試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区101F [Mc193] 3+4+3朱色1号混色:R-Y編成 (行先表示類変更)

2019-11-06 22:07:46 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
周期的。

行先表示類の変更を終えたKATO製国鉄101系ツヌ101F-1(Mc193)が再出場した。
クモハ101-193+モハ100-808は保管品増強のため旧製品LOT側面窓セルへ交換している。
都合三度目の側面見附変更を迎えたが西行設定は旧ツヌ107F-2(Mc193)時代以来となった。




国鉄101系ツヌ101F 朱色1号混色編成(1984/X)。
[ツヌ101F-1]:Mc193-M'808(-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53)。
※イメージ編成(1984/6)。
◆運行番号,行先表示変更,クモハ101-193,モハ100-808 側面窓セル交換,電略標記変更。

国鉄101系クモハ101-193+モハ100-808は1984年5月~1985年3月の約10箇月だけ津田沼区に配属されていた。
転入当初は先頭に立っていたが間もなくしてツヌ101F(Mc154:3+4+3編成)の中間へ封じ込まれる。
その後1984年12月には組成変更が行われツヌ101F(Mc148)へ組み込まれる事無く予備車に廻された。
予備車扱いとなった後の詳細は不明だが朱色1号のまま弁天橋区へ転出している。
1984年度の101系転属予定表に拠るとクモハ101形0番代+モハ100形800番代は4ユニットが津田沼区へ転入するはずだった。
都合5ユニットが車籍を有していたクモハ101形0番代+モハ100形800番代だが残る1ユニットは事業用車両改造用途に内定済であった。
恐らくクモハ101-193+モハ100-808はクモハ101形0番代+モハ100形800番代ユニット転用の第一陣だったと思われる。
第二陣は1984年7月のクモハ101-196+モハ100-811となり各々クモヤ145-117,クモヤ145-118へ改造された。
1984年10月現在では他3ユニットはまだ武蔵小金井区に在籍していた。
このうち1編成は津田沼区へ貸し出されツヌ110F(Mc195)を名乗っている。
◆ムコ00F:Tc67-M59-M'c102+Mc192-M'807-T'107-T219-T40-M109-M'c801(1984/10)。
◆ツヌ110F:Mc195-M'810-T'c71+Mc194-M'809-T'68-T'227-T'94-M57-M'c805(1984/10)。
ツヌ110Fには転属計画に含まれる2ユニットが組成されており異動を考慮した貸し出しにも見える。
しかし貸出期間は1985年1月までの予定だったがそれよりも早い1984年12月に前倒しされた。
どうやらこの頃までに101系配属計画の変更があったらしくクモハ101-193+モハ100-808に続く津田沼区所属車は現れなかった。
クモハ101-196+モハ100-811の改造終了後からクモハ101形0番代+モハ100形800番代ユニットは動きが無い状態となる。
ようやく1985年3月のクモハ101-194+モハ100-809を皮切りに異動が再開されたが転属先は計画とは異なる弁天橋区であった。
同月中にクモハ101-195+モハ100-810,クモハ101-192+モハ100-807が相次いで弁天橋区へ転出する。
その結果先陣を切って異動したクモハ101-193+モハ100-808だけが津田沼区に取り残されてしまった。
結局クモハ101-193+モハ100-808も1985年3月下旬に弁天橋区へ去っていった。
時を同じくしてクモハ101形0番代+モハ100形0番代4ユニットが弁天橋区から津田沼区へ転入している。
事実上津田沼区,武蔵小金井区,弁天橋区間での三角車両異動にて不足分を補った結果になった。
津田沼区初配置を迎えたクモハ101-141+モハ100-114だったが1986年10月に廃車となる。
クモハ101-159+モハ100-185,クモハ101-165+モハ100-200,クモハ101-172+モハ100-216は言わば出戻り組であった。
しかもクモハ101-172+モハ100-216:1986年6月,クモハ101-165+モハ100-200:1986年7月と揃って弁天橋区に再復帰した。
代替の4ユニットは短期間での活躍に終わりクモハ101-159+モハ100-185も1986年9月付で廃車されている。


クモハ101-193+モハ100-808 (旧ツヌ101F-1:101系0番代2ndLOT側面窓セル装着車+101系0番代2ndLOT側面窓セル装着車)。

2014年6月に竣工したクモハ101-193+モハ100-808はクモハ101-193,モハ100-809(ムコ10F:Mc194)が種車である。
当初101系800番代LOT側面窓セル装着車だったが2016年6月にクモハ101-60,モハ100-35(ムコ予備00F:Mc60)と振替えた。
これはツヌ101F-1への異動に際しクハ100-30以下8両(ツヌ101F:T'c30)の見附に揃える狙いがあったらしい。
旧ツヌ101F-1(Mc154)時代には全く気に掛けておらず降って湧いた仕様変更だった。
その後ムコ3F-2(Mc56)の側面見附統一に駆り出されクモハ101-56+モハ100-806との振り替えが行われる。
この交換により製品原形へ復帰したクモハ101-193+モハ100-808は現状維持が続くと思っていた。


クモハ101-193+モハ100-808 (旧製品LOT側面窓セル装着車+旧製品LOT側面窓セル装着車)。


モハ100-808+クハ100-30 (旧製品LOT側面窓セル装着車+旧製品LOT側面窓セル装着車)。

ところが101系800番代LOT側面窓セル(保管品)の遣り繰りが厳しくなり再び窓セル交換に踏み切った。
今回は旧製品LOT窓セル(発生品)を採用しておりHゴム支持モールドの輪郭が太くなった。
そのため101系0番代LOT(トタムコ3F:Mc78)窓セルを装着していた2016年6月~2018年5月当時とは若干印象が異なる。
また窓セル交換に併せ[西ムコ]電略標記印刷を[千ツヌ]電略標記インレタに改めた。
ユニクリーナー式印刷消去はクモハ101-202(ツヌ109F:Mc202)以降行っていなかった。
最初に施工したモハ100-808では溶解が進まない[西ムコ 定員144]電略標記印刷に気を揉んでいる。


[[千ツヌ 定員144]]:モハ100-808


[[千ツヌ 定員136]]:クハ100-53。

インクが溶ける時間を掴めた後に入場したクモハ101-193は不安無く作業が行えた。
共に成形色の露出は無く[千ツヌ 定員136],[千ツヌ 定員144]電略標記インレタ転写も一発で切り抜けている。
電略標記に関してはレボリューションファクトリー製[千ツヌ 定員144]インレタが転写されていたクハ100-53も修正対象となる。
クハ100-86(Mc170:弁天橋区仕様)を種車とするクハ100-53は[南テシ 定員136]電略標記印刷が消去済だった。
だが2015年12月に行われたペイントリムーバー式印刷消去は仕上げが甘く[テシ 定員136]標記跡が顔を覗かせる状態であった。
そのため[テシ 定員136]標記跡をラプロス#8000で消し去った後に[千ツヌ 定員136]電略標記へ変更した。
なお今回使用した[千ツヌ]電略標記インレタは全てボナファイデプロダクト製である。


モハ100-117+クハ100-53 (元モハ100-232+元クハ100-86)。
※弁天橋区仕様。


モハ100-120+クハ100-12 (ツヌ115F:元モハ100-158+元クハ100-78)。
※再生産品。

レボリューションファクトリー製電略標記インレタは電略標記印刷より二回り小さかった。
現在使用しているボナファイデプロダクト製電略標記インレタはやや小振りな程度で印刷再現車との差異は縮小した。
但し不得手なインレタ転写故に車両毎のずれは防ぎようがない。
だが再生産品では運転台付車両を中心に電略標記印刷位置の高い車両が存在しており誤魔化せる範囲だと考えている。
なお寄せ集めで組成したツヌ101F(T'c30)には電略標記変更車が多く含まれている。
ツヌ101F-2(Mc148)を再出場させるにはクモハ101-148の行先表示類変更等が必要であり今後も電略標記修正を進める。


クモハ101-193 [53C 武蔵小金井]:101系800番代LOT前面窓セル装着車。


クハ100-53 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区仕様前面窓セル装着車。
※弁天橋区仕様。

クモハ101-193,クハ100-53双方とも種車の前面窓セルを承継させた。
ムコ10F(Mc194),弁天橋区仕様(Mc170)を出自とする先頭車両の大半は前照灯交換が行われている。
何時の間にか製品仕様と合致する車両が消滅しており今回の存置に繋がった。
各々Hゴム支持モールド幅や色温度の差があるが車体色が違うため違和感は抱かないと思う。
ツヌ118F(Mc155)の出場で重複した[13C 千葉]表示は全面変更となった。
かねてから西行への改める計画があり[53C 三鷹]表示の採用が最有力だった。
ところがぐずぐずしているうちにツヌ109Fの出場や他編成での行先変更が影響し断念に追い込まれる。


ツヌ109F,ツヌ101F-1。


ツヌ106F。
※再生産品。

計画時よりも[三鷹]表示編成と[中野]表示編成の割合が高くなり選択肢が一気に狭められた。
ツヌ118Fに付属する行先方向幕部品は[三鷹]幕,[中野]幕,[西船橋]幕,[津田沼]幕に限られる。
101系メイクアップパーツ2(11-511)には[御茶ノ水]幕,[飯田橋]幕があるものの[御茶ノ水]幕は2編成に充当済だった。
[飯田橋]幕はツヌ104F(Mc159)で正式採用した以外中間組込車に使用され散在してしまった。
残る西行は[武蔵小金井]幕に絞られツヌ106F(Mc160)以来となる[武蔵小金井]表示編成の登場となった。
運行番号は初期計画を引き継ぎ[53C 武蔵小金井]表示で落ち着いている。




ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:旧製品LOT窓セル装着車)。


ツヌ109Fサイドビュー(クモハ101-202:再生産品LOT窓セル装着車)。


ツヌ110Fサイドビュー(クモハ101-195:101系800番代LOT窓セル装着車)。

側面見附はクモハ101-193+モハ100-808のHゴム支持色温度が表立った変更点と言える。
入場前はツヌ110F(Mc195)と同一仕様であったが明確な差別化が図られた。
またツヌ109Fには再生産品LOT狭幅Hゴム支持再現窓セルが採用されており三者三様となっている。
[千ツヌ]電略標記への変更も長年の課題で約5年6箇月を要して解消に至った。
今後もKATO製101系津田沼区仕様の朱色1号編成,朱色1号混色編成は3編成体制が続くと思われる。
ツヌ101F-1,ツヌ109F,ツヌ110Fでの釣り合いを取るには現状が最良の選択だと思う。
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