私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

映画「鉄道員」を鑑賞して

2002年03月31日 20時55分00秒 | 書評・映画評
 高倉健主演の映画「鉄道員」を鑑賞してきた。映画が終わり、出演者名とスタッフ等の名前のタイトルが始まっても、席を立つ人はなかった。爽やかな感動につつまれた場内は、話しをする人もおらず、場内が明るくなって、外に出た後、すぐトイレに行ったが、私の横にいた60歳位の男の人は、風邪のひいているのか、しきりに鼻をすすってした。 

 映画のストーリーは鉄道員として定年をまもなく迎える主人公に、奇跡が起きるという物語で、 一言でいうと「こんな良い話しがあるのか」ということである。幼い時に亡くなった娘が成長し、その姿を主人公に見せに来るという物語で、そんなことはあり得ないと言えば、確かにそうだが、その奇跡の後にすぐ主人公が駅のホーム倒れて殉職してしまう訳で、その死の寸前に見た夢がこの奇跡であったのではないかと思った訳である。

 広末涼子が扮する、亡くなった雪子という名の娘が成長し、高校生の制服姿で現れ、駅で仕事をしている主人公のところに会いに来て、食事を作り、その味付けが亡くなった主人公の妻の味付けと同じであったことから、その娘が亡くなった雪子であると気づくのである。広末涼子の清楚なセイラー服姿や、「お父さん、ありがとう」には泣かせる。
(1999/05) 

この記事は「私の主張」第98号
「 映画『鉄道員』を鑑賞して 」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
つからず、作成年月のみの記載となります。またアーカイブ
として作成年で登録するとエラーとなるため暫定的に2002年
3月に作成したものとして登録しています。また、この記事
以前のものも同様です。

         

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