私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

対照的な卒業式における「国歌」の扱い

2005年04月05日 22時39分01秒 | 社会問題

~国歌斉唱をしない高知県と礼儀正しく感動の香川県~

 新聞の投稿欄は必ず目を通すようにしているが、読者の方から報道されない面白い生の情報を得ることが出来る点で大いに参考になっている。産経新聞には「正論」と同じページに「談話室」という投稿欄があるが、3月30日と翌31日に小学校の卒業式における「国歌・君が代」の扱いについてまったく対照的な出来事があったとの投稿がなされている。

 それは四国の高知県と香川県における小学校の卒業式に参列した卒業生の親が経験したことを投稿しているものであり、同じ四国なのに県によって方針が異なることから非常に興味深いものがある。

 まず3月30日に掲載された高知県高知市にお住まいの46歳の公務員男性の投稿「卒業式で分かった誇り喪失」には「娘の小学校の卒業式で奇怪な光景に出合った。『国歌斉唱』の号令に児童全員が起立するものの、誰も歌おうとしない。私一人が君が代を歌いだすと、周囲の保護者に注視され、間が悪くなってやめてしまった。」と教師のピアノ伴奏かテープが流されているのか分からないが、無言のまま児童全員が起立し、この投稿主以外の卒業生の父兄も無言で起立して「国歌・君が代」を聞いているだけとはどう見ても異様な風景である。

 日本人が「国歌・君が代」を歌うことは何ら恥ずべきことでもなく、物珍しいことでもないのに、どうも高知県では「君が代を歌う変な人」と見られてしまうようである。続けて「校歌斉唱」となったとのことだが、今度は「保護者を含め、会場に大きな歌声が響いた。」と言う。そして「日本人としての誇りを持っていない子供が増えているのが、分かる気がした。」と投稿主は嘆いているが、日本国民として国から様々な恩恵を受けていながら、その国の象徴である国歌に敬意を表さず、半ば無視したかのような態度をとり、これは卒業させてくれる学校に敬意を払い校歌は斉唱するが国は関係ないから国歌は斉唱しないという訳であろうか。

 まあ児童の考えではなく、高知県か、その学校の方針なのであろう。国旗国歌を巡っては東京都教育委員会が国歌斉唱の際に起立しない教師を処分していることが注目されているが、地方でもいまだに正常ではないことがこの投稿からよく分かる。高知県からは「日本から独立したい」などとの驚くべき声が聞こえてくるが、日本人としての誇りは持たない方が良いとの教育が未だに行われていることに驚きを禁じ得まない。

 この高知県の現状にうんざりしていたところ翌31日の談話室には、同じ四国の香川県香南町にお住まいの42歳のパート女性の投稿「礼儀正しい卒業児童に感動」を読んで嬉しくなってしまった。「長女の小学校卒業式に出席したが、昨年、高知県から引っ越しをしてきて式典の違いに驚きと感動を持った。」とし、今まで高知県でのおかしな式を見てきたからなのか、あまりにも立派で厳粛なものであったようである。

 「体育館壇上正面には国旗が飾られ、国歌の『君が代』はピアノ伴奏による斉唱だ。名前を呼ばれた卒業生の返事は気持ち良く、司会者の合図でするおじぎはきれいにそろっていた。また、来賓の方が『卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます』と言ったときに、卒業生が心を一つにしたかのようにきちんとした礼をするのだ。これは心得ておかないとできないことだと感心した。娘がこの小学校に通学したのは一年だけだが、この卒業式を見ただけでも卒業させてよかったと思った。」と書いているが、この様な卒業式が普通であり、小学生とは言え日本国民としての自覚と誇りを持たすためには国旗国歌に対して正しく敬意を示すことを、このような厳粛な式によって体得させることは当然であろう。

 そして「知人の話だと、香川県の小学校は大体このようね雰囲気だと聞いた。このような立派な式ができたことは、日ごろの先生方の指導があってこそだろう。そしてそれに応える子供たち。小学生でもちゃんと指導すればできるんだ、いや、小学生だからこそ師の教えが純粋に入ってくるのだと思い、感動をもってペンをとった。」と書いている。確かに国歌斉唱すらしない高知県での卒業式では感動もないであろう。同じ教師でも、県によって、国旗国歌に対して、国民のひとりとしてどのような態度をとるべきかをしっかり指導している所と、そうではない所では、純粋な心を持つ小学生にとって将来大きな影響があることは明らかである。

 香川県の投稿主の「この卒業式を見ただけでも卒業させてよかったと思った」との感想は親としてわが子の門出の式典が立派な厳粛なものであったことと、教師の日頃の指導に感謝しているからに他ならない。ここで思い出すのは平成12年3月に東京都国立市立第二小学校の卒業式で、児童らが校長に「国旗を降ろせ」「基本的人権に反する」「土下座しろ」と迫った件であるが、香川県での親まで感動してしまう卒業式とは大変な違いである。

 卒業式はただ学校を卒業するための式典ではない。国は学校教育のために毎年莫大な予算が計上し、その多くは国民の税金からまかなわれているのであるから、日本の将来を担う子供達が健全に育ち、日本国民として感謝の気持ちと誇りをしっかり持つように、国家の象徴である国旗に正対して礼を正し、国歌を斉唱する喜びを国民として当然な振る舞いとして身に付けさせるべきであって、それは教師であり、親の義務と言って良いであろう。
(2005/04/05)  

この記事は「私の主張」第236号
  対照的な卒業式における「国歌」の扱い
~国歌斉唱をしない高知県と礼儀正しく感動の香川県 ~
としてHPに掲載されていたものです。