私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

核保有の是非について論議も許されないのか

2006年10月16日 13時52分06秒 | 政治
~被爆者らの怒りは核攻撃を示唆している北朝鮮に向けられるべき~  

  自民党の中川昭一政調会長が、15日のテレビ朝日の報道番組で、「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やれば、やりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」「どう見ても頭の回路が我々には理解できないような国が(核兵器を)持ったと発表した。これは何としても撲滅しないといけない」と述べたことが、さも大問題発言であるかのような報道がなされている。

 偏向マスコミは安倍総理と同様に政治生命を奪いたい政治家の一人である中川氏の発言だけに、釈明を求めているようだが、中川氏は翌16日に「私ももとより核武装反対論者だ。非核三原則を守ることは昨日も申し上げている」と述べ、「北朝鮮のような国が核を持ったと発表しているのであれば、核を持たずに日本の安全をどう守るのかを議論すべきだという観点で言ったことだ」と語っているようだ。

 わが国は世界最初の被爆国であることからなのか、「核」と聞いただけで、身震いがして拒否反応を示し、論議さえも許さない風潮があるようであり、北朝鮮が核兵器を保有しようとしているにも関わらず、世論調査の結果でも80%以上の人が「日本は核武装すべきではない」と回答している結果からしても伺える。このことは北朝鮮の軍事的脅威を感じるとしても、「核」に関することだけは敢えて触れないでおこうと言う考えの方が多いと言う訳であり、戦後60年以上も平和が続けば、「戦争のことを考えなければ戦争にはならない」と真面目に考えてしまう人がいたとしても何ら不思議ではない。

 テレビ朝日の報道番組での中川氏の核保有について「議論はあっていい」と発言した際に、公明党の斉藤政調会長は同番組で「我々は絶対に核を持たない。議論することも世界が疑念を抱くから駄目だ」と反論したそうである。中川氏は核保有をすべきと言った訳ではなく、その論議をしようと言っただけであり、これでは公明党・創価学会にとって都合が悪い政教分離に関して疑念があると指摘されても論議さえも避けているのと同じであり、何かにすがって念仏でも唱えていれば世界は平和になると思っている怪しい宗教団体員の言うことは我々凡人の理解の限度を超えている。

 憲法や、非核三原則を守って核武装をしない方が日本は戦争の惨禍を避けることが出来て、また特定国からの恫喝に屈することは本当にないのかを真剣に議論すべきであろうし、さらに核攻撃を受けないとの確証はないからして、相互確証破壊による抑止力の保有も合わせて議論しても良いであろう。

 北朝鮮の恫喝からではなく、とっくに憲法第9条神話は崩壊しているが、未だに「戦争のことを考えなければ戦争にはならない」として憲法第9条をご本尊として崇める憲法真理教の信者たちの宗教的信念は核に関しても同様で、拒否反応を示すことで、現実から遊離した反対論を展開しているようだ。

 中川氏の核保有について議論の必要性を指摘した発言に被爆者らは反発しているようであるが、いずれも論議さえも許さないと話しており、中川氏「どう見ても頭の回路が我々には理解できないような国が(核兵器を)持った」と発言しているにも関わらず、その危険な現実を無視して、日本の核武装の方を危険視しているのだから驚きを禁じ得ない。

 その中で、日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳事務局長は「核武装すれば他国が攻撃してこないと考えるのは幻想だ。保有すれば、攻撃対象になる可能性が高まるというのが普通の考え方だろう。」と発言しているが、核武装していれば攻撃される可能性が低くなると考えるのが普通ではないか。あの戦争の末期に日本は核武装していなかったにも関わらず核攻撃を受けたことと明らかに矛盾する発言である。

 核保有について議論は大いにすべきであろう。日本は世界唯一の被爆国として核武装の権利はどの国よりもあると思っている人もいるし、日本独自では保有せず、米国の核抑止力に期待するとの考えもある。ともかく核廃絶は不可能との考えで、その脅威から、どう国を守って行くかを論議すべきであり、被爆者らの怒りは中川氏に向けられるのではなく、わが国への核攻撃を示唆している北朝鮮に向けられるべきではなかろうか。
(2006/10/16)  

この記事は「私の主張」第259号
  核保有の是非について論議も許されないのか
~被爆者らの怒りは核攻撃を示唆している北朝鮮に向けられるべき~
としてHPに掲載されていたものです。