試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄103系津田沼電車区324F [Tc217] 朱色1号混色:R-Y-R-Y-R編成 (車体改修,行先変更,サハ103-768,769 車体更新)

2019-02-26 23:45:34 | 国鉄/JR103系出場:総武・中央線
全車入場。

KATO製103系量産冷房車では初となる本格的な車体改修を終え国鉄103系ツヌ324F-1(Tc217)が再出場した。
未入場だったモハ103-337,モハ103-339にも車体内側及び車体断面の朱色1号塗料粉除去を施した。
当初KATO製101系編入車であるサハ103-768,サハ103-769の車体更新を主工程としたが結局10両全車が入場している。




国鉄103系ツヌ324F 朱色1号混色編成(1983/4)。
ツヌ324F-1:Tc217-M337-M'493-T768-M338-M'494-T769-M339-M'495-Tc218
◆車体改修,行先変更。

ツヌ324Fを構成するクハ103-217以下8両の量産冷房車は1973年1月に製造された。
武蔵野線用101系1000番代改造種車捻出を名目に豊田区へ投入された中央線快速用103系の第一陣である。
豊田区には1973年1月~2月までに10両編成7本が配属されたがこのうち2編成は当初からサハ103形750番代組込編成だった。
この時サハ103-751~754が初登場し1973年8月に増備された1編成にもサハ103-755,756が組み込まれている。
新製配置時の詳細は不明であるがクハ103形高運転台ATC準備車投入後は以下の編成を組んでいた。
◆トタ--F:Tc213-M331-M'487-T332-M332-M'488-T333-M333-M'489-Tc214(1979/3)。
◆トタ--F:Tc217-M337-M'493-T328-M338-M'494-T329-M339-M'495-Tc218(1979/3)。
◆トタ--F:Tc231-M358-M'514-T340-M359-M'515-T341-M360-M'516-Tc232(1979/3)。
◆トタ--F:Tc235-M364-M'520-T751-M365-M'521-T752-M366-M'522-Tc236(1979/3)。
◆トタ--F:Tc259-M402-M'558-T755-M403-M'559-T756-M404-M'560-Tc260(1979/3)。
◆トタ--F:Tc311-M340-M'496-T753-M341-M'497-T754-M342-M'498-Tc312(1979/3)。
◆トタ--F:Tc313-M343-M'499-T330-M344-M'500-T331-M345-M'501-Tc314(1979/3)。
◆トタ--F:Tc315-M367-M'523-T344-M368-M'524-T345-M369-M'525-Tc316(1979/3)。
その後1980年7月に10両編成5本が新たに配備されクハ103形高運転台非ATC車が登場する。
サハ103形750番代はサハ101形冷房改造車を種車とするサハ103-768~772の5両が加わった。
何れも側面行先表示器の追設が見送られサハ103-751~756とは仕様が異なる。
中でもサハ103-771,サハ103-772は101系第一次冷房改造車特有の2エンド側へ偏位したAU75冷房機が目立っていた。
豊田区103系は1981年9月から津田沼区等への転出が始まり少しずつ勢力を縮小していく。
津田沼区転属第一陣は1980年に配置されたばかりのツヌ311F(Tc821),ツヌ312F(Tc817)であった。
ツヌ311Fはサハ103-772を含む編成で津田沼区所属のサハ103形750番代が現れる。
なお豊田区1979年3月現在の編成と津田沼区転入後で組成が異なる編成が見られた。
ツヌ323F(Tc811)は黄色5号に塗装変更され転入したがサハ103-328,サハ103-329の製造年次が他車両と合致しない。
そのためサハ103形の組み替えは豊田区時代に実施されていたと思われる。
◆ツヌ314F:Tc213-M331-M'487-T324-M332-M'488-T325-M333-M'489-Tc214(1981/10)。
◆ツヌ323F:Tc811-M746-M'2003-T328-M747-M'2004-T329-M748-M'2005-Tc818(1982/7)。
◆ツヌ324F:Tc217-M337-M'493-T768-M338-M'494-T769-M339-M'495-Tc218(1982/12)。
仮にツヌ324Fのサハ103形がサハ103-328,サハ103-329のままであれば独特の朱色1号混色編成は出現しなかったかもしれない。
ツヌ324Fは1983年5月にサハ103-768,サハ103-769が黄色5号へ塗り替えられる。
残るクハ103-217以下8両は翌1984年9月から順次入場し黄色5号編成に揃えられた。
サハ103-768,サハ103-769だけが黄色5号となる混色編成は約1年4箇月に及ぶ活躍の後に姿を消している。


ツヌ324F-2。

未だ製品化されていないサハ103形750番代の竣工は紆余曲折を経たものだった。
最終的にKATO製101系を種車に据えサハ103形750番代編入へと踏み切っている。
Hゴム再現が全く異なるKATO製103系量産冷房車との混結は多少無理があると言わざるを得ない。
ただサハ103形750番代組込編成の出場には加工工程が少ないKATO製101系が適していた。
偶然にもモハ101-46,サハ100-38(トタ5F:レジェンドコレクション)の導入が図れた。
ジャンク車両だったため遠慮なく種車に起用し側面行先表示器未設置車のサハ103-768,サハ103-769を竣工させた。
後追いでKATO製103系量産冷房車の増備を行い旧ツヌ324F(Tc217→ツヌ324F-2)が出場する。
その後二代目サハ103-768,サハ103-769の竣工で塗装変更車だった初代サハ103-768,サハ103-769をツヌ324F-1(Tc217)へ異動させた。
しかし仕上がりが芳しくない塗装変更車はツヌ324F-1の編成見附を崩す要因でもあった。


サハ103-768(車体更新車)。
※旧製品。

現在KATO製101系はモハ100-158(元ツヌ118F:Mc155),旧モハ100-256(元ラシ107F:Mc202)が保留車に廻っている。
何れも車体更新過程でユニット相手を失ったため復帰に向けモハ101-215,モハ101-215(ツヌ118F:中古製品)を導入した。
旧製品のモハ100-158,旧モハ100-256にLOTを合わせたが肝心なプロトタイプを定めていなかった。
101系でモハユニットを2組挿入する10両編成は在籍編成でもツヌ106F(Mc160),ツヌ107F(Tc83)の2本と少数派である。
組成条件が厳しい上に残る6両の増備も旧製品で形式を揃えられるか微妙だった。
101系保留車再生は中断に追い込まれモハ101-215,モハ101-215をサハ103-768,サハ103-769(ツヌ324F-1)の更新用途へ変更した。
これまで竣工させたサハ103形750番代はサハ103-768,サハ103-769(ツヌ324F-1)だけが塗装変更車だった。
車体更新により7両全車のメーカー塗装車体統一が実現し基本的な外観を整えられた。
ちなみに101系800番代LOT窓セル装着車のサハ103-768,サハ103-769(ツヌ324F-2)とは印象が異なる。


モハ102-494+サハ103-769 (モハ102形0番代+サハ103形750番代)。

車体更新工程は車体が101系そのものであり労さないと考えていたが甘かった。
サハ103-769の更新種車に起用したモハ101-215は各車体標記印刷消去へ挑んだ痕跡が伺えた。
ペイントリムーバー式印刷消去車での車体改修を参考に艶が強く現れた塗装被膜修正へ着手する。
車両番号標記印刷はサハ103形750番代への編入が伴うため消え去っても何ら問題ない。
一方車体更新前には存在しなかった[千ツヌ]電略標記印刷はサハ103-768が竣工した後だけに温存を意識した。
ラプロス#6000による塗装被膜修正で大幅に薄くなってしまったが辛うじて生き残っている。
なお103系の電略標記再現には固執しておらずクハ103-217以下8両は[西トタ]のまま存置された。


整備を行ったモハ103-338用動力ユニット。

モハ103-338が搭載する動力ユニットは現行LOT品で初の整備施工例となっている。
基本構造は旧LOT動力ユニットと全く変わっておらず従来通りの手順で構わなかった。
整備事例の少ないKATO製103系用動力ユニットであるが分解方法に誤りがあった。
ユニットカバーとモーター周りは一体で取り外せると判明し以後の工程簡略化が確実となる。
気になっていた起動加速度低下と段付加速はモーター軸受及びDT33動力台車への注油実施で改善された。
KATO製動力ユニットでは余程症状が激しくない限りモーターに手を出さない方針だった。
高経年とは言えないモハ103-338は以前から調子を落としている様に感じられ注油へ踏み切っている。
その後の経過も良好であり走行距離が伸びつつある車両は整備工程に含める予定である。


ツヌ325F,ツヌ324F (朱色1号編成,朱色1号混色編成)。

行先方向幕ステッカー交換に伴い初出場以来の[05C 中野]表示から[05C 千葉]表示へ変更した。
東行への変更は西行設定のツヌ325F(Tc231:朱色1号編成)との離合を考慮したものだが選択肢は[幕張]幕か[千葉]幕に限られた。
これはKATO製クハ103形低運転台量産冷房車の狭幅行先表示器に左右されている。
自作三文字表示幕が収められらないため一時専用[津田沼]幕まで製作したものの窮屈感は拭えなかった。
その後専用[津田沼]幕も廃止されKATO製クハ103形低運転台量産冷房車編成は二文字表示幕で統一される。
そのため今回も[西船橋]幕,[津田沼]幕は候補にすら挙がらず無難な[千葉]幕で落ち着いた。
切り出し幅はツヌ315F-3(Tc213)にて取り入れた行先表示器セルからはみ出す寸法とした。
これにより錯覚効果で広幅感が醸し出されツヌ325Fとは異なる前面見附に至ったと思う。
その他前照灯用電球の前進による照度向上策が正式工程に格上げされKATO製クハ103形量産冷房車へ展開する。




ツヌ324F-1サイドビュー(クハ103-217:車体改修施工車)。


ツヌ319Fサイドビュー(クハ103-235:車体改修未施工車)。

車体改修は最早恒例となった側面窓セル窓サッシ印刷補修以外にも手を伸ばしている。
前途の通り車体内側,車体断面は定着し切れていないメーカー塗装の朱色1号塗料粉除去を行った。
これはモハ102-493,モハ102-494,モハ102-495の入場で気付き急遽改修工程に組み入れた。
幕板の汚れも酷く手慣れてきた窓サッシ印刷補修よりも手間を要する工程であった。
更にクハ103-217,クハ103-218では前面窓セル補修も加わり想定以上の改修規模となっている。
まだ改修入場時期には入らないと思われたKATO製クハ103形低運転台量産冷房車編成だが思惑が外れた。
ツヌ324F-1と竣工時期の近いツヌ319F(Tc235:朱色1号編成)も老朽化の気配が現れている。
ただLOTの遡る在籍車両が相当数に上るため劣化状態を見ながら改修を本格化させる。
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