試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区106F [Mc160] 6+4編成 (広幅Hゴム支持再現側面窓セル統一完了) ※再生産品+旧製品

2019-05-03 21:56:00 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
苦節。

KATO製国鉄101系ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)が広幅Hゴム支持車で統一され再出場した。
サハ101-269(ツヌ106F:再生産品)の竣工以降からクモハ101-160+モハ100-204(再生産品)は狭幅Hゴム支持車のまま残っていた。
2018年6月を起点とする側面窓セル交換は約11箇月を要して完了を迎えている。




国鉄101系ツヌ106F (1984/10)。
[ツヌ106F]:Mc160-M'204-T269-M217-M'210-T'c50+Tc81-M199-M'193-T'c64。
※再生産品+旧製品。
◆広幅Hゴム支持車統一。

国鉄101系津田沼区所属編成は1980年代中盤から組成変更が度重なった。
1983年4月,1984年10月,1985年4月,1986年4月現在の編成表によると車両異動が行われなかった編成は1本も無い。
この間ツヌ106Fは4+6編成→6+4編成→4+6編成→4+6編成と4回も組み換えが行われている。
二度出現した4+6編成はクハ101形,クハ100形が先頭に立つ晩年とは異なる組成とされた。
◆ツヌ106F:Tc64-M140-M'133-T'c58+Mc138-M'112-T105-M251-M'245-T'c35(1983/4)。
1983年4月の時点ではクハ101-64,クハ100-35が先頭車両に配されていた。
この当時4+6編成が組まれる機会は少なく雑多な組成ばかりの津田沼区101系でも珍しい存在だった。
約1年半が経過した1984年10月までに大規模な車両異動が実施される。
ツヌ106Fは全車が入れ替わりクモハ101-160,クハ100-64で挟まれる6+4編成となった。
全て区内異動で賄われクハ100-58以外はツヌ101F,ツヌ102F,ツヌ103F,ツヌ104F,ツヌ108Fへ離散した。
新たなツヌ106F(Mc160)はツヌ101F,ツヌ102F,ツヌ103F,ツヌ108F出自車に予備車が加えられた陣容となる。
クハ101-81+モハ101-199+モハ100-193+クハ100-64が4両付属編成とされサハ101形0番代は組み込まれなかった。
6+4編成も事例が少なく貴重な組成だったが1985年4月には再度4+6編成へと戻された。
◆ツヌ106F:Mc165-M'200-T259-T'c64+Mc136-M'111-T269-M198-M'192-T'c50(1985/4)。
このうちクモハ101-165+モハ100-200は1979年12月に弁天橋区へ転出したユニットで久し振りの津田沼区復帰だった。
車歴表では1985年3月転入とされているが1984年12月にはツヌ106Fへ組み込まれており借入が切っ掛けだったのかもしれない。
なおクモハ101-165+モハ100-200はツヌ104F(Mc159)への異動を経て1985年7月に弁天橋区へ再転出している。
1986年4月現在の組成表では4+6編成こそ維持されていたもののクモハ101-148,クモハ100-166が先頭車両に変わっていた。
◆ツヌ106F:Mc148-M'170-T241-T'c54+Tc83-M212-M'206-T84-M222-M'c166(1986/4)。
この組成変更ではツヌ104F(Mc159)を残し10編成中9編成の形式構成が統一される。
後に4+6編成7本で揃えられた習志野区101系へと繋がる大きな契機だった言えよう。
ツヌ106F(Mc160)構成車は大半が廃車となりJRに承継された車両はクハ101-81,クハ100-50,クハ100-64の僅か3両だけであった。
◆クモハ101-160+モハ100-204:1985年10月廃車。
◆サハ101-269:1986年9月廃車。
◆モハ101-217+モハ100-210:1987年3月廃車。
◆モハ101-199+モハ100-193:1985年2月廃車。


クハ100-64(再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

2016年7月に初出場したツヌ106F(Mc160)は比較的経年が浅い編成に属する。
編成前後で前照灯が異なる再生産品先頭車両登場を組成名目としたが構成車は寄せ集めとなった。
竣工第一号を飾った車両はクハ100-34(旧ラシ107F:Mc202)を改番したクハ100-64(再生産品)だった。
続いて竣工させたクハ101-81では意図的にクモハ101-155(ツヌ118F:旧製品)をクハ101形へ編入している。
再生産品車両を先頭に立たせるべくクモハ101-160クハ101-75(ツヌ118F:再生産品)を種車とする形式変更車となった。
更に旧ツヌ122F(Mc155)からの異動でモハ100-204,クハ100-50を賄い不足する車両には再生産品Assy車体組立車を投入した。
モハ100-208(元ツヌ122F:M215→モハ100-204)は車両更新を経ており再生産品車両比率が非常に高い編成であった。


モハ101-217(旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※旧製品。

そのためクハ101-81,クハ100-50(旧製品)の車体更新による再生産品編成昇格が検討された時期もある。
しかし再生産品運転台付車両を中間組込車へ充当する時期には当たらず計画は自然消滅した。
再生産品比率の高さから狭幅Hゴム支持車を中心とする編成見附を有していたが旧ツヌ107F(Tc83)の車両更新が危うくなる。
そこで急遽モハ101-217+モハ100-210(ツヌ106F:再生産品)とモハ101-212+モハ100-206(元ツヌ107F:旧製品)の振替えに至った。
これにより更新用種車不足に陥り掛けたツヌ107Fの再生産品編成昇格が達成されている。
モハ101-217+モハ100-210での車両振替はツヌ106Fが狭幅Hゴム支持車化へ突き進む実質的な転機となった。
次に槍玉へ上がったのはクハ101-81(旧製品)とクハ100-64(再生産品)に挟まれるモハ101-199+モハ100-193(再生産品)だった。


モハ100-193+クハ100-64 (元モハ100-247+元クハ100-34)。
※旧製品+再生産品。

クハ100-64は再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セルへ交換済でありクハ101-81(ツヌ106F)の側面見附に近かった。
その結果モハ101-199+モハ100-193が付属4両編成で浮いてしまいモハ101-241+モハ100-247(元ツヌ131F)と入れ替えられる。
ツヌ131F(Mc70)の黄色5号塗装変更車廃止に乗じてサハ101-269(再生産品)も旧製品LOT側面窓セル装着車へ改装した。
7両が狭幅Hゴム支持車だったツヌ106Fは徐々に広幅Hゴム支持車が増加し8両まで達する。
ところがあと2両を残した時点で側面窓セル交換は一時中断を余儀なくされた。
保管品には運転台付車用広幅Hゴム支持再現側面窓セルが存在せずクモハ101-160+モハ100-204の入場は延期となった。


クモハ101-160(再生産品LOT広幅Hゴム再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。

手詰まりの状況は新たに増備した十五代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)で打破される。
毎度の如くクモハ100-108(ツヌ118Fクモハ100-179:カノ18F)には広幅Hゴム支持再現側面窓セルが装着されていた。
クモハ101-160との側面窓セル交換を行えばツヌ118F(→カノ18F:Mc191)も狭幅Hゴム支持車での統一が図れる。
障壁だった運転台付車用広幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルは十五代目ツヌ118Fの仕様に救われた。
最後に入場したモハ100-204では廃車発生品の転用にて広幅Hゴム支持車へと改めている。
再生産品車両と旧製品車両の構成比率こそ8:2から4:6へ下がったが編成見附は向上したと思う。


ツヌ105F,ツヌ106F。
弁天橋区仕様,再生産品。

モハ100-204が竣工した後にはクハ100-64とJR101系クハ100-34(ラシ107F)を振替える計画が持ち上がった。
ツヌ106Fの再生産品車両は1,2,3,10号車への配置でクハ100-64だけが独立した構成となっている。
クハ100-34(ラシ107F)は更新によりクハ100-86Assy車体(Mc170:弁天橋区仕様)へと置き替えた車両だった。
塗装仕上げはモハ100-193(9号車:旧製品)に近く更なる編成見附向上が期待できる。
編成前後でLOTの異なる編成はツヌ105F(Mc154)が出場済であり異端にもならない。
入場直前まで進めたがクハ100-34(ラシ107F)をATS[B]標記へ変更する作業が発生するため中止された。




ツヌ106Fサイドビュー(クモハ101-160:再生産品LOT広幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※再生産品。


ツヌ105Fサイドビュー(クモハ101-154:旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

予定ではクハ100-34(ツヌ105F:弁天橋区仕様)とは異なる前面見附のクハ100-64(弁天橋区仕様)が登場するはずだった。
しかしペイントリムーバー式によるATS[BS]標記印刷消去失敗がちらつき取り止めた。
その結果ツヌ106Fは側面見附が変更されたのみの再出場で留まっている。
ただHゴム支持再現にばらつきのある編成を多数抱える中での仕様統一は意義があった。
旧製品車両,再生産品車両共に単独投入された車両が多数存在し10両編成を纏めるには様々な壁がある。
今後も可能な範囲で側面窓セルHゴム支持再現の統一を目指すが実現に持ち込める編成は限られると思う。
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