私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

閣僚の参拝が一人もいないとは全く情けない

2007年08月11日 23時25分56秒 | 政治

 偏向マスコミは総理や閣僚の靖国参拝を執拗に反対しておきながら、8月15日の終戦記念日に閣僚全員が参拝をしないことを明らかになると、過去に参拝する 閣僚が一人もいなかったことは、閣僚の終戦記念日の大量参拝が始まった昭和25年代半ば以降には例がないとして、あたかも異常事態であるかのような報道を している。

 参拝をすれば批判していたのだから、閣僚が誰一人も参拝しないとなれば、偏向マスコミにとっては喜ばしいことである筈であり、また参院選で自民党が惨敗し てことは偏向マスコミによる世論操作の結果と言うべきであって、であるから「参拝しないのは当然だ」とする論調で報じるべきだが、なぜかそのような印象を 受けず、参拝しないことを安倍政権の弱体化を象徴していると捉えるなど、あれこれ言っているのはおかしなものである。

 このような異常事態は、安倍総理が参拝を見送るのではないかとする観測が流れていることから、各閣僚も参拝することで、安倍政権への影響が出ることを危惧 しているのであろうが、安倍総理が参拝しないことを明らかにしていたとしても、閣僚は閣僚として信念に基づく参拝したいものは参拝すれば良い話であって、 参拝する閣僚が一人もいないとなれば、全く情けないと言わざるを得ないし、安倍総理も閣僚の参拝を止めることまではしないであろう。

 参拝しないことは国内向けではなく、支那と韓国への配慮であろうが、参拝しなくても、安倍政権への支持率が高くなるとは思えないし、今まで安倍政権を支えてきた保守層の支持を得られるとは思えず、反対にますます支持を失うことになるのではなかろうか。

 国のために殉じた英霊達を総理や閣僚達が国民を代表して慰霊することは義務であって、諸外国に配慮して、止めることはあってはならず、多くの英霊達が祀られている靖国神社に参拝しないことは、英霊達との約束を反故にするも同然な暴挙である。

 これは思想信条、宗教観などとは別次元の問題であり、自分を生んでくれた祖先へ感謝するのと同様に、国のために尊い命を捧げた英霊達をお慰めするのは今生きている人としてなすべきことではなかろうか。

 公明党の冬柴鉄三国土交通相は「宗旨が違うから」と参拝を見送るようだが、これは創価学会としては国のために尊い命を捧げた英霊達をお慰めをするとの教え はとらないと言う訳なのか。日蓮正宗から破門され、ご本尊がない創価学会だが、では何のために、また誰のために「妙法蓮華経」とお経を上げているのか。

 また冬柴国土交通相は「信教の自由だが、枢要な地位にある人には隣人の気持ちに配慮する気持ちは必要」と述べたそうだが、信教の自由ならば靖国参拝をしたい人は総理であろうが、閣僚であろうが誰でも参拝することは問題はないだろう。

 創価学会が信者に「靖国には行くな」と教えているのは勝手だが、また隣人とは支那、韓国のことで、日本国民の感情より支那、韓国の人達の感情が優先するとでも言いたいのであろうが、さすが在日朝鮮人の会長が指導する創価学会らしい考え方である。
(2007/08/11)