試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区122F [Mc155] 7+3黄緑6号混色:YG-Y編成 (組成変更,廃車体復籍,現行LOT相当ライト基板更新)

2018-09-09 21:47:59 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
旧態。

KATO製国鉄101系ツヌ122F(Mc155)が再出場した。
旧ツヌ122F(M'c170)は塗装変更車(黄緑6号,黄色5号),再生産品,旧製品が混在する雑多な編成であった。
通算8度目となる組成変更を経て塗装変更車(黄緑6号)+旧製品の2種類に整理されている。




国鉄101系ツヌ122F 黄緑6号混色編成(1979/X)。
[ツヌ122F]:Mc155-M'158-T253-T108-M215-M'208-T'c78+Tc75-M91-M'c108
※塗装変更車+旧製品:イメージ編成(1979/10)。
◆組成変更,塗装変更車(黄色5号)廃止。

国鉄通勤形形式で黄緑6号が制式採用されたのは103系だった。
当初山手線新性能化用に投入された101系は黄色5号であった。
ところが後継形式と言える103系試作車が黄緑6号で現れ池袋区に配置される。
熱容量都合で6M2Tとされた山手線101系は4M4Tと経済性の高い103系での置き換えが決定した。
103系で統一されるまで池袋区,品川区には101系と103系が混在した。
しかし101系は塗装変更される事無く使用され続けた。
101系は大半が黄色5号のまま中野区,津田沼区へ転属し両区の旧型国電形式を置き換える。
現在進行中であるE235系によるE231系500番代の転属劇に近いと言えよう。
なお資料によると総武線の黄色5号採用は東京オリンピックPR効果も影響したらしい。
結局関東地区で黄緑6号の101系を見られる機会は殆ど得られないまま終わってしまった。
鳳区,日根野区転出予定車や王子駅構内冠水被災救済車両以外の採用例は無く青22号車両よりも希少な存在である。
関西線では前面に黄色の警戒帯が入れられた。
そのため誤乗防止ステッカーこそ貼付されたが単色の黄緑6号車両は極短期間しか見られなかった。


旧ツヌ122F。
※塗装変更車+旧製品。

ツヌ122F(T'c43)の初出場は2014年6月で記憶と記録を頼りに組成した黄緑6号混色編成である。
当初は旧ツヌ124F(Tc74→元ツヌ124Fツヌ102F:Tc75,ツヌ103F:Tc48)とサハ101-256以下7両を共用する13両体制とした。
運用期間は1980年頃と思っていたが実際は1979年10月だった。
手持ちの101系編成表は1979年4月~1983年3月が抜けている。
各種資料を照合し[ツヌ122F]までは辿り着けたが車両番号は現在に至るまで不明のままである。
車歴表でも1979年の転属車が見当たらず王子駅構内冠水被災救済車両から付番を行った。
奇遇にもクモハ101-155+モハ100-158は津田沼区仕様の製品原形であるツヌ118F(Mc155:1978/3)と車両番号が重なった。
今回の組成変更によりサハ101-253を除く9両の車両番号が被る珍展開を見せている。
塗装変更車廃止へ用途変更された十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)からの異動車が5両を占める構成に変わった。
第一次動力ユニット搭載試作車だった旧クモハ100-108(旧製品)も捻出となりクモハ100-166(ツヌ109F:Mc202)へ改番異動した。
なおクハ101-75(旧製品)だけは旧ツヌ122F(M132)時代から残存し続ける唯一の黄色5号車両となっている。


クモハ100-108(廃車体復籍車)。
※旧製品。

黄色5号車両は全車未改番の方針を貫いておりクハ101-75を含め製品印刷の車両番号標記が残された。
正規組成が判明した際には当然改番を行う。
だが旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)を出自とするツヌ109F用組成準備車で節約式改番を採用したところ狙い通りに行かなかった。
サハ101-84,サハ101-241,サハ101-291(ツヌ109F)の結果から再改番よりも直接改番が有利と判り二度手間を回避した。
また種車の状態に左右されクモハ100-108(非動力車)には元クモハ100-108(廃車:元ツヌ118F)を起用している。
所要部品は代替廃車されるクモハ100-170元クモハ100-39(廃車:トタ5F)からの転用品で賄った。
2015年9月付で廃車された元クモハ100-108(旧製品)は約3年1箇月振りに車籍を取り戻す珍しい車両となった。
代わりにクモハ100-108へ充当予定だったクモハ100-108(ツヌ118F:旧製品)が保留車に廻っている。


クモハ101-155 [31C 幕張]:現行LOTライト基板更新,表示器点灯色変更施工車。
※塗装変更車。

クモハ100-108の車籍復活に際し保管品に廻されていた現行LOTライト基板更新済床板を再用した。
そのためクモハ101-155(←クモハ101-194:ムコ10F)も現行LOTライト基板更新入場へと至る。
2015年10月にクモハ101-155は現行LOTライト基板から1stLOTライト基板への振替えを行っていた。
この際導電板構造が2pcs式へ多重化された再生産品LOT相当床板の組み付けに苦戦を強いられている。
余り気が進まない入場で長期戦を覚悟したが作業中に視点を切り替え補助導電板の組み込みに新たな方式を取り入れる。
これが的中しクモハ101-155の現行LOTライト基板更新は滞りなく完了した。
同時に再生産品LOT,現行LOT相当床板に対する苦手意識が解消されている。
JR101系ラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)も1stLOTライト基板振替が施されており入場機会を伺っていた。
クモハ101-155での成功でライト基板再交換への道が拓かれた。
もう少し早く気付いていればツヌ110F(Mc195)での床板振替は不要だっただけに惜しまれる。
ちなみにクモハ100-108は旧製品車体に現行LOTライト基板が組み合わされる初の先頭車両となった。


カノ13F。
※塗装変更車+旧製品。

行先表示類は[31C 幕張]のまま存置された。
[幕張]表示編成はツヌ103F(Tc48:弁天橋区仕様+旧製品)で増発されており変更機会ではあった。
しかしクモハ101-155の表示器窓Hゴム支持は油性ペイントマーカー再現で障壁となる。
嵌込式の運行番号,行先方向幕部品を撤去する際に被膜が崩壊しかねなかった。
既にカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品)等で痛い目に遭っている。
補修難易度の高さは油性ペイントマーカーが抱える弱点である。
塗装変更車体でもあり途中駅止まりの設定から抜け出せずに終わっている。
クモハ101-155が竣工した当初は[11C 中野]表示を採用していた。
これはサハ101-256以下7両を共用する旧ツヌ124Fへ揃えた結果だったが後の10両編成化時に選択を誤った。
おまけに元ツヌ124Fは発展解消してしまったため[11C 中野]表示を継続させるべきだったと思う。


ツヌ131F。
※塗装変更車+旧製品。

ツヌ122Fには黄緑6号混色編成にクモハ101-155クモハ100-108の前面見附が揃わない癖まで付加された。
代替の難しさや竣工までの手間等から編成前後で金型の異なる編成は特例編成として扱っている。
どうにかツヌ122Fを塗装変更車(黄緑6号)+旧製品編成で揃えたばかりでありクモハ100-108の車体更新は考えていない。
過去に組成変更が繰り返されようやく落ち着く機会を迎えたこの機会に合わせ特例編成扱いとした。
カノ13F(←元カノ20F:Mc53)では内嵌式尾灯を持つクモハ101形,クモハ100形初期製造車に拘った。
製品リリース都合が絡み物理的にクモハ101-59,クモハ100-34(カノ13F:塗装変更車)の金型統一は行えない。
加えてクモハ101形,クモハ100形内嵌式尾灯車(黄色5号)は製品化されていないため塗装変更車での存置も確定している。
青22号混色編成が特徴のツヌ131F(Mc70)に組成されるクモハ100-68は種車が用意できずクモハ100-108(Mc120)を加工した。
異例の内嵌式尾灯車化改装車は粗こそ垣間見えるもののそれなりの見附に至ったと考えている。
だが再びこの様な加工を経てまでクモハ100-68(新金型車両)を竣工させるつもりは無く現状維持とする。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

池袋区借入編成であるツヌ133F(Mc118)はクモハ101-118だけをクモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)にて更新した。
応急組成のためか行先方向幕が交換されず乗務員室内に手書きの行先表示用紙が掲示されていた。
クモハ101-118,クモハ100-131で掲示位置に違いが生じた結果新金型車体と旧金型車体の差異が薄れたように思えた。
これによりクモハ100-131は更新そのものが棚上げとなり現在でも旧金型車体のまま存置されている。
ちなみにツヌ133Fは車両番号の特定を済ませた一方で編成番号が突き止められていない。
仮編成番号を割り当てたまま時間が経過しておりツヌ122Fとは対照的な存在と言えよう。
前途の通り1980年の編成表を所有しておらず同時期がプロトタイプの編成は在籍していない。
但しツヌ122F自体がイメージ編成でありこの点は気にしなくて構わないだろう。


クモハ100-162,クモハ100-108 (ツヌ116F-2,ツヌ122F)。
※旧製品。

1979年3月をプロトタイプに据えたツヌ103F,ツヌ115F(Mc144)はツヌ122Fに最も近い存在と言える。
この20両は1979年10月現在でも津田沼区に留まっていた。
当時津田沼区では103系投入による101系の置き換えが順次開始された頃である。
恐らく車両異動を伴ったと思われ1979年3月の組成を維持したかは微妙だと思われる。
なお旧製品存置編成のツヌ116F(Mc154)はサハ101-98を含む11両体制であり3+7編成(ツヌ116F-2:T98)も組成できる。
クハ100-91(ツヌ116F-1:T'c91)はツヌ122Fと運用時期が合致しなくなる弱点がありサハ101-98の存在感が高まった。
更新対象から外されたためクモハ100-162(ツヌ116F)はクモハ100-108と同一形態で揃う。
LP402前照灯+旧金型先頭車両は車体更新及び車両更新にて削減を積極的に進めた。
ツヌ107Fを以て更新が完了した矢先にLP402前照灯車の旧製品先頭車両が本格登場するとは思わなかった。
今後ツヌ122Fの車両異動は車両番号が特定され組成形式変更を要する場合に限られるはずである。
よって当面はLP402前照灯車+旧製品編成同士の離合が続くと思う。




ツヌ122Fサイドビュー(クモハ101-155:クモハ101-194改装車)。
※塗装変更車。

改修入場ながら編成に残留した車両は目立った劣化が少なく側面窓セル窓サッシ印刷の補修に留まった。
十四代目ツヌ118Fからの異動車も101系800番代LOT側面窓セルを承継しており引き続きツヌ122Fでの特徴となる。
旧製品車両の増備は未定だがまだ塗装変更車(黄色5号)が残存するため投入の余地を残す。
7両(黄色5号)の車両番号が重複するツヌ118F(旧製品)との差別化には適していると言えよう。


さよならツヌ118F。
※旧製品。

暫定出場から約2箇月間活躍した旧ツヌ118F(Mc155←ツヌ118F:十四代目)は廃止された。
保守部品不足解消を導入名目としたが5両を残しツヌ122Fへ異動が図られ車両のまま生き残っている。
代わりにクモハ100-170+モハ101-231(元ツヌ122F),サハ101-247,サハ101-290(元ラシ107F:Mc202)が廃車となった。
何れも塗装変更車で装着部品捻出に支障はなく十四代目ツヌ118F本来の用途を果たせたと思う。
保留車に廻った5両は更なる塗装変更車廃止と連動させながら十三代目ツヌ118F(再生産品)を組み合わせ10両編成化を目指す。
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