試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区104F [Mc159] 4+3-3編成 (車体改修完了,クモハ101-159 代替竣工) ※旧製品+弁天橋区仕様

2020-02-16 21:59:21 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
誤認解消。

離脱していたKATO製国鉄101系ツヌ104F(Mc159:旧製品+弁天橋区仕様)が10両編成に復帰し再出場した。
次期改修編成はツヌ123F(Tc78:弁天橋区仕様+旧製品)で内定していたが急遽入場順を差し替えた。
元クモハ101-154(廃車:元ツヌ116F)の穴を埋めた旧クモハ101-159(旧製品)に代わりクモハ101-159(旧製品)が竣工している。




国鉄101系ツヌ104F (1986/4)。
[ツヌ104F]:Mc159-M'185-T263-T'c35+Mc165-M'200-T259_Tc75-M118-M'c133。
※旧製品+弁天橋区仕様:前面窓支持色変更施工編成。
◆車体改修,クモハ101-159 車体振替。

国鉄101系クモハ100形0番代,クモハ100形0番代のATS-BS併設車は少数派だった。
新製搭載された車両はクモハ101-192,クモハ101-193,クモハ101-194,クモハ101-195,クモハ101-196に限られる。
何れもモハ100形800番代がユニット相手であり中央東線乗入運用を考慮したものだと思われる。
その他は全て後年の施工で中野区,津田沼区所属車も例外ではなかった。
かつて津田沼区には列車線直通運用が存在したが手元の資料ではクハ101形,クハ100形を先頭車両とする編成しか確認できない。
理由は不明だが1969年代に行われたATS-S形追設工事はクハ101形,クハ100形に集中している。
従って中野区,津田沼区所属車に於けるクモハ101形,クモハ100形ATS-BS併設車は珍しい存在だった。
そのATS-BS併設車だが車歴表を辿るとクモハ101形よりもクモハ100形が先に姿を消していた。
各々中野区:クモハ100-163(1984年3月:廃車),津田沼区:クモハ100-123(1982年5月:武蔵小金井区転出)が最終在籍車であった。
対照的にクモハ101形は中野区と津田沼区で異なる展開が繰り広げられた。
中野区所属車は1983年3月にクモハ101-190が廃車され101系そのものも201系での置き換えが進む。
一方津田沼区には1985年3月付でクモハ101-141,クモハ101-159,クモハ101-165,クモハ101-172が転入してきた。
全車弁天橋区からの転属でありクモハ101-140(1982年3月:武蔵小金井区転出)以来となるATS-BS併設車が復活している。
だが津田沼~習志野区運用ではATS-S形を必要としないためか全車とも短期間の活躍で終わってしまった。
◆ツヌ104F:Mc159-M'185-T263-T'c35+Mc165-M'200-T259_Tc75-M118-M'c133(1986/4)。
◆ツヌ107F:Mc141-M'144-T245-T'c34+Tc83-M230-M'224-T105-M237-M'c175(1986/4)。
◆ツヌ110F:Mc172-M'216-T247-T'c53+Tc85-M235-M'229-T230-M232-M'c171(1986/4)。


ツヌ116F。
※旧製品:前面窓支持色変更施工編成。

ツヌ104Fは長期保留車だったモハ100-158(ツヌ118F:Mc155旧ツヌ118F:旧製品)の救済を組成名目とした。
2018年7月に投入した十四代目ツヌ118F(Mc155)では最後まで転用先が見当たらなかった車両である。
折しもカノ1F(Mc178:旧製品)を皮切りとする旧製品運転台付先頭車両での前面窓支持色変更に手応えを感じた時期だった。
モハ100-158(ツヌ118F)と塗装被膜を揃えるべく旧製品車両による10両編成化が決定し2019年7月付で出場を迎えている。
但しクモハ101-165だけは黄色5号LP411前照灯増強を兼ねクモハ101-170Assy車体組立車(Mc170:弁天橋区仕様)が充当された。
旧製品車両9両も出自が揃っておらず改修対象ではあったがツヌ116F(T'c91:旧製品)の煽りを受け急遽入場を前倒しした。




クモハ101-159 [27C 飯田橋]:車体振替施工車。
※旧製品。

改修入場中に車体破損が発覚した旧クモハ101-154(旧ツヌ116F:旧製品)は旧クモハ101-159用車体を転用し復旧を図った。
その代わりツヌ104Fに欠車が生じてしまいクモハ101-159の復帰と車体改修を並行する方針へ転換した。
旧クモハ101-159(←クモハ101-155:ツヌ118F)は車歴表を見落としたためATS[B]標記のまま竣工させていた。
ツヌ101F-1(Mc193)の改修時に齟齬が判明しクモハ101-159用種車にはクハ101-75(ツヌ118Fクハ101-75:旧製品)を充てた。
LP411前照灯だけが目当てだったクハ101-75だがATS[BS]標記印刷が物を言いクモハ101-159の代替竣工に貢献している。
なお形式変更は元クモハ101-159(元ツヌ104F)用部品を全面流用するクモハ101-154(ツヌ116F)に準じた方式とした。


[[千ツヌ][定員136]]:クモハ101-165。


[[千ツヌ 定員136]]:クモハ101-148(ツヌ105F)。


[[千ツヌ 定員136]]:クモハ101-148(ツヌ101F-2)。

ツヌ105F(Mc154)用組成準備車である二代目弁天橋区仕様(Mc170)より[南テシ]電略標記印刷消去方式を一部変更した。
本格施工第一号車となったクモハ101-165だが詰めが甘く[千ツヌ 定員136]標記インレタ周囲には黒ずみが残っていた。
追って竣工したクモハ101-148(ツヌ105F←クモハ101-170:Mc170)よりも見附に劣る逆転現象が生じていたため修正を行った。
ペイントリムーバー式による[テシ 定員136]標記跡への負荷を考慮しユニクリーナー式で除去に挑んでいる。
黄色5号車両では悉く跳ね返されてきたユニクリーナー式印刷消去だが微修正には有効であった。
但しクモハ101-148(ツヌ101F-2:Mc148←クモハ100-170:Mc170)での再転写が響きインレタは[千ツヌ]+[定員136]へ変更となった。


経年劣化が伺えたユニットカバーとモーター支持部品(モハ100-200)。

モハ100-200(旧製品)用動力ユニットの整備では硬化していたユニットカバー及びモーター支持部品が引っ掛かった。
この動力ユニットはモハ100-31(トタムコ3F:Mc78)からモハ100-808(旧ツヌ101F-2:Mc154)へと流転した2ndLOT品である。
当然旧製品LOT動力ユニットよりも経年が浅く突如現れたプラスチック部品の変質は予想外であった。
念のため分解,組立時には嵌合爪付近へドライヤーを吹き付ける破損防止策を採っている。
また加減速度低下が著しくクモハ101-170(ツヌ105F:動力ユニット搭載車)に続きモーター用マグネット位置修正を行った。
性能復元こそ果たせたものの全く説得力に欠ける対策と言え経過観察は欠かせないと思われる。


ライトスイッチ部品移動対策を強化したライト基板後端部(クハ101-75)。

ツヌ116Fまで続行していた運転台付中間組込車の再生産品LOT床板更新だがクハ101形,クハ100形に限り一旦中断となった。
先頭車両の旧製品LOT床板振替推進により現行LOTクハ101形,クハ100形用床板は捻出不可能な状況に陥った。
止むを得ずクハ101-75,クハ100-35(ツヌ104F:旧製品)は床板更新を先送りとし旧製品LOT床板が継続使用されている。
これに乗じて将来の保管品不足が確実視される旧製品LOT床板用導電板予備車に指定した。
集電性能には運転台側の跳ね上がり角度が関わっていると思われ両車とも寝ていた導電板を整形した。
更にクハ101-75(ツヌ104F)ではライト基板裏面後端部を薄型化するライトスイッチ部品摺動抵抗軽減策試行に踏み切った。


苦しめられた台枠表面への錆粉付着(サハ101-259)。

改修入場の主工程である老朽化対策は長尺ウエイト装着車全てが錆取り作業まで発展した。
十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)以来続くウエイト防錆対策は如何せん時間を要する。
特に白濁を生じさせ易いクリーナー式が採用できない台枠表面の清掃は錆粉除去に難航した。
加えてモハ100-185,サハ101-259(旧製品)用ウエイトでは湾曲が確認され作業効率低下に直結している。
モハ101-118,サハ101-263(旧製品)でもDT21非動力台車締結安定性改善や導電板整形等の付帯工程が付いて廻った。
全形式には対応出来ないがそろそろ廃車発生品との交換を考える時期に差し掛かっていると思う。


ツヌ125F,ツヌ104F。
※旧製品:前面窓支持色変更施工編成。


カノ1F。
※旧製品:第一次前面窓支持色変更試作編成。

今更ながらクモハ100-133(旧製品)の前面窓支持色変更施工に失敗していたと気付き修正を行った。
各所で多用しているガンダムマーカーだが前面窓セルからのインク剥離は容易ではなかった。
どうにか爪楊枝やプラスチックドライバーで除去へと持ち込んだものの新たに発生した擦過痕が相殺する結果となった。
ただ俯瞰では余り目立ち難い箇所のためか初出場時よりも前面見附は改善されたように思える。
前面窓支持色変更試作編成に属するカノ1F,ラシ105F(Mc148:旧製品)では慎重な作業を心掛けた。
ツヌ125F(Tc48:旧製品),ツヌ116Fとの狭間に出場したツヌ104Fでは何処か油断があったのかもしれない。




ツヌ104Fサイドビュー(クモハ101-159:車体振替施工車)。
※旧製品:クハ101-75改装車。


ツヌ116Fサイドビュー(クモハ101-154:車体振替施工車)。
※旧製品:クモハ101-155改装車。

車体振替を伴った入場だったがツヌ104Fの編成見附は殆ど変わっていない。
だがATS[B]標記からATS[BS]標記へと改められたクモハ101-159が復活する等収穫のある施工内容となった。
ATS標記については詳細を確認しないまま竣工させた車両が多く今後も類似の場面に出会す機会があると思う。
ツヌ104Fではたまたまクハ101-75(ツヌ118F)に救われ車体振替によるATS標記変更が実現した。
今後はATS標記印刷消去に迫られる確率が高まったがクモハ101-165での塗装被膜修正方式を参考とする。
ペイントリムーバー式での深追いはせず早目にユニクリーナー式へ切り替える方向である。

国鉄101系津田沼電車区116F [Mc154] 3+4-3第二次冷房改造車組込編成 (前面窓支持色変更,車体改修完了) ※旧製品

2020-02-05 23:43:24 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
整理。

車体改修を終えたKATO製国鉄101系ツヌ116F(Mc154:旧製品←ツヌ116F-1:T'c91)が再出場した。
今入場でサハ101-98(ツヌ116F-2:3+7編成)の離脱が決定しツヌ116F(Mc154:3+4-3編成)に一本化された。
旧ツヌ116F(Mc154)は2016年11月以降から11両体制が続いていたが約3年3箇月振りに10両体制へと復帰している。




国鉄101系ツヌ116F 第二次冷房改造車組込編成(1979/3)。
[ツヌ116F]:Mc154-M'168-T'c60+Tc49-M217-M'210-T'c91_T250-M213-M'c162。
※旧製品:前面窓支持色変更施工編成。
◆車体改修,クモハ101-154 車体振替,モハ100-210 動力ユニット整備。
◆ツヌ116F-2 廃止。

2014年6月に初出場したツヌ116F(T'c91→旧ツヌ116F-1)はプロトタイプを一癖ある編成に振った時期と重なる。
旧ツヌ107F(Tc83:10両貫通編成),旧ツヌ123F(Tc78:第二次冷房改造車組込編成)の後を受け変則編成が組成候補に挙がった。
当初旧ツヌ103F(Tc48:3-4+3編成)を出場させる予定だったが諸事情によりツヌ116Fが先発となった。
非冷房車編成の旧ツヌ103F(旧製品)に対しツヌ116Fにはクハ100-91(旧製品:第二次冷房改造車)が組み込まれる。
しかし最大の特徴であるクハ100-91(←クハ100-78:ツヌ118F)が仇となり今ひとつ拡張性を欠く編成になってしまった。


さよならツヌ116F-2(サハ101-98:元ツヌ116F-2)。
※旧製品:車体改修施工車。

自由度向上を名目として波動用のサハ101-104(旧ツヌ116F-2:T104)が2016年11月に投入される。
旧ツヌ116F(Mc154)は11両体制へと改められサハ101-104とクハ100-91を随時振替える3+7編成が登場した。
その後サハ101-104(再生産品→サハ101-88:旧ツヌ113F)に代わるサハ101-98(ツヌ116F-2:T98)が竣工し旧製品編成化を達成した。
これによりツヌ116F-2はツヌ118F(Mc155:旧製品)を彷彿とさせる編成見附に変更されイメージ編成ながら貴重な存在となった。
だが旧モハ100-256(元ラシ107F:Mc202)救済用にサハ101-98(旧製品)の引き当てが決定し廃止されている。


カノ1F。
※旧製品:第一次前面窓支持色変更試作編成。

元ツヌ124F(Tc74:弁天橋区仕様+旧製品)を皮切りとする旧製品運転台付先頭車両の更新はツヌ107F(Tc83)を以て終了した。
未更新のまま残った旧カノ1F(Mc178),旧ツヌ102F(Tc75),ツヌ116F-2(T98),旧ラシ106F(Tc191)は旧製品保持編成に指定される。
約2年7箇月に渡った更新で新金型車体編成の比率を高められた一方旧製品編成に対する違和感が増幅してしまった。
前面窓投影面積を拡大すれば旧製品運転台付車両でも見附改善が可能だと考え前面窓支持色変更に行き着く。
そして旧クハ101-64,旧クハ100-34(元ツヌ108F:Mc133)での試行を経てカノ1Fが第一次試作編成となった。


ツヌ102F,ツヌ104F (原形前面窓セル装着編成,前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品:LP411前照灯編成。

更にラシ105F(Mc148:旧製品)が第二次試作編成に抜擢され前面窓支持色変更試行はそれなりの手応えが得られた。
順次旧製品編成への展開が決定したものの対比要素を残す関係上ツヌ102F,ラシ106Fは施工対象から外れる。
ツヌ116F-2も相対する旧製品LP402前照灯編成が在籍しておらず措置保留となった。
この間ツヌ118F(Mc155:旧製品)の増備問題まで加わり暫定旧製品原形保持編成へと役割が変わる。
結局前面窓支持色変更施工編成は追って出場したツヌ104F(Mc159:旧製品+弁天橋区仕様),ツヌ125F(Tc48:旧製品)に限られた。


ツヌ118F,ツヌ116F (原形前面窓セル装着編成,前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品:LP402前照灯編成。

2019年11月にツヌ118F(Mc155:旧製品原形保持編成)が出場しツヌ116F-2もその使命を終えた。
ツヌ116F-2の廃止は組成準備を開始したカノ10F(Mc139)よりも十七代目ツヌ118F(Mc155→ツヌ118F)が深く関与している。
また前面窓支持色変更が先送りされてきたクモハ101-154,クモハ100-162(旧製品)もようやく施工に至った。
両車とも第一次車体改修を終えていたが車体破損が発覚したクモハ101-154の継続使用は断念される。
止むを得ずクモハ101-159(ツヌ104F:旧製品)をクモハ101-154へ改番異動させ穴埋めした。




クモハ101-154 [13C 三鷹]:車体振替,前面窓支持色変更施工車。
※旧製品。

車両振替も可能だったクモハ101-154だが全部品を流用する車体振替を選択した。
流用品には旧製品LOTホース付ジャンパ栓納めまで含まれており予備品の減少を防いでいる。
なおメーカー塗装黄色5号車両では元クモハ100-108(元ツヌ118F:Mc155)以来約4年5箇月振りとなる廃車が発生した。
その元クモハ100-108(旧製品)は廃車発生品を掻き集めたクモハ100-108(ツヌ122F:Mc155)として2018年9月に復籍している。
一方瑕疵を抱える元クモハ101-154の復帰は困難でありメーカー塗装車に於ける実質的な廃車第一号になってしまった。



腐食が始まっていたウエイト断面(サハ101-250)。

十七代目ツヌ118Fの回着整備に端を発した床板改修だがウエイト防錆対策には約40分を要する。
モハ100-168(2号車)からクハ100-91(7号車)までは部分補修の範囲に留まっており他工程まで手を廻す余裕があった。
しかし良好な車体状態とは裏腹にサハ101-250(8号車),モハ101-213(9号車)ではウエイト全区間が研磨対象となる。
車両異動を経ていないツヌ116Fで腐食進行度合いにこれほどの差が生じるとは思ってもいなかった。
皮肉にも最も手の掛からなかった車両は動力ユニット整備を行ったモハ100-210(6号車)であった。




ツヌ116Fサイドビュー(クモハ101-154:車体振替施工車)。
※旧製品。


ツヌ103Fサイドビュー(クハ101-48:車両更新車)。
※弁天橋区仕様。

床板更新が伴ったクハ100-60(3号車),クハ101-49(4号車),クハ100-91では再生産品LOT床板の遣り繰りに腐心している。
再生産品LOT床板装着車捻出はツヌ103F(弁天橋区仕様+旧製品),ツヌ107F,ツヌ123F(弁天橋区仕様+旧製品)と3編成にまで及ぶ。
運転台付中間組込車のライトスイッチ部品安定性向上を狙った工程だったが作業全体を遅らせる要因と化してしまった。
その他モハ101-217(5号車)でも亀裂が走る1エンド側台枠ビス締結部の補修に迫られる等誤算続きだった。
苦戦に苛まれながらもツヌ116Fは念願の前面窓支持色変更施工編成へと改められた。
途中から急変したウエイト状況には面食らったが今後の改修入場で戸惑う事態は避けられると思う。

国鉄101系津田沼電車区105F [Mc154] 3+4+3編成 (屋根板色温度統一完了) ※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様

2020-01-02 23:58:15 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
外圧。

KATO製国鉄101系ツヌ105F(Mc154)は2019年1月に出場した再生産品車両+旧製品車両+弁天橋区仕様車混結編成である。
在籍する101系中野区,津田沼~習志野区仕様に於ける異LOT混結編成は決して珍しくない。
だが3LOTを跨ぐ編成は車体更新を経たJR101系ラシ107F(Mc202:再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)のみに限られていた。


国鉄101系ツヌ105F (1983/4)。
[ツヌ105F]:Mc154-M'168-T'c54+Tc57-T290-M231-M'c170+Mc148-M'170-T'c34。
※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様。
◆クモハ100-170 動力ユニット整備,クモハ100-170+モハ101-231,クハ101-57,サハ101-290 屋根板交換。

十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品),十四代目ツヌ118F(旧製品←旧ツヌ118F:Mc155)は専ら車体更新用種車に起用された。
但し何れも全車転用を果たせず再生産品車両,旧製品車両双方で措置未定の保留車が発生した。
この時点で保留車となった運転台付車両は4両に達しており3+4+3編成での復帰が画策される。
検討した結果ツヌ105Fをプロトタイプに定め所要形式が合致する二代目弁天橋区仕様(Mc170)の新製投入に至った。
ラシ107Fはクハ100-34(弁天橋区仕様)の車体更新を先行したためたまたま弁天橋区仕様車組込編成になっただけである。
対照的にツヌ105Fは当初から3LOT混結を前提として組成が開始された編成であった。


クハ101-57(再生産品LOT屋根板交換施工車)。
※旧製品。

ツヌ105FのLOT構成は新金型車両が優先され十三代目ツヌ118F千葉方3両編成,二代目弁天橋区仕様:中野方3両編成に決定する。
狭幅Hゴム支持車が残る再生産品車両は入場までに広幅Hゴム支持再現窓セルへの交換を済ませていた。
そのためツヌ105Fは初出場時から全車広幅Hゴム支持車で揃う整った側面見附を有している。
一方クモハ100-170+モハ101-231,クハ101-57,サハ101-290(旧製品)は旧製品LOT屋根板のまま竣工させた。
3+4+3編成の特徴が屋根板色温度に差がある現状でも不満を感じさせなかった。
ところがAssy車体組立車であるクモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)の暫定竣工を機に屋根上見附統一へと大きく傾いた。




クハ100-54+クハ101-57 (再生産品LOT屋根板装着車+再生産品LOT屋根板装着車)。
※再生産品+旧製品。

旧モハ100-245(元ツヌ108F:Mc133)がユニット相手に内定したクモハ101-170(Mc170)は旧製品LOT屋根板交換を求められる。
しかし旧製品LOTクモハ101形用屋根板が用意できずクハ101-57との相互交換への至った。
これによりツヌ105Fは車体LOTと屋根板LOTの分界点が揃わなくなる事態に陥っている。
運悪くクハ100-54(3号車)は再生産品車両であり塗装仕上げの異なるクハ101-57(4号車)が浮いて見えるようになった。
思わぬ展開で生じた違和感の解消策は旧製品車両を再生産品LOT屋根板に改める方向に決定する。
先ずモハ101-231,サハ101-290には廃車発生品を廻し再生産品LOT屋根板装着車へと変更した。




クモハ100-170+クモハ101-148 (101系0番代2ndLOT屋根板装着車+弁天橋区仕様用屋根板装着車)。
※旧製品+弁天橋区仕様。

またモハ101-231,サハ101-290では第二次改修項目であるウエイト防錆対策が施された。
回着年次が異なる両車だったが寄る年波には勝てずウエイト断面の錆取り作業を伴っている。
恐らくウエイト腐食は旧製品車両全体へ及んでいると思われ出場順に拘らず対策を進める。
次にクモハ100-170を入場させたがここでも再生産品LOT屋根板不足に直面した。
これにはクモハ100-192(ラシ101F:Mc201)を嚆矢とするクモハ100形編入車も関与している。
現在クモハ100形編入車はクモハ100-191(ツヌ109F:Mc202),クハ100-86(Mc170)を加えた3両まで増加した。


初改修となったクモハ100形用動力ユニット(クモハ100-170)。

かなり以前から保管品のクモハ100形用屋根板は余裕が無く既に再生産品LOT品は姿を消していた。
止むを得ず代打にはクモハ100-81(トタムコ3F:Mc78)が装着していた101系0番代2ndLOT屋根板を起用している。
色温度差は殆ど無くモハ101-231(6号車),クモハ101-148(8号車)と同等の屋根上見附に達したと思う。
クモハ100-170用種車は第二次動力ユニット搭載試作車であるクモハ100-144(旧ツヌ113F:Tc74)だった。
動力ユニット本体は旧モハ100-234(旧ツヌ115F:Mc144)からの転用品で経年が高く性能復元を名目とする改修を行った。
際立った症状は抱えていなかったが異様に高い起動電流が引っ掛かりモーターの分解に手を伸ばしている。


ツヌ105Fサイドビュー(クモハ101-154:旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。


ツヌ106Fサイドビュー(クモハ101-160:再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

しかし外殻の分離が精一杯で未達に終わった上に返って症状を悪化させてしまった。
だが幸い偶然が味方しモーター用マグネットの位置調整にて症状改善まで漕ぎ着けられている。
再出場したツヌ105Fだが千葉方3両編成(再生産品),中野方3両編成(弁天橋区仕様)は敢えて入場させていない。
今後クハ100-54用LP411前照灯を塗装変更品に交換する予定があり一旦作業を打ち切った。
旧モハ100-256(旧ラシ107F)の救済策がツヌ105Fまで及ぶとは思わなかった。
それでもHゴム支持再現と屋根板色温度が整えられた現状には納得している。

国鉄101系津田沼電車区108F [Mc133] 7+3編成 (車両更新完了:旧製品車両廃止) ※再生産品

2019-12-28 23:40:18 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
緩和。

KATO製国鉄101系ツヌ108F(Mc133)が再生産品編成へ格上げされ再出場した。
種車となった十二代目ツヌ118F(Mc155)はツヌ118F(Mc155:再生産品)とツヌ118F(Tc75:旧製品)を組み合わせた。
ユニット間のLOT調整は十二代目ツヌ118F内で行われておりツヌ118F(Tc75:再生産品)での車両更新を可能にしている。




国鉄101系ツヌ108F (1985/4)。
[ツヌ108F]:Mc133-M'107-T262-T249-M251-M'245-T'c34+Tc64-M193-M'c154。
※再生産品。
◆クモハ101-133,クモハ100-154 台枠振替,モハ101-251+モハ100-245,クハ101-64,クハ100-34 車両更新。

国鉄101系津田沼区所属車は1985年4月現在で10編成が運用に就いていた。
1983年4月現在よりも雑多化が進み形式構成は全てがばらばらだった。
その中でツヌ108Fは車両異動の都度7+3編成→6+4編成→7+3編成への組み替えを経ている。
1984年10月の車両異動時に先頭に立った車両がクモハ101-133,クモハ100-154である。
この時からツヌ108Fは両先頭車両がLP411前照灯化改造車で揃えられた。
◆ツヌ108F:Mc118-M'102-T243-T262-T264-M161-M'c165+Mc145-M'122-T'c50(1983/4)
◆ツヌ108F:Mc133-M'107-T262-M251-M'245-T'c52+Tc64-T247-M193-M'c154(1984/10)。
◆ツヌ108F:Mc133-M'107-T262-T249-M251-M'245-T'c34+Tc64-M193-M'c154(1984/12)。
編成表では1985年4月までツヌ108F(Mc133)の組成が維持されておりこのまま4+6編成化に進んだと思われる。
なおLP411前照灯化はクモハ101-133:1982年6月,クモハ100-154:1983年9月付で施工されている。
ちなみにクモハ101-133:予備車,クモハ100-154:中間組込車(ツヌ103F:Tc81)からの異動だった。
1983年4月現在でも多数のLP402前照灯車が先頭車両に充てられていた。
JR移行後もラシ101F(Mc201),ラシ107F(Mc202)の2本がLP402前照灯編成に仕立てられる。
またラシ106F(Mc191)ではクモハ101-191だけがLP402前照灯車のまま生き残った。
LP411前照灯車を重用しない姿勢は津田沼~習志野区101系の特徴だったように思える。


モハ101-193(床板更新施工車)。
※再生産品。

クモハ101-133(再生産品)が竣工した後にモハ100-107(ツヌ108F再生産品)を再生産品LOT床板装着車へと改めた。
十二代目ツヌ118Fは第一次整備の際モハ100-158(旧製品)とモハ100-208(再生産品)で床板相互交換を実施している。
これにより動力ユニット搭載車だったモハ100-208(→モハ100-107)には旧製品LOTモハ100形用床板が廻ってきた。
新旧LOT混結ユニット出現を防ぐ名目だったが再生産品車両と旧製品車両ではDT21非動力台車に質感差がある。
そこで車両更新時に非動力車化された旧モハ100-245(元ツヌ108F:旧製品←モハ100-158:ツヌ118F)と床板を振り替えた。
但しモハ101-251,クハ101-64,クハ100-34(ツヌ108F:再生産品)と足並みを揃え黒染車輪は流用とした。


サハ101-249(ウエイト事前防錆対策施工車)。
※再生産品。

ツヌ108Fでの最終入場車はサハ101-249(再生産品)でウエイト断面への事前防錆対策が施された。
先日改修を終えたクモハ100-131(ツヌ133F:Mc118)は事実上の事前防錆対策施工試作車であった。
マッキーでの塗り潰しはその実効性が確認され再生産品車両も老朽化対策の先行措置が確定する。
しかしサハ101-249は今回の車両更新に一切絡まなかったため別途施工機会を設けた。
編成から離脱した旧製品車両は全車が旧モハ100-256(元ラシ107F:Mc202)救済用保留車に廻る。
何れも入場時に車体改修を済ませており新編成はツヌ125F(Tc48:旧製品)よりも早い整備が期待できると思う。


クハ100-86(Mc170:クモハ100形編入準備施工車)。
※弁天橋区仕様。

旧モハ100-256救済編成の先頭車両にはクモハ101-170,クハ100-86Assy車体組立車(弁天橋区仕様)を起用する予定だった。
全貌が掴めない関係から8両が出揃った時点でプロトタイプ選定に移るつもりでいた。
たが途中で中野区仕様が候補に急浮上し中野方先頭車両はクモハ100形となる確率が高まった。
そこでクモハ100-154での床板振替に乗じて元クハ100-86(Mc170:クモハ100形編入準備車)を仕立てている。
廃車発生品を再用して側面見附は旧製品クモハ100形同等に達したがまだ流動的要素が含まれる。
よって標記類は消去せず[07 鶴見線]表示,LP411前照灯仕様のまま暫定竣工させた。


再生産品LOTだったモハ100-245用動力ユニット。

老朽化対策は十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)の整備結果を反映したものである。
KATO製101系第二次改修としてウエイト防錆対策と動力ユニットの性能復元を正式工程に追加した。
旧製品LOT動力ユニット搭載車だと思い込んでいた旧モハ100-245(元ツヌ108F:旧製品)も当然の如く整備対象に上がった。
初登場の乳白色成形モーター支持部品に戸惑いながらも加速度改善を果たしモハ100-245(再生産品)へ移設している。
ところが回着時のLOT調整が抜け落ちており施工後に再生産品LOT動力ユニットだったと気付いた。
結局LOTは性能低下に関係していないと判明し以後入場順での改修へ変更となった。


クモハ101-133 [27C 中野]:現行LOTライト基板更新車。
※再生産品。


クモハ100-154 [27C 中野]:旧製品LOT床板振替施工車。
※再生産品。

クモハ101-133とクモハ100-154では回着整備の違いにより施工内容が異なるものとなった。
先頭車両での旧製品LOT床板振替は最早定番化しておりクモハ100-154もその対象に挙がっている。
旧製品LOT床板はクモハ100-149(ツヌ123F:旧製品)から捻出し旧製品運転台付中間組込車の床板更新を半歩進めた。
既にクモハ101-185(ツヌ123F:旧製品)は更新済でツヌ123F(Tc78:弁天橋区仕様+旧製品)のライトスイッチ部品問題も解決した。
一方通電系統の不具合が引き金となり竣工以来クモハ101-133には2ndLOTライト基板が取り付けられていた。
ようやく現行LOTライト基板更新を果たしクモハ101-133とクモハ100-154の仕様は統一された。


クモハ101-133+モハ100-107 (狭幅Hゴム支持車+狭幅Hゴム支持車)。
※再生産品。


モハ101-193+クモハ100-154 (狭幅Hゴム支持車+狭幅Hゴム支持車)。
※再生産品。

一足先に車両更新を終えたツヌ113F(Tc74)ではクハ101-74,クハ100-85の狭幅Hゴム支持車化が放棄された。
再生産品LOT運転台付車用狭幅Hゴム支持再現窓セルは調達が難しくツヌ108Fも編成見附統一を諦めていた。
一方保管品には再用条件が限られる再生産品LOT運転台付車用側面窓セルが眠り続けていた。
試験的にHゴム支持幅が揃わない側面窓セルをへ取り付けたところ許容範囲内で収まってくれた。
この結果を踏まえクモハ101-133には再生産品LOT幅Hゴム支持再現窓セルを再用している。
共に旧製品LOT側面窓セルよりもHゴム支持幅が狭くなり広義の狭幅Hゴム支持車として納得させた。


カノ18F,ツヌ108F。
※再生産品。

一応編成見附を整えられたツヌ108Fであるが[27C 中野]表示は変更しなかった。
整備記録にはクモハ101-133,クモハ100-154とも表示器部品の挿入に苦戦した経緯が残る。
西行への変更計画があるカノ18F(Mc191)と釣り合いを取るにはツヌ108Fが相応しかった。
しかし行先方向幕部品の交換は再出場を遅らせる要因になりかねず中止された。
LP411前照灯はツヌ108F:101系メイクアップパーツ1(11-510),カノ18F:弁天橋区仕様で若干色温度が異なる。
101系メイクアップパーツ1(11-510)は車体との色温度差が少ないためツヌ108Fの美点になっていると思う。


ツヌ108Fサイドビュー(クモハ101-133:再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル復旧施工車)。
※再生産品。


ツヌ106Fサイドビュー(クモハ101-160:再生産品LOT広幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル交換施工車)。
※再生産品。


ツヌ113Fサイドビュー(クハ101-74:再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。


カノ18Fサイドビュー(クモハ101-191:再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

KATO製101系中野区,津田沼~習志野区仕様ではツヌ108Fが6本目の再生産品編成となった。
側面見附統一の方向は二転三転したものの更新を機に狭幅Hゴム支持編成化へと回帰している。
いんちき狭幅Hゴム支持車を2両含むツヌ108Fであるが初出場時を上回る編成見附に達したと思う。
結局ツヌ115F(Mc144:再生産品),ツヌ108Fよりも先に更新されたツヌ113Fは両編成の後塵を拝する結果となった。
クハ101-74,クハ100-85を両先頭車両とする組成が側面見附への拘りを弱くさせた上に不利な条件も重なった。
ただ広幅Hゴム支持編成に改められたツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)との比較では窓周りの印象が異なる。
再生産品LOT側面窓セルでの統一までは辿り着いておりツヌ108Fの再出場に合わせ狭幅Hゴム支持編成扱いに変更している。

国鉄101系津田沼電車区133F [Mc118] 3+7池袋区借入車組込編成 ([北イケ]電略標記再現統一) ※弁天橋区仕様+旧製品

2019-12-14 23:55:52 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
片肺。

床板点検と動力ユニット整備を終えたKATO製国鉄101系ツヌ133F(Mc118:弁天橋区仕様+旧製品)が再出場した。
前回の本格入場は旧クモハ101-118(旧製品)が車体更新を受けた2016年1月中旬である。
その後は2016年1月下旬:クモハ100-131(旧製品),2018年6月:モハ100-102(旧製品)が単独入場したのみに限られた。




国鉄101系ツヌ133F 池袋区借入車組込編成(1972/4)。
[ツヌ133F]:Mc118-M'102-T'c52+Tc61-M169-M'163-T94-T271-M117-M'c131。
※弁天橋区仕様+旧製品:イメージ編成(1972/4/3:編成番号不明)。
◆クモハ101-118 行先表示用紙交換,モハ100-163 動力ユニット整備。

1972年3月28日に船橋駅構内で西行列車の追突事故が発生した。
資料には711C列車が613C列車へ追突したと記載されており共に津田沼区所属編成だったと思われる。
2編成が使用不能に陥り少なくとも15両を他区から借り入れ臨時編成で凌いだ模様である。
臨時編成は日々組成変更が行われたが記録が少なく詳細を掴むには至っていない。
ただ1972年6月23日現在のツヌ131F(Mc70)は青22号混色編成であり臨時組成だったと判明している。
前日の6月22日に仕立てられた青22号混色編成は組成こそ異なるがクモハ100-143が組み込まれていた。
1970年5月現在まで遡るがこの編成表に従うとクモハ100-143はツヌ131F(Tc37)の7号車であった。
大規模な組成変更が行われていなければ[131]は専ら臨時編成用の編成番号になっていたと思われる。
◆ツヌ131F:Tc37-M173-M'167-T255-T256-M165-M'c143+Mc148-M'170-T'c35(1970/5)。
◆ツヌ131F:Mc70-M'68-T'216-T'25-M64-M'68+TXXX-TXXX-M165-M'c143(1972/6/22)。
◆ツヌ131F:Mc70-M'68-T'216-T'25-M247-M'241-T239-T25-M64-M'c68(1972/6/23)。
もう1編成の臨時編成も編成番号札を掲げていたが表示が判読出来なかった。
池袋区借入車を組み合わせた臨時編成は1972年4月3日現在の組成しか資料がない。
津田沼区所属車のクハ101-61,クハ100-52が突破口になるかと思われたがツヌ131F()Tc37との関連性は無かった。
またモハ101-247+モハ100-241,サハ101-239(ツヌ131F)は元編成が揃っておらず余計に特定を難しくさせた。
よってどの編成番号が充てられたかを突き止めるにはまだまだ時間が掛かると思う。
◆ツヌ102F:Tc83-M247-M'241-T88-T'88-M249-M'c182+Mc186-M'240-T'c91(1970/5)。
◆ツヌ117F:Tc61-M206-M'199-T128-T'233-M211-M'c161+Mc165-M'200-T'c58(1972/5)。
◆ツヌ121F:Tc54-M199-M'193-T232-T'241-M193-M'c154+Mc160-M'204-T'c52(1970/5)。
◆ツヌ123F:Tc50-M195-M'189-T239-T'243-M183-M'c152+Mc157-M'174-T'c48(1970/5)。


旧ツヌ133F。
※旧製品。

2014年7月出場の旧ツヌ131F(Mc70元ツヌ131F-1:M'c143,ツヌ131F-2:T25)は相応しい離合編成が在籍していなかった。
プロトタイプが1972年6月と古く青22号混色編成と言う特殊性がありながらその存在を活かし切れずにいた。
その打開策として2015年1月付で八代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を改装した旧ツヌ133Fが出場する。
但しツヌ133Fは池袋区借入車組込編成であり混色編成にはならず津田沼区所属編成との差別化に腐心した。
個性を引き出すため乗務員室内に自作[千葉⇔中野]行先表示用紙ステッカーを掲示させた。
更にグリーンマックス製電略標記インレタ(68-1)を用い当該車8両を[千ツヌ]電略標記から[北イケ]電略標記へと改めている。




[[北イケ 定員144]]:サハ101-94。

しかし経年の高かったグリーンマックス製インレタは転写崩壊に見舞われ2両分が足りなくなってしまった。
止むを得ずサハ101-94,サハ101-271には同一管理局管内の[北マト]電略標記を代用し誤魔化している。
その後サハ100-68,サハ100-227(ツヌ110F:Mc195)よりボナファイデプロダクト製電略標記インレタを使用開始した。
ただツヌ133F以外に池袋区所属車が在籍しておらず[北イケ]電略電略インレタを投入する予定は無かった。
ところがツヌ131F(Mc70←ツヌ131F-2)用での誤選択が基で偶発的に黒文字[北イケ]電略標記インレタが手に入った。
この失策はツヌ133Fでの[北イケ]電略標記再転写へと繋がりサハ101-94,サハ101-271からも[北マト]電略標記が消滅した。


クモハ101-118 [03C [千葉⇔中野] ]:乗務員室内行先表示用紙掲示車。
※弁天橋区仕様:現行LOTライト基板更新車。


クモハ100-131 [03C [千葉⇔中野] ]:乗務員室内行先表示用紙掲示車。
※旧製品:現行LOTライト基板更新車。

クモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)で車体更新を行ったクモハ101-118は長らく電略標記が空欄になっていた。
[北マト]標記と共にツヌ133Fの弱点であったがようやく[北イケ 定員136]標記が復活した。
乗務員室内[千葉⇔中野]行先表示用紙は車体更新時に再現が容易いセロハンテープ固定式へ改めた。
だが経年で粘着面が劣化してしまい前面窓内側に貼り付かなくなっていた。
今入場で再度ステッカー式へ戻したが掲示位置はセロハンテープ固定式時代のまま踏襲される。
よって車体更新が見送られたクモハ100-131(旧製品)との金型差異を吸収する錯覚手法は承継となった。


ウエイト事前防錆対策試作車だったクモハ100-131。

そのクモハ100-131は今入場で唯一大規模車体改修を施したが想定外のウエイト事前防錆対策試作車であった。
これまでの車体改修は劣化した側面窓セル窓サッシ印刷補修を主軸に据えていた。
しかし十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)にて腐食したウエイトと不動の動力ユニットを引き当ててしまった。
ウエイトの錆が進行すると廃車発生品では遣り繰り出来なくなるため床板点検を改修項目に含めた。
前回入場から期間が開いたがクモハ100-131は勿論モハ100-102,クハ101-61,クハ100-52(旧製品)もほぼ無瑕だった。
不名誉なウエイト腐食発覚第一陣となったモハ100-117,モハ100-169(旧製品)は軽度の防錆対策を経て竣工している。


クハ101-61(再生産品LOT床板更新車)。
※旧製品。

サハ101-94,サハ101-271(旧製品)も同様であり第一次改修と第二次改修を並行した車両は現れずに整備を終えている。
在籍編成で順次展開している運転台付中間組込車の再生産品LOT床板更新も同時施工とした。
何故か旧製品LOT床板向けライトスイッチ部品安定化対策がクハ101-61,クハ100-52には通用しなかった。
再生産品LOT床板更新は急務だったがクハ101形,クハ100形用床板(保管品)は絶対数が不足気味だった。
何とかクハ101-75(ツヌ118Fクハ101-75:旧製品),元クハ100-34(廃車:元ラシ107F)との振替えで急場を凌いでいる。
なおライトスイッチ機能が殺されていたクハ101-75用床板には別途ライトスイッチ部品(Z04-5547)を取り付け復旧させた。


部品状態は悪くなかったモハ100-163。

動力ユニット整備は不動車両だったモハ100-208(ツヌ118F→モハ100-208:ツヌ118F)を契機に必須工程へ格上げとなる。
性能復元を果たしたモハ100-206(ラシ107F:Mc191)の事例もありモーター軸受部への注油も決定した。
モハ100-163(旧製品)が搭載する動力ユニットは轟音を発していたものの駆動には差し支えないと考えていた。
奇しくも異音の大元はモーターにあったと判明し工程変更が的中している。
更には側板湾曲と2-4位側屋根板車体中央部の嵌合爪破損まで発覚しており各々修繕を施した。
恐らく車体は共振していたと思われ今後異音が再発する事態には至らないと思う。


ツヌ125F,ツヌ133F (前面窓支持色変更施工車,製品原形前面窓セル装着車)。
※旧製品。


ツヌ131F。
※塗装変更車+再生産品。

クモハ101-118だけが弁天橋区仕様となる変則構成に変更は無く編成前後の前面見附が異なる特例編成のまま存置された。
この点は車体更新が難しいツヌ131F,カノ13F(Mc59:内嵌式尾灯車編成)も同様であり全く気にしていない。
他に行先表示用紙掲示編成は存在せず新金型車体と旧金型車体の対比には適していると思う。
また定番化した旧製品先頭車両への前面窓支持色変更も見送りとなった。
そのためクモハ100-131は旧製品車両では珍しく前面窓明灰色Hゴム支持再現が生き残っている。
プロトタイプの近いツヌ125F(Tc48:旧製品)を前面窓支持色変更施工編成に仕立てており現状維持とする予定である。




ツヌ133Fサイドビュー(クモハ101-118:[北イケ]電略標記インレタ再現車)。
※弁天橋区仕様:車体更新車。


ツヌ125Fサイドビュー(クハ101-48:[千ツヌ]電略標記印刷再現車)。
※旧製品。


ツヌ131Fサイドビュー(クモハ101-70:電略標記未再現車)。
※塗装変更車。

側面見附の変更点はボナファイデプロダクト製[北イケ]電略標記インレタ再現化のみに等しい。
しかしグリーンマックス製インレタは崩壊が進み判読出来ない車両ばかりになっていた。
車体更新時に電略標記そのものが失われたクモハ101-118にも物足りなさを強く抱き続けてきた。
[北イケ]電略標記こそがツヌ133Fの特徴と言え改善を図れた収穫は大きかったと思う。
皮肉にもインレタ選択を誤ったツヌ131Fは未だに[北ウラ]電略標記が再現されていない。
ツヌ133Fに先を越されたが出来るだけ早く改修再開へと漕ぎ着けたいところである。

国鉄101系津田沼電車区101F [Mc148] 3+4+3編成 (行先表示類変更,モハ100-103 動力ユニット整備) ※弁天橋区仕様+旧製品

2019-11-13 21:40:17 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
狭間。

各種整備を終えたKATO製国鉄101系ツヌ101F-2(Mc148:弁天橋区仕様+旧製品)が再出場した。
これでツヌ101F(T'c30)はツヌ101F-1(Mc193)を併せた全12両が装いを新たにしている。
全車とも側面窓セル窓サッシ印刷に劣化は無く車体改修を並行せずに竣工となった。




国鉄101系ツヌ101F (1984/X,1985/4)。
[ツヌ101F-1]:Mc193-M'808(-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53)。
[ツヌ101F-2]:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53。
※弁天橋区仕様+旧製品。
◆行先表示類変更,クモハ101-148 車体傾斜修正,モハ100-103 動力ユニット整備。

1985年4月現在の国鉄101系津田沼区には3+4+3編成が2本(ツヌ101F:Mc148,ツヌ105F:Mc118)存在していた。
約1年が経過した1986年4月現在では10編成中9本が4+6編成に組み替えられ残る1編成も3+4-3編成に変更されている。
組成形式統一の遅かった津田沼区ではツヌ101F,ツヌ105Fが最後の3+4+3編成を飾ったと思われる。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T'c61+Tc85-T255-M236-M'c174+Mc138-M'112-T'c54(1984/12)。
ツヌ101F,ツヌ105Fを組成していた20両のうち11両がJRへ承継された長寿車であった。
クハ100-35は1986年10付で廃車されたがクハ103-2002への編入改造を受け奈良区に配属となる。
残る10両も習志野区に在籍したまま5編成へ分散配置された。
習志野区101系の各編成は原則4+6編成への再編が起点になっている。
1985年4月当時はより車齢の若い車両も在籍していたがこの組成変更が分かれ道だったと思う。
◆ラシ102F:Mc173-M'218-T295-T'c50+Tc79-M198-M'192-T252-M193-M'c154(1987/4)。
◆ラシ103F:Mc133-M'107-T256-T'c64+Tc80-M209-M'203-T291-M236-M'c174(1987/4)。
◆ラシ104F:Mc136-M'111-T245-T'c30+Tc81-M230-M'224-T105-M237-M'c175(1987/4)。
◆ラシ105F:Mc148-M'170-T255-T'c54+Tc73-M251-M'245-T246-M208-M’c160(1987/4)。
◆ラシ106F:Mc191-M'248-T249-T'c61+Tc69-M212-M'206-T284-M232-M'c171(1987/4)。
◆ラシ107F:Mc202-M'256-T247-T'c34+Tc85-M253-M'247-T290-M262-M'c191(1987/4)。
ちなみにツヌ101F(Mc148)では先頭車両と中間組込車を行き来したクモハ101-148の動向が目に止まった。
1978年3月までは中間組込車が主な役割で1979年3月頃にようやく先頭へ立つ。
ところが1983年4月現在では中間組込車に戻り1984年12月以降から再び先頭車両を受け持った。
以後は習志野区101系が引退する1988年11月30日まで風を切る姿が見られた。
編成異動が繰り返された津田沼区101系でもクモハ101-148ほど出入りの激しい車両は珍しい存在だったかもしれない。
◆ツヌ131F:Tc37-M173-M'167-T255-T256-M165-M'c143+Mc148-M'170-T'c35(1970/5)。
◆ツヌ103F:Tc48-M190-M'183-T268-T72-M171-M'c147+Mc148-M'170-T'c34(1978/3)。
◆ツヌ127F:Mc148-M'170-T'c83+Tc83-M233-M'226-T128-T'242-M208-M'c160(1979/3)。
◆ツヌ105F:Mc154-M'168-T'c54+Tc57-T290-M231-M'c170+Mc148-M'170-T'c34(1983/4)。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T255_Tc78-T290-M239-M'c165+Mc148-M'170-T'c54(1984/10)。
◆ツヌ101F:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53(1984/12)。
◆ツヌ106F:Mc148-M'170-T241-T'c54+Tc83-M212-M'206-T84-M222-M'c166(1986/4)。


旧ツヌ123F。
※旧製品。


旧ツヌ124F。
※旧製品。

2015年12月に出場したツヌ101F(Mc148)はKATO製101系で運転台付中間組込車が4両組み込まれる初の編成だった。
変則組成はツヌ116F(Mc154:3+4-3編成),ツヌ103F(Tc48:3-4+3編成)が先発したが何れもツヌ118F(Mc155:旧製品)を投入した。
しかしこの増備方法では必ずサハ101-108若しくはサハ101-233(ツヌ118F)が保留車に廻る弱点を有していた。
そのためクモハ100-68(塗装変更車)を含む旧ツヌ131F(M'c143:6-4編成)の出場以降より運転台付中間組込車は偶数に限定される。
編成単位での導入を打ち破った切っ掛けは新金型車体でリリースされた初代弁天橋区仕様(Mc170ラシ101F:Mc201)であった。
クモハ101-170,クハ100-86Assy車体(弁天橋区仕様)を活用し元ツヌ124F(Tc74),ツヌ123F(Tc78)の順で車体更新が行われる。
捻出された元クハ101-74,元クハ100-43(元ツヌ124F),元クハ101-78,旧クハ100-89(元ツヌ123F)がツヌ101Fの礎となった。


クモハ101-109(クモハ101形編入車)。
※旧製品。

ツヌ101Fの組成都合により元クハ101-74,元クハ101-78は各々クモハ101-109,クモハ101-131(旧製品)へ形式変更される。
先頭に立つクモハ101-148,クハ100-53には車両更新予備車だったクモハ101-170,クハ100-86(Mc170)を転用した。
所要となるモハ100形は別途モハ100-232Assy車体(弁天橋区仕様)を調達し手持ちの部品類が組み合わされた。
唯一手配出来なかったサハ101-295だけはサハ101-233(ツヌ118F:旧製品)を導入し出場に結び付けた。
編成見附にも拘り全車弁天橋区仕様相当屋根板で揃え弁天橋区仕様出自車も[千ツヌ]電略標記へと改めている。
当初弁天橋区仕様車原形だったモハ100-103,モハ100-117は後年旧製品LOT側面窓セル交換を行いユニット間の見附を揃えた。


[[千ツヌ 定員144]]:モハ100-170。

[千ツヌ]電略標記にはレボリューションファクトリー製及びグリーンマックス製インレタを使用した。
だがグリーンマックス製インレタ(68-1)を用いたモハ100-103,モハ100-117,モハ100-170(弁天橋区仕様)は標記崩壊が著しかった。
そのため現在標準仕様化したボナファイデプロダクト製[千ツヌ 定員144]標記インレタを再転写している。
またレボリューションファクトリー製[千ツヌ 定員144]標記を代用したクモハ101-148も[千ツヌ 定員136]標記に改めた。
その他クモハ101-131,クハ100-30,サハ101-295(旧製品)では乱れていた2-4位側の車両番号標記修正した。
なおクハ100-53(弁天橋区仕様)はツヌ101F-1の行先変更と連動して暫定出場させた関係で入場車には含まれていない。


事前防錆対策を施したウエイト(サハ101-295)。

十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)の整備後から旧製品車両に組み込まれているウエイト腐食が気になり始めた。
さっそくウエイト点検を工程に組み入れクモハ101-193+モハ100-808(ツヌ101F-1)には事前防錆対策が行われる。
旧製品車両ではクハ100-53と床板を振り替えたクハ100-35が初点検車となった。
幸いウエイトに錆は発生しておらずマッキーで断面を塗り潰した上でクハ100-53へ移設している。
サハ101-295はツヌ101F(T'c30)で最も経年の高い床板を履いているはずでその状態が不安に思えた。
だが心配は杞憂に終わり事前防錆対策を行ったのみで全ての措置が完了している。


モハ100-103(動力ユニット搭載車)。
※弁天橋区仕様。

モハ100-103用動力ユニットは旧モハ100-808(旧ムコ3F-2:Mc193→モハ100-806:ムコ3F-2)からの転用品である。
初竣工当初から稼働時の癖が強く現れていたが単なる個体差だと思い続けてきた。
今回の整備で起動加速度が低かった主因はモーター本体にあったと判明している。
モーター軸受部への注油後も回転速度が上がらず高速度試験を繰り返して性能復元まで漕ぎ着けた。
この点は不動品を再生させたモハ100-208(ツヌ118F←モハ100-208:ツヌ118F)用動力ユニットのモーターよりも厄介であった。
ようやくKATO製101系の動力ユニット整備施工車は4両に達し各々で異なる症状の改善対策を会得できたと思う。


クモハ101-148 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区仕様前面窓セル,再生産品LOT相当床板装着車。
※弁天橋区仕様。


クハ100-53 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区前面窓セル,旧製品LOT床板装着車。
※弁天橋区仕様。

クハ100-30以下8両はツヌ101F-1との共用車でありクモハ101-148(ツヌ101F-2)も[53C 武蔵小金井]表示へ変更となった。
[53C]幕,[武蔵小金井]幕双方とも嵌合が固ったが上辺に張り出しを抱えていた[13C]幕よりも見附は改善されたと思う。
編成内で床板振替が行えたクハ100-53に対しクモハ101-148は相当する供出車を引き当てられなかった。
元クモハ101-202(廃車:元ラシ107F)との相互交換は検討段階で中止となり再生産品LOT相当床板を流用した。
また弁天橋区仕様用前面窓セルも存置されLP411前照灯以外はクモハ101-170時代の面影を強く残している。
但し運転台付中間組込車では再生産品LOT床板更新が進行中のため折を見て旧製品LOT床板に振り替える予定である。


カノ18F,ツヌ101F-2。
※再生産品,弁天橋区仕様。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

弁天橋区仕様車での車体更新はクモハ101-118(ツヌ133F:Mc118←クモハ101-170:Mc170)を最後に打ち切られた。
これは2016年1月にツヌ118F(再生産品)のリリースが告知されたためで在籍車は5両に限られる。
ツヌ123F,元ツヌ124F,ツヌ133FはLP402前照灯編成でありツヌ101FだけがLP411前照灯編成となった。
2016年7月には元ツヌ124Fを旧ツヌ103F(Tc48→ツヌ103F:弁天橋区仕様+旧製品)へ再編したがプロトタイプ変更は経ていない。
ツヌ118F(再生産品)と弁天橋区仕様の隙間を縫って出場したツヌ101Fは何時の間にか貴重な存在になっていた。
LP411前照灯増強に適するAssy車体を含む弁天橋区仕様だがクモハ100形が存在せず10両編成化には形式構成の縛りが生じる。
よって弁天橋区仕様車を積極導入する理由に欠けており独自の前面見附は当面ツヌ101F-2だけの状況が続くと思われる。




ツヌ101F-2サイドビュー(クモハ101-148:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。
※弁天橋区仕様。


カノ18Fサイドビュー(クモハ101-191:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※再生産品。


ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。


ツヌ109Fサイドビュー(クモハ101-202:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。

KATO製101系に於ける電略標記変更は古くから開始され2015年1月出場の旧ツヌ133F(旧製品)が嚆矢となった。
寄り合い所帯となったツヌ101Fも弁天橋区仕様(Mc170),弁天橋区仕様Assy車体組立車共に[南テシ]電略標記印刷を消去している。
新たに採用したボナファイデプロダクト製電略標記インレタはツヌ109F(Mc202)にて大凡の転写位置が決定した。
二代目弁天橋区仕様(Mc170)を種車とするクモハ101-148+モハ100-170,クハ100-34(ツヌ105F:Mc154)もこれに倣った。
そしてカノ18F(Mc191:再生産品←ツヌ118F:Mc155)では初となる編成単位での[西カノ]電略標記変更を達成させている。
旧ツヌ133F,旧ツヌ101F(Mc148)で見せた拘りは形を変えてツヌ101F(T'c30)に還元されたと言えよう。

国鉄101系津田沼電車区101F [Mc193] 3+4+3朱色1号混色:R-Y編成 (行先表示類変更)

2019-11-06 22:07:46 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
周期的。

行先表示類の変更を終えたKATO製国鉄101系ツヌ101F-1(Mc193)が再出場した。
クモハ101-193+モハ100-808は保管品増強のため旧製品LOT側面窓セルへ交換している。
都合三度目の側面見附変更を迎えたが西行設定は旧ツヌ107F-2(Mc193)時代以来となった。




国鉄101系ツヌ101F 朱色1号混色編成(1984/X)。
[ツヌ101F-1]:Mc193-M'808(-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53)。
※イメージ編成(1984/6)。
◆運行番号,行先表示変更,クモハ101-193,モハ100-808 側面窓セル交換,電略標記変更。

国鉄101系クモハ101-193+モハ100-808は1984年5月~1985年3月の約10箇月だけ津田沼区に配属されていた。
転入当初は先頭に立っていたが間もなくしてツヌ101F(Mc154:3+4+3編成)の中間へ封じ込まれる。
その後1984年12月には組成変更が行われツヌ101F(Mc148)へ組み込まれる事無く予備車に廻された。
予備車扱いとなった後の詳細は不明だが朱色1号のまま弁天橋区へ転出している。
1984年度の101系転属予定表に拠るとクモハ101形0番代+モハ100形800番代は4ユニットが津田沼区へ転入するはずだった。
都合5ユニットが車籍を有していたクモハ101形0番代+モハ100形800番代だが残る1ユニットは事業用車両改造用途に内定済であった。
恐らくクモハ101-193+モハ100-808はクモハ101形0番代+モハ100形800番代ユニット転用の第一陣だったと思われる。
第二陣は1984年7月のクモハ101-196+モハ100-811となり各々クモヤ145-117,クモヤ145-118へ改造された。
1984年10月現在では他3ユニットはまだ武蔵小金井区に在籍していた。
このうち1編成は津田沼区へ貸し出されツヌ110F(Mc195)を名乗っている。
◆ムコ00F:Tc67-M59-M'c102+Mc192-M'807-T'107-T219-T40-M109-M'c801(1984/10)。
◆ツヌ110F:Mc195-M'810-T'c71+Mc194-M'809-T'68-T'227-T'94-M57-M'c805(1984/10)。
ツヌ110Fには転属計画に含まれる2ユニットが組成されており異動を考慮した貸し出しにも見える。
しかし貸出期間は1985年1月までの予定だったがそれよりも早い1984年12月に前倒しされた。
どうやらこの頃までに101系配属計画の変更があったらしくクモハ101-193+モハ100-808に続く津田沼区所属車は現れなかった。
クモハ101-196+モハ100-811の改造終了後からクモハ101形0番代+モハ100形800番代ユニットは動きが無い状態となる。
ようやく1985年3月のクモハ101-194+モハ100-809を皮切りに異動が再開されたが転属先は計画とは異なる弁天橋区であった。
同月中にクモハ101-195+モハ100-810,クモハ101-192+モハ100-807が相次いで弁天橋区へ転出する。
その結果先陣を切って異動したクモハ101-193+モハ100-808だけが津田沼区に取り残されてしまった。
結局クモハ101-193+モハ100-808も1985年3月下旬に弁天橋区へ去っていった。
時を同じくしてクモハ101形0番代+モハ100形0番代4ユニットが弁天橋区から津田沼区へ転入している。
事実上津田沼区,武蔵小金井区,弁天橋区間での三角車両異動にて不足分を補った結果になった。
津田沼区初配置を迎えたクモハ101-141+モハ100-114だったが1986年10月に廃車となる。
クモハ101-159+モハ100-185,クモハ101-165+モハ100-200,クモハ101-172+モハ100-216は言わば出戻り組であった。
しかもクモハ101-172+モハ100-216:1986年6月,クモハ101-165+モハ100-200:1986年7月と揃って弁天橋区に再復帰した。
代替の4ユニットは短期間での活躍に終わりクモハ101-159+モハ100-185も1986年9月付で廃車されている。


クモハ101-193+モハ100-808 (旧ツヌ101F-1:101系0番代2ndLOT側面窓セル装着車+101系0番代2ndLOT側面窓セル装着車)。

2014年6月に竣工したクモハ101-193+モハ100-808はクモハ101-193,モハ100-809(ムコ10F:Mc194)が種車である。
当初101系800番代LOT側面窓セル装着車だったが2016年6月にクモハ101-60,モハ100-35(ムコ予備00F:Mc60)と振替えた。
これはツヌ101F-1への異動に際しクハ100-30以下8両(ツヌ101F:T'c30)の見附に揃える狙いがあったらしい。
旧ツヌ101F-1(Mc154)時代には全く気に掛けておらず降って湧いた仕様変更だった。
その後ムコ3F-2(Mc56)の側面見附統一に駆り出されクモハ101-56+モハ100-806との振り替えが行われる。
この交換により製品原形へ復帰したクモハ101-193+モハ100-808は現状維持が続くと思っていた。


クモハ101-193+モハ100-808 (旧製品LOT側面窓セル装着車+旧製品LOT側面窓セル装着車)。


モハ100-808+クハ100-30 (旧製品LOT側面窓セル装着車+旧製品LOT側面窓セル装着車)。

ところが101系800番代LOT側面窓セル(保管品)の遣り繰りが厳しくなり再び窓セル交換に踏み切った。
今回は旧製品LOT窓セル(発生品)を採用しておりHゴム支持モールドの輪郭が太くなった。
そのため101系0番代LOT(トタムコ3F:Mc78)窓セルを装着していた2016年6月~2018年5月当時とは若干印象が異なる。
また窓セル交換に併せ[西ムコ]電略標記印刷を[千ツヌ]電略標記インレタに改めた。
ユニクリーナー式印刷消去はクモハ101-202(ツヌ109F:Mc202)以降行っていなかった。
最初に施工したモハ100-808では溶解が進まない[西ムコ 定員144]電略標記印刷に気を揉んでいる。


[[千ツヌ 定員144]]:モハ100-808


[[千ツヌ 定員136]]:クハ100-53。

インクが溶ける時間を掴めた後に入場したクモハ101-193は不安無く作業が行えた。
共に成形色の露出は無く[千ツヌ 定員136],[千ツヌ 定員144]電略標記インレタ転写も一発で切り抜けている。
電略標記に関してはレボリューションファクトリー製[千ツヌ 定員144]インレタが転写されていたクハ100-53も修正対象となる。
クハ100-86(Mc170:弁天橋区仕様)を種車とするクハ100-53は[南テシ 定員136]電略標記印刷が消去済だった。
だが2015年12月に行われたペイントリムーバー式印刷消去は仕上げが甘く[テシ 定員136]標記跡が顔を覗かせる状態であった。
そのため[テシ 定員136]標記跡をラプロス#8000で消し去った後に[千ツヌ 定員136]電略標記へ変更した。
なお今回使用した[千ツヌ]電略標記インレタは全てボナファイデプロダクト製である。


モハ100-117+クハ100-53 (元モハ100-232+元クハ100-86)。
※弁天橋区仕様。


モハ100-120+クハ100-12 (ツヌ115F:元モハ100-158+元クハ100-78)。
※再生産品。

レボリューションファクトリー製電略標記インレタは電略標記印刷より二回り小さかった。
現在使用しているボナファイデプロダクト製電略標記インレタはやや小振りな程度で印刷再現車との差異は縮小した。
但し不得手なインレタ転写故に車両毎のずれは防ぎようがない。
だが再生産品では運転台付車両を中心に電略標記印刷位置の高い車両が存在しており誤魔化せる範囲だと考えている。
なお寄せ集めで組成したツヌ101F(T'c30)には電略標記変更車が多く含まれている。
ツヌ101F-2(Mc148)を再出場させるにはクモハ101-148の行先表示類変更等が必要であり今後も電略標記修正を進める。


クモハ101-193 [53C 武蔵小金井]:101系800番代LOT前面窓セル装着車。


クハ100-53 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区仕様前面窓セル装着車。
※弁天橋区仕様。

クモハ101-193,クハ100-53双方とも種車の前面窓セルを承継させた。
ムコ10F(Mc194),弁天橋区仕様(Mc170)を出自とする先頭車両の大半は前照灯交換が行われている。
何時の間にか製品仕様と合致する車両が消滅しており今回の存置に繋がった。
各々Hゴム支持モールド幅や色温度の差があるが車体色が違うため違和感は抱かないと思う。
ツヌ118F(Mc155)の出場で重複した[13C 千葉]表示は全面変更となった。
かねてから西行への改める計画があり[53C 三鷹]表示の採用が最有力だった。
ところがぐずぐずしているうちにツヌ109Fの出場や他編成での行先変更が影響し断念に追い込まれる。


ツヌ109F,ツヌ101F-1。


ツヌ106F。
※再生産品。

計画時よりも[三鷹]表示編成と[中野]表示編成の割合が高くなり選択肢が一気に狭められた。
ツヌ118Fに付属する行先方向幕部品は[三鷹]幕,[中野]幕,[西船橋]幕,[津田沼]幕に限られる。
101系メイクアップパーツ2(11-511)には[御茶ノ水]幕,[飯田橋]幕があるものの[御茶ノ水]幕は2編成に充当済だった。
[飯田橋]幕はツヌ104F(Mc159)で正式採用した以外中間組込車に使用され散在してしまった。
残る西行は[武蔵小金井]幕に絞られツヌ106F(Mc160)以来となる[武蔵小金井]表示編成の登場となった。
運行番号は初期計画を引き継ぎ[53C 武蔵小金井]表示で落ち着いている。




ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:旧製品LOT窓セル装着車)。


ツヌ109Fサイドビュー(クモハ101-202:再生産品LOT窓セル装着車)。


ツヌ110Fサイドビュー(クモハ101-195:101系800番代LOT窓セル装着車)。

側面見附はクモハ101-193+モハ100-808のHゴム支持色温度が表立った変更点と言える。
入場前はツヌ110F(Mc195)と同一仕様であったが明確な差別化が図られた。
またツヌ109Fには再生産品LOT狭幅Hゴム支持再現窓セルが採用されており三者三様となっている。
[千ツヌ]電略標記への変更も長年の課題で約5年6箇月を要して解消に至った。
今後もKATO製101系津田沼区仕様の朱色1号編成,朱色1号混色編成は3編成体制が続くと思われる。
ツヌ101F-1,ツヌ109F,ツヌ110Fでの釣り合いを取るには現状が最良の選択だと思う。

国鉄101系津田沼電車区118F [Mc155] 3+7編成 (モハ100-208 動力ユニット再生) ※旧製品

2019-11-02 21:47:56 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
始祖。

遅れていたKATO製国鉄101系ツヌ118F(Mc155:旧製品)の第二次整備が完了した。
十七代目ツヌ118F(旧製品)は改番や加工を行わず製品仕様が維持されたツヌ118F(Mc155)のまま出場となった。
過去に出場したツヌ118F(1978/3)は何れも発展解消したが五代目ツヌ118Fには旧製品原形保持編成の役割が与えられる。




国鉄101系ツヌ118F (1978/3)。
[ツヌ118F]:Mc155-M'158-T'c78+Tc75-M215-M'208-T108-T233-M91-M'c108。
※旧製品:旧製品原形保持編成。

これまで導入したツヌ118Fは都合17編成に達し九代目ツヌ118F(→旧カノ20F:Mc53→カノ13F:Mc59)までは旧製品が占めた。
編成単位での出場は四代目ツヌ118F(→ツヌ107F:Tc83)以降から縮小され分散配置される傾向が強くなる。
これにより生じた保留車は2015年10月に導入した初代弁天橋区仕様(Mc170)にて旧ラシ101F(Mc201)へと纏められた。
この当時ラシ101Fよりも前に出場させた編成ではまだ旧製品先頭車両が全車健在だった。
しかし弁天橋区仕様車の前面見附には敵わず元ツヌ124F(Tc74→旧ツヌ103F:Tc48)を皮切りに新金型車体への更新が開始される。
十代目ツヌ118F(再生産品→旧ラシ107F:Mc202)以降より再生産品車両に増備の軸が移り旧製品先頭車両も漸減が続いた。


ツヌ115F。
※再生産品。


ツヌ107F。
※再生産品。

旧製品先頭車両の中間組込車改装は旧ツヌ115F(Mc144:旧製品)が車両更新を終えた2016年9月に一旦中断となった。
この頃から大幅に勢力が縮小した旧製品編成を一部存置する方向へ切り替えた上で更新再開に至っている。
長らく僚車が欠けていた旧トタ5F(T209)だがサハ101-210(トタ5F-1:T210)の復帰を切っ掛けに旧製品原形保持編成へ指定された。
トタ5F(Tc14)の再出場と組成準備が前後したツヌ109F(Mc202)では専ら旧ツヌ107F(旧製品)からの車両異動に頼った。
その旧ツヌ107Fは既存編成用更新名目最終導入となった十三代目ツヌ118F(再生産品)にて再生産品編成へと格上げされている。
2015年11月に開始された旧製品先頭車両の更新もツヌ107F(再生産品)が再出場した2018年6月を以て終了した。
一方残留した旧製品編成であるが旧金型車体特有の前面見附に対する違和感を払拭できた訳ではなかった。


ツヌ104F (前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品+弁天橋区仕様。


ツヌ125F (前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品。

そこでカノ1F(Mc178:旧製品)を前面窓支持色変更試作編成に抜擢し印象改善を図った。
まずまずの結果を得た前面窓支持色変更試行はJR101系ラシ105F(Mc148:旧製品)が第二次試作編成となった。
これでLP402前照灯編成,LP411前照灯編成双方とも前面窓支持色変更の効果が確認される。
後に旧製品編成で出場させたツヌ104F(Mc159:LP411前照灯編成),ツヌ125F(Tc48:LP402前照灯編成)では本格採用に至った。
この結果を受け旧製品編成は見直しの機運が高まりツヌ118F(Mc155:旧製品)を導入する方針に決定する。
しかしリリースから期間が開いたツヌ118F(旧製品)の導入が難しくなった時期に差し掛かっていた。
ツヌ104Fは単独増備が行えた一方でクモハ101-165だけはクモハ101-170Assy車体組立車(弁天橋区仕様)を充当している。
またツヌ125Fでは再生産品+旧製品編成だったツヌ113F(Tc74),ツヌ115Fの車両更新と並行して全所要車両を捻出した。


クモハ100-108 [13C 千葉]:1stLOTライト基板振替施工車。
※旧製品。


クモハ100-162 [13C 三鷹]:ツヌ116F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品:表示器点灯色変更施工車。

ようやく導入が実現した十七代目ツヌ118Fだったが生憎その状態はかなり悪かった。
クモハ101-155,クモハ100-108は擦過痕が見られた前面窓セルをクハ101-75,クハ100-78(ツヌ122F:Mc155)と振替え竣工させた。
また現行LOTライト基板への更新は行わずクハ101-10,クハ100-12(ツヌ113F:再生産品)から1stLOTライト基板を転用した。
本来トタ5F用に増強を進めていた1stLOTライト基板予備車だがツヌ118Fの旧製品原形保持編成指定に貢献してくれた。
但し現存する旧製品編成はJR101系ラシ106F(Mc191)を最後に現行LOTライト基板への更新が完了している。
そのため点灯照度の高い1stLOTライト基板が装着されたツヌ118Fとは言え他編成に比べ見劣りは隠せない。


防錆措置を施したウエイト (旧クハ101-35用台枠,元サハ103-768用台枠,元サハ103-769用台枠)。

車体よりも手を焼かされたのはクモハ101-155以下9両で発生していたウエイトの腐食である。
その断面は殆どが錆に覆われ座席部品裏面,台枠表面,導電板も錆粉だらけだった。
第二次整備入場第五陣のモハ100-158までは意地で錆取り作業を行ったがモハ101-91を境にウエイト交換へと転換した。
捻出都合によりモハ101-91だけは対象から外れたもののモハ101-215,サハ101-108,サハ101-233は廃車発生品の転用となる。
発生品は旧クハ101-35(ツヌ103F:Tc48),JR103系元サハ103-768,元サハ103-769(元ツヌ324F-1:Tc217)を出自とする。
経年は十七代目ツヌ118Fと然程変わらないはずだが状態には雲泥の差があり導電板もろとも移設となった。
ちなみに各車両から押し出されたウエイト及び導電板はツヌ118Fの出場前に修復を済ませている。


極初期LOT品だったモハ101-208用動力ユニット。

モハ101-208用動力ユニット整備では状態以外にLOT差も作業を阻む要因となった。
十七代目ツヌ118Fはクモハ101-155,クモハ100-108のライトスイッチ部品が無く旧製品でも極初期製造分に属すると判っていた。
ただLOT差がモハ100形用動力ユニットにも存在するとは思わずモーターの天地取付方向を誤っている。
分解整備施工車はクモハ100-150(ツヌ104F←旧クモハ100-144:元ツヌ113F)の1両だけながら十分に対応出来ると思っていた。
しかし引掛式端子を持たないモーターで思わぬ落とし穴に嵌まってしまった。
この構造は初代ツヌ118F(旧製品→旧ラシ106F:Mc155→ラシ106F)構成車であるモハ100-206(ラシ106F)と同一仕様だった。
そのため十七代目ツヌ118Fも初代ツヌ118Fとほぼ同時期に製造された個体だと思われる。
なおダイキャスト製台枠を油脂で覆う防錆対策は初施工であり今後の効果に期待したい。


トタ5F,ツヌ118F (豊田区仕様,津田沼区仕様)。
※旧製品原形保持編成。

苦しい作業が続きながらもツヌ118Fの編成見附はそれなりに纏められたと思える。
行先表示類は[13C 千葉]を承継させクモハ101-155の[千葉]表示が前照灯寄に偏位した行先表示器部品も交換しなかった。
従って前面見附に大きな変化は無く擦過痕のある前面窓セルと打痕を抱えていたLP402前照灯が消え去った程度に留まる。
他にもLP402前照灯用ライトレンズの角度を変更したがこれは微細過ぎて殆ど判らないと思う。
欠品していたジャンパ栓納め部品は温存し続けてきた旧製品LOT品の予備品を充ててどうにか凌ぎ切った。
これによりトタ5Fに続き津田沼区仕様での旧製品原形保持編成出場へと結び付けられている。


ツヌ102F,ツヌ118F (LP411前照灯編成,LP402前照灯編成)。
※旧製品。


ツヌ116F。
※旧製品。

中野区,津田沼区仕様ではカノ1F,ツヌ102F(Tc75),ツヌ104F,ツヌ116F(Mc154),ツヌ125Fが旧製品保持編成指定を受けている。
LP402前照灯編成,LP411前照灯編成毎に前面窓支持色変更施工車が配される微妙な差別化を図った。
これまでLP402前照灯編成で原形前面窓セルを装着させてきたツヌ116Fはツヌ118F(旧製品)を埋める存在でもあった。
3+4-3編成のツヌ116F-1(T'c91)が基準だがクハ100-91サハ101-98と入れ替える3+7編成(ツヌ116F-2:T98)にも対応可能とした。
真打ちのツヌ118Fが出場を迎えたためクモハ101-154,クモハ100-162(ツヌ116F)はその任を解かれる。
今後は前面窓支持色変更編成へ改める予定でありツヌ118Fの希少性は高まると思う。


ツヌ118Fサイドビュー(クモハ101-155)。
※旧製品。


ツヌ122Fサイドビュー(クモハ101-155:クモハ101-194改装車)。
※塗装変更車。

既に101系では多数の車両番号重複車が発生しているがツヌ118Fは未改番車で揃いながらも全て二代目以降となった。
その要因は資料不足により改番が行えないツヌ122F(Mc155:塗装変更車+旧製品)の在籍が関わっている。
未改番を見送ったサハ101-108以下7両(ツヌ122F:旧製品)は致し方ないがクモハ101-155+モハ100-158(塗装変更車)まで被った。
1982年8月に王子駅構内冠水被災救済車両へ引き当てられたクモハ101-155+モハ100-158は黄色5号のまま日根野区へ転出した。
しかし肝心なツヌ122Fの車両番号を突き止められず暫定付番にはクモハ101-155+モハ100-158が適すると思えた。
結局ツヌ122Fはサハ101-253(塗装変更車)以外が製品原形のツヌ118Fと重複する珍しい編成になっている。

国鉄101系津田沼電車区125F [Tc48] 7+3編成 (前面窓支持色変更,列車線直通快速対応編成) ※旧製品

2019-09-05 22:20:08 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
再登場。

KATO製国鉄101系ツヌ113F(Tc74),ツヌ115F(Mc144)は十六代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)の導入で旧製品車両を全廃した。
捻出された旧製品車両をツヌ125F(Tc48)用組成準備車に廻し7+3編成へ再編の上復帰させている。
ツヌ125Fはクモハ101-165(弁天橋区仕様)を含むツヌ104F(Mc159)とは異なり完全な旧製品編成として出場を果たした。




国鉄101系ツヌ125F (1970/5)。
[ツヌ125F]:Tc48-M190-M'183-T243-T244-M178-M'c150+Mc155-M'158-T'c46。
※旧製品:前面窓支持色変更施工編成。
◆車体改修,列車線快速対応化,クモハ100-150 動力ユニット搭載。

津田沼区101系の列車線直通運用は成田線が電化開業した1968年3月から開始された。
1968年7月には房総西線も電化開業し同年10月のダイヤ改正より中野~木更津間を結ぶ直通快速が登場した。
御茶ノ水~千葉間の停車駅は秋葉原,浅草橋,両国,新小岩,市川,船橋,津田沼,千葉と現在の総武線快速に近い。
一方房総西線内は運用毎で異なっており五井停車の快速と各駅停車に分かれていた。
その後荻窪→木更津間,木更津→中野間を各駅停車で走破する運用まで出現している。
1969年10月からは成田線直通快速が設定されたがこちらも快速と各駅停車の2運用が存在し快速停車駅は四街道,佐倉だった。
列車線直通快速には各々専用の[===]ヘッドマークが用意された。
但し房総西線用:[中野ー木更津]表示,成田線用[中野ー成田]表示の差異があるだけで識別は余り配慮されなかったらしい。
1969年10月のダイヤでは房総西線直通快速:6往復,成田線直通快速:2往復に加え都合5往復の各駅停車も見られ最盛期と言えた。
これを表すかのように1970年5月現在の編成表ではクハ101形,クハ100形を先頭車両とする編成が全40本中34本を占めていた。
しかし僅か約2年4箇月後に101系の列車線直通運用は突然の終焉を迎える。
総武線快速が津田沼まで開業した1972年7月を以て両線の快速,各駅停車は共々消滅しまった。
同時に1968年の夏期輸送から仕立てられ続けてきた臨時快速への充当も打ち切られている。
資料でしか判らない101系列車線直通運用だがその系譜はE217系に受け継がれていると思う。


元ツヌ124F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

ツヌ113F,ツヌ115Fに組み込まれていた旧製品車両は9両がツヌ115F(Mc155→旧ツヌ115F:Mc144)の構成車である。
2016年9月の車体更新以降よりツヌ115F出自車は旧ツヌ113F,旧ツヌ115Fへと分散配置された。
旧製品編成出場に必要不可欠だったツヌ118F(旧製品)が確保できず十六代目ツヌ118Fの代替投入へと切り替えた。
十六代目ツヌ118Fでの旧製品車両捻出を旧ツヌ113F,旧ツヌ115Fに頼った関係からツヌ115F構成車の大半が再集結する。
3+7編成だったツヌ115F(Mc155)に対しツヌ125Fは7+3編成であり基本7両編成と付属3両編成を逆組成した。
プロトタイプは1970年5月としクハ101-48,クハ100-46にはクイックヘッドマーク用マグネットを取り付けた。
これにより元ツヌ124F(Tc74:弁天橋区仕様+旧製品)の廃止で消滅した列車線直通快速対応編成が戦列に復帰している。


旧ツヌ124F。
※旧製品。

列車線直通快速対応編成は2014年6月に出場した旧ツヌ124F(旧製品)で初登場を飾る。
当初は離合に相応しい編成が在籍せずせっかくのクイックヘッドマーク機構を活かしきれていなかった。
その後旧ツヌ131F(Mc70),旧ツヌ133F(Mc118)の出場で[===]ヘッドマーク装着機会も増加した。
ところがクハ101-74,クハ100-43(元ツヌ124F)の車体更新を行った2015年11月以降から違和感が強くなる。
クモハ101-170,クハ100-86Assy車体(Mc170:弁天橋区仕様)での更新が[===]ヘッドマークとの釣り合いを悪く感じさせた。
今ひとつ納得が行かないまま列車線直通快速仕様は徐々に出番を失っていく。
しばらく編成が維持された元ツヌ124Fだが2016年7月を以て廃止となりツヌ102F(Tc75),旧ツヌ103F(Tc48)へ発展解消している。


ツヌ125F。
※旧製品:列車線直通快速仕様。

元ツヌ124Fが廃止されてから列車線直通快速対応編成の出場は途絶える。
プロトタイプ選定以外に新金型車体と[===]ヘッドマークの相性も組成を阻む一因だった。
改めて旧金型車体と新金型車体を比較したところ前面見附の修正が腰板まで及んでいると判明した。
新金型車体は腰板嵩も狭められており錯覚効果でヘッドマークが大きくなったように見せるらしい。
[===]ヘッドマークは更新前の旧ツヌ124F時代から交換しておらずこれが違和感の元になったと思われる。
よって列車線直通快速対応編成には旧製品運転台付車が適すると判断した。
折しも旧製品編成はJR101系ラシ105F(Mc148)の車体振替以降増加傾向にありツヌ125Fで復活となった。


クハ100-47,クハ100-46 (ツヌ103F,ツヌ125F)。
※弁天橋区仕様,旧製品。

クハ101-48,クハ100-46(ツヌ125F)は前面窓支持色変更を施したためかつての旧ツヌ124F(旧製品)とは趣が異なる。
[===]ヘッドマークの取り付けで印象が変わる可能性があったが特に影響は無いと感じられた。
新金型車体との比較は予想通りでやはり[===]ヘッドマークの寸法が違って見える。
腰板嵩が狭い新金型車体は[===]ヘッドマーク上下の余裕が失われてしまい窮屈な取り付けを強いられた。
一方旧金型車体では十分に天地が確保され前面窓下把手との位置関係を配慮するだけで構わなかった。
十六代目ツヌ118Fの分散配置によりツヌ125F用組成準備車を確保した狙いは的中してくれた。


ツヌ131F,ツヌ125F。
※塗装変更車,旧製品。

行先表示類は元ツヌ124Fと同じ[11C 中野]を踏襲し実運用に倣った設定とした。
[===]ヘッドマークを取り付けなければ通常の西行編成として扱える利点があり離合編成は比較的多い。
難航したプロトタイプ選定だが1970年5月現在の編成表からサハ100形が組み込まれていない組成形態の再若番編成を選択した。
当時のツヌ101F~ツヌ124Fはサハ100形0番代,サハ100形200番台が昇順で並べられていた。
サハ100形用屋根板が尽きており強制的にサハ101形200番台(サハ101-243,サハ101-244)を2両要する構成になっている。
また基本7両編成に組まれるモハ100-183は3号車のためクモハ100-150(7号車)を動力ユニット搭載車へ改装した。


クモハ100-150(ツヌ125F:動力ユニット搭載車)。
※旧製品。


クモハ100-170(ツヌ105F:第二次動力ユニット搭載試作車)。
※旧製品。


クモハ100-160,クモハ100-150 (ツヌ102F,ツヌ125F)。
※旧製品:非動力車,動力ユニット搭載車。

クモハ100形動力ユニット搭載車は旧クモハ100-108(旧ツヌ122F:Mc155),クモハ100-144(旧ツヌ113F)が試作車に該当する。
久し振りの施工となった割に追設した床下機器部品を含め試作車との共通仕様化が実現している。
乗務員室仕切,尾灯レンズは発生品を加工し復旧させクモハ100形非動力車の前面見附と類似形態に改めた。
小形乗務員室仕切窓化も検討したが用途が失われたガイド無プリズムケースを転用している。
また試作車は揃って各々クモハ100-166(ツヌ109F:Mc202),クモハ100-170(ツヌ105F:Mc154)へ改番となった。
組成自由度を高められる旧クモハ100-108,クモハ100-144は各々ツヌ109F,ツヌ105F用組成準備車に引き当てられた。
これらの経過から非動力車へ戻す機会は巡ってこないと考えクモハ100-150より原形復旧対応策を廃止した。


クハ101-48 [11C 中野]:現行LOTライト基板更新車。
※旧製品。


クモハ101-154 [13C 三鷹]:ツヌ116F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。

ツヌ115F(Mc155)時代から中間に封じ込まれてきた旧クハ101-10,元クハ100-12(元ツヌ115F)は先頭車両対応化が施された。
初めて前尾灯を本格点灯させる機会が巡ってきたが旧製品LOT床板用導電板は非常に状態が良かった。
その代わり黒染車輪は劣化が激しく走行履歴の少ない発生品と振り替え通電性能を確保している。
敢えて旧製品編成を選択したツヌ125Fであるが原形保持編成には該当せず現行LOTライト基板への更新は漏れなく施した。
組成準備施工時には旧クハ101-10と元クハ100-12で表示点灯照度に大幅な違いが現れ少々戸惑った。
今まで見られなかった症状に面食らったが再生産品LOT方向幕部品の起用だけで解消に持ち込めている。


ツヌ125Fサイドビュー(クハ101-48:車体改修施工車)。
※旧製品。


ツヌ102Fサイドビュー(クハ101-75:車体改修未施工車)。
※旧製品。


ツヌ113Fサイドビュー(クハ101-74:車体改修施工車)。
※再生産品。

なお旧製品仕様復旧にも拘っておりクモハ100-150へ転用した旧製品LOT動力ユニットは元モハ100-241(ツヌ131F)用である。
これに端を発した旧クモハ100-144(元ツヌ113F)での動力ユニット整備は余計だったが今後に繋がる作業だったと思う。
また全車初期施工のペイントリムーバー式改番が採用されていたため塗装被膜改善も必須項目だった。
車両異動での組成ながら想定以上に苦戦が続きツヌ113F,ツヌ115Fの更新と並行した組成準備施工は正解だったと思える。
ちなみにクハ101形,クハ100形が両先頭に立つ編成は旧ツヌ113F(再生産品+旧製品)以来約3年1箇月振りの登場となった。
全編成に占める割合も低くその他にはツヌ102F(旧製品),ツヌ103F(弁天橋区仕様+旧製品)が該当するのみである。
プロトタイプ選定都合もあり旧製品編成ではツヌ125Fが最終出場になると思われる。

国鉄101系津田沼電車区115F [Mc144] 3+7クハ100形電装準備工事車組込編成 (車体更新完了:旧製品車両廃止) ※再生産品

2019-08-19 21:47:04 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
均整。

再生産品+旧製品編成だったKATO製国鉄101系ツヌ115F(Mc144)は再生産品車両で統一された。
在籍するKATO製101系ではラシ104F(Mc136),ツヌ107F(Tc83),カノ18F(Mc191),ツヌ113F(Tc74)に続く再生産品編成となる。
改修工程は狭幅Hゴム支持再現側面窓セルに拘りツヌ107F,カノ18Fと同格の編成見附へ達し再出場を果たした。




国鉄101系ツヌ115F クハ100形電装準備工事車組込編成(1979/3)。
[ツヌ115F]:Mc144-M'120-T'c12+Tc10-M241-M'234-T274-T101-M236-M'c174。
※再生産品。
◆車両更新,車体更新,車体改修完了。

国鉄101系は当初全車電動車の高性能形式として開発が行われモハ90系を称して三鷹区に新製配置された。
しかし地上電力設備不足や製造コスト等も絡み全車電動車構想は一旦棚上げされサハ98形を組み込む8M2T編成へ変更となった。
その後MT46主電動機の熱容量限界に近い6M4T編成まで電動車比率を下げる車両増備策が採られる。
1960年現在ではまだ全車電動車構想が残っており1960年8月にクハ100形電装準備車が登場した。
パンタグラフ搭載用設備や主電動機点検口が設けられる等クモハ100形への編入を考慮した設計が採用されていた。
全車電動車構想は1963年頃に放棄が確定しクハ100形も電装準備工事を要さなくなった。
そのためクハ100形電装準備車は僅か24両の製造に留まっている。
津田沼,中野区への101系投入は6M2T編成だった品川区からの転入車を中心とした。
10両編成化は新製されたクハ101形,クハ100形を組み込む方式が採用される。
よってクハ100形電装準備車が津田沼,中野区に配置されたのは一部を除き比較的後年の事である。
◆クハ100-7(1978年6月:中野区→1981年1月:中原区)。
◆クハ100-10(1981年2月:中野区→1981年11月:中原区)。
◆クハ100-11(1969年4月:中野区→1982年12月:廃車)。
◆クハ100-12(1976年9月:津田沼区→1980年3月:廃車)。
◆クハ100-14(1972年3月:中野区→1983年3月:廃車)。
◆クハ100-19(1979年6月:中野区→1983年6月:日根野区)。
元々の製造数が限られ車歴表を辿っても6両しか該当しない少数派だった。
101系初期製造車の淘汰が開始された1980年代前半には全車が津田沼,中野区を去っている。
中でもクハ100-12は唯一津田沼区に在籍したクハ100形電装準備車であった。
1960年11月落成車のクハ100-12は三鷹区へ新製配置され1969年4月に豊田区へと転出した。
約3年3箇月後の1972年7月に三鷹区復帰を果たしたが同年10月には武蔵小金井区へ転属する。
ところが1972年12月に入ると再び豊田区配属となり短期間での転配が繰り返された。
津田沼区への配置は1976年9月で出色の存在となったが約3年6箇月の活躍期間に留まり廃車を迎えている。
結局クハ100-12はクハ100形電装準備車24両で最初に廃車された車両になってしまった。
参考までに習志野区に在籍したクハ100形の最若番車はクハ100-30(ラシ104F:Mc136)である。
1964年9月に製造されたクハ100-30とクハ100-12は約3年10箇月しか車齢差がない。
習志野区101系の最期を飾ったクハ100-30は1988年11月に運用を外れた後も1990年2月まで車籍が残された。
これに対しクモハ100形への編入が実現しないまま約19年3箇月で生涯を閉じたクハ100-12は悲運の車両だったと言えよう。


旧ツヌ115F。
※旧製品。

二代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を種車に出場させたツヌ115F(Mc155)は2014年5月が初出場の初期出場編成だった。
まだ改番に手を出せなかった時期で3+7編成だったこともありツヌ118F(Mc155)と同一の外観を有していた。
改番は2014年6月に竣工した旧クハ101-35(旧ツヌ103F:Tc48→元クモハ101-53:旧カノ20F)との同時進行で行われる。
外観に齟齬の生じたクハ100-12は元クハ100-71(ツヌ110F:Mc195←クハ100-22)用屋根板が装着され電装準備工事車となった。
翌2014年7月には実車資料に即した電装準備工事撤去施工が決定しパンタグラフ踏板を切除している。
出来映えが良いとは言えなったが電装準備工事一部撤去車化でクハ100-12(旧製品)は完成形に達したと思われた。


モハ100-120+クハ100-12 (旧ツヌ115F:元モハ100-158+元クハ100-78)。
※旧製品。

しかし旧カノ13F(Mc59)に組み込まれた旧サハ100-17(再生産品←サハ101-233:ツヌ118F)の影響を受ける。
旧サハ100-17と屋根上見附を合わせるべく再びクハ100-22(ムコ10F:Mc194)用屋根板へ振り替え電装準備工事車に復帰させた。
2016年8月以降クハ100-12は手が加わらない状態が続き一応の安定期に入っている。
その後ツヌ115Fは2016年9月に投入された十一代目ツヌ118F(再生産品)による車体更新対象編成となった。
だが旧ツヌ113F(Tc74)の出場を急いだ影響でクモハ101-144,クモハ100-174が車両更新を終えた時点で作業は打ち切られる。
この判断は完全なる誤りと言え今入場で更新時差解消施工を呼び込む起点になってしまった。


モハ101-236+クモハ100-174 (狭幅Hゴム支持車+狭幅Hゴム支持車)。
※再生産品。

ユニット相手のモハ101-236,モハ100-120は更新が大幅に遅れ2018年3月まで新旧LOT混結ユニットが残存し続けている。
しかもクハ100-12以下6両(旧製品)と側面見附を揃える名目で旧製品LOT屋根板・側面窓セルへの交換を行った。
当時再生産品+旧製品編成の側面見附向上にはHゴム支持再現統一が最も有効だと考えた結果でもある。
再生産品編成昇格を全く考慮していなかった旧ツヌ115Fだが十六代目ツヌ118F(再生産品)の投入が転機となった。
モハ101-241+モハ100-234,クハ101-10,クハ100-12は更新により狭幅Hゴム支持車へと一新される。
これによりクモハ101-144+モハ100-120,クモハ100-174+モハ101-230を再生産品仕様へ戻す作業が発生した。


側面見附統一を陰で支えたクハ101-75(ツヌ118F)。
※旧製品。

再生産品LOT運転台付車用狭幅Hゴム支持再現窓セルはツヌ118F(再生産品)の癖が影響し予備品が無かった。
そのため直前に再生産品編成化されたツヌ113Fではクハ101-74,クハ100-85の側面窓セル交換を断念している。
ツヌ115Fの狭幅Hゴム支持車統一はLP411前照灯や再生産品LOT部品へ交換されていたクハ101-75(旧製品)に救われた。
クハ101-75(ツヌ118F)とツヌ108F(Mc133)用狭幅Hゴム支持車を加えた4両で広幅Hゴム支持車廃止へと持ち込んでいる。
またモハ101-236では再生産品LOT屋根板の引き当てに苦戦したが元サハ101-290(廃車:元ラシ107F)との振替えで乗り切った。
保管品の屋根板は旧製品LOT,再生産品LOT共に数量を把握できていないらしく今一度確認が必要だろう。




モハ100-120+クハ100-12 (再生産品LOT屋根板装着車+101系800番代LOT屋根板装着車)。
※再生産品。

更新後のツヌ115Fでも引き続きクハ100-12(3号車)が最大の特徴で標準的な3+7編成に彩りを添える。
旧クハ100-12は改番以降から仕様変更が相次ぎモハ100-120(2号車)と屋根板色温度の揃わない状態が続いてきた。
101系800番代LOT屋根板ではあるものの再生産品LOT屋根板とは色温度差が感じられず編成に馴染んでくれたと思う。
サハ100形(黄色5号)は当初の予想から一転してサハ100-17,サハ100-84(カノ18F),サハ100-99(ツヌ113F)まで勢力を拡大した。
これに対しクハ100形電装準備工事車(黄色5号)は実車の配置状況に加え屋根板を供出するクハ100-22(ムコ10F)が所要となる。
中野区101系編成表の欠落も多く当面はクハ100-12のみの在籍に留まると思われる。


クモハ100-174(車体改修施工車)。
※再生産品。

前途の通りツヌ115Fは旧ツヌ113Fの出場と並行した車両更新が再生産品+旧製品編成化への切っ掛けである。
第一次更新:2016年9月,第二次更新:2018年3月を経て初施工から約2年11箇月後に再生産品編成へと到達した。
全車ラプロス式改番車で揃えられたがクモハ101-144,クモハ100-174はペイントリムーバー式を併用していた時期に当たる。
モハ101-120,モハ100-236はラプロス式が定着した後の更新ながら現行方式とは若干施工差があった。
加えてモハ101-241+モハ100-234,クハ101-10,クハ100-12にはラプロス・消しゴム併用式印刷消去が採用された。
更新時差は車両番号標記周囲に強く現われていたが塗装被膜の修正でほぼ解消されたと思う。


ツヌ113F,ツヌ115F。
※再生産品。


カノ1F。
※旧製品:第一次前面窓支持色変更試作編成。

車両捻出の関係からツヌ113Fとツヌ115Fの間では車両異動が繰り返されてきた。
十六代目ツヌ118Fの分散配置で共に再生産品編成へ改められたため今後の異動は行われないと思う。
旧製品車両の捻出を狙った旧ツヌ113F,旧ツヌ115Fの更新入場は異例の措置でもあった。
これまでの車両更新,車体更新では保留車へ廻された旧製品車両を新金型車両で挟み戦列復帰させる手法が採られてきた。
しかしカノ1F(Mc178:旧製品)を試作編成とした前面窓支持色変更が当たったように感じられ旧製品編成の増強へと傾いた。
だが現在ツヌ118F(旧製品)は入手が厳しくなっており十六代目ツヌ118Fに代わりを務めさせる変則的な増備としている。




ツヌ115Fサイドビュー(クモハ101-144:再生産品LOT屋根板,側面窓セル復旧施工車)。
※再生産品:車体更新車。


JR101系ラシ104Fサイドビュー(クモハ101-136:旧製品LOT屋根板,側面窓セル交換施工車)。
※再生産品:車体更新車。


JR101系ラシ105Fサイドビュー(クモハ101-148:再生産品LOT屋根板,側面窓セル交換施工車)。
※旧製品:車体振替施工車。

再生産品投入の第一陣を飾った十代目ツヌ118F(←旧ツヌ118F:Mc155)は暫定出場後に車体更新用種車へ充当され離散する。
これは編成見附向上を優先した結果でありラシ107F(Mc202)出場よりもラシ104Fに軸が置かれた当時の状況を示している。
部品統一への拘りは旧ラシ104Fでも垣間見えたが旧製品LOT屋根板,側面窓セルを流用する現在とは真逆の方式が採用された。
2018年10月に車体振替を行ったラシ105F(Mc148:旧製品)ではラシ104Fの対照とすべく狭幅Hゴム支持編成に仕立てている。
均整の取れたラシ105FはHゴム支持再現統一への契機となりツヌ115Fに続く流れを形作った。
僅かな出場時差しかなかったツヌ113Fで辿り着けずに終わった狭幅Hゴム支持車統一はツヌ115Fにて結実したと言えよう。

国鉄101系津田沼電車区113F [Tc74] 7+3編成 (車両更新完了:旧製品車両廃止) ※再生産品

2019-08-09 21:34:12 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
昇格。

旧製品車両4両の更新を終えたKATO製国鉄101系ツヌ113F(Tc74)が再出場した。
車両更新用種車は全て十六代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)からの異動である。
2016年10月の初出場から続いていた新旧LOT混結編成は解消され全車再生産品車両で纏められた。


国鉄101系ツヌ113F (1978/3)。
[ツヌ113F]:Tc74-M242-M'235-T'99-T88-M163-M'c144+Mc180-M'230-T'c85。
※再生産品。
◆車両更新,サハ101-88 再生産品LOT屋根板交換。

未確定要素を含む1970年5月現在の編成表だが津田沼区101系は40編成中33本が7+3編成で構成されていた。
これら33編成の先頭車両はクハ101形,クハ100形が充当され列車線直通運用を考慮した組成になっていた。
列車線直通運用の廃止から時間が経過した1978年3月現在の編成表によると7+3編成は32編成中18本まで減っている。
そのうちクハ101形,クハ100形が先頭に立つ編成は17本を占めておりまだまだ主力の組成だったらしい。
但し1970年当時とは異なり車両配置の法則性が崩され形式構成は雑多になっていた。
ツヌ113F(Tc74)は1970年の7+3編成と近いがサハ100形とサハ101形が逆配置されている。
構成車は旧ツヌ102F,旧ツヌ104F,旧ツヌ105F,旧ツヌ106F,旧ツヌ108F,旧ツヌ111F,旧ツヌ130Fからと掻き集め状態だった。
◆ツヌ102F:Tc83-M247-M'241-T88-T'99-M249-M'c182+Mc186-M'240-T'c91(1970/5)。
◆ツヌ104F:Tc82-M242-M'235-T92-T'93-M246-M'c180+Mc184-M'237-T'c89(1970/5)。
◆ツヌ105F:Tc80-M241-M'234-T93-T'98-M244-M'c179+Mc180-M'230-T'c88(1970/5)。
◆ツヌ106F:Tc79-M235-M'229-T95-T'99-M237-M'c175+Mc179-M'228-T'c87(1970/5)。
◆ツヌ108F:Tc77-M230-M'224-T99-T'101-M240-M'c172+Mc175-M'222-T'c85(1970/5)。
◆ツヌ111F:Tc74-M221-M'215-T104-T'104-M224-M'c167+Mc172-M'216-T'c82(1970/5)。
◆ツヌ130F:Tc38-M175-M'169-T253-T254-M163-M'c144+Mc150-M'157-T'c36(1970/5)。
何時ツヌ113F(Tc74)がこの組成に至ったかは不明だが翌1979年3月には消滅している。
他編成も含め大幅な車両異動が行われツヌ113Fは第二次整備冷房改造車組込編成に変わっていた。
しかも既に津田沼区に在籍する第二次整備冷房改造車は中原区への転出が決定していた。
そのためツヌ113F(Mc185)は予備編成扱いだった模様である。
1979年3月現在の編成表も余り当てにならないがクハ101形,クハ100形が先頭に立つ編成は18本に微増した。
中でもツヌ123F(Tc78)は第二次整備冷房改造車組込編成であった。
ツヌ113F:Mc185-M'238-T'c90+Tc85-M242-M'235-T294-T287-M240-M'c172(1979/3)。
ツヌ123F:Tc78-M198-M'192-T258-T106-M176-M'c149+Mc184-M'237-T'c89(1979/3)。
手持ちの編成表は1979年3月から1983年4月に飛んでしまうためどの様にクハ101形,クハ100形が組み替えられたか判らない。
1986年4月現在では全10編成の先頭車両がクモハ101形,クモハ100形で統一されていた。
約1年前の1985年4月には僅かツヌ102F(Tc75)のみで列車線直通運用を彷彿とさせる7+3編成が確認できた。
クハ101形,クハ100形が前後を締める7+3編成は恐らくツヌ102F(Tc75)を以て見納めになったと思われる。
◆ツヌ102F:Tc75-M209-M'203-T256-T249-M208-M'c160+Mc160-M'204-T'c59(1985/4)。


旧ツヌ115F。
※旧製品。

国鉄101系弁天橋区仕様(Mc170)のリリースを切っ掛けとした旧製品運転台付車両削減は旧ツヌ124F(Tc74)から開始された。
その後ツヌ118F(Mc155:再生産品)が登場し更新用種車も再生産品車両へと切り替えられる。
十一代目ツヌ118F(再生産品)はツヌ113F(Tc74)の出場を名目に投入したがツヌ115F(Mc144)用更新種車も兼ねていた。
ツヌ115F(旧製品)出自車は全てツヌ113Fへ異動となり再生産品+旧製品編成で初出場を飾っている。
当初再生産品車両と旧製品車両の比率は8:2だったが2018年4月に新旧LOT混結ユニット解消を図ったため6:4へ変更された。
なおツヌ115F(再生産品+旧製品)は車体更新最終施工編成を飾り残った旧製品先頭車両は現在の旧製品保持編成となっている。


サハ101-88(再生産品LOT屋根板復旧施工車)。
※再生産品。

標準的な7+3編成に見えるツヌ113Fだが4号車へ組み込まれるサハ100-99(再生産品)が異彩を放つ。
但しサハ100-99で再用したサハ100形用屋根板はサハ100-210(トタ5F:Tc14)用が出自だったらしく屋根板色温度が異なっていた。
少しでも編成見附を整えるべくサハ101-88(再生産品)の旧製品LOT屋根板交換行っている。
今入場でツヌ113Fは再生産品編成に改められるため旧モハ101-163(元ツヌ113F)と屋根板を相互交換し再生産品仕様へ戻した。
クモハ101-180+モハ100-230,クモハ100-144+モハ101-163は車体更新を経ない直接投入車である。
保管品に現行LOTサハ100形用屋根板は無くサハ100-99だけが旧製品LOT相当屋根板装着車で残存となった。




サハ101-88+モハ101-163 (再生産品LOT屋根板復旧施工車+再生産品LOT屋根板装着車)。
※再生産品。

サハ100形は屋根上見附が特徴と言えサハ100-99の屋根板色温度差は気にならないように感じられた。
返ってサハ101-88+モハ101-163が同一仕様に至り良い方向に転じてくれたと思う。
その他ではモハ101-242以下8両が狭幅Hゴム支持車で並ぶ変化も生じている。
全車の狭幅Hゴム支持車統一はクハ101-74,クハ100-85(再生産品)用が見当たらず未達のまま終わった。
両車とも狭幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車だったが他編成の編成見附統一時に広幅Hゴム支持車へ変更された経緯を持つ。
一応再生産品LOT側面窓セルが取り付けられているもののツヌ118F(再生産品)の製品仕様が影を落とす箇所となった。


クハ101-74(再生産品LOT広幅Hゴム再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

ツヌ118F(再生産品)はクモハ100-108だけが広幅Hゴム支持車となる個体が多くモハ101-91と釣り合いに苦しんできた。
そのため在籍車やクハ101-75,クハ100-78(ツヌ118F:再生産品)との振替えによりユニット間の見附を揃える手法を選択した。
JR101系ラシ107F(Mc202)の車体更新と同期したクハ101-74,クハ100-85は後年の振替施工車両である。
この時旧ツヌ113Fが再生産車両統一で決定していればまた違う展開になっていたはずでやや惜しまれる。
肝心のラシ107Fもクハ101-85(旧製品),クハ100-34(弁天橋区仕様)が広幅Hゴム支持車で残り側面見附統一は果たせていない。
絶対数が足りない運転台付車用狭幅Hゴム支持再現側面窓セルだけに妥協するしかなかった。




[クモハ101-180]:ラプロス・消しゴム併用式車両番号標記印刷消去施工車。

再生産品車両では車両番号標記印刷が偏位したクモハ101-155,クモハ100-108,クハ101-75,クハ100-78も曲者だと思う。
三方コック蓋と並ぶ車両番号標記位置は改番を厄介にさせ広幅Hゴム支持再現窓セルの遣り繰りに匹敵するほど苦戦していた。
抜本的な解決を目指しモハ101-163(←モハ101-91:ツヌ118F)から久し振りとなる消しゴム式印刷消去が復活する。
KATO製101系では初施工車となったが半艶仕上げの塗装被膜修正が課題に挙がった。
続くモハ100-230(←モハ100-158:ツヌ118F)では予めラプロス#4000にて車両番号標記印刷を擦る新方式へと改められる。
更に事務用消しゴムをクモハ101-180(←クモハ101-155:ツヌ118F)で採用し車両番号標記位置偏位問題に終止符を打った。


クモハ100-144 [07 ]:1stLOTライト基板振替施工車。
※再生産品。

中間組込車化されたクモハ101-180,クモハ100-144が装着していた現行LOTライト基板は旧製品編成増強用に廻した。
代わりに取り付けられた1stLOTライト基板はクモハ101-159,クモハ100-133(ツヌ104F:Mc159)の発生品である。
クモハ101-159,クモハ100-133(旧製品)は現行LOTライト基板へ更新を行った後に竣工させた。
回着以後殆ど点灯機会が無かった1stLOTライト基板に照度低下は発生しておらず経年劣化用予備品も拡充されている。
なおクモハ101-180のLP402前照灯はケーシングにライトレンズが収まらない不具合が見られた。
ライトレンズ取付脚に残る湯口跡を切除する安直な方式ながら十分な改善策だと思える。


クモハ101-180 [03C 飯田橋]:LP402前照灯用ライトレンズ嵌合修正施工車。
※再生産品。


クモハ101-191 [13B 津田沼]:カノ18F(LP402前照灯用ライトレンズ正規嵌合車)。
※再生産品。

LP402前照灯用ライトレンズの浮き上がりは旧製品,再生産品に関係無く見られる現象と言える。
対策を必要としない車両が多数派であるが着脱だけでは解消出来ない事例も存在し長らく原因不明だった。
これまで保管品や中間組込車との入れ替えにて対処してきたが今後は装着品を継続使用出来ると思う。
更に再生産品ではお約束だった運行番号,行先方向幕部品の嵌合精度不良にも見舞われなかった。
何れも旧製品LOT部品を起用しており個人の解釈に従えば挿入は難航したはずである。
入場待ちのクハ101-75,クハ100-78(ツヌ118F)の結果次第では考えを改める必要があるかもしれない。


ツヌ113Fサイドビュー(クハ101-74:旧製品LOTホース付ジャンパ栓納め装着車)。
※再生産品。


ツヌ104Fサイドビュー(クモハ101-159:弁天橋区仕様ホース付ジャンパ栓納め装着車)。
※旧製品。

今回は旧クモハ101-180+旧モハ100-203,旧クモハ100-144+旧モハ101-163(元ツヌ113F)の車両更新に特化した工程でもあった。
捻出された旧製品車両はほぼ原形を保ったまま保留車へと廻り旧製品編成組成に向け待機させる。
またクハ101-74以下6両(ツヌ113F:再生産品)を入場させずに全工程を終わらせた。
そのためクハ101-74とクモハ101-180では取り付けたジャンパ栓納め部品にLOT差が生じている。
先頭に立つクモハ101形及びクハ101形は旧製品LOTホース付ジャンパ栓納め装着車が多くツヌ113Fも変更しない予定である。
ツヌ113Fは再生産品編成到達が一段落となるが西行設定に再び対応させる可能性も有り得る。
その際はクモハ100-144(元ツヌ113F→クモハ100-170:ツヌ105F)と同一手法を採ると思う。
再生産品車両のクモハ100形動力ユニット搭載車が初登場する編成はツヌ113Fで間違いないだろう。

国鉄101系津田沼電車区104F [Mc159] 4+3-3編成 (現行LOTライト基板更新,前面窓支持色変更) ※旧製品+弁天橋区仕様

2019-07-04 21:39:18 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
4+3-3編成。

ようやくKATO製国鉄101系ツヌ104F(Mc159:旧製品+弁天橋区仕様)が出場した。
運転台付車両が3両以上組み込まれる編成はツヌ101F(T'c30),ツヌ103F(Tc48),ツヌ105F(Mc154),ツヌ116F-1(T'c91)が在籍する。
各々3+4+3編成,3+4+3編成,3-4+3編成,3+4-3編成と3両,4両,3両に分かれる組成だった。


国鉄101系ツヌ104F (1986/4)。
[ツヌ104F]:Mc159-M'185-T263-T'c35+Mc165-M200-T259_Tc75-M118-M'c133。
※旧製品+弁天橋区仕様:前面窓支持色変更施工編成。

津田沼区101系は1985年4月現在で10編成120両が配属されていた。
20両もの予備車を抱えながら形式が揃う編成は1本も無く全てがばらばらの構成であった。
1986年4月までに大幅な組成変更が実施され10編成中9編成はJR移行後と同様の4+6編成となる。
予備車もクハ101-62,クハ101-64,クハ101-65,クハ101-66の4両へと削減された。
ツヌ104F(Mc159)だけはモハユニットの転配が間に合わなかったせいか4+3-3編成が組まれる。
変則組成に加え唯一モハユニットが1組も入らない珍しい存在になった。
ちなみにこの中には弁天橋区から復帰したクモハ101-165+モハ100-200が含まれていた。
ただ7箇月後の1986年11月現在では4+6編成に改められ変則組成はラシ107F(Mc191)へと変わっている。
ラシ104F:Mc136-M'111-T245-T'c30+Tc81-M230-M'224-T105-M237-M'c175(1986/11)。
ラシ107F:Mc191-M'248-T247-T'c34+Mc141-M'114-T290_Tc85-M232-M'c171(1986/11)。
ラシ104Fはツヌ104F,ツヌ105F(Mc136),ツヌ107F(Mc141)からの編成異動車で固められた。
この組成はJR移行後に再開された101系置き換え開始直後の1988年3月まで続く事になる。
一方ツヌ104Fを組んでいた車両は転出や廃車が相次ぎ全て津田沼区を去った。
◆クモハ101-159+モハ100-185:廃車(1986/9)。
◆サハ101-263:廃車(1986/9)。
◆クハ100-35:廃車(1986/11→103系クハ103-2002 編入)。
◆クモハ101-165+モハ100-200:転出(弁天橋区:1986/7)。
◆クハ101-75:廃車(1986/7)。
◆クモハ100-133+モハ101-118:廃車(1986/6)。
唯一廃車を免れたクモハ101-165+モハ100-200は1969年3月に津田沼区へ転入した車両だった。
その後鶴見線新性能化用として1979年12月付で一旦弁天橋区に転出する。
約5年3箇月が経過した1985年3月に津田沼区へ還ってきた。
しかし編成異動の煽りを受け1986年9月には弁天橋区へ再転出してしまった。
久々の津田沼区復帰だったがその活躍は約1年6箇月と短期間で終わっている。


旧ツヌ102F。
※旧製品。

一時KATO製国鉄101系津田沼区仕様では列車線運用下り方面行を除いた全ての行先表示設定が出揃っていた。
しかし2018年11月にツヌ102F(Tc75:旧製品)を[西船橋]表示編成へと改めて以降[飯田橋]表示編成が消滅してしまった。
津田沼区仕様用種車の主力であるツヌ118F(Mc155:1978/3)は3+7編成だが大半が組成変更を行い出場させてきた。
ツヌ118Fではモハ100-208(ツヌ118F)が動力ユニット搭載車となるため3+7編成以外では動力車位置偏位を招き易い。
この場合モハ100形は専ら3号車に配される構成が多く牽引比率を高めるには東行設定とする必要があった。
当初在籍編成内での行先変更を模索していたがツヌ104Fは初登場となる4+3-3編成だった。
5,6号車はクモハ101-165+モハ100-200であり組成準備開始前に西行設定が可能だと判明する。
そこで急遽行先変更計画を撤回しツヌ104Fの行先表示類は当初より[27C 飯田橋]で確定となった。
離脱していた[飯田橋]表示編成が復活し101系メイクアップパーツ2(11-511)を含む行先設定は再び勢揃いした。


クモハ101-165+モハ100-200 (元クモハ101-170+元モハ100-158)。
※弁天橋区仕様+旧製品。

旧製品LOTと再生産品LOTが存在するツヌ118Fは双方で塗装仕上げが若干異なっている。
単独保留車だったモハ100-158(ツヌ118F:Mc155旧ツヌ118:旧製品)を救済するには旧製品編成が望ましいと考えた。
早くから構成は4+3-3編成で決まりプロトタイプもツヌ104F(Mc159:1986/4),ラシ107F(Mc191:1986/11)に絞られる。
両編成のうちラシ107F(1986/11)は国鉄時代習志野区仕様とクモハ101-191で発生する車両番号重複が弱点となった。
この頃には3+7編成のまま出場が可能なカノ18F(Mc191:再生産品←ツヌ118F:Mc155)も次期組成候補に挙がっていた。
既にJR101系クモハ101-191(ラシ106F:旧製品)が在籍しており二代目クモハ101-191(カノ18F)の登場はほぼ確実だった。
また出来る限り[国鉄時代=津田沼区仕様]とする原則を崩したくなくプロトタイプはツヌ104Fで決着している。
その代わりLP411前照灯不足が明白となりクモハ101-165にはクモハ101-170Assy車体組立車(Mc170:弁天橋区仕様)を起用した。
弁天橋区仕様車両は塗装仕上げが旧製品車両と近くモハ100-200(←モハ100-158:ツヌ118F)同等の側面見附に達したと思う。


[[千ツヌ 定員136]]:クモハ101-165。

クモハ101-165では[南テシ 定員136]標記印刷を消去しボナファイデプロダクト製インレタで[千ツヌ 定員136]標記に変更した。
他方ATS[BS]標記は実車の異動状況を踏まえ製品印刷再現が存置されている。
車歴表を辿るとクモハ101-165へのATS-S形追設工事は津田沼区復帰前の1983年1月に行われていた。
また津田沼区所属のATS-BS併設車は担ぎ屋運用が消滅した1981年10月以降も現状維持とされた。
ツヌ104Fを離脱したクモハ101-165はその後ATS-S形を必要とする弁天橋区へ再び転出している。
後年中間組込車へと廻ったATS-BS併設車と同じく津田沼区在籍時にATS-S形の撤去は実施されなかったと推測した。
4号車のクハ100-35(旧製品)は当然ATS-BS併設車でありATS[BS]標記印刷が並ぶ連結面もLOT差を感じさせない要素だと思える。


クハ100-35+クモハ101-165 (ATS[BS]標記印刷再現車+ATS[BS]標記印刷再現車)。
※旧製品+弁天橋区仕様。


クモハ100-170+クモハ101-148 (ツヌ105F:ATS[B]標記印刷再現車+ATS[B]標記インレタ再現車)。
※旧製品+弁天橋区仕様。

クモハ101-165が中間組込車となるため旧製品編成扱いとして仕立てたツヌ104Fだが旧製品原形保持編成ではない。
そのため今後も旧製品編成での存続が決定しているツヌ102F,カノ1F(Mc178),ラシ106F(Mc191)と同様の取扱いとなる。
中野区,津田沼~習志野区仕様の1stLOTライト基板装着先頭車両は全車現行LOT相当ライト基板更新を終えていた。
そこでクモハ101-159,クモハ100-133(旧製品)には予め準備した現行LOTライト基板更新済床板を転用している。
個体差が生じ易い表示器点灯色変更対策だがクモハ101-159とクハ100-35(ツヌ104F)を同時施工し色温度差異発生防止策とした。
クハ100-35用プリズムケースの移設により竣工が約半月遅れたクモハ101-133もクモハ101-159に近い表示器点灯色となった。


クモハ100-133 [27C 飯田橋]:現行LOTライト基板更新車。
※旧製品。


JR101系クモハ100-171 [13C 御茶ノ水]:ラシ106F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。

旧金型車体と現行LOTライト基板を組み合わせた車両はLP402前照灯車,LP411前照灯車共に存在する。
ただ竣工当初から現行LOTライト基板へ更新済のLP411前照灯車はクモハ101-159,クモハ100-133が初登場となった。
LP402前照灯車では廃車体復籍まで漕ぎ着けたクモハ100-108(ツヌ122F:Mc155←元クモハ100-108:元ツヌ118F)が竣工済だった。
しかし黄色5号LP411前照灯の遣り繰りが壁となりクモハ100-108(ツヌ122F)からかなり遅れて登場を迎えている。
寄りによってツヌ104F用運転台付中間組込車のうちクハ101-75,クハ100-35もLP411前照灯車だった。
保管品の弁天橋区仕様用LP411前照灯を充てるには勿体なく各々再生品と転用品で凌ぐ手法が取られている。
この状況下で回着したクモハ101-155(ツヌ118F→クモハ101-159)はLP411前照灯車へ改装済だったため救世主になってくれた。


サハ101-259+クハ101-75 (7号車+8号車)。
※旧製品。


クハ100-91+サハ101-250 (ツヌ116F-1:7号車+8号車)。
※旧製品。

18編成まで勢力が増した101系津田沼区仕様でも附随車代用制御車組込編成はツヌ102F,ツヌ104F,ツヌ116Fの3本に限られる。
今回登場したクハ101-75(ツヌ104F:旧製品)はクハ101-35(ツヌ102F:旧製品)以来の附随車代用クハ101形となった。
3-4+3編成のツヌ102Fでも同様の編成見附が再現されているがその配置は3,4号車と異なる。
ここはツヌ102F:3-4+3編成,ツヌ104F:4+3-3編成と明確な区分を設けられたと思う。
またツヌ116F-1(T'c91)では7,8号車が類似の見附となるものの7号車はクハ100-91(旧製品:第二次冷房改造車)である。
しかも形式がクハ101形,クハ100形に分かれるため同じ7号車+8号車ながら逆転する構図となった。
加えて両編成には大幅なプロトタイプ時差も存在しておりツヌ104Fならではの特徴と言えよう。


ツヌ107F,ツヌ104F。
※再生産品,旧製品。


カノ1F,ツヌ104F (第一次前面窓支持色変更試作編成,前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品。

前面窓支持色変更による旧製品運転台付車両の前面見附向上策はカノ1Fが第一次試作編成となった。
試行は続き車体振替と並行したJR101系ラシ105F(Mc148:第二次試作編成)でも採り入れている。
前面窓投影面積が拡大したように見えるだけだが旧製品車両特有の違和感を和らげてくれるように思えた。
旧製品編成での出場決定と同時にツヌ104Fから前面窓支持色変更施工を本格採用とした。
車両更新を経て再生産品編成に格上げされたツヌ107F(Tc83)はLP411前照灯編成である。
ツヌ107Fに比べややHゴム色温度差が濃過ぎる気がするもののツヌ104Fの前面見附も悪くなく見える。
またカノ1Fよりもその効果が高いように感じられるのは前照灯の違いに拠るものだと思われる。


ツヌ102F,ツヌ104F (製品原形前面窓セル装着編成,前面窓支持色変更施工編成)。
※旧製品。


JR101系ラシ105F。
※旧製品:第二次前面窓支持色変更試作編成。

一時は前面窓支持色変更施工候補に挙がったツヌ102Fだが現在でも製品原形前面窓セルのまま残されている。
旧製品先頭車両での前面見附改善策第一弾はLP411前照灯への交換でありツヌ102Fのプロトタイプ選定を左右した程だった。
まずまずの外観に達したと思えたツヌ102Fだが改めてツヌ104Fと比較すると前面窓天地に目が行ってしまう。
LP411前照灯と前面窓支持色変更の相乗効果によりツヌ104Fは中野区,津田沼区仕様(旧製品)でも一歩抜け出した編成となった。
但し旧製品編成全体ではKATO製B形防護無線アンテナ搭載及びJRマークを転写したラシ105Fの錯覚効果が最も高く思える。
なおツヌ102Fはツヌ104Fの比較対象として原形前面窓セルを維持させる方向で検討している。


ツヌ104Fサイドビュー(クモハ101-159:弁天橋区仕様用ホース付ジャンパ栓納め装着車)。
※旧製品。


カノ1Fサイドビュー(クモハ101-178:旧製品LOTホース付ジャンパ栓納め装着車)。
※旧製品:第二次冷房改造車。

クモハ101-159,クモハ101-165,クハ101-75に取り付けたジャンパ栓納めは弁天橋区仕様用で統一した。
保管品のジャンパ栓納め部品は旧製品LOT品が激減し弁天橋区仕様用,再生産品LOT品と残数が逆転してしまった。
当初は成形色が気になっていたものの違和感に繋がらないと判り現在では採用車も増えた。
編成単位での投入が不可能な形式構成でもあり旧製品LOTジャンパ栓納め部品は温存とし弁天橋区仕様用を持ち出した。
これにはクモハ101-170Assy車体組立車が充当されたクモハ101-165も一つの引き金となっている。
2019年3月から作業が開始されたツヌ104Fは約4箇月を経て出場へと至るツヌ109F(Mc202)にも劣らない長期戦となった。
しかし他には存在しない4+3-3編成と言う特徴まで持ち合わせており旧製品編成に拘った答を得られたと思う。

国鉄101系中野電車区18F [Mc191] 3+7編成 ([西カノ]電略標記変更) ※再生産品

2019-05-22 22:43:15 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
念願。

十五代目KATO製国鉄101系ツヌ118F(Mc155:再生産品)はカノ18F(Mc191:1984/10)に改装され出場した。
これで中野区仕様はカノ1F(Mc178:旧製品),カノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品)を併せた3編成体制へと増強された。
なお車両更新・車体更新及び組成変更を伴わずに正式出場した再生産品編成はカノ18Fが初登場である。




国鉄101系カノ18F (1984/10)。
[カノ18F]:Mc191-M'248-T'c92+Tc79-M238-M'231-T292-T'84-M244-M'c179。
※再生産品。

1984年10月現在の編成表によると中野区101系は5本が最後の活躍を見せていた。
201系の増備が進み既に18編成が姿を消し編成番号は虫食い状態だった。
なお編成番号が振られていない1編成もモハユニットが検査出場待ちとの記載がある。
従って間もなく復帰したはずで実質6編成が運用に就いていたと思われる。
組成は全て3+7編成で揃う中野区101系の伝統が引き継がれていた。
一方内嵌式尾灯車,サハ100形0番代,サハ100形200番代が在籍するなど津田沼区とは如何にも対照的であった。
◆カノ10F:Mc139-M'127-T'c94+Tc82-M145-M'140-T284-T'97-M112-M'c130(1984/10)。
◆カノ17F:Mc120-M'104-T'c93+Tc70-M143-M'138-T296-T84-M133-M'c74(1984/10)。
◆カノ18F:Mc191-M'248-T'c92+Tc79-M238-M'231-T292-T'84-M244-M'c179(1984/10)。
◆カノ19F:Mc166-M'202-T'c70+Tc69-M159-M'154-T'236-T'96-M123-M'c132(1984/10)。
◆カノ20F:Mc128-M'67-T'c74+Tc58-M192-M'186-T259-T127-M146-M'c44(1984/10)。
◆カノ--F:Mc127-M'59-T'c62+Tc68-M253-M'247-T230-T97-M100-M'c117(1984/10)。
津田沼区には在籍車自体が少なかった内嵌式尾灯車だがまだクモハ100-44,クモハ100-74が健在だった。
サハ100形0番代も3本に組成されておりカノ19F(Mc166)に至ってはサハ100-236+サハ100-96が並ぶ貴重な編成と言えた。
ちなみにサハ100-96,サハ100-236の廃車は1984年12月付である。
よってカノ19Fは同時期に運用から離脱した可能性が高いと思う。
カノ18Fは1984年12月までに編成が解かれ5両が津田沼区へ貸し出される。
津田沼区ではカノ10F(Mc139),カノ20F(Mc128)等との借入車編成を組みツヌ110F(Mc191)を名乗った。
◆ツヌ110F:Mc191-M'248-T'c92+Tc69-M253-M'247-T284-T'97-M244-M'c179(1984/12)。
貸出車のうちクモハ101-191+モハ100-248,クハ100-92は1985年3月付で正式な津田沼区所属車となった。
同時にモハ101-238+モハ100-231,クハ101-79も津田沼区へ転出している。
ツヌ110F(Mc191)を組んだクモハ100-179+モハ101-244だけは中原区に去っていった。
中野区101系運用終了後も残存したサハ101-292,サハ100-84だったが1986年1月を以て廃車された。


ツヌ108F。
※再生産品+旧製品。

十四代目ツヌ118F(旧製品:車体更新準備編成)に続く十五代目ツヌ118Fは約11箇月振りとなる再生産品編成導入でもあった。
再生産品編成は十代目ツヌ118F,十一代目ツヌ118F,十三代目ツヌ118Fが該当するが全て分散配置された。
3編成とも運転台付車両の約半数が車両更新,車体更新用種車へ充当され既存先頭車両を置き換えている。
当時再生産品編成増備と旧製品先頭車両削減は連動しており再生産品編成が増加しない一因と化した。
また十二代目ツヌ118Fではツヌ118F(Mc155:再生産品)にツヌ118F(Tc75:旧製品)を組み合わせる策が採られる。
そのためカノ18Fが出場するまで再生産品編成はツヌ107F(Tc83),ラシ104F(Mc136)と少数派に留まっていた。
但し各々旧ツヌ107F(旧製品),旧ラシ104F(再生産品+旧製品←ラシ104F:塗装変更車+旧製品)を更新した編成だった。


カノ13F。
※塗装変更車+旧製品。

一方中野区101系に関する手持ちの資料も少なく中野区仕様は度々プロトタイプ候補に挙がりながら落選を続けてきた。
加えてサハ100形用屋根板と[XXB]運行番号幕が壁を高くし所属編成初の中野区仕様登場は2016年2月まで遅れた。
組成契機はクハ101-35(ツヌ103F:Tc48)と振り替えられた旧クハ101-35(塗装変更車←旧クモハ101-78:旧ムコ3F)である。
カノ20F(Mc53:1984/4)がプロタイプに定まり元クハ101-35(←旧クハ101-35)はクモハ101-53(カノ20F)へ形式変更となった。
中野方先頭車両のクモハ100-44(カノ20F:塗装変更車)には別途投入したクモハ100-39(トタ5F:Tc14)が引き当てられる。
しかし10両編成化までに車両番号が特定出来ず旧カノ20F(M'120:塗装変更車+旧製品)は暫定出場を余儀なくされた。
その後元カノ20F(Mc53)からカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)へと再編され齟齬解消を果たしている。


カノ1F。
※旧製品。

2016年8月にツヌ113F(Mc185:旧製品)を再改装した旧カノ1F(Mc178:1979/3)が出場し中野区仕様は2編成体制となる。
当時はツヌ113F,ツヌ116F(Mc154:旧製品),ツヌ123F(Tc78:弁天橋区仕様+旧製品)が第二次冷房改造車組込編成だった。
3編成のうちカノ1F(3+7編成)と形式構成が合致したツヌ113Fは中野区仕様へ変更され発展的解消を遂げる。
なおカノ13Fはカノ20F以来[XXB]幕の代わりに[31C]幕を用いる津田沼区運用代走仕様が常態化していた。
ところが初代弁天橋区仕様(Mc170旧ラシ101F:Mc201)用付属品の[13B]幕が目に止まりさっそく旧カノ13Fを再出場させた。
当然ながらクモハ101-178,クモハ100-124(カノ1F:旧製品)にも[13B]幕が採用されカノ1F,カノ13Fでの共通仕様となった。


クモハ100-179 [13B 津田沼]:LP411前照灯車。
※再生産品。

[13B]幕は初代弁天橋区仕様用の他クモハ101-170,クハ100-86(Mc170:弁天橋区仕様)用しか予備品がなかった。
2編成分に限られていた[13B]幕をカノ1F,カノ13Fへ廻したため新たな中野区仕様編成は望めなくなったはすだった。
だが措置未定保留車解消を名目とした二代目弁天橋区仕様(Mc170ツヌ105F:Mc154)の導入で再び[13B]幕が復活する。
但し約2年9箇月の間に黄色5号LP411前照灯不足が顕在化しプロタイプ選択は大幅な制約を強いられてきた。
この影響を受けツヌ105F(再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)用LP411前照灯車はクハ100-54(再生産品)だけに留められる。
生憎クハ101-54は中間組込車でありLP411前照灯先頭車両を登場させるべく十五代目ツヌ118Fの増備が決定した。


クモハ101-191 [13B 津田沼]:LP402前照灯車。
※再生産品。

[13B 三鷹]表示に決まりかけていたカノ18Fだが津田沼区仕様との行先配分が絡み急遽[津田沼]幕へ変更した。
そのため中野方を締めるクモハ100-172(←クモハ100-108:ツヌ118F)はせっかくのLP411前照灯が活かせなくなった。
現在101系津田沼区仕様は東行,西行の均衡が大幅に崩れており[千葉]幕表示編成への偏重まで生じている。
この状況から脱するためツヌ104F(Mc159:旧製品+弁天橋区仕様)を出場させた後に行先配分均等化へ取り掛かる。
併せてカノ18Fを[三鷹]幕に変更する方向でクモハ100-172のLP411前照灯が点灯する日はそう遠くないと思う。
なお千葉方先頭車両のクモハ101-191(カノ18F←クモハ101-155:ツヌ118F)は見慣れたLP402前照灯車である。


サハ100-84(サハ100形0番代編入車)。
※再生産品。


サハ100-17(カノ13F:サハ100形0番代編入車)。
※旧製品。

旧サハ100-99(ツヌ113F:Tc74→サハ100-99:ツヌ113F)を最後に保管品からサハ100形用電装準備屋根板が消滅した。
カノ18F組成にはサハ100形用電装準備屋根板が欠かせずサハ100-38(トタ5F:Tc14)を導入し部品取車とした。
種車のサハ101-108(ツヌ118F)はサハ100-38用屋根板への交換と標記類変更だけでサハ100-84に形式変更された。
車体こそサハ101-108時代と変わってないがサハ100-17(カノ13F:旧製品),サハ100-99(再生産品)も同一仕様であり差し支えない。
プロトタイプ都合もありサハ100形黄色5号車両はサハ100-99(ツヌ113F:再生産品+旧製品)が最終竣工車になると思われた。
しかし中野区101系はサハ100形組込編成が多くカノ18Fで3両目のサハ100形黄色5号車両登場を呼び込んでいる。


サハ100-84+モハ101-244 ([(1)]エンド標記インレタ再現車+[(2)]エンド標記インレタ再現車)。
※再生産品+再生産品。

インレタ転写を不得手としながら[千ツヌ 定員○○○]標記印刷再現から[西カノ 定員○○○]標記インレタ再現への変更も実施した。
カノ13Fで先行使用したボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタしか持ち合わせておらず綱渡りの作業が続いた。
物理的に[西カノ 定員136]標記が賄えずクハ101-79(←クハ101-75:ツヌ118F)では[西カノ]電略標記と[定員136]標記を組み合わせた。
一方[西カノ定員144]標記インレタも全車が竣工した時点での残数は0両分と文字通り滑り込み状態であった。
また原則存置した[(2)]エンド標記印刷だがモハ101-244(←モハ101-91:ツヌ118F)に限りインレタ再現へと改められる。
これは形式変更で全面的なインレタ標記再現に至ったサハ100-84と側面見附を揃える名目でありカノ18Fでは異端車となった。
なお今後の電略標記印刷消去は黄色5号車両:ペイントリムーバー式,朱色1号車両:ユニクリーナー式が定着すると思われる。


ツヌ106F。
※再生産品+旧製品。


ツヌ102F,カノ18F。
※旧製品,再生産品。

ツヌ101F(Mc148:弁天橋区仕様+旧製品→ツヌ101F-2)が1980年代中盤をプロトタイプに据えた編成の嚆矢である。
運転台付車両6両は全てLP411前照灯車だったがまだ黄色5号LP411前照灯に余裕があった時期であり難無く改装出来た。
しかし旧製品LP402前照灯先頭車両の前面見附違和感改善対策にも黄色5号LP411前照灯が活用され減少へと転じる。
選択肢が狭まる状況下でツヌ103F(Tc48:旧製品),元ツヌ124F(Tc74:弁天橋区仕様+旧製品)を旧ツヌ103Fに再編した。
残されたツヌ103F構成車2両,元ツヌ124F構成車8両はツヌ102F(Tc75:旧製品)に纏められLP411前照灯旧製品編成が登場する。
1984年10月現在の編成表に従った黄色5号編成はツヌ102Fが初でありその後旧ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)も加わった。
だが後続は無くツヌ110F(Mc195←ムコ10F:Mc194)を抱えながらもカノ18Fが出場するまで勢力拡大には至らなかった。


カノ18Fサイドビュー(クモハ101-191:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※再生産品。


カノ13Fサイドビュー(クモハ101-59:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※塗装変更車:内嵌式尾灯車。


カノ1Fサイドビュー(クモハ101-178:[千ツヌ]電略標記印刷再現車)。
※旧製品:第二次冷房改造車。

中野区仕様3編成目の出場を飾ったカノ18Fは全て狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルで揃う整った編成見附に達した。
但しクモハ100-179だけは第一次整備時にクモハ101-160(ツヌ106F:再生産品)との側面窓セル相互振替を行っている。
同時にツヌ106F(再生産品+旧製品)の広幅Hゴム支持車統一が実現し十五代目ツヌ118Fは相乗効果を生んだ増備となった。
[西カノ]電略標記車はカノ13Fにも含まれるがクモハ101-59,クモハ100-34(塗装変更車),サハ100-17のみの施工に限られた。
ボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタを全て使い切る苦しい展開に迫られながらも所期の目的は果たせた。
なお最早お約束となった車両番号重複はクモハ101-191+モハ100-248,モハ101-238+モハ100-231で発生している。
幸い前者:ラシ106F(Mc191:旧製品),後者:ラシ101F(弁天橋区仕様+旧製品)と何れも習志野区仕様であり完全には被っていない。
一見では津田沼区仕様と大差ないものの[13B]幕と[西カノ]電略標記再現はカノ18Fの強力な武器になると思う。

国鉄101系津田沼電車区106F [Mc160] 6+4編成 (広幅Hゴム支持再現側面窓セル統一完了) ※再生産品+旧製品

2019-05-03 21:56:00 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
苦節。

KATO製国鉄101系ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)が広幅Hゴム支持車で統一され再出場した。
サハ101-269(ツヌ106F:再生産品)の竣工以降からクモハ101-160+モハ100-204(再生産品)は狭幅Hゴム支持車のまま残っていた。
2018年6月を起点とする側面窓セル交換は約11箇月を要して完了を迎えている。




国鉄101系ツヌ106F (1984/10)。
[ツヌ106F]:Mc160-M'204-T269-M217-M'210-T'c50+Tc81-M199-M'193-T'c64。
※再生産品+旧製品。
◆広幅Hゴム支持車統一。

国鉄101系津田沼区所属編成は1980年代中盤から組成変更が度重なった。
1983年4月,1984年10月,1985年4月,1986年4月現在の編成表によると車両異動が行われなかった編成は1本も無い。
この間ツヌ106Fは4+6編成→6+4編成→4+6編成→4+6編成と4回も組み換えが行われている。
二度出現した4+6編成はクハ101形,クハ100形が先頭に立つ晩年とは異なる組成とされた。
◆ツヌ106F:Tc64-M140-M'133-T'c58+Mc138-M'112-T105-M251-M'245-T'c35(1983/4)。
1983年4月の時点ではクハ101-64,クハ100-35が先頭車両に配されていた。
この当時4+6編成が組まれる機会は少なく雑多な組成ばかりの津田沼区101系でも珍しい存在だった。
約1年半が経過した1984年10月までに大規模な車両異動が実施される。
ツヌ106Fは全車が入れ替わりクモハ101-160,クハ100-64で挟まれる6+4編成となった。
全て区内異動で賄われクハ100-58以外はツヌ101F,ツヌ102F,ツヌ103F,ツヌ104F,ツヌ108Fへ離散した。
新たなツヌ106F(Mc160)はツヌ101F,ツヌ102F,ツヌ103F,ツヌ108F出自車に予備車が加えられた陣容となる。
クハ101-81+モハ101-199+モハ100-193+クハ100-64が4両付属編成とされサハ101形0番代は組み込まれなかった。
6+4編成も事例が少なく貴重な組成だったが1985年4月には再度4+6編成へと戻された。
◆ツヌ106F:Mc165-M'200-T259-T'c64+Mc136-M'111-T269-M198-M'192-T'c50(1985/4)。
このうちクモハ101-165+モハ100-200は1979年12月に弁天橋区へ転出したユニットで久し振りの津田沼区復帰だった。
車歴表では1985年3月転入とされているが1984年12月にはツヌ106Fへ組み込まれており借入が切っ掛けだったのかもしれない。
なおクモハ101-165+モハ100-200はツヌ104F(Mc159)への異動を経て1985年7月に弁天橋区へ再転出している。
1986年4月現在の組成表では4+6編成こそ維持されていたもののクモハ101-148,クモハ100-166が先頭車両に変わっていた。
◆ツヌ106F:Mc148-M'170-T241-T'c54+Tc83-M212-M'206-T84-M222-M'c166(1986/4)。
この組成変更ではツヌ104F(Mc159)を残し10編成中9編成の形式構成が統一される。
後に4+6編成7本で揃えられた習志野区101系へと繋がる大きな契機だった言えよう。
ツヌ106F(Mc160)構成車は大半が廃車となりJRに承継された車両はクハ101-81,クハ100-50,クハ100-64の僅か3両だけであった。
◆クモハ101-160+モハ100-204:1985年10月廃車。
◆サハ101-269:1986年9月廃車。
◆モハ101-217+モハ100-210:1987年3月廃車。
◆モハ101-199+モハ100-193:1985年2月廃車。


クハ100-64(再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

2016年7月に初出場したツヌ106F(Mc160)は比較的経年が浅い編成に属する。
編成前後で前照灯が異なる再生産品先頭車両登場を組成名目としたが構成車は寄せ集めとなった。
竣工第一号を飾った車両はクハ100-34(旧ラシ107F:Mc202)を改番したクハ100-64(再生産品)だった。
続いて竣工させたクハ101-81では意図的にクモハ101-155(ツヌ118F:旧製品)をクハ101形へ編入している。
再生産品車両を先頭に立たせるべくクモハ101-160クハ101-75(ツヌ118F:再生産品)を種車とする形式変更車となった。
更に旧ツヌ122F(Mc155)からの異動でモハ100-204,クハ100-50を賄い不足する車両には再生産品Assy車体組立車を投入した。
モハ100-208(元ツヌ122F:M215→モハ100-204)は車両更新を経ており再生産品車両比率が非常に高い編成であった。


モハ101-217(旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※旧製品。

そのためクハ101-81,クハ100-50(旧製品)の車体更新による再生産品編成昇格が検討された時期もある。
しかし再生産品運転台付車両を中間組込車へ充当する時期には当たらず計画は自然消滅した。
再生産品比率の高さから狭幅Hゴム支持車を中心とする編成見附を有していたが旧ツヌ107F(Tc83)の車両更新が危うくなる。
そこで急遽モハ101-217+モハ100-210(ツヌ106F:再生産品)とモハ101-212+モハ100-206(元ツヌ107F:旧製品)の振替えに至った。
これにより更新用種車不足に陥り掛けたツヌ107Fの再生産品編成昇格が達成されている。
モハ101-217+モハ100-210での車両振替はツヌ106Fが狭幅Hゴム支持車化へ突き進む実質的な転機となった。
次に槍玉へ上がったのはクハ101-81(旧製品)とクハ100-64(再生産品)に挟まれるモハ101-199+モハ100-193(再生産品)だった。


モハ100-193+クハ100-64 (元モハ100-247+元クハ100-34)。
※旧製品+再生産品。

クハ100-64は再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セルへ交換済でありクハ101-81(ツヌ106F)の側面見附に近かった。
その結果モハ101-199+モハ100-193が付属4両編成で浮いてしまいモハ101-241+モハ100-247(元ツヌ131F)と入れ替えられる。
ツヌ131F(Mc70)の黄色5号塗装変更車廃止に乗じてサハ101-269(再生産品)も旧製品LOT側面窓セル装着車へ改装した。
7両が狭幅Hゴム支持車だったツヌ106Fは徐々に広幅Hゴム支持車が増加し8両まで達する。
ところがあと2両を残した時点で側面窓セル交換は一時中断を余儀なくされた。
保管品には運転台付車用広幅Hゴム支持再現側面窓セルが存在せずクモハ101-160+モハ100-204の入場は延期となった。


クモハ101-160(再生産品LOT広幅Hゴム再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

手詰まりの状況は新たに増備した十五代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)で打破される。
毎度の如くクモハ100-108(ツヌ118Fクモハ100-179:カノ18F)には広幅Hゴム支持再現側面窓セルが装着されていた。
クモハ101-160との側面窓セル交換を行えばツヌ118F(→カノ18F:Mc191)も狭幅Hゴム支持車での統一が図れる。
障壁だった運転台付車用広幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルは十五代目ツヌ118Fの仕様に救われた。
最後に入場したモハ100-204では廃車発生品の転用にて広幅Hゴム支持車へと改めている。
再生産品車両と旧製品車両の構成比率こそ8:2から4:6へ下がったが編成見附は向上したと思う。


ツヌ105F,ツヌ106F。
弁天橋区仕様,再生産品。

モハ100-204が竣工した後にはクハ100-64とJR101系クハ100-34(ラシ107F)を振替える計画が持ち上がった。
ツヌ106Fの再生産品車両は1,2,3,10号車への配置でクハ100-64だけが独立した構成となっている。
クハ100-34(ラシ107F)は更新によりクハ100-86Assy車体(Mc170:弁天橋区仕様)へと置き替えた車両だった。
塗装仕上げはモハ100-193(9号車:旧製品)に近く更なる編成見附向上が期待できる。
編成前後でLOTの異なる編成はツヌ105F(Mc154)が出場済であり異端にもならない。
入場直前まで進めたがクハ100-34(ラシ107F)をATS[B]標記へ変更する作業が発生するため中止された。




ツヌ106Fサイドビュー(クモハ101-160:再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。


ツヌ105Fサイドビュー(クモハ101-154:旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

予定ではクハ100-34(ツヌ105F:弁天橋区仕様)とは異なる前面見附のクハ100-64(弁天橋区仕様)が登場するはずだった。
しかしペイントリムーバー式によるATS[BS]標記印刷消去失敗がちらつき取り止めた。
その結果ツヌ106Fは側面見附が変更されたのみの再出場で留まっている。
ただHゴム支持再現にばらつきのある編成を多数抱える中での仕様統一は意義があった。
旧製品車両,再生産品車両共に単独投入された車両が多数存在し10両編成を纏めるには様々な壁がある。
今後も可能な範囲で側面窓セルHゴム支持再現の統一を目指すが実現に持ち込める編成は限られると思う。

JR101系習志野電車区101F [Mc201] 4+6編成 (クモハ101-201,クモハ100-192 現行LOTライト基板更新) ※弁天橋区仕様+旧製品

2019-02-09 22:12:45 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
更新完了。

現行LOTライト基板への更新を終えたKATO製JR101系ラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)が再出場した。
サハ101-264以下5両(ラシ101F:旧製品)に側面窓セル窓サッシ印刷劣化は発生しておらず即竣工させている。
入場前との外観変更点はクモハ101-201,クモハ100-192(弁天橋区仕様)のATS[B]標記位置変更が目立つ程度に留まる。




JR101系ラシ101F (1988/2)。
[ラシ101F]:Mc201-M'255-T264-T'c59+Tc82-M238-M'231-T262-M263-M'c192
※弁天橋区仕様+旧製品。
◆現行LOTライト基板更新。

JR101系ラシ101Fには淀川区より転入したクモハ101-201+モハ100-255,クモハ100-192+モハ101-263が組み込まれていた。
クモハ101-201,クモハ100-192ともLP402前照灯を維持しており後年までラシ101Fの特徴となった。
なお国鉄末期の広域転配ではクモハ101-202以下4両(ラシ107F)も1984年11月に淀川区から津田沼区へ転入している。
クモハ101-202+モハ100-256,クモハ100-191+モハ101-262朱色1号のまま営業を開始した。
約5箇月遅れで1985年4月に配属となったクモハ101-201以下4両は黄色5号へ改められ回送されている。
ツヌ109F(7+3編成)→ツヌ109F(4+6編成)→ラシ106F→ラシ107Fへと渡り歩いたクモハ101-202以下4両とは異なる動きを見せる。
当初からツヌ101F(4+6編成)の両端ユニットへ充当され車両異動を経ずJRに承継された。
JR発足当時7編成体制だった習志野区101系は1987年度から103系による置き換えが本格的に始まる。
中でもラシ101Fは1988年3月に使用停止となり編成が解かれた。
サハ101-264はラシ104F(Mc136:サハ101形0番代組込編成)へ異動しツヌ103F時代の僚車だったサハ101-105を置き換えた。
◆ツヌ103F:Tc66-M232-M'c171+Tc73-M230-M'224-T264-T105-M118-M'c133(1985/4)。
ラシ104Fでは8号車に配され1988年11月30日の習志野区101系営業運転終了まで務めを果たす。
対照的にクモハ101-201以下9両は中原区へ転出となった。
3+6編成を分割する形態で登場し長らく中間組込車だったクハ101-82,クハ100-59は久し振りに先頭へ立つ機会を得た。
しかし第一次冷房改造車,第二次冷房改造車が集結していた中原区での活躍は短期間で終わっている。
◆ナハ28F:Tc82-M238-M'231-T262-M263-M'c192(1988/5)。
◆ナハ31F:Mc175-M'222-T'c91+Mc201-M'255-T'c59(1988/5)。
1989年10月現在では205系の新製投入により全てが予備編成及び保留車へ廻された。
モハ100-255は1989年2月付で先に廃車されユニット相手のクモハ101-201だけが単独の保留車になっていた。
中原区には南武支線用2両編成が配属されていたためそれなりに狙いがあったと思われる。
また元ナハ28Fは6両編成を組みながらも編成番号が失われていた。
ちなみに元ナハ28Fはラシ101Fとラシ107F(Mc202)を出自とする車両による6両編成が最期だった模様である。
◆ナハ--F:Tc82-M253-M'247-T262-M262-M'c191(1989/10:元ナハ28F)。


クモハ100-192(クモハ100形編入車)。
※弁天橋区仕様。

弁天橋区仕様(Mc170)のリリース告知がラシ101F(弁天橋区仕様+旧製品+塗装変更車)を組成する切っ掛けとなった。
当時習志野区仕様はラシ104F(Mc136:塗装変更車+旧製品),ラシ106F(Mc155:旧製品→ラシ106F:Mc191)の2編成体制だった。
記念すべき黄色5号新金型車体先頭車両は旧クモハ101-136,旧クモハ100-175(ラシ104F:塗装変更車)が初陣を飾った。
次にメーカー塗装かつ新金型車体先頭車両を登場させるべく初代弁天橋区仕様(Mc170)の導入に踏み切っている。
プロトタイプはラシ101Fに決定しツヌ118F(Mc155:旧製品),ツヌ118F(Tc75:旧製品),波動用車両(塗装変更車)を掻き集めた。
但し弁天橋区仕様にはクモハ100形が設定されておらずクモハ100-192クハ100-86(Mc170)の形式変更車となった。
工程は軽微で実質再生産品LOT相当クモハ100形用床板及び旧製品LOTクモハ100形用屋根板へ交換したのみに等しい。
たまたまユニット相手のモハ101-263(旧製品←旧モハ100-231:ラシ101Fサハ101-233:ツヌ118F)と屋根板LOTが揃えられた。
その後クモハ101-201+モハ100-255(弁天橋区仕様←クモハ101-170+モハ100-232:Mc170)も屋根板色温度統一を図っている。


サハ101-262(車体振替施工車)。
※旧製品。

当初サハ101-262,旧サハ101-264(ラシ101F:塗装変更車)にはサハ101-95,サハ101-286(ツヌ109F:Mc165)を引き当てた。
塗装変更車廃止は2016年6月でサハ101-264(旧製品←元サハ101-259:元カノ20F)の後旧サハ101-262(再生産品)が続いた。
折しもラシ107F(Mc202:塗装変更車+再生産品+旧製品)への塗装変更車集約を進めており大幅な車両異動が行われていた。
モハ101-262(ラシ107F:再生産品)が旧サハ101-262用種車に決定し旧ラシ101F(弁天橋区仕様+旧製品+再生産品)へと刷新された。
その旧ラシ101Fも定着せず旧サハ101-105(旧ラシ104F-1:T105)との車両振替を経てサハ101-262(旧製品)が竣工している。
過渡期の出場編成でありラプロス式標記印刷消去試行に加え1stLOTライト基板交換式表示器点灯色変更対策が採用された。
但し十代目ツヌ118F(Mc155:再生産品←旧ツヌ118F)がリリースされて以降弁天橋区仕様は増備対象から外れされた。
久し振りとなる二代目弁天橋区仕様(Mc170)はツヌ105F(Mc154:再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)組成準備が導入名目だった。
出場時期に恵まれたとは言えないラシ101Fだが習志野区仕様唯一の弁天橋区仕様先頭車両が配される貴重な編成となった。
旧製品車両,再生産品車両とも異なる前面窓Hゴム支持印刷再現は未だ健在で若干前面窓投影面積が狭く見える特徴を持つ。
車体更新時に101系800番代LOT前面窓セルを採用したラシ107F(再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)とは対照的である。
第二次前面窓支持色変更試作編成のラシ105F(Mc148:旧製品)と離合させるには最も適した存在で今後も交換予定は無い。


ラシ105F,ラシ101F。
※旧製品,弁天橋区仕様。

ツヌ110F(Mc195旧ツヌ110F:Mc194ムコ10F:Mc194)から開始した現行LOTライト基板への更新は都合8編成に及んでいる。
中野区,津田沼~習志野区仕様では先頭車両の車体更新入場と連動して1stLOTライト基板装着編成削減を進めてきた。
1stLOTライト基板振替式表示器点灯色変更編成も現行LOTライト基板更新計画が組まれていたがなかなか踏み出せなかった。
止まっていた現行LOTライト基板更新計画は2018年8月に車体改修を開始したツヌ110Fよりようやく本格化している。
なおクモハ101-195,クモハ100-805(ツヌ110F)では再生産品LOT相当床板交換式を採用したが捻出計画が狂い打ち切りとなった。
早くも現行LOTライト基板振替式へ変更した上で翌2018年9月にツヌ122F(Mc155旧ツヌ122F:M'c143)を再出場させた。


クモハ101-195 [03C 中野]:ツヌ110F(現行LOTライト基板更新車)。


クモハ101-155 [31C 幕張]:ツヌ122F(現行LOTライト基板更新車)。
※塗装変更車。

その後前照灯照度低下が著しくなった旧製品保持編成も現行LOTライト基板更新対象に加わっている。
旧製品先頭車両の先陣を切った編成は前面窓支持色変更試行と並行したカノ1F(Mc178:旧製品)で2018年10月に更新が完了した。
現在中野区仕様は現行LOTライト基板更新を経て出場したカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品←元カノ20F)との2編成体制である。
よって津田沼~習志野区仕様よりも先に中野区仕様から1stLOTライト基板装着編成が消滅している。
続くツヌ102F(Tc75:旧製品)ではラシ107Fの車体更新,改修入場に付随する変則的な現行LOTライト基板更新が行われた。
運良くクハ101-85,クハ100-34(ラシ107F)が現行LOTライト基板装着車だと判明しクハ101-75,クハ100-59(ツヌ102F)へ転用した。
この直前には2ndLOTライト基板,現行LOTライト基板捻出用種車が減少してしまい更新を続けられるか微妙な状況に陥っていた。
振り返ると旧ラシ105F(再生産品+旧製品)の旧製品編成再編が現行LOTライト基板更新を完遂させる分岐点だったように思える。


クモハ101-178 [13B 千葉]:カノ1F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。


クハ101-75 [11C 西船橋]:ツヌ102F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。

2018年10月に再生産品車廃止へと踏み切ったラシ105Fは車体振替を並行したため種車の床板が流用出来た。
クモハ101-148,クモハ100-160(ラシ105F)とも旧ラシ105Fが捻出元だがラシ107Fは現行LOTライト基板装着編成だった。
そのため旧ラシ105F構成車を集約したラシ107Fから2両分の現行LOTライト基板が生まれ更新可能な状況まで持ち込めている。
寄せ集めながら純増編成となったツヌ109F(Mc202)は保留車復帰第一弾に当たり当初から現行LOTライト基板を採用した。
第二弾のツヌ105Fでは本格的な新金型車体運転台付中間組込車が登場するため現行LOTライト基板確保に目途が立った。
二代目弁天橋区仕様(Mc170)の津田沼区仕様改装入場を前提とし2018年11月にツヌ116F(Mc154:旧製品)が入場している。
ツヌ116Fは暫定旧製品原形保持編成だったが何れ前面窓支持色変更を施す予定があり現行LOTライト基板更新に踏み切った。


クモハ101-154 [13C 三鷹]:ツヌ116F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。


クモハ101-70 [53C 津田沼]:ツヌ131F(2ndLOTライト基板更新車)。
※塗装変更車。

2019年1月現在での1stLOTライト基板装着編成はツヌ131F(Mc70),ラシ106F(Mc191:旧製品),ラシ101Fと3本まで減少していた。
このうちツヌ131Fはビス固定式TNカプラーSP取付試作編成でありクモハ101-70,クモハ100-68の台枠更新が必要だった。
車体改修が優先入場項目だったが諸事情により中断され主工程は現行LOTライト基板及び台枠更新へと変更されている。
また現行LOTライト基板による統一が難しくなったためツヌ131Fからは2ndライト基板も1stLOTライト基板廃止に充当した。
ツヌ131Fの入場まで同等品だと思っていた2ndライト基板,現行LOTライト基板は現行LOT相当ライト基板として扱ってきた。
ところが前照灯照度及び光束の広がりは現行LOTライト基板が勝ると判明し各々を区分する契機となっている。
ここで現行LOTライト基板供出可能車が底を突き2019年2月に再出場させたラシ106Fは2ndLOTライト基板装着編成とした。


クモハ101-191 [13C 御茶ノ水]:ラシ106F(2ndLOTライト基板更新車)。
※旧製品。


クモハ101-201 [07C 中野]:ラシ101F(現行LOTライト基板更新車)。
※弁天橋区仕様。

ラシ106Fの入場時に温存したクハ101-82用,クハ100-59用現行LOTライト基板はラシ101F内での交換を可能にする狙いがあった。
そして最後に1stLOTライト基板装着編成のまま残されていたラシ101Fも現行LOTライト基板更新を終えた。
LP402前照灯先頭車両がラシ101Fと競合するラシ107Fも現行LOTライト基板装着編成であり結果的には良い選択だったと思う。
ちなみに1stLOTライト基板の置き換え入場は大凡1編成/月単位で行われており珍しく順調な展開を見せた。
なお運転台付中間組込車へと廻された1stLOTライト基板のうち一部は照度低下が殆ど伺えず予備品兼用となっている。
旧製品原形保持編成には十分な照度を保つ1stLOTライト基板が欠かせないため切り分けの進行は収穫であった。




ラシ101Fサイドビュー(クモハ101-201:ATS[B]標記インレタ再現車)。
※弁天橋区仕様。


ラシ104Fサイドビュー(クモハ101-136:ATS[B]標記印刷再現車)。
※再生産品。

現行LOTライト基板への更新が軸に置かれた入場ではあったがクモハ101-201,クモハ100-192のATS[B]標記位置も修正した。
共にATS[BS]標記印刷消去を行いATS[B]標記インレタ再現へと改めた車両だったが乗務員室扉寄に偏位していた。
ATS[B]標記インレタを剥離したところATS[BS]標記印刷跡が露出し当時採り入れていた隠蔽策の名残だと判った。
現在用いている三種の印刷消去方法から塗装被膜への影響が少ないユニクリーナー式を選び黄色5号に戻している。
ラシ101Fの再出場でようやく中野区仕様に続き津田沼~習志野区仕様からも1stLOTライト基板装着編成が姿を消した。
全編成ともプリズム色挿式表示器点灯色変更対策で統一され1stLOTライト基板振替式との混在は解消に至った。
また5編成が在籍する習志野区仕様はラシ105F→ラシ107F→ラシ106F→ラシ101Fと続けて入場を迎え車体改修まで完了した。
唯一入場していないラシ104F(再生産品)だが特別扱いで手入れが行き届いている上に11両全車の車体更新も済ませている。
従って現状維持が習志野区仕様の課題と言え動力ユニット整備を含め定期的な点検を行う方針である。