私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

夏が来れば自衛官を罵倒した田岡氏を思い出す

2007年08月15日 00時52分08秒 | 防衛省・自衛隊・安全保障

 お盆休みをふるさとで迎えるための帰省ラッシュが始まるこの時期になると、昭和60年(1985年)に起きた日航機墜落事故の記憶がよみがえる。520人 が犠牲になったこの事故から今年で22年が経過し、墜落場所である群馬県上野村の御巣鷹の尾根には今年も遺族らが慰霊の登山を行っているとのことである。

 この事故でも自衛隊による捜索救出活動が行われ、奇跡的に生存者4名が発見されたが、陸上自衛隊の輸送ヘリコプターV-107によって現場から救出・搬送 される様子が報道され、ホバリング中の機体から降ろしたロープによってつり上げられる生存者を収容する映像は、この事故の救出活動を象徴するものとなっ た。

 模型のヘリをリモコン操縦する趣味を持つ方によれば、あのような場所でのホバリングは模型でも難しいとのことであり、にも関わらず実機で長時間行ったことに驚き、自衛隊員の操縦技術を称賛していた覚えがある。

 偏向マスコミはそのヘリの映像だけは何度も報じたものの、その他の遺体や遺留品の捜索、ヘリポートや簡易道路の建設など自衛隊が行った活動をほとんど報じ ることなく、「夜間でもヘリから隊員を降下させることはできなかったのか」「民間機だから」「全員死亡していると決め込んでいたのでは」とかの難癖をつけ 自衛隊出動の遅さと対応を批判する声をあげていた。

 標高2000メートルもある山岳地帯で、月夜でもない暗闇の中で、下の様子が全く分からないのにも関わらず、さらに夜間捜索可能な赤外線暗視装置を装備し ていないヘリを現場に無理に接近させたとしても二次災害を起こす恐れがあった訳で、そのような知識もない評論家をテレビに出演させて、普段は自衛隊をさん ざん貶しておきながら、このような時にはスーパーマンのように出来ないことまで行えと要求した訳である。

 だが偏向マスコミからの批判にいつも耐えていた自衛隊であったが、このような報道のデタラメさに憤慨した一人の現職自衛官が実名で「いわれなき批判に反論する」として月曜評論に論文を掲載したのである。

 その勇気ある自衛官は当時の防衛庁航空幕僚監部広報室長であった一等空佐・佐藤守氏であり、航空自衛隊の捜索救難活動に関してマスコミ報道のデタラメさ と、無責任な放言をした評論家の無知ぶりを徹底的に批判し、その後、陸上自衛隊東部方面隊の対応については「これだけは分かって欲しい、時には涙し、ただ 黙々と最善を尽くしたことを」として、当時の東部方面総監部広報室長であった二等陸佐・小林武一氏が反論を加えている。

 この両氏の反論に偏向マスコミは再反論出来ず沈黙してしまったものの、なぜか当時の朝日新聞編集委員・田岡俊次氏は佐藤守氏に対し「必ず国会の問題になる から今のうちに訂正文を書いた方が良い」として、驚くことに「お前を飛ばすのは簡単だ」と罵倒したというのだから、これこそ新聞記者の驕りと言って良いで あろう。

 田岡氏が訂正を求めたのは日航機墜落事故のことではなく、佐藤氏が同論文の中でふれた昭和46年に岩手県雫石上空で起こった全日空機と 自衛隊機の空中衝突事故のことについてであって、佐藤氏が「全日空機が一方的にジェットルートを逸脱して訓練空域に進入した結果であり、しかも操縦席に機 長は居なかったとしか考えられず、或いはいたとしても前方を見張っていなかったため、訓練中の自衛隊機に追突し、何が起こったか分からぬまま墜落して事故 であると確信しており…」と書いていることから、それを田岡氏は誤りだというのである。

 全日空機が一方的にジェットルートを逸脱していた疑いは乗客の遺品の中から8ミリフィルムが発見され、それにはジェットルートを正常に飛行していれば写る 筈がない田沢湖が写っていたことが上げられ、また当時の飛行速度は全日空機の方が自衛隊機より早かったからして追突した訳であり、飛行速度が遅い自衛隊機 が飛行速度が早い全日空機に追突することなどあり得ないからだ。

 前方の見張りを怠っていたのではとされる全日空機の機長は衝突する寸前ではなく、かなり前から前方に自衛隊機を視認出来た筈だとされたが、それも自衛隊が 絡む事故があると何でも自衛隊側に責任があるとする事故調査結果が出され、偏向マスコミもそのような印象報道を行ってきた。それは昭和63年(1988 年)に起きた海上自衛隊第2潜水艦群第2潜水隊所属・潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」との衝突事故でもまったく同じであった。

 「お前を飛ばすのは簡単だ」と現職自衛官を罵倒した田岡氏だが、朝生に軍事評論家とかの肩書きで出演していた記憶があるが、その後はどこで今何をして活躍 されているのであろうか。夏が来れば思い出すのは、我々だけの自衛隊を貶めた田岡氏のことであり、テレビで最もらしいことを言っても信用することは出来な い。
(2007/08/15)

写真:現職自衛官を罵倒した自称軍事評論家・田岡俊次氏