から、大会が近づけば会場周辺で直前合宿する外国選手として は北京を回避したくなるのは当然であり、英国代表水泳チームは大阪を大会直前の合宿地として選んだことが報道されている。

 その北京で17日から空気浄化実験とかで、奇数日には車のナンバープレートが奇数のもの、偶数日には同じく偶数のものの走行を禁止する制限実験を行ってい るとのことであり、北京市内の車両総数は今年5月の統計では約305万台だそうだが、うち130万台が走行出来なくなるとのことで、これでは市民生活に重 大な支障をきたすであろうから、支那人のことゆえ、偽造プレートを付けるなりして、規制を免れること位は考えているであろう。

 わが国の自動車保有台数は約6600万台との統計があるが、その排気ガスのために支那のように霧が掛かったような状態にまで汚染に発展している様子はない が、わが国より遥かに少ない台数しかない支那で、自動車が出す排気ガスが主因とされて、世界最悪とも言えるほどの大気汚染が進んでいると言うのは疑問であ り、他に工場が出す排煙など様々な原因があるのではなかろうか。

 環境汚染も凄まじいが、食の安全も大きな懸念材料となっており北京五輪まで1年となったことで産経新聞ではネットで意見を募集したところ、「食の安全や大 気汚染は選手らに影響がありますか」との質問に、88%の方がイエスと回答しており、これだけ支那は危険だと報じられれば、影響があると回答する方が多い のは当然で、「選手は水、食料持参で北京入りするしかないだろう」との意見まであり、今までの五輪の歴史上、最悪の環境の中での競技となることが指摘され ている。

 飲料水くらいはペットボトルで持って行くことは出来るであろうが、プールの水まで持って行く訳にはいかないだろう。水泳選手は支那の汚染された水の中で泳ぐことを要求される訳だが、身体の不調を訴える選手が続出するような気がしてならない。

 次の質問は「中国と他国の観客でトラブルになる懸念はありますか」との質問に90%の方がイエスと回答しており、サッカーアジア杯などで見せてくれた支 那人観客の醜態からして、ほぼ100%の確立でトラブルがあるだろうし、特に対日感情は僅かに好転したとは言え、支那人の日本憎しは身に染みついているで あろうから、日本人選手や応援している日本から行った応援団には様々な嫌がらせをするであろうと予想している。

 支那人にマナーやモラルを説いても無駄だそうだし、当局が必死になってマナー向上に努めたとしても、あと1年程度で、支那人が国際社会の一員であるとの意識を持つようになるとは思われない。

 五輪は世界のトップレベルにある選手の競技を見るのは楽しみなのだか、来年の北京五輪は競技よりも支那人観客が何をするかを見る方が楽しみであり、多くの 外国選手が体調を崩し、「この国には二度来たくない」と思うことであろう。それにしてもトラブルになる懸念はないとする回答が10%もあったことは驚きだ が、何処を見てそのような回答が出来るのであろうか。

 大気汚染、食の安全、支那人観客の醜態、手抜き工事による競技施設の崩壊のおそれなど次から次と懸念材料が出て不安が募るばかりだ。これでは参加 をボイコットする選手が出てくる可能性も予想され、健康に不安があるような国に敢えて行くことはない。仮に自己負担なしに北京五輪の観戦に行くことが出 来たとしても、私は行きたくない。
 (2007/08/19)

写真:北京五輪開催に向け準備進むメイン会場“鳥の巣”


戦没者とその遺族を冒涜した河野衆議院議長

2007年08月18日 01時50分02秒 | 政治

 8月15日の終戦の日は、同時に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となっており、これは昭和57年4月13日の閣議決定により、先の大戦において亡くな られた方々を追悼し平和を祈念するためとの趣旨で設けられたもので、毎年、東京・北の丸公園にある日本武道館では全国戦没者追悼式が、天皇皇后両陛下のご 臨席を賜り挙行されている。

 この日は全国から戦没者遺族の代表が集まり、戦陣に散り、戦禍に倒れた肉親に思いをはせ、その御霊に安らかなれと祈り、また平和のありがたさを全国民と共 に祈念する日である筈であるが、今回、河野洋平衆議院議長が述べた追悼の辞は戦没者並びにその遺族を冒涜するものであり、それを黙って聞かざるを得なかっ た遺族の心中を察すと、こちらまで怒りがこみ上げてくる。

 最初は遺族に哀悼の意をあらわしていたかのようだったが、驚くことに「わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、 あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。」といきな り述べ、このことは悲しいのは日本の遺族だけではなく、日本が戦争をしたために、多くのアジア近隣諸国の方々や、連合国軍将兵の遺族も同じなのだから、そ れを忘れてしまっては困る。だから少しは我慢せよとでも言いたいのであろう。

 それは戦争によって肉親を失った遺族として悲しいことはどこの国でも同じであろうが、会場にいるのは日本人の遺族だけであろうからして、その前で「わが国 の軍靴に踏みにじられ」と述べ、日本軍の行為を糾弾していることは、肉親が日本軍兵士として戦い、そして散華されていると言う事実を敢えて無視し、礼を逸 した追悼の辞と言わざるを得ない。

 河野氏は日本の遺族より、アジア近隣諸国の方々や、連合国軍将兵の遺族の方へ、より以上の哀悼の意をあらわす方が戦争を始めた責任がある日本にとっては大 切であると思っているのであろう。そのような一つの「思想」のようなものを持つのは自由だが、戦争の是非は別にして、河野氏が日本人であるならば、日本人 の遺族の前では肉親が立派に戦い、そして散華されたことへの哀悼の意を表すだけにし、アジアや連合国軍将兵のことは、その国に行った時にすべきではないの か。

 ところで河野氏は支那に良く行くが、生きてて良かったと思えるような接待もあるだろうが、戦没者を追悼する施設が支那にもあるだろうから、そこを訪れて献 花することもあるだろう。そこで何かコメントを求められた時は、当然ながら亡くなった支那人兵士とその遺族に哀悼の意を表すのであろうが、同時に支那でも 多くの日本軍兵士も亡くなっているのだから、それを忘れないで欲しいと言っているのか。

 それは言っていないであろう。戦争の原因はすべて日本にあると考えている支那人の前で、そのようなことを言える訳はなく、河野氏はハニートラップに引っ掛 かって、戦争の責任はすべて日本にあるとする支那の言い分を受け入れているであろうし、であるから日本人遺族の前では哀悼の意を表しているふりをしている だけに過ぎないではないかと思っている。

 また河野氏は追悼の辞の中で、「また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。」と 述べていることは慰安婦問題を指すのであろうが、それをわざわざ全国戦没者追悼式で、それも日本人遺族の前で話すことではあるまい。

 毒ガス兵器の処理問題や慰安婦問題で河野氏が国益を大きく損ねてしまったことは誰もが認めるところであろう。日本に責任はないのにも関わらず、処理を全部 引き受けてしまった毒ガス兵器の処理問題や、強制連行されたとの事実もないのに、韓国に騙されて認めてしまった慰安婦問題。なぜ、そのようなことをしてし まったのかと問い質そうとしても論議を避けて逃げ回っているようだ。

 慰安婦問題で未だにわが国の責任が追及されているのは、河野氏自身の誤った談話にあるのだから、河野氏とていつまでも元気で居られる訳はないし、生きてい るうちに誤りを認めて、この問題の沈静化を図るべきであり、売国奴と言えば、筆頭に河野氏の名前が出てくるようでは不名誉ではなかろうか。
(2007/08/18)

写真:河野洋平衆議院議長


在日朝鮮人は祖国の水害復旧を支援しないのか

2007年08月17日 00時16分33秒 | 北朝鮮関連

 北朝鮮国営の朝鮮中央通信によれば、8月7日からの集中豪雨によって、甚大な人的、物的被害が出ていることを伝えているそうだが、国連の潘基文(パン・ギム ン)事務総長は14日、国連本部で北朝鮮の朴吉淵(パク・キルヨン)国連大使と会談した際に、国連が復旧などを最大限支援する用意を表明したとのことであ り、また世界食糧計画(WFP)調査によれば、今回の集中豪雨で、穀物の収穫高が45万トン減少し、30万人以上の被災者が発生するだろうと予想されてい る。

 このような大規模な被害があれば北朝鮮として国際的な支援を訴えせざるを得ないであろうし、現に平壌に滞在中の外信記者らに、水害の現場の訪問することを許容するなど、北朝鮮政府としては異例とも言える対応をとっているようである。

 これに対して6カ国協議の日本首席代表、佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長は16日、「北朝鮮が受けている被害に同情を持っている」とした上で、「現時点で支援する計画はない」ことを明らかにしているが、その方針を強く支持したい。

 日本政府としては現在対北朝鮮経済制裁を実施中であり、水害だからと言って支援をしてしまったら制裁をしている意味がなくなる訳で、それでも人道上の観点 から支援すべきだとの声があるかも知れないが、まずは自国だけで何とかするべきであって、災害がなくとも、あれば当然のように支援を要求する朝鮮人には国 際社会がいい加減に頭にきているのではなかろか。

 わが国は拉致問題という同胞が北朝鮮に囚われの身となっていて、救出を今か今かと待っている人道に反する被害国であり、それが何ら解決していないにも関わらず、水害があったからとしても北朝鮮をなぜ助けなければならないのか。

 もし支援をしてしまうと拉致問題の解決は遠のくことは明らかであり、他国が支援の手を差し伸べても、わが国だけはその仲間に入ることはない。そのことで、 わが国が批判を浴びることになったとしても、「拉致問題が未解決なので」と反論すれば良いが、もっとも批判するのは支那と韓国くらいであろうし、その他の 多くの国はわが国が置かれた立場を理解してくれるものと確信している。

 北朝鮮で大水害が起きているにも関わらず、日本国内で朝鮮人に同情する声さえ起こらず、あの朝日新聞でさえ、見舞金を送るなどの動きは見せていないのはな ぜなのか。このような時こそ、日本より特亜に軸足を置いているいわゆる反日日本人が率先して、見舞金や援助物資を北朝鮮に送るなど積極的に行動すべきなの に、沈黙しているのは不可解の何者でもない。

 また、60万人とも言われる在日朝鮮人は何をしているのか。朝鮮総連が指令を出して祖国の惨状を救うために何らかの行動をすべきなのに、何もしないとなれ ば祖国への忠誠心は既になくなっていると断じて良いであろう。もっとも朝鮮総連中央本部の建物が差押えされているから、祖国の惨状を知ったとしても、それ どころではないと言うことなのであろうか。

 そうは言っても在日朝鮮人にとっては北朝鮮はわが祖国であり、その祖国が危急存亡の状態になっているのに見て見ないふりをしているのは可笑しいと言わざる を得ないし、何でも日本にたかることしか頭になく、一旦掴んだカネは同胞が困っていたとしても出さないとなれば全く情けない。

 朝鮮人には困った時にはお互いに助け合うと言う精神は持ち合わせていないようだが、朝鮮総連の建物が借金の形に競売されそうになっても、祖国からの支援すらなかったのだから、その祖国が水害で困っていたとしても知ったことではないと言う訳なのだろう。

 「恩を仇で返す民族」「状況が変われば平然と裏切る民族」と言えば朝鮮人のことであることは周知の事実であり、それは他国民であろうが、自国民であろうが同じことであることが、今回の祖国の水害で在日朝鮮人が示す行動で再確認出来るであろうと思っている。
(2007/08/17)

写真:北朝鮮の首都平壌で、浸水した道路を歩く市民(AFP)


掲示板 2007年8月分過去ログ (15350~15378)

2007年08月16日 23時12分27秒 | 掲示板過去ログ2007年分

15378.配慮多謝     
名前:しんしん    日付:8月16日(木) 23時12分
>本題から離れた所でウダウダやる気ないんで…。間違え た!以上!

ぼとるさんの配慮は解りますが、「間違えた!」の主語は何でしょう?
全く話が繋がっていないので「何を」間違えているのか非常に気になります。

>で、本題としては、天皇を中心とした国家の概念みたいなものは存在していた。
>でなければ、和宮も江戸まで来る必要ないし、六波羅に探題おく必要もなかった。

「概念みたいなもの」とは何を指していますか?和宮様の例えも降嫁ですから意味合いは逆です。
しかも六波羅探題は朝廷を縛り付け、領地を再配分する目的で出来ましたので何が言いたいのかさっぱり
解りません。

ソースを出せとは言いませんが、もっと根拠を示してから書いていただかないと理解しづらいのでよろ
しくお願いします。

何故六波羅探題をおかずに朝廷を潰さなかったかは、私は日本人特有の「祟られるのが怖い」だけだと思
っています。ですから物事を論理的思考で考える「近代人」であり「怨霊信仰者」とは考えづらい信長が
天皇に取って代わろうとしたとする井沢氏の推論には説得力があると思っています。(今谷氏はそこま
で計画していないという説ですが)

それと私はウダウダすることに無駄は感じていません。
私自身も調べたりして勉強になりますし、目的をもって本を読み返したり、アンテナが拡がりますので。


15377.やはり支持できない     
名前:ピカドン    日付:8月16日(木) 22時44分
敢えて言う必要はないかも知れない。
しかし、支持する立場として批判を恐れず敢えて言うべきと思う。
靖国参拝を避けた安倍総理、閣僚全て含めて、その行動を支持出来ない。これは大きな後退です。一部のブログ等では腰抜けとまで言われている。閣僚の中では 高市早苗議員のみが参拝されたが、それにどういう意味があるのか、意図があるのか、もうはっきり言って訳が分からない。

私個人の意見として、安倍総理就任依頼のボタンの掛け違いから、松岡、赤城両大臣に対して非情になれなかった事、・・・そして参院選惨敗。何でもそうです が、思いやり、妥協、そして優柔不断、国民はそれを曖昧と見た。指導力に欠けると見た。ただ、それだけの事。
周りに安倍さんを上手く導く人がいない事でしょう。
安倍総理は変わられたのか? 全てを支持しないわけではないが、やはり流れを考えた場合に靖国を避けた事は残念としか言いようがない。
靖国に限らず、人事面、外交面においても曖昧さが目立ちすぎる。
小泉前総理に出来なかった事を多く目標に置かれている事は理解できるし支持するが、今のままで支持率が回復するとは到底思えないし、反安倍勢力の思い通り に事は進んでいるように見えてしょうがない。


15376.知らないなら最初からそう言えば良いだけ     
名前:無知な国民の一人    日付:8月16日(木) 22時33分
15374にて

> 天皇を中心とした国家の概念みたいなものは存在していた。でなければ、和宮も江戸まで来る必要ないし、六波羅に探題おく必要もなかった。

和宮様は

「江戸時代はもとより、それ以前に於いて、皇女が武家に降嫁し、関東下向した唯一の例である」
和宮親子内親王

皇女降嫁が天皇家が国の中心だという概念「みたいな」ものがあったとする根拠には決してなり得ないのは明らか。
例えば二代将軍秀忠の娘が後水尾天皇に嫁いだというようなことなら、皇室の権威を最大限に利用しようという幕府側の意向と相まって、そうしたことも言えな くも無いかもしれないけれど、その逆のことで天皇が国の中心だったなんてことにはならないのは常識で考えればすぐにもわかること
(尤も、その際に出来た「禁中並公家諸法度」のことを考えると、実質的な支配者は誰なのかは、今更説明の必要は無いと思いたい)

それと六波羅探題は、時の鎌倉幕府が朝廷を監視下に置く為に設けられた役職名だったことなんて、別に本を読まなくともwikipediaで検索すればすぐ にもわかることの筈だけど、これのどこをどう見れば「天皇は国の中心だった」なんてことが言える根拠になるのか、知らないなら知らないと初めに言え ば、誰かが教えてくれるかもしれないのに何を遠慮しているのだろう。


15375.靖国参拝は春と秋の例大祭が好ましい     
名前:TK生    日付:8月16日(木) 21時21分
安倍首相は終戦記念日の靖国神社参拝を避けられました。
終戦記念日の参拝は、欧米(日本を含む)の植民地として翻弄されたアジアの国々、そして、
内乱に明け暮れした国の歴史を遡れば、ある国によっては、好ましからぬ歴史であり、それを
思いやる心があっても良いのではないかと考えます。
しかし、春と秋の例大祭での参拝であれば、明治維新以降に亡くなられた、日露戦争の戦死者
の御霊も含めて、お祀りされているわけですから、中国といえども絶対阻止とは言っておれない
のではないでしょうか。
何故ならば、もし日露戦争で日本が勝たなければ、満州は勿論のこと朝鮮半島とてソ連領と
なり、ソ連邦崩壊までロシア領となっていた可能性が高いのではないでしょうか。
先日の全国戦没者追悼式での安倍首相の式辞は「・・・我が国は、戦争の反省を踏まえ、
不戦の誓いを堅持し、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の先頭に立ち、
世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。
国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を
尽くしてまいります」と述べられています。
国民として、安倍首相の参拝は近隣諸国に波風を立てない、靖国神社が最も重要する祭礼
が執り行われる春と秋の例大祭が好ましいでしょう。
戦前・戦後を通しての歴代首相の参拝日も例大祭かその前後という例が多く、自然でも
あるように思います。


15374.だ~か~ら~     
名前:ぼとる    日付:8月16日(木) 1時24分
本題から離れた所でウダウダやる気ないんで…。間違えた!以上! で、本題とし ては、天皇を中心とした国家の概念みたいなものは存在していた。でなければ、和宮も江戸まで来る必要ないし、六波羅に探題おく必要もなかった。


15373.改憲=好戦?     
名前:ぼとる    日付:8月16日(木) 1時17分
国民投票法案くらいからマスコミでも標題のような論調が目立ちま すね。今日の レベルが低い公共放送の討論番組でも、似たような事を言う方いましたね。韓国人までオブザーバーで呼ぶ…なんだかなあ~というつまらなさでしたよ。


15372.靖国神社参拝     
名前:イオスじん@    日付:8月16日(木) 0時47分
 管理人様、お久しぶりです。
 
 昨日(15日)靖国神社参拝してきました。
 もの凄い酷暑でしたが、久々有意義な一日でした。
 又、参拝された皆様、お疲れ様です。
 ・・・バテてしまいましたので、短文にて御報告までに。


15371.その根拠は?     
名前:しんしん    日付:8月15日(水) 23時53分
ぼとるさん、
>征夷大将軍には源氏という条件までついていましたね。
>もう本題から外れ過ぎていたから、放置してたのですが…皆様の板汚しになったことお詫びします。

私は「豊臣秀吉が征夷大将軍になれなかったことを指していますか?」 とお聞きしたのですが、何が
「間違い」で「征夷大将軍には源氏という条件」の何が正しいのでしょうか?

賛同者さんは根拠になるものを出して説明されていますが、ぼとるさんからは全くそういうものを出し
ていません。
決着したことなら「~でした」と結論づけることはできますが、解決したとは思えない事柄でそういう書
き方をするのはいただけないと思います。

「征夷大将軍には源氏というのが絶対条件」 というのであればそれなりの根拠を示していただきたいで
すし、今まで出たものから根拠を示すなりして欲しいものです。


15370.こういう根拠です     
名前:しんしん    日付:8月15日(水) 23時41分
賛同者さん、無知な国民の一人さんに先を越された感がありますが、私も賛同者 さんの見方には無理が
あると思います。

>井沢氏は、著書の中で、抜粋した中でも推測の部分にはしっかりと推測と断りが入りますが、入っていません。

私の読んだ「逆説の日本史11」には林羅山の書いた将軍の養子になるくだりを「~ではないか。」「~と思う。」
としっかり書いてあります。
その前に「御用学者は困ったものだ、後世の人間が迷う」と述べていますので、史実とするには無理が
あり、ほとんどデマとした方が妥当でしょう。

実際公家の征夷大将軍で源氏ではない人もいますし(摂家:藤原)、秀吉も藤原氏(近衛家)として征夷大
将軍になれる資格はあると言うことになります。ですから、

>公家の場合は別に問題ないでしょう。問題は武士の中から将軍になる人に関する問題ですから、

というのは藤原氏となった秀吉には将軍になれない理由には当て嵌まりません。

>信長に関しては、正式には「関白、大政大臣、征夷大将軍」の三職の内、一つにつ就くかという事で、
>その中に征夷大将軍が入っているので将軍への打診ともいえなくはなにのですが、現実はこの三職推任問題に当ります。

これも1991年に立花京子氏が信長は将軍を望んだと解釈していますが、これが一番有力な説で、源氏し
か将軍になれないというのはこのれを見ても条件として加えることができません。

詳しいことは今谷明氏の「武家と天皇」に詳しく書いてありますので、よろしかったらご一読してみてく
ださい。


15369.小池百合子に国防を任せようとする安倍の頭を疑う     
名前:愛国って?    日付:8月15日(水) 22時33分
権力者になりそうな人物の間を渡り歩いてきただけの女。品格も信念も何も感じ られない。こんな人に日本の国防を任せるのか!?任命した人の頭の中を疑わずにいられない。日本のこと本当に考えてるの?!


15368.エセ愛国者安倍     
名前:愛国って?    日付:8月15日(水) 22時17分
安倍ボンボン化けの皮が剥がれましたな。日本国民としての誇りと信念を持って いるなら、選挙で大敗しようが国外でなんと言われようが参拝するはずでしょ。こんなエセ愛国主義者にはさっさと辞めてもらいまひょ。「欝苦死い国ニッポ ン」になる前に。
またこちらの皆様が参拝しなかった安倍氏に対する批判を何一つしないのは意外です。何故ですか?


15367.そちらはそちらの仲間で仲良くやって下さい。     
名前:forest(管理人)    日付:8月15日(水) 20時32分
>一国民さん

書きっぱなしで再度の投稿はないでしょうが、管理人のどの辺の主張が右寄りの発言で戦争をやりたがっていると捉えているのでしょうか。右寄りであれば直さ なければならないし、好戦者と捉えるならば、如何に戦争を防止するかも研究したいと思いますので教えて下さい。

ですが、戦争を避けるために非武装中立という自衛することすら否定する考えをとることは選択肢にはありません。戦争を避けたいがゆえ武装しているのが世界 の現実ですから、日本だけが非武装中立を選択する実験国家になることは余りにも危険です。

周辺国は全部侵略国家であるという現実を無視した論議は出来ないのではないでしょうか。それでも非武装中立が良いと言うならば、もう何を言っても無駄で しょうから、そちらはそちらの仲間で仲良くやって下さい。


15366.首相 靖国については方針貫く     
名前:ホッシュジエンの国内ニュース解説    日付:8月15日(水) 20時16分
安倍総理大臣は、15日昼過ぎ、総理大臣官邸で記者団に対し、靖国神社参拝
に関連して、「国のために戦った方々に尊崇の念は持ち続けたい」と述べつつ
も、在任中は参拝するかどうかを明らかにしない姿勢を貫く考えを示しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    「国のために」といっても米の戦後支援を
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /    を見返りにした、天皇を始めとする投資家と
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~  官僚が主導した対米協力戦争の事だろ?
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l これじゃ教科書に書けませんよね。(・∀・ )

07.8.15 NHK「首相 靖国については方針貫く」
http://www.nhk.or.jp/news/2007/08/15/k20070815000111.html


15365.ヨコからですが     
名前:ピカドン    日付:8月15日(水) 18時45分
またおかしな輩が迷い込んできた

何処をどう読むと、ここの管理人氏が右寄りなのか?
戦争がやりたいなどと何処を見ても読んでも、その気配すら無い内容に、意味不明なけちレスは、単なる嫌がらせかストーカーの類だな。
ましてや「戦死してきてくださいね」とは、心から平和を願う者の考えとは思えない、低脳低俗な文脈。
憲法九条は平和への万能の特効薬だと宣伝し、国民を騙すのは止めようね、似非平和主義者さん。
ジョークにしてはレベルも低すぎるし、そんな暇があったら、どうすれば戦争にならないか、どうすれば国土が護れるかを真剣に考えてみる事だ。
九条があっても北朝鮮の拉致は有りましたよね。竹島は韓国が武力により実行支配したままですよね。
中国は猛烈な軍拡の中、尖閣諸島を狙っているし、ぬけぬけと沖縄海域の領海侵犯もしましたよね。

さぁ、どうしましょう。憲法九条は役立たずです。
戦争はしては行けません。絶対に避けなければなりません。では相手に全て与えましょう、なーんて工作員みたいな事は言わないでね。
戦争放棄のためには憲法九条と非武装中立だなんて言わないでね、世界は、軍備防衛、外交、経済のバランスで成り立っている事くらいは知ってますよね。
えっ、知らない? あなたが工作員でなければ自殺行為にみんなを巻き込まないで下さい。


15364.管理人様へ     
名前:一国民    日付:8月15日(水) 17時5分
毎日毎日、右寄りの発言お疲れ様です。

そんなに戦争がやりたければ、自分から傭兵に志願してアフガニスタンでもイラクでも好きなところで戦死してきてくださいね。
そのほうが、あなたの大好きな日本のためです。


15363.ここ最近の報道に思う     
名前:ピカドン    日付:8月15日(水) 1時16分
1993年7月の第40回衆議院議員総選挙。自民党が解散前の議席数を維持し たものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落。この時に起きたのが「椿事件」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

テレビ朝日報道局長の椿貞良が、選挙時の局の報道姿勢に関して「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止し て、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェア ネスではない」との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。

選挙の後、産経新聞社の報道で、この件は明るみになる。と言うのが概略であるが、よく考えてみれば、今回の報道姿勢も朝日に限らず大方のマスコミが同等の 状態であった(今現在もである)と言えないだろうか。
昨日(13日)の「たけしのTVタックルで」早稲田大学大学院教授(田勢安弘氏)が、「何時でもどちらかに交われるような2大政党になるために、今は民主 党の少々の事は目をつぶっても良いのではないか」と言う問題発言をしたが、正にマスコミがやった事と同じであり、大学の教授にしてこれでは日本がおかしく なるのも無理はない。
正に報道により政治運動である。

不思議なくらい、自民党の不祥事のみ一方的に湧き出てきている。それも事ある毎にタイミング良く、そんな事は前から分かっていた事ではないかという事でも ある。一部の報道では、今頃になって「年金問題の根っこは自治労にある」と言い出す始末。
自民党と閣僚の事はとにかく選挙までは嘘でも何でも良いから徹底的に叩く、その逆に民主党と小沢代表の事は、何が出てきても徹底的にスルーする。「椿事 件」の時は、共産党は自民も民主も叩くから、これもまた極力スルーするといった徹底ぶりだった。今回の参院選で共産党に対してそうだったかどうかは確認で きないが、それ以外については、見事にそうであったように思う。
小沢代表のマンション名義問題で週刊現代が名誉毀損で訴えられていた問題でも、8月10日に訴えが棄却されたが、これ等は裁判所が選挙に影響を与えてはい けないとする判断であろうから正しいと言えるが、ぼちぼち民主のネタも出てくる頃だろう。

「椿事件」で何故、朝日の放送免許取消が出来なかったのか、単なる厳重注意というやってもやらなくても大して意義のない行政指導だけで終わってしまったの か不思議でならない。
先日の放送倫理審査会などの件は、その証のようなものである。
自浄能力無しという事は、取り締まる以外にない。報道の自由ではなく、厳格なルールを創るべきではないだろうか。


15362.売国NHKの東京裁判放送     
名前:KEN    日付:8月14日(火) 23時34分

・売国NHKよ、東京裁判の正当性を特集するのが遅すぎるのじぁ!
・もっと確信の部分を放送せんかい!ボケ

>キーナン主席検事検事
東京裁判は国際法に準拠しない違法裁判であることを認める。
>マッカーサー
トルーマン大続領と会見した際、東京裁判は誤りだったと認める。

欧米のマスコミは後に、東京裁判の正当性に疑間を呈し、裁判に対する反省を口にし、ロンドン・タイムズはニカ月間にわたって論争を連載、多くの書籍も出版 された。
ところが、被害国であるはずの当の日本は、議論に参加しないばかりか、変態マスコミも重大な国際問題に無関心。

・おのれら駄目マスコミが原因で今の日本になってしまった。

・東京裁判は事後法で裁かれ、とても裁判とは言えない、あれは
 「連合国による復習に過ぎない」
・少し熱くなってしまったが、あの裁判で朝鮮族の判事が居なかった
 事が幸いだ。 
・あっそうか、当時は朝鮮族に法曹関係者はいなかったか!こりゃ失礼


15361.明日は終戦記念日     
名前:ピカドン    日付:8月14日(火) 21時12分
今年105歳になった田舎の祖母は、足が悪くなってからというもの、もう何年 も靖国には参拝していません。
もう一度連れて行って上げたいがそれもままならず。

明日はお盆で唯一家族全員、時間が合い早朝より方々の墓参りに行きます。帰りに護国神社に参拝しようと思います。

閣僚全員が靖国参拝を見送ったという事のようですが、何とも寂しいかぎりです。
安倍総理は「参拝する、しないということは申し上げないことにしている」としているが、その曖昧さにはある程度の意味があると理解はしているが、しかし、 中途半端に期待を持たせるだけに終わるので有れば罪な事ではないか。
この表現が失礼だった事を説に希望します。
明日は心静かに広島護国神社に参拝致します。


15360.forest様     
名前:朝日新聞を叩き潰す掲示板管理人    日付:8月14日(火) 15時52分
forest様

早速ご対応くださり有難う御座います
こちらのサイトのように良質で信頼度が高いサイトに
推薦いただいていることは、非常に励みになります。
古くからforest様のご活躍を影ながら拝察してきましたが
年々ご隆盛のようす、どうかお体ご自愛くださいませ。


15359.朝日新聞を叩き潰す掲示板管理人様     
名前:forest(管理人)    日付:8月14日(火) 11時53分
「私の主張・ひとりの日本人として」の管理人forestです。朝日新聞を叩 き潰す掲示板」がリンク切れになっていたようで、こちらとしても大変心配しておりましたが、再開されたようで本当に良かったです。先ほど、サイト、ブログ ともリンクの変更を致しました。日本の良識とダメにした朝日新聞を廃刊に追い込むためにもお互いに頑張った行きましょう。では今後ともよろしくお願い申し 上げます。


15358.間違いでしたね     
名前:ぼとる    日付:8月14日(火) 8時12分
征夷大将軍には源氏という条件までついていましたね。もう本題から外れ過ぎて いたから、放置してたのですが…皆様の板汚しになったことお詫びします。


15357.また没収     
名前:ぼとる    日付:8月14日(火) 8時7分
また韓国にて旧親日派の財産が没収されたらしい…法律論としても変だし、感情 がまかり通る立法府というのもな…かわいそうだから、今のうちに民団の資産を日本の為に使っておくか…等の意地悪な事も考えてしまう。


15356.朝日新聞を叩き潰す掲示板管理人様     
名前:ピカドン    日付:8月14日(火) 1時15分
復活されて何よりです どうしたのか心配しておりました。

益々のご発展をお祈り申し上げます。


15355.お邪魔いたします。告知させてくださいませ     
名前:朝日新聞を叩き潰す掲示板管理人    日付:8月14日(火) 1時0分
管理人様・皆様
平素よりお世話になっております。
こちらでは、「朝日新聞を叩き潰す掲示板」を推薦BBSに
してくださっておるようで有難うございます

中断しておりました「朝日新聞を叩き潰す掲示板」についてですが、
管理人の引継ぎを行い、
旧板での再開はあきらめ、茶碗で新板を再開いたしました

告知の方が遅れており、一部ご常連にご心配をいただいております
できましたら、
皆様の告知ご協力および、リンクの変更お願い申し上げます

http://6241.teacup.com/noakahi/bbs

一方的なお願いで申し訳ありません。
今後ともよろしく。


15354.蛇足ですが     
名前:無知な国民の一人    日付:8月14日(火) 0時30分
ドラマの脚本や時代小説を根拠にするのは、非常に危険ですので今後は控えた方 が良いのでは、と強く勧めます。

理由は至って簡単、それらは執筆者によって脚色することが許されているからであり、例え史実やそれに類するものではなくても「脚本だから」「小説だから」 ということで視聴者や読者も、そこまで目くじらを立てない代わりにそうしたものが史実や事実だということに軽々しく考えないことが前提になっていると見る のが自然と思われます。

誰それの脚本だから、小説だから、そこに書かれたエピソードは事実としても無理は無いという発想そのものが無理であり、自分にとって都合の良いものだけを 見ているという捉え方をされる危険性も否定出来なくなるような気がします。

もしそうした考え方(脚本や小説でも史実の裏付けになる)が正しいなら、とてもその時代の人間の考えとは思えない、如何にも現代的な発想を時代劇で堂々と 脚色している昨今のNHKの大河ドラマでさえも、そこで描かれている世界が歴史的事実である、ということになってもおかしくはないと言えてしまうと思いま すが、それは相当に危険であり且つ不自然極まりない見方でもあると考えます。

歴史的事実であるとされることひとつを取っても、見る側によって、つまり書き手によって見方が割れることがあることなどは、あって当たり前とまで言われる 歴史の中の出来事を史実であると言い切るのは非常に難しいことを、私自身も今一度学習したいと思います。


15353.一部だけでなく全体を見なければいけないのでは? 2     
名前:無知な国民の一人    日付:8月14日(火) 0時18分
そして15350では、いきなりページも変わっており、しかも賛同者さんが今 もって「史実とは言えないけれどデマでもない」としている「征夷大将軍になれるのは源氏の嫡流だけ」が正しいとする為の根拠となるものは実は殆ど無いのが 実情ではないでしょうか。
どこにも「源氏の嫡流になれなければ将軍にはなれないから、足利家に養子縁組を頼み込んだ」とは書かれていません。
足利家に養子縁組を頼んだ理由として、井沢氏は

「秀吉は手っ取り早く、天下人としてふさわしい権威を身につける必要があった。(中略)既成の権威を利用するしかないのだ。」(同じく135Pより抜粋)

と書いてあるだけで、源氏にこだわっているとされる部分はどこにも見当たらないのですが、どこをどう解釈すれば「源氏の嫡流でなければ将軍になれないのは デマとまでは言えない」となるのか、これだけの記述でそうだとするのは、あまりにも無理矢理過ぎるこじつけにしか見えません。

「英傑の日本史」では、「逆説の日本史」と違って秀吉が将軍家の養子縁組に失敗したという経緯についての根拠となるものを殆どというよりまるっきり載せて いませんが、これは井沢氏があとがきでも述べているように「逆説の日本史」で書いているからいちいち取り上げなかっただけだろうと推測されます。
(だからこそ併読を勧めることも出来るのでしょう)

その部分だけを切り取って

> 井沢氏は、著書の中で、抜粋した中でも推測の部分にはしっかりと推測と断りが入りますが、入っていません。ですから、”後付で関白になった経緯をみて「将 軍との養子縁組」を考え付くことも出来るわけです。”は無理があるともいますね。

「逆説の日本史」では将軍家養子の一件について井沢氏は羅山の主張を疑問視していることを明確にしています。
無理があるのは賛同者さんの上記のような解釈の方だと思えるのですが。

それに、「英傑の日本史」141Pで書かれているように

「私(井沢氏のこと)は秀吉が天皇を超えることを完全にあきらめたわけではない、と考えている。」

こういう考え方をしている人物が「源氏の嫡流にこだわっているから将軍家に養子縁組を頼み込んだ」なんていう説を鵜呑みにするとは到底考えられませんし、 何よりも整合性が著しく欠けているとしか思えません。
将軍になることにそこまで固執しているのなら、天皇を超えようなどという発想をあきらめないなんてことは決して言えないでしょう。

> 信長に関しては、正式には「関白、大政大臣、征夷大将軍」の三職の内、一つにつ就くかという事で、その中に征夷大将軍が入っているので将軍への打診ともい えなくはなにのですが、現実はこの三職推任問題に当ります。

これはいったい何を主張したいのか、非常にわかりにくいのですが、少なくとも源氏の嫡流ではない信長にも征夷大将軍になる機会があった、ということは

> 「史実」と言い切るのに無理があるのは認めますが、「デマ」と断言は出来ないでしょう。

明らかにデマであると、賛同者さん自身も認めているようにしか思えません。

くどいようですが井沢氏は「源氏の嫡流でなければ征夷大将軍になれないのは昔からの不文律だ」ということは、その著作の中で明確に否定されていますし、賛 同者さんが新たに引用された部分に至っては「源氏」のげの字も出て来てはいないようですので、やはりデマと見るのが正しい見方であると考えます。


15352.一部だけでなく全体を見なければいけないのでは? 1     
名前:無知な国民の一人    日付:8月14日(火) 0時15分
賛同者さんの主張には、少々無理があるような気がします。

15350にて

> 井沢氏は、「逆説の日本史」の中で、推測ならば推測としっかりと書かれる作家です。

そうですね。
だからこそ井沢氏は「逆説の日本史」でも林羅山の主張は御用学者の言うことだからあまり当てにはならないけれども、必ずしも全否定は出来ないかもしれない と、それは慎重に書かれていました。

けれど、その井沢氏が羅山の言い分を何故否定出来ないのかと言えば、それは目下の者が目上の者に「養子にしてくれ」と頼み込むことの突飛さであることも同 時に明記されていますが、この部分は井沢氏にしては珍しい(と個人的には思いたい)誤認ではないかと考えます。
何故なら羅山が「豊臣秀吉譜」を編纂したのは関ケ原の合戦よりもずっと後、もう少し細かく言うなら秀吉の死後40年以上も経ってからですから、その突飛な ことは他ならぬ秀吉自身がとっくに実践してしまっているからであり、それを基にして最初は将軍家の養子になろうとしたけれど、断られたから公家に乗り換え た、とするのは井沢氏が言うほどには難しいことではないと考えます。

更に井沢氏は自著の中でも「五摂家の猶子になるのは、将軍家の養子になるよりも遥かに難しい」と書かれていますし、比較的簡単だった方法で失敗したにも関 わらず、何故更に難関とされる方法を取ったのか、それも成功した手際はしんしんさんではありませんが、確かに見事なものと見ても良いと思われるのに、何故 易しいとされる方では成功しなかったのか、その逆ならわからなくはありませんが、井沢氏は羅山に主眼を置き過ぎたが故に秀吉本人が実際に取った行動をそれ に絡めるということをされなかったのは、氏にしては珍しい浅い読み方な気がします。

そして「英傑の日本史」では「逆説の日本史」よりも幾分突っ込んだ形で書かれている「秀吉の六指」の件に関しては、それこそ説得力も整合性も信憑性もある 根拠や論拠で以って「事実と見て間違いないだろう」とされているのに、秀吉が足利家に養子縁組の依頼をしたということについての根拠としては、井沢氏自身 も判断がつかないと明言している羅山の記したものだけというのは、やはり秀吉が足利将軍家に養子縁組をして断られたというのは将に井沢氏の著作から見ても 「整合性にも説得力にも信憑性にも欠ける」眉唾な主張にしか思えません。

それと忘れてはいけないのは、井沢氏は「英傑の日本史」のあとがきで

「私(井沢氏のこと)の著作で「本紀」にあたるのが『逆説の日本史』シリーズです」

とあるように、「英傑の日本史」と「逆説の日本史」シリーズとを併読することを勧めていますが(なかなか商売上手です)こちらにはこう書かれていたから、 と一部だけを殊更に抜き出すというのは、あまり宜しくない手法にも思います。
秀吉の「六指」という、強いて言えば歴史の本筋とはあまり関係の無さそうなエピソードについてさえ、そこまで周到な根拠や読み方をされている井沢氏が「将 軍家に養子縁組を頼んだ」とする根拠に胡散臭いことを明確に指摘しているものだけしかない挙げていないことも併せて考えると、これを事実とするのはどうに も無理があり過ぎると思えてしまいます。

それから賛同者さんの主張の正当性の根拠として紹介されている「英傑の日本史」の引用部分が変わっているのも非常にひっかかります。

15345では

> 源氏の嫡流以外は認めないというのも、井沢氏の本に書いてあるのを参考といたしました。参考文献は「英傑の日本史」その249ページに、”「将軍は源氏で なければ将軍になれない。」と掟があった”と記載されています。

確かに、そのページにそうした記載はありますが、その続きを完全に無視するのは正直に申し上げて少々卑怯ではないかと思うのですが。

その続きとして井沢氏は

「この『説』には、不正確な点もあり用語も混乱している。しかも、最近の研究では話が違ってきている」

と、それこそ断言されていますよね?
これは私が15341で紹介したwikipediaにあった記述とほぼ同じ意味のことだと思えるのですが、何故この部分の前の文章のみを引用されたので しょうか?


15351.15日まで、あと2日ですが・・・・     
名前:愛国主義者    日付:8月13日(月) 22時17分
この報道どおりの事態にならない事と思う。
無論メール等でも官邸・自民党に連絡はしているのだが・・・
全閣僚が参拝しないとは・・・・・
やはり心配です。

産経新聞より

全閣僚が靖国参拝見送り 「終戦記念日」異常な事態
8月12日20時3分配信 産経新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070812-00000913-san-pol
 安倍内閣の16閣僚全員が、終戦記念日の15日に靖国神社に参拝しない意向であることが明らかになった。終戦記念日に閣僚が大量参拝するようになった昭 和30年ごろ以降、参拝者がゼロとなる年はおそらく初めてという異常事態だ。参拝を見送る理由は日程上の都合や政治信条などそれぞれだが、中国などへの配 慮もうかがえることから「なんて意気地がないんだ」(島村宜伸元農水相)とあきれる声も出ている。(阿比留瑠比)
 「私の信条でいつも決めていること」(塩崎恭久官房長官)、「宗務行政の所管大臣として公平を期すため」(伊吹文明文部科学相)、「宗旨が違うから」 (冬柴鉄三国土交通相)…。参拝見送りの理由として、各閣僚はこのように説明している。
 麻生太郎外相、高市早苗沖縄北方担当相らは、外遊など公務を理由に挙げた。小泉純一郎前首相が“6度目の正直”で初めて15日の参拝を果たし、メディア が大騒ぎした昨年とは空気が一変、冷めたムードが漂っているようだ。
 本来、小泉氏より靖国参拝に対する思い入れは深いとされる安倍晋三首相が、「参拝する、しないということは申し上げないことにしている」と“あいまい戦 術”を取っていることも、その理由の一つだろう。参院選で与党が大敗し、政権が弱体化している今、あえて内外に波風を立てることはないという判断もあるか もしれない。
 とはいえ、靖国参拝問題をめぐり、これまで内政干渉まがいの介入を続けてきた中国ですら、首相、外相、官房長官以外の閣僚の参拝は問題視しない姿勢を示 している。閣僚が終戦記念日にだれも参拝しないのは、かえって不自然ではないか。
 靖国神社にとってみれば、「春秋の例大祭に参拝してもらえる方がありがたい」(関係者)のも事実だろう。15日にこだわることで、戊辰戦争、西南戦争、 日清戦争…と明治維新時からの戦死者を祭る靖国神社のイメージを、ことさら先の大戦だけに結びつけるマイナス面も否定できない。
 だが、政府は昭和57年4月の閣議で、8月15日を「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」と決定している。首相や閣僚の靖国参拝のタイミングとして、終 戦記念日がふさわしい日の一つであることは間違いない。現に、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、春秋の例大祭のほか15日にも参拝 を続けている。
 安倍首相は官房副長官時代や自民党幹事長時代に、15日の参拝を続けてきたが「15日参拝を公約していた小泉氏を応援するためで、自身はこの日に特にこ だわりはない」(周辺)とされる。ただ、小泉氏の連続参拝で戦没者追悼のあり方に対する国民の関心が高まっただけに、首相や閣僚がだれも靖国に訪れない終 戦記念日は、寂しいものになりそうだ。

【関連記事】


15350.根拠になっていませんよ。     
名前:賛同者    日付:8月13日(月) 15時15分
しんしんさんへ

>井沢氏は「豊臣秀吉譜」を書いた林羅山は信用できないとキッパリ言っています

林羅山が信用出来ないというのが私も認めます

>義昭の養子縁組の件はオリジナルで考え付くのは難しいと推察して、本当のことでは?と解釈しているようですが、これは後付で関白になった経緯をみて「将 軍との養子縁組」を考え付くことも出来るわけです。

これはしんしんさんの意見なのでしょうか、それとも井沢氏の推論と考えているのでしょうか。
井沢氏は、「逆説の日本史」の中で、推測ならば推測としっかりと書かれる作家です。その井沢氏が、「英傑の日本史」の”豊臣秀吉”の章にて、
  ”秀吉はまた生きている足利義昭に「養子にしてくれ。」と持ちかけているからだ。受け入れはおそらく何不自由ない生活が待っていただろうが、流石に義 昭は拒否した。”
            「英傑の日本史」 134ページより抜粋  ”
”「将軍が駄目なら関白があるさ」とばかりに今度は関白を目指す事になる。
           「英傑の日本史 135ページから抜粋”
井沢氏は、著書の中で、抜粋した中でも推測の部分にはしっかりと推測と断りが入りますが、入っていません。ですから、
”後付で関白になった経緯をみて「将軍との養子縁組」を考え付くことも出来るわけです。”は無理があるともいますね。

大河ドラマ堺屋太一氏脚本の「秀吉」でも秀吉が養子縁組を画策している事は描かれているいますし、山岡ソ荘八「徳川家康」でも秀吉は当初、将軍を目指して いた事はしっかりと描かれていますから、「デマ」とは断言できないでしょう。

>信長への将軍打診の件や摂家将軍や皇族将軍の例があり、清和源氏に限られておらず、その
ために将軍との養子縁組をしたという見方は無理があります。

信長に関しては、正式には「関白、大政大臣、征夷大将軍」の三職の内、一つにつ就くかという事で、その中に征夷大将軍が入っているので将軍への打診ともい えなくはなにのですが、現実はこの三職推任問題に当ります。(逆説の日本史、第十巻 402ページより参照)
公家の場合は別に問題ないでしょう。問題は武士の中から将軍になる人に関する問題ですから、

「史実」と言い切るのに無理があるのは認めますが、「デマ」と断言は出来ないでしょう。


偏向マスコミが騒がなければ靖国問題はない

2007年08月16日 00時28分55秒 | 偏向マスコミ

 記録的な猛暑が続いているが、偏向マスコミは8月15日の終戦記念日に東京・九段北の靖国神社に安倍総理や閣僚、また他の国会議員による参拝の有無について 数ヶ月も前から報道を繰り返していたが、安倍総理の参拝はなく、閣僚では高市早苗沖縄北方担当相が唯一の参拝をしたとのことであり、今頃は支那に参拝した 国会議員の名前をご注進していることであろう。

 慰霊とは静かに行われるものでなければならず、その環境をぶち壊しているのは偏向マスコミに他ならず、靖国神社に参拝することは個人個人の心の問題であり、 それは総理であろうが、閣僚であろうが、他の国会議員にあろうが同じことで、それを参拝するのかしないのかを数ヶ月も前からも問いつめ、閣僚の参拝はない かも知れないとなると「異常なこと」として報道し、その「異常なこと」にした元凶が偏向マスコミ自身にあるとの認識さえ持とうとしない。

 偏向マスコミが事実だけを報道していれば世間は随分静かになると思うが、事件や事故がないとメシを食えなくなるので、何ら問題ではないことを問題化して火を 付け、騒ぎが大きくなればなるほどメシの種が増えると言う訳であろうから、このようなデタラメなことをしていてもそれが仕事だと言うのだから奇怪なことだ と思っている。

 高市氏が参拝したことは良かったと思うし、閣僚の参拝が一人もいないのでは良くない前例となってしまうので、毅然として参拝した高市氏を勇気を称えたい。偏 向マスコミは閣僚の参拝はないとみていたのが見事に外れた訳であり、参拝されたことは偏向マスコミにとっては残念だったと申し上げるしかない。まあ、いくら偏向マスコミでも高市 氏の本心など理解出来る筈はないだろう。

 小泉前総理も昨年同様に昇殿参拝したようであり、総理を辞したとは言え、信念を貫いていることは 立派なことであり、安倍総理にあっても参院選大敗があったにせよ、また批判されることを恐れているにせよ、戦没者を慰霊することはまったく別次元の問題であ るからして国の代表者とし、その責任を果たして欲しかったと思っている。

 ところで、靖国神社には参拝以外の目的では行かないものだと思う が、報道によれば小泉前総理が参拝に訪れると「恥を知れ」「英霊が泣いている」などと罵声を浴びせられたそうだが、このようなことを言ったのは参拝者なの か。それとも参拝以外の目的で靖国神社に来ている者であろうか。

 昨年の8月15日にも小泉前総理は参拝しているが、その時にも「参拝は憲 法違反だ」と叫ぶ声もあったとの記事があるが、今回、小泉前総理に「恥を知れ」「英霊が泣いている」などと罵声を浴びたのは、報道では「安倍首相や閣僚ら が参拝しないことにいらだちを見せた一部の参拝者」となっているが、そうではなく小泉前総理の参拝にも反対する参拝以外の目的で靖国神社に来ている連中で はなかろうかと推察している。

 同じく昨年の8月15日の朝日新聞に「神社前の雑貨店。明治時代から続く老舗(しにせ)はこの日、シャッ ターを閉じたまま。3代目店主の小林国利さん(75)は右翼団体と機動隊の小競り合いなどを目の当たりにして、この3年、終戦の日は店を閉じている。『昔 は静かな場所だった。まつられている人とは関係ない人が騒いで、雰囲気が悪くなった』」との記事があったが、その朝日自身が靖国問題に火をつけた張本人な のにも関わらず、良くこのような記事を惚けて書けるものだと感心している。

 毎年のように繰り返される8月15日の靖国神社での騒ぎを沈静 化させるには偏向マスコミが大袈裟に報道しないことだ。もし安倍総理が参拝することがあったとしても産経新聞を例にとれば2面下の「安倍日誌」に「午前8 時官邸発。同15分靖国神社着。参拝。午前9時15分靖国神社発。同30分官邸着」と書くだけのベタ記事だけで十分であろう。偏向マスコミが騒がなければ 靖国問題などなかったことは確かである。
(2007/08/16)

写真上:靖国神社を参拝した高市早苗沖縄北方担当相
写真下:参拝のため、靖国神社を訪れた小泉前総理


夏が来れば自衛官を罵倒した田岡氏を思い出す

2007年08月15日 00時52分08秒 | 防衛省・自衛隊・安全保障

 お盆休みをふるさとで迎えるための帰省ラッシュが始まるこの時期になると、昭和60年(1985年)に起きた日航機墜落事故の記憶がよみがえる。520人 が犠牲になったこの事故から今年で22年が経過し、墜落場所である群馬県上野村の御巣鷹の尾根には今年も遺族らが慰霊の登山を行っているとのことである。

 この事故でも自衛隊による捜索救出活動が行われ、奇跡的に生存者4名が発見されたが、陸上自衛隊の輸送ヘリコプターV-107によって現場から救出・搬送 される様子が報道され、ホバリング中の機体から降ろしたロープによってつり上げられる生存者を収容する映像は、この事故の救出活動を象徴するものとなっ た。

 模型のヘリをリモコン操縦する趣味を持つ方によれば、あのような場所でのホバリングは模型でも難しいとのことであり、にも関わらず実機で長時間行ったことに驚き、自衛隊員の操縦技術を称賛していた覚えがある。

 偏向マスコミはそのヘリの映像だけは何度も報じたものの、その他の遺体や遺留品の捜索、ヘリポートや簡易道路の建設など自衛隊が行った活動をほとんど報じ ることなく、「夜間でもヘリから隊員を降下させることはできなかったのか」「民間機だから」「全員死亡していると決め込んでいたのでは」とかの難癖をつけ 自衛隊出動の遅さと対応を批判する声をあげていた。

 標高2000メートルもある山岳地帯で、月夜でもない暗闇の中で、下の様子が全く分からないのにも関わらず、さらに夜間捜索可能な赤外線暗視装置を装備し ていないヘリを現場に無理に接近させたとしても二次災害を起こす恐れがあった訳で、そのような知識もない評論家をテレビに出演させて、普段は自衛隊をさん ざん貶しておきながら、このような時にはスーパーマンのように出来ないことまで行えと要求した訳である。

 だが偏向マスコミからの批判にいつも耐えていた自衛隊であったが、このような報道のデタラメさに憤慨した一人の現職自衛官が実名で「いわれなき批判に反論する」として月曜評論に論文を掲載したのである。

 その勇気ある自衛官は当時の防衛庁航空幕僚監部広報室長であった一等空佐・佐藤守氏であり、航空自衛隊の捜索救難活動に関してマスコミ報道のデタラメさ と、無責任な放言をした評論家の無知ぶりを徹底的に批判し、その後、陸上自衛隊東部方面隊の対応については「これだけは分かって欲しい、時には涙し、ただ 黙々と最善を尽くしたことを」として、当時の東部方面総監部広報室長であった二等陸佐・小林武一氏が反論を加えている。

 この両氏の反論に偏向マスコミは再反論出来ず沈黙してしまったものの、なぜか当時の朝日新聞編集委員・田岡俊次氏は佐藤守氏に対し「必ず国会の問題になる から今のうちに訂正文を書いた方が良い」として、驚くことに「お前を飛ばすのは簡単だ」と罵倒したというのだから、これこそ新聞記者の驕りと言って良いで あろう。

 田岡氏が訂正を求めたのは日航機墜落事故のことではなく、佐藤氏が同論文の中でふれた昭和46年に岩手県雫石上空で起こった全日空機と 自衛隊機の空中衝突事故のことについてであって、佐藤氏が「全日空機が一方的にジェットルートを逸脱して訓練空域に進入した結果であり、しかも操縦席に機 長は居なかったとしか考えられず、或いはいたとしても前方を見張っていなかったため、訓練中の自衛隊機に追突し、何が起こったか分からぬまま墜落して事故 であると確信しており…」と書いていることから、それを田岡氏は誤りだというのである。

 全日空機が一方的にジェットルートを逸脱していた疑いは乗客の遺品の中から8ミリフィルムが発見され、それにはジェットルートを正常に飛行していれば写る 筈がない田沢湖が写っていたことが上げられ、また当時の飛行速度は全日空機の方が自衛隊機より早かったからして追突した訳であり、飛行速度が遅い自衛隊機 が飛行速度が早い全日空機に追突することなどあり得ないからだ。

 前方の見張りを怠っていたのではとされる全日空機の機長は衝突する寸前ではなく、かなり前から前方に自衛隊機を視認出来た筈だとされたが、それも自衛隊が 絡む事故があると何でも自衛隊側に責任があるとする事故調査結果が出され、偏向マスコミもそのような印象報道を行ってきた。それは昭和63年(1988 年)に起きた海上自衛隊第2潜水艦群第2潜水隊所属・潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」との衝突事故でもまったく同じであった。

 「お前を飛ばすのは簡単だ」と現職自衛官を罵倒した田岡氏だが、朝生に軍事評論家とかの肩書きで出演していた記憶があるが、その後はどこで今何をして活躍 されているのであろうか。夏が来れば思い出すのは、我々だけの自衛隊を貶めた田岡氏のことであり、テレビで最もらしいことを言っても信用することは出来な い。
(2007/08/15)

写真:現職自衛官を罵倒した自称軍事評論家・田岡俊次氏


大気汚染で史上最悪の北京五輪になる予感

2007年08月13日 23時43分39秒 | 支那関連

 人間は空気を吸わないと生きられないし、また出来れば空気が綺麗な所に住みたいと思うは当然だが、なかなかそうも行かない訳で、人が多い都会に住めば車の 排気ガスや工場の排煙などでどうしても空気が汚されていることから、そのために健康を害する人が出たとしても何ら不思議ではない。

 特に用事がなければ息詰まる程に大気汚染が酷い所に敢えて行くことはないのだが、来年の8月にはそのような北京で五輪が開催されるとのことであり、それでは選手・役員は勿論のこと応援に行く者の健康への不安が懸念されることであろう。

 なぜ大気汚染が酷い北京での開催が決まったのか分からないが、開催が近づけば近づく程に様々な問題が明らかになり、既に「北京五輪の開催は無理ではないか」とする声があり、開催するにしても選手の北京入りを直前まで行わない国も出始めている。

 開催が近づけば新記録への期待感や、注目選手の話題などが出て来ても良さそうだが、そのようなものは少なく、環境問題や食の安全など様々な問題が山積みになっていることばかりが報じられており、過去にこのように不安が益々増大する五輪があったであろうか。

 北京五輪出場を決めているソフトボールの女子日本代表が当初予定していた北京での直前合宿取りやめるそうであり、これも深刻な大気汚染を 懸念したものであるそうで、もし北京で合宿したとしても、日本が憎い支那人のこと故、何を入れられるか分かったものではないので、安全な食事が出来るとは 思えず、原因不明の病気になる恐れもあるだろう。だから時差も1時間程度しかないのだから、試合がある当日だけ水と食料を持参して行って、試合終了後はす ぐ日本に戻れば良いだろう。

 支那に仕事や五輪などでどうしても行かなければならない方にはお気の毒としか申し上げられないが、昼間でも霧の掛かったような大気汚染の深刻な所には観光で行くことはあり得ないし、それでも行きたい人はそれなりの覚悟が必要であると言える。

 不安が増大しても北京五輪は開催されるであろうが、史上最悪の五輪になると予感している。支那という国が如何にデタラメで、マナーを守ると言う意識が全く ない支那人の醜態が世界に晒されることであろうし、それだけが北京五輪の楽しみとなるだろうと今から期待して待っている。
(2007/08/13)

写真:大気汚染のため昼間でも霧がかかったような天安門広場(大紀元より)


今でも自衛隊の災害派遣活動は続いている

2007年08月12日 23時33分02秒 | 防衛省・自衛隊・安全保障

 7月16日10時13分頃、新潟県上中越沖(新潟の南西約60km)を震源とする新潟県、長野県において震度6強を観測する強い地震があってから間もなく 1カ月が経過するが、マスコミによる報道もすっかり少なくなり、8月8日に天皇、皇后両陛下が大きな被害を受けた柏崎市と刈羽村をお訪ねになり、避難所な どをお回りになって被災者を見舞われたことが報じられた程度である。

 今回の新潟県中越沖地震でも自衛隊による災害派遣活動が実施されており、マスコミは報じないので、既に派遣が終了し、自衛隊は引き揚げてしまったのではな いかと勘違いをされる方もいるかも知れないが、防衛省のHPによると、8月8日現在の派遣規模は人員約2,020名、車両約870両、護衛艦1隻、航空機 30機となっている。

 8月8日の実績として柏崎市において巡回給水と31ヶ所で給食支援を実施し、同市内19ヶ所と柏崎港岸壁において、入浴支援を実施しており、給水量約 664トン、給食量約15,800食、入浴者数約4,040名とのことで、このようなことを自衛隊以外の組織が行政側に迷惑を掛けず自己完結で完遂出来る とは到底思えない。

 自衛隊による災害派遣が大きな転機を迎えることになったのは、6000人以上の犠牲者を出した阪神大震災であることは誰もが認めるところであろう。例えば 自衛隊との共同防災訓練が飛躍的に増加したことや、危機管理担当官として、自衛隊OBを採用する自治体が増えるなど、大規模災害があった時には自衛隊が最 も頼れる実力組織であるとの認識が深まった証左であろう。

 また被災者にとっても自衛隊が最も頼りになり、感謝していることは間違いなく、阪神大震災の時に災害派遣を終えて帰隊する自衛隊員に感謝と御礼の言葉と、 ものがなかった時なのにも関わらず「自衛隊さん ありがとう」との横断幕を手作りして掲げ、涙を流して見送った被災者が沢山いたからである。

 そのような映像をこちらまで感涙しながら見ているが、既存のマスコミでは絶対に流さないであろうし、自衛隊が国民から感謝されているような映像は取り上げないとする方針でもあるらしい。

 自衛隊は今回の新潟県中越沖地震でも素晴らしい即応態勢をとっていたことを示しており、10時13分頃の地震発生にも関わらず、防衛省のHPによれば同 35分には、陸自OH-6観測ヘリ(相馬原)1機が離陸し長岡方面の偵察活動を実施しており、同49分には新潟県知事から陸自第12旅団長(相馬原)に対 し、災害派遣要請がされ、その直後の同50分には陸自第12旅団(相馬原)の初動対応部隊が出発したと言うのだから驚く他はない。

 社民党の阿部知子議員が、「阪神大震災の際に自衛隊の出動が遅れた」と自らのブログに書いて批判を浴びたが、その批判の中には被災者からの「地震の時に一番お世話になったのは自 衛隊の皆様で、感謝しても感謝仕切れるものではない」とするものもあった。自衛隊が来たことで、どれほど被災者に安心感を与えたかを物語るもので、 だから自衛隊を侮辱した阿部議員が批判されたのも当然であろう。

 それは新潟県中越沖地震でも同様であろうし、被災者から自衛隊に対して激励と感謝の手紙が多数届いているようであり、ここにそれを紹介したい。誰かから言われたからとして書いた感謝の手紙ではないだろし、被災者として素直な気持ちを表しているからである。
(2007/08/12)

写真:被災者から自衛隊に届けられた感謝の手紙



写真:被災者から自衛隊に届けられた感謝の手紙の続き。クリックして頂けば感謝の手紙が開きますが、少し見にくいかも知れませんので、画像の下にテキスト化したものを掲載してあります。

 

自衛隊さんへ

私はいつも自衛隊さんが達が作ってくれている炊き出しをいただきに松浜中学校に通っています。

今回の地震が起こった時、家の中が荒れはててしまい柏崎の変わってしまった姿。ライフラインが全く使えずに、これからどうなってしまうん だろう、どうすればいいんだろうと気持ちが不安定になり沈んでしまっている時に自衛隊の方々の力強い支援をいただき、たくさんの元気をもらいました。

お腹が空いている時、自衛隊の方々が一生懸命作ってくださったご飯を食べ、とても美味しく、また明日頑張っていこうと前向きが気持ちになることができました。

また、何日もお風呂に入ることが出来ない時、松浜中学校の自衛隊の方々が作ってくれた仮設風呂を利用させていただきた時は、体も心もスッキリと洗い流された気分になりました。優しく中で案内して声をかけてくれた自衛隊さんの親切さ、優しさに涙が出ました。

この他にも、まだまだ伝えきれない感謝の気持ちがいっぱいです。

今回の経験で私はたくさんの人に支えられて、助けていただいて今があるんだということを身に染みて感じることが出来ました。また普通に生活を送れるということがどんなに恵まれていたかということもよく分かりました。

自衛隊のみなさま、本当にありがとうございました。これからも体を壊さないように頑張って下さい。

高校二年の女子より



自衛隊の皆様へ

いつもご苦労様です! この度の地震発生から私達の為に本当にいろいろとありがとうございます。心から感謝しております。

私の家は幸い被害も少ない方ではありましたが、2歳の娘がいたりなかなか片付けもできずワークプラザで21日までお世話になっていました。 自宅とワークプラザの往復でお水を頂いたりもしましたが、とても親切に容器に入れて運んでもらったり疲れた体にはとてもうれしかったです。 自宅に戻ってからもお風呂を毎日利用させてもらっています。そしてなかなか夕食も作れない日もあり、夕食だけは今も申し訳ありませんがいただきに来ています。

避難生活をしていた時に毎回思っていましたが、あたたかくおいしい食事を口にでき本当に良かったです。うちの娘は小食であまり食べなかったのでしが自衛隊 の皆様が心を込めて作ってくれた食事は「自衛隊のごはんおいしいね」と沢山食べています。またそれも親としてはうれしい事です。 毎日通っているうちに娘も気軽に手を振ったりし、それにこたえて皆様も振り返してくれたり…

また「こんにちは~」と声を掛けて下さるので私達もうれしいです。 皆様のあたたかいお気持ちは一生忘れる事はないと思います。 本当にありがとうございました。 私達も頑張りますので、皆様も大変かと思いますが頑張って下さい。 皆様のおかげで私達はとても元気付けられております。 本当に本当に感謝します! ありがとう!いくら言っても足らない位です。

ではまたしばらくお風呂に通わせていただきます。ほっとするのでついついワークプラザの皆様の所に長居をしてしまいますが許して下さい。 娘(○○○)も帰りたがらなくて(笑い) 皆様もお体に気を付けて下さいネ!!

柏崎市茨目○○
佐○

乱筆・乱文申し訳ありません。



平成19年新潟県中越沖地震に係る災害派遣について(防衛省)


掲示板 2007年8月分過去ログ (15328~15349)

2007年08月12日 21時46分33秒 | 掲示板過去ログ2007年分

15349.挑戦族の意味不明記念日     
名前:KEN    日付:8月12日(日) 21時46分
終戦記念日を前に朝鮮族は、”戦勝記念日”と書いているのを見かけたが、日本 は秀吉の朝鮮出兵以降、朝鮮半島で戦争などしていないぞ!
朝鮮半島は日清戦争で、清国が敗北し”朝鮮半島はどうぞお好きに”
となって、植民地になったはずです。
戦ってもないのに、”戦勝記念日”とはこれいかに?もしどうしても書きたいのなら、”不戦勝記念日”だろ!
しまった、これを書いたら日本は”不戦敗”になってしまう。


15348.簡単に書きます。     
名前:しんしん    日付:8月12日(日) 12時32分
>もっと単純にいえば、朝廷、幕府の二つの官僚機構がある理由は何、と いう答えの一つとして統治権が残ったと考えることも出来ると云っているのです。
>日本人のメンタリティーが朝廷という官僚機構を残した…….ちょっと理解できません。

官僚機構というのは潰さなければ残ります。基本的に相続されるものですから改革しなければそのまま
残ると考えて差し支えないでしょう。
ですから必要だから残ったというよりも、潰されなかったから残ったと判断したほうが私は妥当だと思っています。

>(朝廷は潰される危機が何度もあり)私は聞いたことがありません。具体的な例としてはどのようなものがありますか。

足利義満、織田信長(もっとも信長には賛否両論ありますが)。

>コストはどのようなものですか?
ここに書きましたのでログをご覧ください。

>日本の戦争の慣習法?
戦争にはルールがあることはご存知だと思います。
それがないと被害が大きいということもありますが、「決着が付かない」ということになります。

>信長の一向宗信徒に対する非情ともいえる行動を考えると、そのような慣習があったとは思えませんが…

だから朝廷の危機だったと考える方もいるわけです。


15347.Re:その根拠     
名前:しんしん    日付:8月12日(日) 12時16分
賛同者さん、
>私は「豊臣秀吉譜」の様な立派な物は読んでんでいませんので何ともいえませんが、私が参考にしているのは井沢元彦氏の書物を参考にしています。

井沢氏は「豊臣秀吉譜」を書いた林羅山は信用できないとキッパリ言っています。ただ、義昭の養子縁組
の件はオリジナルで考え付くのは難しいと推察して、本当のことでは?と解釈しているようですが、こ
れは後付で関白になった経緯をみて「将軍との養子縁組」を考え付くことも出来るわけです。
関白になった手際のよさを見れば、将軍となるのに金を積んで「義昭の養子縁組」というのは稚拙すぎ
ますし、ギャップが大きく同じ人間がした手口とは到底思えません。

そもそも、信長への将軍打診の件や摂家将軍や皇族将軍の例があり、清和源氏に限られておらず、その
ために将軍との養子縁組をしたという見方は無理があります。
しかも、井沢氏も推論として書いたので、「史実」と言い切るのは無理があるでしょう。
私は「デマ」と断言してほぼ間違いないと思っています。


15346.二つの官僚機構が存在     
名前:PANDA    日付:8月12日(日) 0時21分
しんしん様

>朝廷に何らかの力があったから残ったのではなく、日本人のメンタリティーが残したと言えると考えています。

荘園制度と武士の成り立ちを考えると、武士が自主的統治権を求めたのは、自分たちの利益を守るために自治権を得ることだった筈です。したがって初期には国 を治める意識は皆無だったと思います。租庸調という租税制度の名残が禁裏御料であると考えると朝廷は中央政府、武家は地方の自治体であったと考えられま す。武家が完全に天下統一を果たしたのは徳川家康で、それ以前は不完全だったために朝廷の権威を利用しなければならなかったのだと思います。「禁中並公家 諸法度」は徳川家康も天皇について「君主である天皇本来の職務=大政」と認識していたのだと思います。

征夷大将軍は「 朝廷から形式的に任命されたが、実際は天皇家を押さえた日本の統治者であった。」さらに「実際、外国からは王とみなされることもあったが、勅令により命ぜ られたので、正確には君主ではない。」ならば君主は天皇ということになります。

では君主とは「君主の概念は歴史的なもので,その標識は必ずしも明確ではなく、多く、王、皇帝などの特定の称号、地位、呼称で呼ばれ、対外的に国家を代表 し、国家統治の重要な部分(少なくとも行政権)を掌握する独任制機関で、国家・臣民の象徴的存在であるとされる。歴史的には絶対君主制の下で君主の権力は 強大であったが、それはやがて市民革命を経て徐々に制限され、権力執行機関から、名誉職的要素の強い立憲(制限)君主に移行していった」


>PANDAさんは統治権が会ったから朝廷は残ったとお考えのようですが、

少し違います。しんしん様のおっしゃるように統治権が無いとすれば、朝廷に官僚機構は不要なはずです。何で官僚機構が残っているのか疑問に思っているわけ です。もっと単純にいえば、朝廷、幕府の二つの官僚機構がある理由は何、という答えの一つとして統治権が残ったと考えることも出来ると云っているのです。 日本人のメンタリティーが朝廷という官僚機構を残した…….ちょっと理解できません。

>ニューヨークとワシントンD.Cの違いでしかないでしょう。

ワシントンD.Cにはホワイトハウスなどの政府機構がありますが、NYにはありません。
朝廷、幕府と統治機構が二つある理由の例えとしての意味が良く分かりません。

>朝廷は潰される危機が何度もあり、辛くも乗り切ってきたわけですが、実力者が潰そうと思えばいくらでも潰す機会はありました。

私は聞いたことがありません。具体的な例としてはどのようなものがありますか。
潰さなかったのか、潰せなかったのかの何れかですが、その理由は?


>それを乗り切り生きながらえてきたのは、潰せばコストがかさむのと、一族皆殺しということをしない日本の戦争の慣習法があったためであり、天皇家 が続いたのは偶然の産物だと思っています。

コストはどのようなものですか?
日本の戦争の慣習法?
信長の一向宗信徒に対する非情ともいえる行動を考えると、そのような慣習があったとは思えませんが……これは見解の相違でしょうか。


15345.その根拠     
名前:賛同者    日付:8月11日(土) 11時6分
私は「豊臣秀吉譜」の様な立派な物は読んでんでいませんので何ともいえません が、私が参考にしているのは井沢元彦氏の書物を参考にしています。
井沢氏は、その著書「逆説の日本史」「英傑の日本史」「封印された日本史」の中で、豊臣秀吉が、足利義昭に養子縁組を希望した事は記載されていましたので それを参考にレスしました。ですのでまるっきりのデマとは断言できないと思います。
また、源氏の嫡流以外は認めないというのも、井沢氏の本に書いてあるのを参考といたしました。参考文献は「英傑の日本史」その249ページに、
”「将軍は源氏でなければ将軍になれない。」と掟があった”と記載されています。


15344.安倍憎し     
名前:ego    日付:8月11日(土) 9時40分
ピカドンさん、同じ気持ちだと思います。
特亜にとって目の上のたんこぶである安倍総理を引き摺り下ろしたくて仕方が無いのが下記のリンクの記事でわかります。
安倍総理はその辺を危惧して、”言わない”とおっしゃっているわけです。(小泉総理もそうでしたね)
記事を読むと、朝日の姿が日本破壊工作であるかのごとく、見えてきます。その朝日が異常なほど民主党を応援している報道を見聞きするたびに不愉快な気分に なります。
安倍総理を支えるのは国民です。
信じましょう。どのような結果になろうとも。
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_08/t2007080616.html


15343.そう思いたい気持ちは強くあります     
名前:ピカドン    日付:8月11日(土) 4時17分
egoさん、ありがとうございます

分かりすぎるほど分かっているのです。

自分が言っていることは、結局自分としての

拘りのようにも感じているのです。

8月15日を心静かに待ちましょう


15342.小泉総理就任直後の自民党     
名前:ego    日付:8月10日(金) 23時59分
愛国主義者さん

小泉総理就任直後の自民党内の状況や中韓との状況や国民の意識もぜんぜん違います。
小泉総理がやっとの思いで、こじ開けたのに一番弟子の安倍総理が、後退するなどとは、全く考えられません。
昨年の小泉総理の会見のお言葉を聞く限り、
もう後戻りは許されません。

小泉総理が就任直後13日に前倒ししたことで、
CH櫻などの愛国の強い方達もが、(バンドン会議で決定的に)反小泉に転じている風景を目の当たりにしましたが今回安倍総理がもし万が一、ご参拝しないな ら、
それは、その多くの方達の批判は当然と言えると思います。

小泉総理の涙を飲む努力を考えるならば
安倍総理は15日に行かないわけがありません。
100%行かれるはずです。
もう、壁はありませんから!
安心しましょう^^
あと、安倍総理は曖昧戦術とよく言われていますが、私はそう思っていません。小泉総理のご発言どおり、参拝をはっきり言わせてマスコミが騒ぎ、参拝させた くない勢力の妨害が始まるから
”言わない”だけでしょ?
言わないというだけでも曖昧だ!と批判の対象になるわけで、
4年後?には、小泉総理のごとく、言わなくてもマスコミなどが非難するから、言うようにしたってご発言になるかもしれませんね・
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/08/15interview.html


15341.便利なツールも泣いているかも     
名前:無知な国民の一人    日付:8月10日(金) 23時43分
一連の「天皇は昔から日本の統治者だった」ということを、必死になって歴史的 事実であると決め付けようとしていた投稿者達は、折角ネットという便利なツールを使用できる環境にあるのに、何故か一度も検索しようとはしなかったようで すね。

征夷大将軍

> 朝廷から形式的に任命されたが、実際は天皇家を押さえた日本の統治者であった。

それから、これも念の為に引用しておきます。

> 「武家の棟梁となる将軍に就く家柄は、清和源氏に連なる家系に限る」という認識が武家の間でまことしやかに慣例となっていた。
(中略)
> 実際に織田信長に「征夷大将軍拝命」の勧めの勅使が来ていることもあり、現実的には源氏でなければ将軍になれないというのは根拠がない。また、頼朝以降に 限っても、摂家将軍や皇族将軍の例があり、現実に清和源氏に限られていない。これらの事から、征夷大将軍になれるのは源氏でも平氏でも、さらには源氏、平 氏より貴種の藤原氏でもなんら支障は無いと解釈できる。

断っておきますが、こうしたことは何もつい最近になって言われたわけではないので、興味のある方は是非ともご自身で確認してください。


15340.歴史も全てを知るのは時間のかかるもの     
名前:無知な国民の一人    日付:8月10日(金) 23時23分
どうにも不可解です。

何故軽々しく史実だとか、これが本当だとか、事実だとかを言い切れるのでしょうか
それも何らかの信頼性のあると現時点だけでもお墨付きのある根拠となる文献や資料のようなもので裏付けているのならまだしも、あっさりと「史実だ」と言い 切るというのはとても危険なことに思います。

歴史において真説とされてきたものが、その後新たに発見された文献や資料で実はそうした価値は無いとなることは特に珍しいことではありません。
通説や俗説の類が真説だと実しやかに言われることも同上でしょう。

嘗ての薄らサヨクの勢いは確かに凄まじいものがありました。
まだ日本に定着していなかった頃のネットにおいても、主流は連中であり将に今の特亜の主張こそが全て正しいとされていたのに、それがあっと言う間に衰退し たのは何故か?
薄らサヨクの主張が正しいと裏付ける根拠が殆ど無かったからに過ぎません。
それと同じようなこと、似たようなことをしているような光景を、こちらの掲示板でここ数日間続け様に見るというのは、どうにも不可解でなりません。

事実であると断定するには、実は相当に慎重でなければいけないということを今一度思い出して欲しいと願わずにはいられません。


15339.ego様、心配でたまりません     
名前:愛国主義者    日付:8月10日(金) 23時4分
ego様

返信ありがとうございます。
実に自信に満ちた、小泉総理のインタビューですが、
やはり、曖昧戦術と言うのは支持者すら疑りを
もつようになりますから、果たしてどうなのだろかと、
気がきでなりません。

まだ15日まで日にちがあります。
マスコミのミスリードであってほしいのですが・・・・・

とにかく、安倍総理には参拝していただきたい。


15338.安倍さんは行きます。絶対行きます。ご安心あれ。     
名前:ego    日付:8月10日(金) 22時20分
愛国主義者さん、ピカドンさん

思い出しましょう。去年の8月15日。
小泉総理の発言

Q,何故、今回、終戦の日の8月15日を選ばれたのでしょうか。

総理お答え、、、、最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと、様々な方から言ってまいりましたね。そういう方々の意見も聞かなきゃいかんなという ことでね、
敢えて15日を避けて参拝してきました。
8月13日、或いは4月、10月、1月と、しかし、8月15日を避けても、いつも批判や反発、そして何とかこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わ らないですね。
いつ行っても同じです。
ならば、今日は適切な日ではないかなと。
これから戦没者の追悼記念式典もおこなわれます。私はこれから千鳥が淵の戦没者墓苑にお参りをします。
戦没者の追悼式典にも出席します。適切な日だなと判断いたしました。過去5年を踏まえて、いつ行っても問題にして、混乱にしようとする勢力があるんです。
それは仕方ないんです。そういうことを踏まえて、過去の経験が生きてきたんですね。
いつ行っても参拝に、なんとか争点にしようとか、混乱させようとか、騒ぎにしようとか、国際問題にしようとかいう勢力があるんです。
これに対してね、いけないと言ったって、それは、日本は言論の自由が認められてるんですから、どうにもなりません。
ですから、いつ行ってもこういう騒ぎにしようという勢力があるんですから、
8月15日に行っても、適切じゃないかなと。
むしろこだわっているのは、毎回、こだわろうという勢力がいるんですよ、私が、今まで靖国神社の問題も、質問された時以外は答えたことがないんですよ。
自ら、靖国問題をこうだああだと言ったことはなくて、いつも皆さんの質問に答えて言っているわけです。
いろいろな説明や他のことも言いたいんですけれども、
一番マスコミが取り上げるのは靖国参拝のことでしょ。
そういうのは、やめた方がいいと言っても聞かないですから、マスコミは。
いつでもこだわっているのはマスコミじゃないでしょうか、或いは、私に反対する方々じゃないでしょうか。
そういうのも踏まえてね、これはいつ行っても同じだなと思いました。

今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考えを伝えてあります、何回でも。
いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している、今、お話したような考 えを説明しております。
これは平行線です、外交カードにはしないと、一つの条件をつけられて、これに従うか、従わないか、それで首脳会談をする、しないを判断するというのは、私 はよろしくないと思っております。
私は、これからも中国、韓国と友好的に発展しようと、未来志向でね、考えた方が良いんじゃないかということを、再三、申し上げております。
この考えに変わりはありません。

戦争の責任をとって、戦犯として刑を受けているわけでしょう。
それは本人達も認めているし、それはあると思いますが、それとこれとは別です。何回も申し上げているように、特定の人のために参拝しているんじゃないで す。
戦没者全体に対して、哀悼の念を表するために参拝しているんです。今、言った、主な3点、靖国参拝批判する人、よく考えていただきたい。
考えは自由です。

安倍現総理は小泉元総理の一番弟子です。是非下記のリンク全文を読んでいただきたい。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/08/15interview.html


15337.朝廷に統治権があったとは思いません     
名前:しんしん    日付:8月10日(金) 22時8分
>統治権が一夜にして移管されるのはこのような場合か革命です。しかし 朝廷と武家の間で一気に統治
>権が移管されたと考えるにはいささか疑問があるわけで、その例としては例えば律令制に基づく官位制
>(太政官制)などは明治に律令法が廃止されるまで続いたことです。いうまでも無く官位は官吏の位階と
>官職を定めたもので、朝廷に統治機能が残った故に、官吏が必要だったと考えるのです。統治機能がな
>いところに公務員は要らないわけです。

統治機能も何も形だけ残ったというように見えますね…
公家の昔からの官職を潰すことは相当の改革力がなければできないのではないでしょうか?
上杉鷹山を描いた本に書いてありますが、職種を転換することほどエネルギーを使うことはありません。
確かに一朝一夕に統治権は移行しないということはその通りですが、平安時代から問題が山積みであり
武家社会になってそれが平清盛の時代を経て、徐々に解消されていったわけです。
(力をつけてきた武士中心の世の中として)

ですから朝廷に何らかの力があったから残ったのではなく、日本人のメンタリティーが残したと言える
と考えています。

PANDAさんは統治権が会ったから朝廷は残ったとお考えのようですが、「禁中並公家諸法度」こそ朝廷に
統治権の欠片もなかった証明ではないですか?
自分で決まりごとを作るのではなく幕府から決まりごとを作られてそれを守らざるを得ない状況という
のは「統治権のなさ」の証明ではないですか?

>朝廷は維持管理費として室町幕府では3千石、(信長)、豊臣7千石、徳川末期には10万石の禁裏御料を
>受けていたとされ、朝廷を幕府の統制下に置くのが主であれば禁中並公家諸法度など作らずに、禁裏
>御料を下げれば済む事だと考えます。

それでは公家が死んでしまいます。その10万石でもギリギリなのに「下げる」ということは「死ね」とい
うことに等しいでしょう。
ちなみに戦国時代には各大名から援助を頂いたそうです。

>余談ですが山本 博文 東京大学史料編纂所 教授は江戸時代初期の首都機能は江戸と上方に分散していた。

ニューヨークとワシントンD.Cの違いでしかないでしょう。
伝統的王権と言っていますが、「統治権」があった「実質の統治者」ではないことは確かで、それをもって
統治者であるというのは無理があると思います。

>朝廷が武家に統治の委任をしたとすれば、武家は実質統治者であっても、それを統括するのが朝廷で
>あれば名目的であっても統治者と言えると考えるわけです。

名目的な統治者だったから長く続いてきたというのは無理がありませんか?
朝廷は潰される危機が何度もあり、辛くも乗り切ってきたわけですが、実力者が潰そうと思えばいくら
でも潰す機会はありました。

それを乗り切り生きながらえてきたのは、潰せばコストがかさむのと、一族皆殺しということをしない
日本の戦争の慣習法があったためであり、天皇家が続いたのは偶然の産物だと思っています。

(私は見えざる神の手と認識していますが)


15336.参考になりません     
名前:しんしん    日付:8月10日(金) 21時5分
賛同者さん、レスありがとうございます。

>豊臣秀吉が何故、将軍には成らなかったのでは無く、成れなかったというのが史実です。
>征夷大将軍は源氏しか成れないという不文律があった為、征夷大将軍には成れないのです。

私が信長に触れたとき書けばよかったのですが、信長は平氏であり、それを変更する予定はありません
でした。
岩沢愿彦氏が1968年「天正十年夏記」にて天皇と平氏である信長との間で将軍推任に関する交渉が行われ
たことを発見しています。
ですから源氏しか将軍になれないというのは全くの俗説に過ぎません。
賛同者さんの根拠としているものはおそらく「豊臣秀吉譜」と思いますが、この史料は後世の編纂物で
あり信用されていません。

ですから「成れなかったというのが史実です。」ではなく「成れなかったという史料がありません。」が正しいでしょう。

>秀吉は、当初、将軍になる為、当初、15代将軍足利義昭の養子縁組をして源氏の嫡流になり、
>将軍に成る事を目指しましたが、義昭はどんなに大金を積まれてもこれを拒否、これで将軍の芽は無くなり、

上記のようなわけでこれは当然デマと断言してほぼ間違いないと思います。


15335.Re:解らなくなりました     
名前:PANDA    日付:8月10日(金) 11時19分
しんしん様

混乱させて申し訳ありません。整理しますと
武家が権力を持ち自主的統治権を持ったことは誰の目にも明らかな既知の事実で、疑いはないでしょう。問題は統治権の移管についてであります。武士同士の争 いであれば勝つか負けるか、負ければ領主の座から降ろされ、戦国の世であれば打ち首で終わりです。
統治権が一夜にして移管されるのはこのような場合か革命です。しかし朝廷と武家の間で一気に統治権が移管されたと考えるにはいささか疑問があるわけで、そ の例としては例えば律令制に基づく官位制(太政官制)などは明治に律令法が廃止されるまで続いたことです。いうまでも無く官位は官吏の位階と官職を定めた もので、朝廷に統治機能が残った故に、官吏が必要だったと考えるのです。統治機能がないところに公務員は要らないわけです。
701年の大宝律令施行とほぼ同時に、日本という国号と最初の制度的元号(大宝)が正式に定められたとされています。
もっとも律令制は10世紀か11世紀には実質的に実態を失っていると言われています。
(朝廷の中央集権的な統治機能は実態を失ったと理解すべきなのでしょう)
それにも拘らず徳川家康が定めたとされる禁中並公家諸法度は一気に朝廷を幕府の統制下に置こうとしたものと言われております。一方それまで武家の法律に も、大宝律令にも天皇という項目はなく、「君主である天皇本来の職務でありながら何ら規定されていない大政」に関する権限を有していない事を「法」として 規定したものであるとの説があり私には合理的に思えます。これに関白が連署して公家法としての要件を得る事によってこの法度の実際の制定権力である江戸幕 府への「大政委任」の法的根拠が与えられたとするものです。要するに公家・武家・僧侶が天皇及びその大政委任を受けた征夷大将軍に仕えるための秩序作りの ための法度であったとする説です。内容はごく真っ当なもので従来「法」の外にいた天皇も「法」の中に入ることになったわけです。

朝廷は維持管理費として室町幕府では3千石、(信長)、豊臣7千石、徳川末期には10万石の禁裏御料を受けていたとされ、朝廷を幕府の統制下に置くのが主 であれば禁中並公家諸法度など作らずに、禁裏御料を下げれば済む事だと考えます。そもそも何を根拠に禁裏御料を負担する必要があるのか興味があるところで す。
このころの朝廷には、わずかに官位を与えるぐらいの事しか無いでしょうが、それとて、幕府の言いなりだったと思われます。だからこそ無視出来ない何らかの 影響力があったと考える根拠なのです。

余談ですが山本 博文 東京大学史料編纂所 教授は江戸時代初期の首都機能は江戸と上方に分散していた。新しい王権と伝統的な王権とが並立して、二つの王権の首都が江戸と京都に一つずつあったのが江 戸時代である。と主張されています。これは首都機能の話しが中心ですが、王権が並立しているという視点に注目させられました。

朝廷が武家に統治の委任をしたとすれば、武家は実質統治者であっても、それを統括するのが朝廷であれば名目的であっても統治者と言えると考えるわけです。

もし委任関係がないとすれば、大政奉還は有りもしない委任関係をあるがごとく装った、幕府、朝廷の猿芝居となるわけで、わが国の歴史的椿事というほかあり ません。

なを、私の考えが正しい等とは思ってもいません。近年は研究も進み昔の常識が覆されることも珍しくありません。私も幾つか調べましたが、中でも信長が朝廷 の財政再建に尽力し、禁裏御料を増やすアイデアは斬新で秀吉、家康と比較されると強引と思われていますが、しっかりとした計算があってのことだと見直しま した。


15334.参考になれば     
名前:賛同者    日付:8月10日(金) 10時39分
しんしんさんへ、

豊臣秀吉が何故、将軍には成らなかったのでは無く、成れなかったというのが史実です。
征夷大将軍は源氏しか成れないという不文律があった為、征夷大将軍には成れないのです。これは源頼朝から始まる事で、因みに足利尊氏は、これは本名ではな く、もし当時戸籍制度があれば、尊氏は源尊氏が本名です。因みに木曽義仲も本名は源義仲となり、将軍になれる資格を有する者という事になります。
 
 徳川家康は、源氏の嫡流ではありませんが、室町時代、三河の守護である吉良氏から家系図を買い、松平氏が源氏の嫡流であると言う事にしていた為、将軍に なり、江戸幕府を開く事が出来ました。因みにこの吉良氏は、後の赤穂事件の悪役にされている吉良氏の末裔に当ります。

 家康の場合、最初から将軍に成る事を目指して源氏の嫡流を名乗ったのではなく、頼朝を敬愛していた為、源氏の嫡流を名乗っていたというが本当の所でしょ う。

 秀吉の場合、最初は織田信長の小姓でしたし、自分がまさか天下人なるとは思ってもいなかったでしょうから、最初から自分を百姓の子という事でしたから、 家系図を弄って何とかしようとは考えていなかったでしょう。
 その後柴田勝家など、織田信長の家老達との権力争いに勝利した秀吉は、当初、将軍になる為、当初、15代将軍足利義昭の養子縁組をして源氏の嫡流にな り、将軍に成る事を目指しましたが、義昭はどんなに大金を積まれてもこれを拒否、これで将軍の芽は無くなり、そこで考えたのが、民間人では最高の関白に成 る事を目指します。
関白になるのにも、家柄、当時は近衛家、鷹司家からしかなれないというのを、金銭的に買収をして、関白に成る道を開き、関白になると同時に、豊臣の姓を朝 廷より授かり、関白豊臣秀吉となり、日本を治める権力者となりました。


15333.太閤秀吉の場合     
名前:しんしん    日付:8月10日(金) 0時32分
ぽとるさんはお答えいただいていないようですが、朝廷の秀吉への将軍職拒否と いうことで話を進めます。

ぽとるさんは「江戸以前は天皇を中心とした位階制度の中で、高位の官職になる事が認められねば為政
者になる権利すら付与されなかったのです。秀吉の時代があっさり破綻した理由の一つでもありますね。」
と言っていますが、天皇家に拒否権があったとお考えなのでしょうが、実はそのようなものがあったと
は考えられません。

秀吉が将軍にならなかったのは

①東国の支配権を確立していなかったから、将軍職の資格がなかった。
②関白の方が朝廷の権威を背景にして命令が出しやすいから。
③秀吉自身将軍職にはこだわっていなかった。

という説が有力で朝廷が出さなかったという説には説得力が全くありません。(今谷明教授)
(関白職は出しているわけですから)

信長に将軍職の打診があったことから将軍職は平氏、源氏は関係なかったということも判明しています。

秀吉は関白職には二条家、近衛家の相続争いを取り持つ形で取得しました。


15332.解らなくなりました     
名前:しんしん    日付:8月9日(木) 23時28分
PANDAさん、読み返してみましたが結局天皇(朝廷)は統治者だったという ことでしょうか?そうではな
いということでしょうか?

「天皇が日本国の統治者であり」

「歴代幕府は天皇から行政権を委託されることにより、正当な政権として認められたと認識しています。」

「天皇制の特徴は完全統治権を内政統治権、もしくは委任統治権に分離した事だと思います。
従って天皇は王であり統治者であることに問題は無いと思います。」

「「今の時代から見ると」朝廷が幕府に委任統治権を認めたというように考えられる訳で、当時そのような明確な権利関係があったとは私も思いません。しかし 朝廷が絶対に外交権を手放さなかったのは君主としての地位を意識してのことだと思います。従って私は天皇が統治者であると考えます。」

「相対的に朝廷の地位は低下していく訳ですが、幕府が変わってもこの上下関係の残滓が朝廷と武家の間に根強く残っているように思います。」

~と思う。~と考える。というのはいいのですがその基となった資料なり書籍を示していただかないと
話がこんがらがると思いますのでそういうものを示していただけないでしょうか?

特に15327番の書き込みは、

~と思います。
~と考えているようであります。
~ように思います。~だと思えます。

と書いてあり、何を基にそのように考えたか解りません。

天皇家が統治者であるとするにはかなり無理がありますが、そのように考えるに至った資料なり書籍
なり示していただけたら何か糸口になるかもしれませんのでよろしくお願いします。


15331.15日靖国参拝せず?     
名前:ピカドン    日付:8月9日(木) 22時30分
何だかそういうニュースが有ったとか無かったとか?
行くとも行かないとも言わないと言っていた筈ではないのですかね。

最初のボタンの掛け違いが、尾を引いてしまっている。
今回民主党に入れた多くの無党派も、無党派だからこそ本来の安倍さんの頑強な姿勢を待っていたのでは無いのか。
靖国参拝はその目玉であった筈だ。経済界の必要な支那へのべったり差も、安倍総理は就任後に最初に支那を訪問するという形で表した。
無党派がそのことを支持していたとは思えないし、喜んだのは大企業と、識者と言われる評論家連中だけだったようなような気がしてならない。
強い意志を内外に示して行かねばならないと安倍総理はここ最近の報道人の前で必ずとも言って良いほど述べていますが、ならばその強い意志とは何なのかを はっきり示すべきである。一見優柔不断とも思えるその行動や発言が返って国民に「?」を感じさせているのではないかと思えて仕方ない。

靖国参拝無し、支那との協調路線、公明党との縁切りも無し、無難な内閣運営を引き続きするので有れば、支持率回復は無いと思うが、本当に安倍総理はそれで 良いと思っているのだろうか。それとも世間で言われているように周りが見えてないのか。
小泉前総理にも色々あったが、何故あれほどの支持が継続したかという事をしっかり見てほしい。
誰でもいいから苦言を呈してくれる人はいないのかな。
周りを敵に回しても国民を味方にする事は何なのかと言う事を考えてほしい。
それは頑強な強い指導者なのです。


15330.これが事実ならば、無念であります     
名前:愛国主義者    日付:8月9日(木) 20時55分
常連の皆様、マルチでお伝えします。
まだ、なんともいえませんが情けない情報です。

下記の報道が事実ならば嘆かわしいかぎりである。
誤報であってほしいのだが・・・・・

15日靖国参拝せず=政局の混乱回避、中国にも配慮-安倍首相
8月9日19時2分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070809-00000143-jij-pol

 安倍晋三首相は9日、終戦記念日の15日に靖国神社を参拝しない方針を固めた。参院選での自民党惨敗で政権の求心力が著しく低下する中、仮に参拝すれば 連立を組む公明党が反発するのは必至で、政局の混乱を招きかねないと判断した。首相の年内訪問合意など、安倍政権下で改善しつつある中国との関係も考慮し たとみられる。


15329.これこそは動かぬ証拠のひとつ     
名前:無知な国民の一人    日付:8月9日(木) 0時3分
Pandaさんが必死になって自己正当化しようとして、ただ只管に繰り返して いるだけで根拠を示さなくても正しいことになると言い張っていた「天皇は昔から日本の統治者だった」ということを、まさしく根底から否定出来る証拠のひと つが「建武の親政」でしょうか。

「建武の親政」は、「天皇は昔は日本の統治者だった」ということには、しっかりと当て嵌まる事例でしょう。
(個人的には、それを証明するのは鎌倉のほんの一時期のことよりも飛鳥の時代の方が相応しいとは思いますが)
けれど「天皇は昔から日本の統治者だった」とするのが正しいと証明することには不適切な事例そのものだと思 います。

既にご存知でしょうが、この親政は僅か3年程の間のことでしかなく、それも武士だけでなく庶民にまで親政に対する不満が鬱積したが故に短過ぎる結果になっ たということに異論は無いでしょう。

「天皇は昔から日本の統治者だった」ことが事実なら、何故復活した筈の親政がたったの3年で終わったばかりか、それ以降天皇と言うか皇室はあらゆる意味に おいて統治する側から切り離されたと見るのに何の不都合があるのかと思えるくらいです。

これもとうに既知のことでしょうけれど、この親政の失敗の主要因は時代の流れを無視して逆行しているにも等しいことをしようとしていた部分が挙げられると 思います。

その重要なポイントのひとつは経済に関することではないかと思います。
経済面において、皇室を始め公家は武家よりも困窮し始め、事実上経済活動を支配していたのは地頭や守護を自らの統治のシステムとして置いていた鎌倉幕府以 降の武家であることは今更釈明の必要も無いものであって欲しいものです。
統治や支配をしようにも、その為の基盤とも言うべき経済を牛耳っていたのは公家ではなく武家に変わった時代に権威だけで統治出来る程甘い世の中だったのな ら、その後に続く戦国乱世の時代はどう説明すれば良いのでしょうか。

もしも武家以外の、例えば庶民の間では親政こそが日本のあるべき政治の有様であり、天皇こそが日本の統治者だという認識がちゃんと広まっていたのなら、い くら武家が力技でごり押ししたとしても武家社会に対する不満こそが出て来て、庶民の側から何らかのリアクションが出ていなければ説明がつかないと思うので すが、そうしたリアクションがどこかで出ていたという証拠はあるのでしょうか?

江戸の頃まで続いていた様々な一揆について、家康や秀吉だけでなく信長もどれだけ手を焼いていたのかについても、今更くどくど言う必要も無いくらいに知ら れていることでしょう。
事ほど然様に庶民はただ泣き寝入りをしていたわけではなく、自分達が納得出来ないということに対しては、時には実力行使も辞さないまでに全力で主張したり 抵抗したりしていた時代に、復活した親政に本気で共感若しくは支持していたのなら、建武の親政以降に何故親政を求めるような動きが無かったのか、何故その まま武士が名実共に統治する時代が明治の代になるまでの500年以上も続いたのか、「天皇は昔から日本の統治者」だったとするにはあまりにも矛盾すること の方が多過ぎると思います。

「建武の親政」こそは統治者が天皇を中心とする皇室、公家から武士に移る起因となった、言わばターニングポイントであるとするのが自然な捉え方だと考えま す。


15328.証拠どころか根拠すら何もない・・・     
名前:無知な国民の一人    日付:8月8日(水) 22時57分
Pandaさん

そろそろいい加減に自説こそが正しいのだということをごり押しするのはやめてもらえませんか?
あなたのしていることは議論などではなく、ただの自己正当化にしか見えません。

15327にて

> しかし何らかの力がなければ説明がつかないと思います

個人の、何を根拠にしているのかも皆目わからないことしか言わないあなたのこうした意見とは名ばかりの自論の押し付けを何度繰り返したところであなたの主 張が正しいことの証明にはなり得ないでしょう。

何らかの力などという、実にあやふやなことしか言えないのも同上でしょうか。

> 幕府が変わってもこの上下関係の残滓が朝廷と武家の間に根強く残っているように思います。

ここでも同じことしか繰り返していませんね。
と言うか一連のことでPandaさんが根拠を示したことなんて、話にならないくらいの程度だったとするのが妥当と思えてなりません。

何を言うにしても、Pandaさん自身が「こう考えた」「そう思った」というだけで、そうした考えが正しいと裏付ける為の根拠を示したことなんてあったの か?と言えるレベルだったのではとも思います。
この期に及んで、ちゃんとした根拠のようなものが出て来ることはあり得そうもないと考えるのが自然のようですね。

Pandaさん、あなたは最初から最後まで整合性も一貫性も辻褄も脈絡も殆ど無いことだけで自己正当化をしようとしただけなのですね。

> 武家がいきなり全ての統治権を手に入れたと考えるのは無理があり、徐々に手に入れたと考えるのが自然だと思えます。

最初にあなたが言っていたことを自ら否定していることにも、もしかして気付いていないのでしょうか。

「天皇は昔から日本の統治者だった」

投稿をする際には「始めに結論ありき」のようなことにならないように自身の考えをちゃんとまとめ、その考えを出すに至った根拠もなるべく併記することを学 習して欲しいものです。


閣僚の参拝が一人もいないとは全く情けない

2007年08月11日 23時25分56秒 | 政治

 偏向マスコミは総理や閣僚の靖国参拝を執拗に反対しておきながら、8月15日の終戦記念日に閣僚全員が参拝をしないことを明らかになると、過去に参拝する 閣僚が一人もいなかったことは、閣僚の終戦記念日の大量参拝が始まった昭和25年代半ば以降には例がないとして、あたかも異常事態であるかのような報道を している。

 参拝をすれば批判していたのだから、閣僚が誰一人も参拝しないとなれば、偏向マスコミにとっては喜ばしいことである筈であり、また参院選で自民党が惨敗し てことは偏向マスコミによる世論操作の結果と言うべきであって、であるから「参拝しないのは当然だ」とする論調で報じるべきだが、なぜかそのような印象を 受けず、参拝しないことを安倍政権の弱体化を象徴していると捉えるなど、あれこれ言っているのはおかしなものである。

 このような異常事態は、安倍総理が参拝を見送るのではないかとする観測が流れていることから、各閣僚も参拝することで、安倍政権への影響が出ることを危惧 しているのであろうが、安倍総理が参拝しないことを明らかにしていたとしても、閣僚は閣僚として信念に基づく参拝したいものは参拝すれば良い話であって、 参拝する閣僚が一人もいないとなれば、全く情けないと言わざるを得ないし、安倍総理も閣僚の参拝を止めることまではしないであろう。

 参拝しないことは国内向けではなく、支那と韓国への配慮であろうが、参拝しなくても、安倍政権への支持率が高くなるとは思えないし、今まで安倍政権を支えてきた保守層の支持を得られるとは思えず、反対にますます支持を失うことになるのではなかろうか。

 国のために殉じた英霊達を総理や閣僚達が国民を代表して慰霊することは義務であって、諸外国に配慮して、止めることはあってはならず、多くの英霊達が祀られている靖国神社に参拝しないことは、英霊達との約束を反故にするも同然な暴挙である。

 これは思想信条、宗教観などとは別次元の問題であり、自分を生んでくれた祖先へ感謝するのと同様に、国のために尊い命を捧げた英霊達をお慰めするのは今生きている人としてなすべきことではなかろうか。

 公明党の冬柴鉄三国土交通相は「宗旨が違うから」と参拝を見送るようだが、これは創価学会としては国のために尊い命を捧げた英霊達をお慰めをするとの教え はとらないと言う訳なのか。日蓮正宗から破門され、ご本尊がない創価学会だが、では何のために、また誰のために「妙法蓮華経」とお経を上げているのか。

 また冬柴国土交通相は「信教の自由だが、枢要な地位にある人には隣人の気持ちに配慮する気持ちは必要」と述べたそうだが、信教の自由ならば靖国参拝をしたい人は総理であろうが、閣僚であろうが誰でも参拝することは問題はないだろう。

 創価学会が信者に「靖国には行くな」と教えているのは勝手だが、また隣人とは支那、韓国のことで、日本国民の感情より支那、韓国の人達の感情が優先するとでも言いたいのであろうが、さすが在日朝鮮人の会長が指導する創価学会らしい考え方である。
(2007/08/11)


外国人参政権を先取りした小沢氏と朝鮮人秘書

2007年08月10日 23時27分48秒 | 政治

 民主党の小沢一郎代表に朝鮮人女性秘書がいて、駐日韓国大使館に政治情報を伝えるスパイ活動も同然なことをしている件がこの程明らかになり、永住外国人地方 参政権付与法案や人権擁護法案に賛成し、掛け金を払っていなかった在日朝鮮人に年金を支給することを民主党が夢中になって推進して理由が、これでようやく 分かった。

 7年前に自由党党首だった小沢氏の秘書として採用されてのは金淑賢(キム・スクヒョン)と言う朝鮮人だそうで、小沢氏が多くの志願者の中から面接によって 選んだそうだが、政治家であれば、国民が知り得ない機密に触れる立場になるであろうからして、秘書とはいえ外国人を採用することは驚くと同時に呆れてしま うが、もし小沢氏が将来、総理になった時、この朝鮮人女性秘書が知り得た国家機密を漏らすことはないと断言出来るのであろうか。

 外国人であるにも関わらず、日本の政治家の秘書になりたいと思うこと、また小沢氏が、その女性が外国人で、それも朝鮮人であることを知りながら秘書するこ とにも理解の限度を超えるが、これでは政府に対し、在日朝鮮人が永住外国人地方参政権付与法案を成立させるように執拗に要求していることを、小沢氏とその 朝鮮人秘書が先取りしたのも同然である。

 在日朝鮮人が日本の参政権を要求する理由は「税金を払っているので、日本人と同じ権利がないのはおかしい」と言うものだが、参政権は権利ではなく資格であり、日本国民以外の者が日本の政治を左右させ、影響を与えることはあってはならないのは当然のことだ。

 最近の小沢氏は日本国民のことより、特亜の方が大事であるかのような言動をすることがあり、この朝鮮人秘書から秘書としてだけでなく、それ以上の暖かいお世話を受けているのかどうか知らないが、小沢氏がなぜ特亜寄りになったしまったのか答えは既に出ていると言える。

 この朝鮮人秘書のことを聨合ニュースが伝えたところによれば「日本の政治現場に携わっている関係で、駐日韓国大使館とも随時、政局の流れなどに関する情報 をやり取りしているという彼女は、特にアジア外交を重視している小沢代表の韓日関係に対する認識に大きな影響を与えたと自負している。」としているが、こ れは前述したように、外国である韓国が、民主党の代表を務める小沢氏を通じて日本の政治に深く関与していることに他ならない。

 小沢氏の朝鮮人秘書は民主党が政権をとるまで補佐するそうだが、もし民主党政権となれば、在日朝鮮人が益々優遇される時代が到来することは間違いなく、ここは日本なのに、日本人が在日朝鮮人の横暴に怯えて暮らす戦後の混乱期と同じ事態になるであろう。

 参院選で勝利した民主党だが、政権公約を読んでも、自民党に代わりうる政党であるとは到底思えず、明らかに日本人を苦しめ、特亜に日本の富どころか、主権まで移譲させようとしている売国政党であって、これでは日本は亡国への道を辿ることになりかねない。

 民主党を支持してしまった多くの有権者は「民主党が売国政党であることが分からなかった」と嘆き後悔しても始まらない。偏向マスコミが民主党寄りの報道を していたからこそ、反対に民主党を疑るべきであったであろうし、日本を益々ダメにする元凶は偏向マスコミであって、この小沢氏の朝鮮人秘書の件を報じるこ とはないであろう。
(2007/08/10)

写真:民主党の小沢代表の朝鮮人秘書・金淑賢(35歳)


批判ならば安倍総理は参拝して批判されよ

2007年08月09日 23時26分48秒 | 政治

 時事通信によれば、安倍総理が8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しない方針を固めとの報道がなされており、これは総理自身が語ったものか、総理周辺からの情報による予測記事なのか不明だが、もし本当に参拝しないのではあれば極めて残念であると言わざるを得ない。

 先の参院選で自民党は歴史的敗北を期し、支持率はさらに低下し、党内からも安倍総理に対して退陣を求める声があることや、連立を組んでいる公明党への配 慮、また支那との関係悪化を招きかねないと考え、参拝を控えた方が良いと判断されならば、まったく逆であると言っても良い。

 小泉前総理の支持率が高かったのは靖国参拝を継続していたことだけではないだろうが、ともかく自分自身の信念を貫き通すことであり、戦没者に感謝し、その 御霊をお慰めすることは今生きている人の義務であると安倍総理が思うのであれば、選挙に負けた位で、また「退陣せよ」との声があろうとも、公明党・創価学 会が何を言おうが、まして支那が内政干渉をして来ても、それをはねつけて参拝すれば良いではないか。

 前に進んでも地獄、後ろに下がっても地獄ならば前に進んで参拝すれば良いし、もう何を言っても何をしても批判されるならば、参拝しないで批判されるより、参拝して批判された方が最善ではなかろうか。

 安倍総理の指示によって、北朝鮮の弾道ミサイルが米国に向けて発射された場合、海自のイージス艦が迎撃出来るようにするなど、幾つかの事例を上げて集団的 自衛権の行使を認めるように政府見解の見直し作業が行われているが、公明党・創価学会が強く反対しているために進んでいない。

 集団的自衛権の行使をなしに、わが国を守ることなど出来ないと思うが、公明党・創価学会が反対するのは、日本を守りにくくしておく方が良いとする特亜の意向を汲んだものであることは間違いないだろう。

 自民党と公明党・創価学会がくっついている限り、見直しが出来ないであろうし、保守層の自民党への支持率が低下しているのは公明党・創価学会が嫌いで、それと連立を組んでいる自民党への反発が理由なのであるからして、連立を離脱させることも考慮すべきである。

 安倍総理は就任早々、安保条約を結んでいる同盟国である米国に行かずに、敵国である支那と韓国を訪問し、また総理になってから一度も靖国参拝をしなことが、支持率低下に繋がり、それが参院選での大敗になったとも言える。

 時事通信が安倍総理は参拝しないと記事にしてしまい、予想に反して8月15日に参拝したら面白いが、総理は「参拝するかしないか。参拝したかも明言しない」と言っていたような気がするが、そうであるならば時事通信は、どこからの情報で記事にしたのであろうか。

 支那の恫喝に屈しなかった小泉前総理が、せっかく日本の総理としてとるべく行動を示したのに、また支那に配慮することは靖国参拝を再び外交カードにさせてしまうことである。

 北京五輪の準備で忙しい支那だが、やれば面白いが反日デモをさせるためにも靖国参拝した方が良いだろう。環境汚染や食の安全、また人権問題などで北京五輪 をボイコットすべきだとの声が出ているのだから、靖国参拝をした位で騒ぐ支那として、ますます北京五輪への影響が出た方が良いと思う。

 支那や公明党・創価学会に配慮して、何か得るものがあるとは思えないし、感謝さえもするが訳ない。ODAの御礼に原潜の領海侵犯で答えた支那だし、公明党・創価学会が信者以外の者に何か良いことをしたことは一度もないではないか。

 日本国の総理大臣であれば、国家の代表して戦没者を追悼し、感謝の誠を捧げるために靖国参拝することは義務と言って良く、我々庶民が参拝するのとは訳が違 う。何度も言うようだが、何をやっても批判されるようでは、靖国参拝を果たして大いに批判された方が良いし、流れも変わってくるかも知れない。
(2007/08/09)


掲示板 2007年8月分過去ログ (15312~15327)

2007年08月08日 17時30分50秒 | 掲示板過去ログ2007年分

15327.Re:天皇家に実権なし     
名前:PANDA    日付:8月8日(水) 17時30分
しんしん様

ご返事ありがとう御座います。

>誤解を招くといけないので書いておきますが、朝廷の重要性は上下しており、戦乱のときは重要性が増すという傾向にあるとだけ書いておきます。(今 谷明教授)

全く同感です。その通りだと思います。そのように考えると、戦乱の時には本筋論、建前論が息を吹き返し、平時は実質で動くということなのでしょうか。

ただ、元号についてはおっしゃるように「政治に対して何らかの力があったわけではありません。」は理解できるのですが、しかし何らかの力がなければ説明が つかないと思います

いずれにせよ鎌倉幕府以降あたりから公家と武家の認識にズレが生じております。公家は官職を朝廷が与えるもの、武家は要請して出させるものと考えているよ うであります。
頼朝以降、武士は自主的統治権を確立するために相応の地位を求め、相対的に朝廷の地位は低下していく訳ですが、幕府が変わってもこの上下関係の残滓が朝廷 と武家の間に根強く残っているように思います。武家がいきなり全ての統治権を手に入れたと考えるのは無理があり、徐々に手に入れたと考えるのが自然だと思 えます。
ありがとう御座いました。


15326.再登場したgoriさん     
名前:ego    日付:8月8日(水) 9時34分
先の参議院選挙の総括?やってました。
今、民主党が主張する衆議院解散選挙したら、参議院選挙と同じ結果になるだろうか?
http://www.wafu.ne.jp/~gori/mt/


15325.整合性が欠け過ぎでは? 2     
名前:無知な国民の一人    日付:8月8日(水) 0時43分
> さらに主権について考えてみますと

考えるのは結構ですが、これに続くことは全て近代のことであり、しかも日本国内のことよりも国際問題に関することについての記述が主であるとしか見えない のですが、この場合の主権とは何についてのことを補足或いは証明する為のものなのでしょうか?

統治権=主権ということで、それについて天皇には統治権があったと言いたいなら、それは近代ではその通りだった時代もあったでしょう。
けれど、あなたが最初に言い出したのは鎌倉の時代でも天皇は統治者だった、ということであり、私が確認しようとしたのもその部分についてだった筈です。
最初は近代国家のことについて話が始まったのに、それにいきなり鎌倉という昔のことを持ち出したのはあなたなのに、今度はそれをまたしてもいきなり近代に 戻そうということなのでしょうか。

委任統治権という言葉も、成る程話を国際的な部分にまで広めれば確かに無いとは言えないですが、そもそも日本国内の、それも鎌倉という時代から天皇に統治 権があったかどうかという話に何故国際的な事象でしか使われないような委任統治権なんて言葉を使用する必要があったのか、あなたが15320でこの言葉に ついての事柄や例のようなものまで、殆どが近代の日本以外の国のことを言っているわけで、だからあなたも

> 複雑な国際政治を垣間見る思いです。

このように言ったのだと思いますが、その複雑な近代の国際政治と日本国内の昔の時代の政治についてのことと何の関連性や関係があるのでしょうか?

天皇の統治権を色々と区分したのもあなたでしたが、委任統治権という言葉が存在するから、その区分したことそのものも正しいということにはならないと思い ますが、正しいのなら他の本当に天皇が保持していたのかどうかも定かには思えない統治権の類には、何故今回は全く触れていないのでしょうか?

> 最近は排他的経済水域(EZZ)など、主権も時代と共に進化しています。主権=統治権という簡単な構造でないことは以上のことからも明らかだと思います。

国際政治の場に話を持って行くのも、これで止めにしていただきます。
あなたが言い出したのは鎌倉時代に天皇は統治者だったということ、ではその当時の主権は天皇が所持していたという証拠は何かあるのか?ということについて ならともかく、何故最近の、それも日本国外のことまでも含めて言及しなければいけないのか、勝手に無関係のものを織り込むようなことは謹んでいただければ 幸いです。

自分の意見は何が何でも正しいということにしたい、つまりは「始めに結論ありき」をしようとしているように見えると言ったのは、あなたのこうした話を無理 矢理に関係のない部分にまで広げようとする姿勢のことを言っているつもりです。

> つまり主権はかなり細かく細分化できるということです。

これまでのあなたの言い分だけで上記のようなことが言い切れるというのは、あまりにも他者を無視し過ぎているようにしか思えません。

近代から現代までの国際政治の場においての主権と、国内だけの政治に関することでの主権とは一緒には出来ないでしょうが、だからこそいきなり国際政治の問 題のようなものを持ち込んだあなたが上記のようなことを言っても、あまりにも強引過ぎるこじつけにしか見えません。

Pandaさん、あなたが必死になって繰り返している「天皇は昔から日本の統治者だった」というのは、現時点において井沢、小室両氏の非常に整合性の取れ ている上に説得力のある論拠で以って主張されていることとはかなりかけ離れているようです。
あなたの意見が本当に正しいのなら、井沢氏や小室氏はいい加減なものを基にしていい加減な主張をしているということになるのが妥当と思われますが、あなた には両氏の主張を覆すだけの証拠やそれに順ずるものがあるのでしょうか?


15324.整合性が欠け過ぎでは? 1     
名前:無知な国民の一人    日付:8月8日(水) 0時39分
Pandaさん

自身の意見を何としても正しいものであるとしたい気持ちはもう充分わかりましたが、それは「始めに結論ありき」ということにもつながる危険性があることを 認識した方が良いのでは?

「天皇は鎌倉の頃から日本の統治者だった」
これを正しい見方であるとするには、あなたの言っていることはあまりにも整合性が欠け過ぎているようにしか見えません。
時代の一部を都合の良いように切り取っても、そこに実際に天皇が日本を支配化に置いていたという根拠となるものがなければ、そしてそれを日本中がしっかり と認識していたという証明がなければ、こうした経緯があるから統治者だ、この権利があるから統治者だというのは単なるこじつけにはなり得ても万人を納得さ せる説得力は無いと思われます。

> 江戸時代後期には、江戸幕府の全国統治は天皇から将軍への委任関係に由来するという大政委任論と呼ばれる学説が唱えられていたそうです。

私が15317で言及した部分とかなり被っているようですが、正直な話、何が言いたいのかわかりません。
学説があった、だから日本の統治権が皇室にあったという意識は広く世間に広まっていた、と言うようなことを意味したいのなら、それはきっぱり無理があり過 ぎると申し上げます。
それが本当なら明治の先人達が何故にあそこまで苦労して、教育を受けられる立場の人全員に神武天皇からの歴代天皇の名前をわざわざ暗記させる必要があった のか、辻褄が合わなくなってしまうのではないですかね。

> 和暦は天皇の御世を表して居る訳で、これは将軍が変わっても変わることは無いわけで、これをどの様に考えたら良いでしょうか。

単に天皇と将軍は全く異なる立場と地位だから、別々の暦があったとしてもそれで何らかの不都合が生じたのではないのなら、特に気にして使用を中止させる必 要がなかったからでは?
どちらかがどちらかの暦を消そうとしたというのならともかく、そうしたことにいちいち目くじらを立てなかっただけかもしれないことを大袈裟に取り上げる必 要性や意味は何があるのでしょうか。

> さらに圧倒的な力のある幕府は何故外交権を手にすることが出来なかったのでしょうか。

手にすることが出来なかった、というのは幕府はその外交権を皇室から我が物にしようとしたことがあったということですか?
それは何を根拠にそうだと言い切れるのでしょうか?

> 私は朝廷の権威を単にお墨付きを与えるだけとは考えません。権威を軽々しく考えると本質を見誤ると思います。

前にも申し上げましたがあなたがどう考えるのかということが何らかの意味を持ったり、それが正しい考え方であるかを判断するのにはちゃんとした根拠が必要 ですが、これまでのあなたの意見にはそれに類するものが殆ど見受けられないとしか思えません。
権威というものの位置付けや意義をあなたがどう考えているかではなく、それが日本では昔はどうだったのかを誰が見てもわかるように示すのが先ではないので すか?


15323.天皇家に実権なし     
名前:しんしん    日付:8月8日(水) 0時10分
PANDAさん、お返事ありがとうございます。

>天皇については卑弥呼の時代を考えれば明らかですが、西欧の王権もやはり神秘的な霊力のようなものが不可欠だったのではと考えました。

>天皇が世界で最古の王室として存在できた理由は、武力に頼らず、祭祀を司ることにより、即ちそれで権威を保つことに成功したことにより可能だった と考えたわけです。

もちろん古代の王様と神事の関係は否定しませんが、「天皇が祭祀を司ることにより」ということは根
拠薄弱です。
私が示したとおり(平泉澄博士の説)天皇家と神道の関わりが全国レベルになったのは明治からです。そ
れ以前に「天皇が祭祀を司る」というのは極めて限定的でそれによって長く続いたというのは無理があり
ます。

その辺のところは小室直樹氏の著書が詳しいので是非参考にしてください。

>江戸時代後期には、江戸幕府の全国統治は天皇から将軍への委任関係に由来するという大政委任論と呼ばれる学説が唱えられていたそうです。

無知な国民の一人さんの説を補足する形で進めますが、水戸の光圀公の時代から取り入れられていまし
た。
徳川幕府を権威づけする目的で朱子学を取り入れ、朝廷に認めてもらったのだからお前ら従え!という
ことです。もちろん、天皇家が認めさせられたことは言うまでもありませんからそれをもって天皇家に
政治に参加する力があったとはいえないことはお解りいただけるでしょう。

この光圀公も熱心に勉強していた朱子学ですが、幕府の為に研究されていたにも関わらず、下記の無知
の国民の一人さんが触れていますが、崎門学派によって尊王思想という爆弾になってしまったという
皮肉な結果となります。

>また、天皇は外交については朝廷の専権事項とし、幕府に外交権は無かった訳ですが、1858年の日米修好通商条約は朝廷の勅許がおりないまま、勝 手に締結したことで、桜田門の変が起きたのですが、

外交をする気がないから朝廷に任せたとは思いませんか?
ですから幕末になって困る事態がおきている訳です。

>しかし朝廷が絶対に外交権を手放さなかったのは君主としての地位を意識してのことだと思います。従って私は天皇が統治者であると考えます。

上記に書いたように鎖国では意味がないと思いますし、面倒なことを幕府がしなかったとは思いませ
んか?

朝廷が政治をできたと考えるのは無理があると思います。

>また、和暦は天皇の御世を表して居る訳で、これは将軍が変わっても変わることは無いわけで、これをどの様に考えたら良いでしょうか。

例えば天皇の即位は幕府の意向を無視することはできないわけですから元号があるからといって政治に
対して何らかの力があったわけではありません。
無知な国民の一人さんが触れた「明正天皇」については強行即位が行われたとのことですから例外はあり
ますが、あくまでも「例外的事例」であり、それをもって政治力があるとはいえないことはお解りいただ
けますでしょう。

誤解を招くといけないので書いておきますが、朝廷の重要性は上下しており、戦乱のときは重要性が増
すという傾向にあるとだけ書いておきます。(今谷明教授)


15322.議論と指摘の区別だけはして欲しいと思います     
名前:無知な国民の一人    日付:8月7日(火) 23時38分
ロム専さん

> どうして「普通」に議論ができないのですか?

私は最初からそのつもりです。
ですが議論には、より正確な事実を基にしてでなければ出来ないものの方が多いと考えますので、ある投稿者の主張や意見の元となっている事象が本当のことな のかどうか、それを確認しているだけなのに、それを尋ねた相手の半分くらいは根拠をろくに示さないまま、論点とは違うことを何故か言い出し始め、根拠や ソースの類をただ示せば簡単に済むことを全くと言っていい程しないまま、それこそ批判ではなく難癖や言いがかり、誹謗中傷にも類することで私の質問こそが おかしなものであるかのように言い出すことが多かったことは、ROMをされていたのならおわかりと思います。

議論をしようにも正確なことがわからないまま、それを言い出した側が議論どころか、その前提となるものを明確にしないのでは始めようが無いのではと考えま す。

> なぜそこにいやみや皮肉が必要なのですか?

私はそのつもりは無いのですが…
私の問いかけに難癖をつける側の方が、そういう意味では嫌味と言うよりは悪口雑言を並べているケースの方が多かったと思いますけれど、以後は気をつけるよ うにします。

> あなたは議論で相手を打ち負かすことが目的なのですか?

始まってもいない議論で勝ち負けを言っても始まらないのでは?

> 過去にららぽーとさんと言う方がいらっしゃいましたね。
(中略)
> ではご自分が同じことをしているのはスルーですか?

この点に関しては声を大にして抗議したいと思います。
私がららぽーとと同じことをしたというのは二重ハンドルの部分だけであり、その他のららぽーとがこちらで仕出かした最悪なこととはきっぱりと区別していた だきたいと思います。

ららぽーとが数多くのHNを使用していたのは、将に議論をする為でも何でも無いことは過去ログを読めば誰にでもわかることです。
彼奴の目的が議論などではなく、単に自分を中心に掲示板が回ることだけを望んでいるかのように管理人氏を始め、投稿者に対して自分への反応を強要した挙 句、それが叶わないとなると誹謗中傷のようなことを言い出し、それを第三者に成りすましてまで言い出し、終には管理人氏や常連の人達を貶めることに奔走し たわけですが、私がいったいいつそれに類するようなことをしたというのか、感情を表に出したい気持ちもわからなくはありませんが、事実を捻じ曲げるのはや めていただきたいと思います。

> 「無知な国民の一人さんの言い訳なら良く、再登場しても差し支えない」という判断を、ご自分でされた理由はなんでしょうか?

これも間違っています。
私はその判断を自分でしてはいません。
その判断はちゃんと管理人氏にお任せしました。
ROMをされていたのならおわかりだと思います。

> 「ダブルスタンダード」-朝日新聞をはじめとした、所謂「サヨク」な方々のお家芸ですが、ご自分がなさっていることと何処に違いがありますでしょうか?

明確に違うと敢えて申し上げます。
もしそれが正しいのなら、私はこちらにこのように投稿は出来ないと思いますので。

> どうか、そういった人間を不快にさせる行為だけは気をつけていただきたいと思います。

ご忠告は有難く受け止めます。


15321.横レスすいません。     
名前:しんしん    日付:8月7日(火) 23時8分
0123さん、
>日本においてこれ(玉邇)に対するものとして出すのは、天皇ではなく「三種の神器」でしょう。

例にしただけですからその指摘は違うと思いますよ。天皇陛下の役割として解りやすいと思いましたので私は感心しました。

>建武新政は無知な国民の一人 様の中では、どのようなものとして認識されているのでしょう?

これについては聞いて見たいですね。同意です。


15320.Re:ちょっと確認です     
名前:PANDA    日付:8月7日(火) 17時7分
しんしん様

>「王権は神の力と密接に関係しており、天皇家も例外では無いと思います。」ということは明治に作られたものですが、「歴史教育」としてこうあるべ きということなら賛成です。

歴史教育としてこうあるべきだと考えたわけではありません。
天皇については卑弥呼の時代を考えれば明らかですが、西欧の王権もやはり神秘的な霊力のようなものが不可欠だったのではと考えました。(王権を奪われない ように権威付けする努力が見られた。その一つがヨーロッパで発生した王権神授説である=wikipedia)
つまり、王権を維持する=世襲となるわけですが、そのためには権威が必要となりますが、天皇が世界で最古の王室として存在できた理由は、武力に頼らず、祭 祀を司ることにより、即ちそれで権威を保つことに成功したことにより可能だったと考えたわけです。これは私の考えでしんしん様とは異にします。


天皇の統治について意見が割れていますが、江戸時代後期には、江戸幕府の全国統治は天皇から将軍への委任関係に由来するという大政委任論と呼ばれる学説が 唱えられていたそうです。大政奉還が行われた根拠となるのですが、委任関係がなければ統治権を返還する発想そのものが成り立たないわけです。委任統治権と いう概念は近代のものですから明確にあったかどうかは分かりませんが、平たく言えば、天子様から代々託されていた政(まつりごと)が出来なくなったので、 大権(統治権)をお返しいたしますというのが大政奉還と理解して居ます。

また、天皇は外交については朝廷の専権事項とし、幕府に外交権は無かった訳ですが、1858年の日米修好通商条約は朝廷の勅許がおりないまま、勝手に締結 したことで、桜田門の変が起きたのですが、天皇が外交権を持つ意味は日本の君主としての存在であり、即ち対外的には統治者であると知らしめていることだと 思います。なを、日米修好通商条約ではわが国は関税自主権を喪失し、回復に1911年の日米通商航海条約まで53年掛かっています。(この間は完全な主権 を持っていたとは言えない)

また、和暦は天皇の御世を表して居る訳で、これは将軍が変わっても変わることは無いわけで、これをどの様に考えたら良いでしょうか。
さらに圧倒的な力のある幕府は何故外交権を手にすることが出来なかったのでしょうか。
私は朝廷の権威を単にお墨付きを与えるだけとは考えません。権威を軽々しく考えると本質を見誤ると思います。

さらに主権について考えてみますと
日韓併合前の 1904年の日韓議定書から第一次~第三次日韓協約は朝鮮の主権である、外交、財政にわが国が関与することから始まり、外交権、内政権がわ が国に移管され、最後は全ての主権がわが国に移管された歴史です。これで朝鮮はわが国の保護国となったわけです。
最近では、本土復帰前の琉球政府の主権は完全(Full)ではなく、米国政府が琉球政府の決定を破棄できるという制限がありました。さらにイラクでは暫定 政権にFull sovereignty(完全統治権)を移管するニュースなどがあります。わざわざFullと述べていますが、日本語になると単に完全な主権の移管となっ ています。Full sovereignty、 mandate power(委任統治権)は私の造語ではありません。中にはinternational sovereignty(共同主権)なる言葉もあり、複雑な国際政治を垣間見る思いです。
最近は排他的経済水域(EZZ)など、主権も時代と共に進化しています。主権=統治権という簡単な構造でないことは以上のことからも明らかだと思います。
つまり主権はかなり細かく細分化できるということです。
考えようによっては権力の二重構造とも考えられます。幕末に来た外国の使節団は、将軍、帝どちらに権限があるのか戸惑ったという話もあります。


誤解が生じる恐れがありますので、再度付け加えますと「今の時代から見ると」朝廷が幕府に委任統治権を認めたというように考えられる訳で、当時そのような 明確な権利関係があったとは私も思いません。しかし朝廷が絶対に外交権を手放さなかったのは君主としての地位を意識してのことだと思います。従って私は天 皇が統治者であると考えます。


15319.サヨクを馬鹿にできるのですか?     
名前:ロム戦    日付:8月7日(火) 15時21分
こんにちは。ずっとロム専門の者ですが、読んでいて不愉快になったことがあり ましたので書き込みさせていただきます。

無知な国民の一人さん、どうして「普通」に議論ができないのですか?
なぜそこにいやみや皮肉が必要なのですか?
あなたの文章はウンザリします。
あなたの文章でそういった文言が読めると途端に読む気が失せてしまいます。
同じ議論でもしんしんさんのように穏やかにできないですか?
あなたは議論で相手を打ち負かすことが目的なのですか?

過去にららぽーとさんと言う方がいらっしゃいましたね。
その方はHNを変えて何度も登場していました。
そのときあなたは、徹底的に彼(あるいは彼女?)を責めましたよね。
ではご自分が同じことをしているのはスルーですか?
自分が、HNの変更を管理人さんをはじめとした皆さんに明かさないまま再登場したのは、この掲示板にあまりにも根拠のないことが書かれていてやむにやまれ ぬ、そういうお気持ちからだったと書かれていましたよね。
でも突き詰めていけばそれも言い訳です。
ららぽーとさんも散々言い訳されていたと覚えていますが、ではどんな言い訳なら良くて、どんな言い訳なら悪いのですか?
そして「無知な国民の一人さんの言い訳なら良く、再登場しても差し支えない」という判断を、ご自分でされた理由はなんでしょうか?

「ダブルスタンダード」-朝日新聞をはじめとした、所謂「サヨク」な方々のお家芸ですが、ご自分がなさっていることと何処に違いがありますでしょうか?

あなたの再登場については、管理人様のご判断にお任せしますが、こちらに書き込まないだけで読んでいるだけの人間もおります。
どうか、そういった人間を不快にさせる行為だけは気をつけていただきたいと思います。


15318.取り敢えずね     
名前:0123    日付:8月7日(火) 4時9分
>>鎌倉時代

幕府の長たる『征夷大将軍の任命』は、鎌倉幕府が滅ぶまで朝廷が行っておりましたよ。
初代の源頼朝から始まって最後の9代目の守邦親王まで全て、朝廷からの宣下を持って
征夷大将軍の職についておりましたね。
そして、朝廷が所謂『お墨付き』を与えたのは『将軍』にであって、執権はそのお墨付きをもらった『将軍のお墨付き』
をもって、『将軍が組織した幕府』を運営したというところですね。
実力のみを頼るのでしたら、上記に挙げた形式など必要なしというところでしょうが、
鎌倉幕府滅亡までこのシステムを存続させたのですから、形式上でもそれは絶対に必要だったというところでしょう。
(ついでに言いますと、執権の職に誰がつくかというのは、将軍が主催した幕府内の人事(朝廷の人事の枠外)ですから、
朝廷に任命権がないのが当たり前です。)



>>玉邇

日本においてこれに対するものとして出すのは、天皇ではなく「三種の神器」でしょう。
玉邇は権威などではなく、皇帝の証明として必要とされるアイテムであって、それ以上のものではありません。
三国志においては現に、皇帝は3名が同時期に立っている時代が出現してますし、
日本においても南北朝時代において二人の天皇が同時に存在する時代が出現してます。
『為政者の地位を目指す者にとって』重要なのは、自分が事を成すに当たって
自分の行為を正当化してくれる『権威あるひと』であって、玉邇そのものではありません。



>>この皇位継承問題以降、天皇自ら政治に直接参加されたという事例は明治になるまで無かったのではないかと考えます。

建武新政は無知な国民の一人 様の中では、どのようなものとして認識されているのでしょう?
旧領回復令などの法令が後醍醐帝の主催する朝廷にて発布されてますし、後醍醐帝は時には自ら筆をとって綸旨を認めたと
いう行動を取ってますから、十分政治に能動的な天皇であったと思いますが。


15317.日本の政治と天皇家の関わりについての概要 3     
名前:無知な国民の一人    日付:8月7日(火) 0時15分
古事記や井沢氏の著作を読んだことがなくても「もののけ姫」をご覧になった方 は多いのではないかと思います。
あのお話の時代背景は室町の頃となっているそうですが、その中で当時の庶民の持つ、皇室に対しての意識について実に興味深い描写があったことを憶えている でしょうか。

エボシ御前「こんな紙切れが役に立つのか?」
ジゴ坊「まあ、色んな輩を集めるのには役に立つ」
エボシ御前(通りすがりの女達2人に書状を見せながら)「そなた達、この書付がわかるか?」
(怪訝そうに書状を覗き込む女達)
エボシ御前「天長様のだ」
女達「天長様? 天長様って?」
エボシ御前「帝だ」
女達「はぁ、帝…」

(註:作品中に出てくる呼称で「天長様」というのは、これが正しい文字かどうかは残念ながらわかっていません。
ただ、通常では「天子様」となるのをわざと「天長様」という、あり得ない呼称を使用することで、どの天皇の御世だったのかを特定させない為のぼかしのよう なものだったのではないかと解釈しています)

これは当時の庶民が皇室というものがどこかにあることは薄っすらと認識はしていても、生きていく上では何の意味も無かったという以外の解釈は出来ないと見 るのが正しいと思います。
(そういう意味では、あの作品は当時の日本人の庶民レベルに関して良く調べてあると思われます)

この状態が江戸末期まで続いたことは、井沢氏だけでなく小室直樹氏が自著の「奇跡の今上天皇」でも触れているように、現在においてはその見方を覆すだけの 根拠が見つかっていないのは確かでしょう。
つまりは日本という国が天皇を中心としてまとまるのが望ましいという意識は、明治の先人達が苦心惨憺の上に広めてくれたものであることは、今のところ否定 出来るだけの根拠が見つかっていない以上、それを信じるしかないのではないでしょうか。
(尤も、水戸藩士を中心とした一部の知識人の間では学問としての意識のようなものとして天皇を中心にという概念があったのは確かですし、あの徳川慶喜にも その学問の知識があったからこそ大政奉還もそれなりにスムーズに行われたという側面があるのも確かでしょう)

(※禅僧から儒学(朱子学)に転じた山崎闇斎(ヤマザキアンサイ)の「日本に存在する王道」の発見から尊王思想を作った崎門学派により、倒幕側のみならず 江戸幕府にも影響を与えた。元々二代目藩主光圀以来、水戸藩は尊王思想に熱心ではあったが、崎門学派により全藩あげての尊王思想となる。慶喜は水戸出身)
山崎闇斎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%97%87%E6%96%8E

誤解の無いように申し上げますが、庶民が皇室という存在を殆ど意識していなかったからと言っても、それは飽くまでも時代の流れでそうなっただけのことだと 考えていますので、それだけで皇室の尊厳が損なわれるようなことは決して無いと思っています。
特筆すべき善行の類を皇室と言うか歴代天皇がなされたということは無かったとしても、他国の王族や皇帝等に時折見られるような非道なこともなされなかった ことが、明治の代になって漸く本来あるべき権威と尊厳とを復活されるのに多いに貢献したのも確かではないかと考えます。

前にも申し上げたように、これらは私がこれまでに読み齧ったものなどと中心にまとめたものですので、刃こぼれのような部分があるのは否定出来ないと思いま すので、この部分のこれはこうではないのか?という補足や訂正の類は多いに指摘していただきたいと思います。
但し、これもくどいようですがその際にはちゃんとした根拠を示しての上でということをくれぐれもお忘れの無いように願います。


15316.日本の政治と天皇家の関わりについての概要 2     
名前:無知な国民の一人    日付:8月6日(月) 23時54分
飛鳥の時代には確かにあった親政も、平安の頃から天皇自ら政治を執行するとい うよりも臣下達が中心となってのものになってきたのは「源氏物語」にも「枕草子」にも著されている部分がありますし、何よりも「摂関政治」という言葉が示 すように政治の実権を事実上握っていたのは外戚として権力を振るっていた藤原氏の存在が証拠のひとつとなるでしょう。

天皇が本当の意味での統治者だった時代は、平安の頃には既に形骸化していたと見るのが正しいのではないかと考えます。
無論形骸化していたとは言っても、その権威が揺るがないものであったのも確かでしょう。
なので平安の頃にはまだ天皇が政治に参加していたと見られることもあったと思いますし、藤原氏の外戚として権力を振るうという形に固執したが為に起こった 悲劇とも言うべき、孝謙天皇にまつわる皇位継承問題に関しても皇室は積極的に参加していたように、実質的に統治者とは呼べなくても政治そのものから完全に は切り離されてはいなかったということでしょうか。

孝謙天皇に関する皇位継承問題(もう少し詳細に言うなら、当時は孝謙天皇ではなく称徳天皇でしたが)でも、天皇が僧侶を自らの後継者とする動きに臣下が 真っ向から反対し、結局は天皇もそれを容れるしかなかったという経緯からしても、天皇は既に臣下の意向を完全には無視出来ずに従わなければならない事態も あったという見方が妥当と思います。

この問題が生じたことが現代にまで続く女系天皇反対の素になったのは恐らく否めないでしょう。
称徳天皇以降には、それこそ女性天皇そのものが江戸時代の明正天皇まで存在しなかったことからもそれが伺えると思います。
孝謙天皇に関しては前出の井沢氏初め、他にも様々な史家や学者、作家等(私のお奨めは澤田ふじ子、永井路子氏等々)が色々と書籍を著していますので、調べ てみるのも良いのではないかと思います。

これは飽くまでも私個人の印象であり解釈ですが、この皇位継承問題以降、天皇自ら政治に直接参加されたという事例は明治になるまで無かったのではないかと 考えます。

そして皆様もご存知のように貴族の時代が終わり、武士が世の中を統べる時代へと変化して、将に天皇というか皇室は権威のみの存在として政治の世界からも切 り離され、鎌倉の時代に作られた幕府という存在が実質的に日本を統治する形を取って来たというのがこれまで我々が教わってきたことであり、現時点において それを否定出来得る史料や文献が見つかっていないようですから、事実であると見るのが正しいでしょう。

鎌倉時代の政治が「執権政治」と呼ばれていたように、実質的な統治者は北条氏であり、皇室はそれに単にお墨付きを与えるだけ、誰が執権の地位に付くのかと いうことにさえも参加出来ていなかったことも、それを否定し得る根拠が見つからない限りは事実であるとするのが望ましいと思います。

皆様も読まれたことのある「三国志」の世界においての「玉璽」というものが時の覇者達にとってどれだけ重要なものであったのかということからも、天皇はそ の玉璽と同様の存在として日本では為政者の地位を目指す者にとってのみ重要な存在だとするのは必ずしも間違ってはいないと思います。
(例外は足利義満と織田信長くらいなものでしょうか)
玉璽には権威は確かにあるでしょうが、それそのものが世の中を統治するということは無いですし、形だけの任命権や追認するという事例はあっても委任統治を することなんてのも無しですから、この例えはそれなりに当っていると自負しております。
(そもそも委任するということは、天皇以上の位が存在していなければ成り立たないものの筈なのですけれどね)


15315.日本の政治と天皇家の関わりについての概要 1     
名前:無知な国民の一人    日付:8月6日(月) 23時46分
ナポレオン・ソロさんの偏った見方のみに立脚した歪んだ日本史・朝鮮史や、 Pandaさんの学校教育の反動としての皇室偏重による事実誤認にも見える一連のやり取りを見ていて僭越ではありますが少々どころではない危機感を持ちま した。

日本が昔から優れた民族性を持ち、国としてひとつにまとまっていたということであって欲しいという気持ちは充分わかりますし、出来ればそうであって欲しい と私も思います。けれど願望と事実とは必ずしも一致するものではありませんし、願望だけで過去の日本はこうだった、などと言えばそれは単なるウリナラ起源 と何ら変わらない醜悪な自己礼賛にしかならないでしょう。

無論、日本人の民族性は優れたものがあるのは確かだと思います。
けれどそれは天皇を中心とした国をひとつに、という意識が昔からずっと国民に広く行き渡っていたということで証明はされない類のものではな いかと考えます。

もし言われるように鎌倉の頃から日本人にそうした意識があったのなら、それ以降の応仁の乱を皮切りとした戦国乱世の時代はどう説明出来るのでしょうか。
その時代だけ日本人はまとまりを失ったなんて、子供でも騙せない言い訳や誤魔化しまでは流石にどなたも主張はされないと思いたいものです。

ただ、鎌倉以前の飛鳥時代やその前には確かに天皇による親政時代はあったことは日本史を少しでもまともに勉強されたことのある人ならわかることでしょう。
では何故それがその後に実情を伴わない形ばかりのものとなり、単なる権威の形骸としてのみ、それも形ばかりの敬意を払われるだけの存在にまでなってしまわ れたのか。
それでも何故その後も連綿として存在し続けられたのか。

古代の神話の時代の話ではありますが、既にしんしんさんが一部を紹介されているので独自に調べられた人もいるかもしれません。
大国主命の逸話は、単に神話だからというだけで無視したり意味のないものだとするには少々具体的に思いますので、似たようなことが神話となって残ったもの と見るのが妥当ではないかと考えます。
(そもそも神話とか伝説というのは元々事実を少々物語風な味付けをされたものとして捉えるのが自然と思います。
何も無いところから完全な作り話をするのは、事実を基にしての物語をするよりも遥かに困難なことは言わずもがなでしょう)

古事記もその流れで編纂されたものと見るのが自然であると考えます。
編纂されたもの故に表現としては「譲られた」となるのでしょうが、実質的には「取り上げた」と解釈しないと、その後の推移はあまりにも辻褄の合わないこと が多いように思います。
そうした、時には血生臭いやり取りのようなことも含めて皇室というものの形やその存在意義のようなものが形成されていって、それが神話の時代から飛鳥の時 代にまで続いたという解釈には無理は無いと考えます。
無論これらは私個人のど素人の思考ですから、どこかに間違った見方や考えもあることは承知の上です。
そうした部分には遠慮なく突っ込みや訂正を入れていただきたく思いますが、但しそれにはしっかりとした根拠(文献、資料、データ類のような公式の文書等) を必ず併記しなければいけないことだけは失念しないで欲しいとも思います。

古代の日本については古事記も含めて井沢元彦氏の「逆説の日本史シリーズ」にも解説されていますので、読まれた方もいるかもしれません。
それと漫画家・安彦良和氏の作品で「ナムジ」も似たような解釈をして描かれているようですから、興味のある方は参考にするのも良いかと思います。


15313.そこまでして同類になりたいのか・・・     
名前:無知な国民の一人    日付:8月6日(月) 23時39分
ナポレオン・ソロさん、とうとうあなたは薄らサヨクと同類に成り下がり ましたね。

15308にて

> 「文盲率は、ほぼ100%だった」と考えた理由です。
> 但し、以上は飽く迄、私の「感じた」事を述べたモノですので誤解無きようお願いいたします。

南京で旧日本軍は中国人を30万人も殺した!
証拠は?
私がそう感じただけだ。

旧日本軍は数万~数十万の若い女性を大陸や半島から慰安婦として強制連行した!
証拠は?
私がそう感じただけだ。

具体的な数字を出したのなら明確な根拠を示すのが当然であるという、最低限の常識すらも持ち合わせていないという自覚も無いと見えますね。

ナポレオン・ソロさん、あなたが言っているのはこうした薄らサヨクとどこが違うのですか?


15314.Re:朝鮮の識字率について。     
名前:しんしん    日付:8月6日(月) 23時33分
ナポレオン・ソロさん、お返事ありがとうございます。

ただ15262番では下記のように行っていますよね?

>民衆レベルは凡そ100%近くが文盲であったからですが、これは、少数の民族が、複数・多数の異民族を階層差別下に措いて支配する やり方として、伝統的なモノです、

15308番で以下のように書いています。

>以上が「文盲率は、ほぼ100%だった」と考えた理由です。

> 但し、以上は飽く迄、私の「感じた」事を述べたモノですので誤解無きようお願いいたします。

「あったからです」という断定がどうして「感想」になるのですか?意味不明です。
資料がなければ「捏造でした」、資料があれば「~を参照しています」でいいではないですか?

それに両班階層に中人もなれたことはナポレオン・ソロさんも指摘していますが、いきなり「平民出身
で立身出世できる可能性は殆ど無いでしょう、」とは矛盾していませんか?20%から70~80%に両班階
層が増えたと書いているではないですか?

それに「識字率は、「女性で8%」だそうです、」というのは異論ありませんが、私は李氏朝鮮庶民の識
字率の出典元を聞いたのに、「考え」というお答えは訳が解らないのでもう一度お聞きします。

どんな資料を基に言われているのでしょうか?できれば出典を示していただけませんか?


15312.論点ずらしの卑劣な手口     
名前:無知な国民の一人    日付:8月6日(月) 23時16分
思考どころか、まさしく非常識の塊でしかない輩に噴飯ものなどと言われるとい うことは私の言っていることは少なくとも間違ってはいなかったと証明されたようなもの。
実にありがたいことです。

任命権があるから統治者だった?
統治権=主権という意味も知らずに、ここまで出鱈目を言い切った挙句にそれは常識であるとさえ決め付け、己がもの知らずを晒したことを自覚出来ないばかり か、それについて次に何を言い出すのかと思えば征夷大将軍になれずに関白になったことだけで破綻したなどと、何の証拠も根拠も出さないままの決め付けしか 出来ないことをも晒し、極めつけは明治以降は誰にでも為政者になる「権利」があったなどという事実無根のでっち上げを言い切る有様。

こんな非常識というよりは人として常識など持ち合わせていないどころか義務教育の課程すらも満足に踏まえられない人間に思考なんて上等なものが備わってい るなんて、タチの悪いジョークを無理に見せ付けられているのと同等な気がしてきました。

明治の頃に有権者となる「資格」がどのようなものだったのかということさえも、この非常識な輩は全く知らないと見えます。
(当時は今のような普通選挙ではなかったことくらいは知っていて欲しいものだが…)
その上で誰にでも「権利」があったとは、およそ常識ある人間、基礎的な知識のある人間なら恥ずかしくて到底言えないことであり、「権利」と「資格」と「義 務」の違いも意味も理解していない薄らサヨクと同レベルな輩が何を自分こそが正しいという自意識を振りかざしているのやら。

一連のことで間抜けそのものの繰言しか言っていないのは、ただひとりしかいない。
それは私でもなければしんしんさんでもない。
自覚出来ないのも同一人物だけだろう。


不二家の信頼回復に繋がらないBPOの見解

2007年08月08日 00時16分12秒 | 偏向マスコミ

 最初からまったく期待していなかったが、NHKと民放で組織する「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会が6日、TBS系の情報番組 「みのもんたの朝ズバッ!」による不二家報道について「重大な放送倫理上の問題があった」として改善を求める見解を発表したものの、番組が捏造であったと は断定していないのは極めて遺憾である。

 不二家の平塚工場で働いていたとされる元従業員の証言内容から、「賞味期限切れチョコを集め、牛乳と混ぜて新しい製品として再出荷した」と報道したようで あるが、その製品とされる「カントリーマアム」は平塚工場では製造されていないと不二家側が反論しているからして、ならば元従業員の証言は虚偽であるか、 そもそもの本当に元従業員であるかどうかも疑わしくなってくる。

 TBSが番組は捏造されたものではないとするならば、元従業員に再度連絡をとって再証言を求めるなどすれば良いものの、なぜか行わず、「チョコの再使用」 について同様の趣旨を述べた別の証言者もいるとのことだが、TBSでは、「証言者の連絡先は不明で、取材メモも紛失した」と言っているようであり、ならば 尚更、TBSの弁解を信じることは出来ず、明らかに捏造番組を作ったと自供したのも同然である。

 このことは、証言者の連絡先や証言内容などが書かれているであろう取材メモは出せないから紛失したと言っているとしか思えず、出せない理由は、その証言者は元従業員などではなく、劇団員などであることがばれるからに他ならない。

 BPOも、証言者がどこの誰か分からず、紛失を理由に取材メモを出せないようならば、そのような嘘付きTBSの主張を認めているようでは、前述したように 最初からまったく期待していなかった見解と言わざるを得ず、それで改善を求めるだけで何らも処分もされないとなれば、BPOなどあってもないようなものだ ろう。

 TBSの弁解通り、一度しか連絡が取れない証言者がいて、その連絡先や証言内容などが書かれていた取材メモは紛失したとするならば、そのような杜撰なことで、不二家を批判したとは驚くべきことであり、不二家が今どうなっているのか知らない訳はないだろう。

 この番組でみのもんた氏が「廃業してもらいたい」と言ったことを、後日「激励の思いも込めた」と弁解しているようだが、BPOでは「口調や表情からはくみ とれない」と断じているが、これでは瀕死の病人に「お前死ね」と言ったのも同然で、それが激励であると、その病人は感じるだろうか。「何て酷いことを言う のか」と思うだけではないか。

 みの氏は不二家に本当に廃業してもらいたいためにそのような暴言は吐いたのであろうが、テレビに出るようになり、少し有名になったからといっても、大人のくせに言って良いことと悪いことの判断位は出来ないのかと言いたくなる。

 TBSは「今回の見解を受け、さらに改善のための取り組みを進めていきたい」とのコメントを出しているようだが、これは何度も聞かされたコメントだが、また同じような捏造報道をすることは間違いないだろう。」

 不二家の「信頼回復会議」の議長を務めた郷原信郎教授はBPOの見解を批判しており、「訴訟をすることでしか不二家の信頼回復はありえない」として、不二 家にTBSに対して損害賠償を求める訴訟を起こすように促すとのことであり、偏向マスコミの捏造報道に泣かされている企業や人が多いのだから、これは不二 家だけの問題ではなく、勝訴する可能性が大きいので、是非ともTBS相手に戦って欲しいものである。明らかに捏造報道なのにも関わらず不二家の信頼や名誉 が回復に繋がったとは到底思えないBPOの見解だが、何度も言うようだが期待する方が無理であったろう。
(2007/08/08)