試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区115F [Mc144] 3+7クハ100形電装準備工事車組込編成 (車体更新完了:旧製品車両廃止) ※再生産品

2019-08-19 21:47:04 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
均整。

再生産品+旧製品編成だったKATO製国鉄101系ツヌ115F(Mc144)は再生産品車両で統一された。
在籍するKATO製101系ではラシ104F(Mc136),ツヌ107F(Tc83),カノ18F(Mc191),ツヌ113F(Tc74)に続く再生産品編成となる。
改修工程は狭幅Hゴム支持再現側面窓セルに拘りツヌ107F,カノ18Fと同格の編成見附へ達し再出場を果たした。




国鉄101系ツヌ115F クハ100形電装準備工事車組込編成(1979/3)。
[ツヌ115F]:Mc144-M'120-T'c12+Tc10-M241-M'234-T274-T101-M236-M'c174。
※再生産品。
◆車両更新,車体更新,車体改修完了。

国鉄101系は当初全車電動車の高性能形式として開発が行われモハ90系を称して三鷹区に新製配置された。
しかし地上電力設備不足や製造コスト等も絡み全車電動車構想は一旦棚上げされサハ98形を組み込む8M2T編成へ変更となった。
その後MT46主電動機の熱容量限界に近い6M4T編成まで電動車比率を下げる車両増備策が採られる。
1960年現在ではまだ全車電動車構想が残っており1960年8月にクハ100形電装準備車が登場した。
パンタグラフ搭載用設備や主電動機点検口が設けられる等クモハ100形への編入を考慮した設計が採用されていた。
全車電動車構想は1963年頃に放棄が確定しクハ100形も電装準備工事を要さなくなった。
そのためクハ100形電装準備車は僅か24両の製造に留まっている。
津田沼,中野区への101系投入は6M2T編成だった品川区からの転入車を中心とした。
10両編成化は新製されたクハ101形,クハ100形を組み込む方式が採用される。
よってクハ100形電装準備車が津田沼,中野区に配置されたのは一部を除き比較的後年の事である。
◆クハ100-7(1978年6月:中野区→1981年1月:中原区)。
◆クハ100-10(1981年2月:中野区→1981年11月:中原区)。
◆クハ100-11(1969年4月:中野区→1982年12月:廃車)。
◆クハ100-12(1976年9月:津田沼区→1980年3月:廃車)。
◆クハ100-14(1972年3月:中野区→1983年3月:廃車)。
◆クハ100-19(1979年6月:中野区→1983年6月:日根野区)。
元々の製造数が限られ車歴表を辿っても6両しか該当しない少数派だった。
101系初期製造車の淘汰が開始された1980年代前半には全車が津田沼,中野区を去っている。
中でもクハ100-12は唯一津田沼区に在籍したクハ100形電装準備車であった。
1960年11月落成車のクハ100-12は三鷹区へ新製配置され1969年4月に豊田区へと転出した。
約3年3箇月後の1972年7月に三鷹区復帰を果たしたが同年10月には武蔵小金井区へ転属する。
ところが1972年12月に入ると再び豊田区配属となり短期間での転配が繰り返された。
津田沼区への配置は1976年9月で出色の存在となったが約3年6箇月の活躍期間に留まり廃車を迎えている。
結局クハ100-12はクハ100形電装準備車24両で最初に廃車された車両になってしまった。
参考までに習志野区に在籍したクハ100形の最若番車はクハ100-30(ラシ104F:Mc136)である。
1964年9月に製造されたクハ100-30とクハ100-12は約3年10箇月しか車齢差がない。
習志野区101系の最期を飾ったクハ100-30は1988年11月に運用を外れた後も1990年2月まで車籍が残された。
これに対しクモハ100形への編入が実現しないまま約19年3箇月で生涯を閉じたクハ100-12は悲運の車両だったと言えよう。


旧ツヌ115F。
※旧製品。

二代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を種車に出場させたツヌ115F(Mc155)は2014年5月が初出場の初期出場編成だった。
まだ改番に手を出せなかった時期で3+7編成だったこともありツヌ118F(Mc155)と同一の外観を有していた。
改番は2014年6月に竣工した旧クハ101-35(旧ツヌ103F:Tc48→元クモハ101-53:旧カノ20F)との同時進行で行われる。
外観に齟齬の生じたクハ100-12は元クハ100-71(ツヌ110F:Mc195←クハ100-22)用屋根板が装着され電装準備工事車となった。
翌2014年7月には実車資料に即した電装準備工事撤去施工が決定しパンタグラフ踏板を切除している。
出来映えが良いとは言えなったが電装準備工事一部撤去車化でクハ100-12(旧製品)は完成形に達したと思われた。


モハ100-120+クハ100-12 (旧ツヌ115F:元モハ100-158+元クハ100-78)。
※旧製品。

しかし旧カノ13F(Mc59)に組み込まれた旧サハ100-17(再生産品←サハ101-233:ツヌ118F)の影響を受ける。
旧サハ100-17と屋根上見附を合わせるべく再びクハ100-22(ムコ10F:Mc194)用屋根板へ振り替え電装準備工事車に復帰させた。
2016年8月以降クハ100-12は手が加わらない状態が続き一応の安定期に入っている。
その後ツヌ115Fは2016年9月に投入された十一代目ツヌ118F(再生産品)による車体更新対象編成となった。
だが旧ツヌ113F(Tc74)の出場を急いだ影響でクモハ101-144,クモハ100-174が車両更新を終えた時点で作業は打ち切られる。
この判断は完全なる誤りと言え今入場で更新時差解消施工を呼び込む起点になってしまった。


モハ101-236+クモハ100-174 (狭幅Hゴム支持車+狭幅Hゴム支持車)。
※再生産品。

ユニット相手のモハ101-236,モハ100-120は更新が大幅に遅れ2018年3月まで新旧LOT混結ユニットが残存し続けている。
しかもクハ100-12以下6両(旧製品)と側面見附を揃える名目で旧製品LOT屋根板・側面窓セルへの交換を行った。
当時再生産品+旧製品編成の側面見附向上にはHゴム支持再現統一が最も有効だと考えた結果でもある。
再生産品編成昇格を全く考慮していなかった旧ツヌ115Fだが十六代目ツヌ118F(再生産品)の投入が転機となった。
モハ101-241+モハ100-234,クハ101-10,クハ100-12は更新により狭幅Hゴム支持車へと一新される。
これによりクモハ101-144+モハ100-120,クモハ100-174+モハ101-230を再生産品仕様へ戻す作業が発生した。


側面見附統一を陰で支えたクハ101-75(ツヌ118F)。
※旧製品。

再生産品LOT運転台付車用狭幅Hゴム支持再現窓セルはツヌ118F(再生産品)の癖が影響し予備品が無かった。
そのため直前に再生産品編成化されたツヌ113Fではクハ101-74,クハ100-85の側面窓セル交換を断念している。
ツヌ115Fの狭幅Hゴム支持車統一はLP411前照灯や再生産品LOT部品へ交換されていたクハ101-75(旧製品)に救われた。
クハ101-75(ツヌ118F)とツヌ108F(Mc133)用狭幅Hゴム支持車を加えた4両で広幅Hゴム支持車廃止へと持ち込んでいる。
またモハ101-236では再生産品LOT屋根板の引き当てに苦戦したが元サハ101-290(廃車:元ラシ107F)との振替えで乗り切った。
保管品の屋根板は旧製品LOT,再生産品LOT共に数量を把握できていないらしく今一度確認が必要だろう。




モハ100-120+クハ100-12 (再生産品LOT屋根板装着車+101系800番代LOT屋根板装着車)。
※再生産品。

更新後のツヌ115Fでも引き続きクハ100-12(3号車)が最大の特徴で標準的な3+7編成に彩りを添える。
旧クハ100-12は改番以降から仕様変更が相次ぎモハ100-120(2号車)と屋根板色温度の揃わない状態が続いてきた。
101系800番代LOT屋根板ではあるものの再生産品LOT屋根板とは色温度差が感じられず編成に馴染んでくれたと思う。
サハ100形(黄色5号)は当初の予想から一転してサハ100-17,サハ100-84(カノ18F),サハ100-99(ツヌ113F)まで勢力を拡大した。
これに対しクハ100形電装準備工事車(黄色5号)は実車の配置状況に加え屋根板を供出するクハ100-22(ムコ10F)が所要となる。
中野区101系編成表の欠落も多く当面はクハ100-12のみの在籍に留まると思われる。


クモハ100-174(車体改修施工車)。
※再生産品。

前途の通りツヌ115Fは旧ツヌ113Fの出場と並行した車両更新が再生産品+旧製品編成化への切っ掛けである。
第一次更新:2016年9月,第二次更新:2018年3月を経て初施工から約2年11箇月後に再生産品編成へと到達した。
全車ラプロス式改番車で揃えられたがクモハ101-144,クモハ100-174はペイントリムーバー式を併用していた時期に当たる。
モハ101-120,モハ100-236はラプロス式が定着した後の更新ながら現行方式とは若干施工差があった。
加えてモハ101-241+モハ100-234,クハ101-10,クハ100-12にはラプロス・消しゴム併用式印刷消去が採用された。
更新時差は車両番号標記周囲に強く現われていたが塗装被膜の修正でほぼ解消されたと思う。


ツヌ113F,ツヌ115F。
※再生産品。


カノ1F。
※旧製品:第一次前面窓支持色変更試作編成。

車両捻出の関係からツヌ113Fとツヌ115Fの間では車両異動が繰り返されてきた。
十六代目ツヌ118Fの分散配置で共に再生産品編成へ改められたため今後の異動は行われないと思う。
旧製品車両の捻出を狙った旧ツヌ113F,旧ツヌ115Fの更新入場は異例の措置でもあった。
これまでの車両更新,車体更新では保留車へ廻された旧製品車両を新金型車両で挟み戦列復帰させる手法が採られてきた。
しかしカノ1F(Mc178:旧製品)を試作編成とした前面窓支持色変更が当たったように感じられ旧製品編成の増強へと傾いた。
だが現在ツヌ118F(旧製品)は入手が厳しくなっており十六代目ツヌ118Fに代わりを務めさせる変則的な増備としている。




ツヌ115Fサイドビュー(クモハ101-144:再生産品LOT屋根板,側面窓セル復旧施工車)。
※再生産品:車体更新車。


JR101系ラシ104Fサイドビュー(クモハ101-136:旧製品LOT屋根板,側面窓セル交換施工車)。
※再生産品:車体更新車。


JR101系ラシ105Fサイドビュー(クモハ101-148:再生産品LOT屋根板,側面窓セル交換施工車)。
※旧製品:車体振替施工車。

再生産品投入の第一陣を飾った十代目ツヌ118F(←旧ツヌ118F:Mc155)は暫定出場後に車体更新用種車へ充当され離散する。
これは編成見附向上を優先した結果でありラシ107F(Mc202)出場よりもラシ104Fに軸が置かれた当時の状況を示している。
部品統一への拘りは旧ラシ104Fでも垣間見えたが旧製品LOT屋根板,側面窓セルを流用する現在とは真逆の方式が採用された。
2018年10月に車体振替を行ったラシ105F(Mc148:旧製品)ではラシ104Fの対照とすべく狭幅Hゴム支持編成に仕立てている。
均整の取れたラシ105FはHゴム支持再現統一への契機となりツヌ115Fに続く流れを形作った。
僅かな出場時差しかなかったツヌ113Fで辿り着けずに終わった狭幅Hゴム支持車統一はツヌ115Fにて結実したと言えよう。
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