試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区133F [Mc118] 3+7池袋区借入車組込編成 ([北イケ]電略標記再現統一) ※弁天橋区仕様+旧製品

2019-12-14 23:55:52 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
片肺。

床板点検と動力ユニット整備を終えたKATO製国鉄101系ツヌ133F(Mc118:弁天橋区仕様+旧製品)が再出場した。
前回の本格入場は旧クモハ101-118(旧製品)が車体更新を受けた2016年1月中旬である。
その後は2016年1月下旬:クモハ100-131(旧製品),2018年6月:モハ100-102(旧製品)が単独入場したのみに限られた。




国鉄101系ツヌ133F 池袋区借入車組込編成(1972/4)。
[ツヌ133F]:Mc118-M'102-T'c52+Tc61-M169-M'163-T94-T271-M117-M'c131。
※弁天橋区仕様+旧製品:イメージ編成(1972/4/3:編成番号不明)。
◆クモハ101-118 行先表示用紙交換,モハ100-163 動力ユニット整備。

1972年3月28日に船橋駅構内で西行列車の追突事故が発生した。
資料には711C列車が613C列車へ追突したと記載されており共に津田沼区所属編成だったと思われる。
2編成が使用不能に陥り少なくとも15両を他区から借り入れ臨時編成で凌いだ模様である。
臨時編成は日々組成変更が行われたが記録が少なく詳細を掴むには至っていない。
ただ1972年6月23日現在のツヌ131F(Mc70)は青22号混色編成であり臨時組成だったと判明している。
前日の6月22日に仕立てられた青22号混色編成は組成こそ異なるがクモハ100-143が組み込まれていた。
1970年5月現在まで遡るがこの編成表に従うとクモハ100-143はツヌ131F(Tc37)の7号車であった。
大規模な組成変更が行われていなければ[131]は専ら臨時編成用の編成番号になっていたと思われる。
◆ツヌ131F:Tc37-M173-M'167-T255-T256-M165-M'c143+Mc148-M'170-T'c35(1970/5)。
◆ツヌ131F:Mc70-M'68-T'216-T'25-M64-M'68+TXXX-TXXX-M165-M'c143(1972/6/22)。
◆ツヌ131F:Mc70-M'68-T'216-T'25-M247-M'241-T239-T25-M64-M'c68(1972/6/23)。
もう1編成の臨時編成も編成番号札を掲げていたが表示が判読出来なかった。
池袋区借入車を組み合わせた臨時編成は1972年4月3日現在の組成しか資料がない。
津田沼区所属車のクハ101-61,クハ100-52が突破口になるかと思われたがツヌ131F()Tc37との関連性は無かった。
またモハ101-247+モハ100-241,サハ101-239(ツヌ131F)は元編成が揃っておらず余計に特定を難しくさせた。
よってどの編成番号が充てられたかを突き止めるにはまだまだ時間が掛かると思う。
◆ツヌ102F:Tc83-M247-M'241-T88-T'88-M249-M'c182+Mc186-M'240-T'c91(1970/5)。
◆ツヌ117F:Tc61-M206-M'199-T128-T'233-M211-M'c161+Mc165-M'200-T'c58(1972/5)。
◆ツヌ121F:Tc54-M199-M'193-T232-T'241-M193-M'c154+Mc160-M'204-T'c52(1970/5)。
◆ツヌ123F:Tc50-M195-M'189-T239-T'243-M183-M'c152+Mc157-M'174-T'c48(1970/5)。


旧ツヌ133F。
※旧製品。

2014年7月出場の旧ツヌ131F(Mc70元ツヌ131F-1:M'c143,ツヌ131F-2:T25)は相応しい離合編成が在籍していなかった。
プロトタイプが1972年6月と古く青22号混色編成と言う特殊性がありながらその存在を活かし切れずにいた。
その打開策として2015年1月付で八代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を改装した旧ツヌ133Fが出場する。
但しツヌ133Fは池袋区借入車組込編成であり混色編成にはならず津田沼区所属編成との差別化に腐心した。
個性を引き出すため乗務員室内に自作[千葉⇔中野]行先表示用紙ステッカーを掲示させた。
更にグリーンマックス製電略標記インレタ(68-1)を用い当該車8両を[千ツヌ]電略標記から[北イケ]電略標記へと改めている。




[[北イケ 定員144]]:サハ101-94。

しかし経年の高かったグリーンマックス製インレタは転写崩壊に見舞われ2両分が足りなくなってしまった。
止むを得ずサハ101-94,サハ101-271には同一管理局管内の[北マト]電略標記を代用し誤魔化している。
その後サハ100-68,サハ100-227(ツヌ110F:Mc195)よりボナファイデプロダクト製電略標記インレタを使用開始した。
ただツヌ133F以外に池袋区所属車が在籍しておらず[北イケ]電略電略インレタを投入する予定は無かった。
ところがツヌ131F(Mc70←ツヌ131F-2)用での誤選択が基で偶発的に黒文字[北イケ]電略標記インレタが手に入った。
この失策はツヌ133Fでの[北イケ]電略標記再転写へと繋がりサハ101-94,サハ101-271からも[北マト]電略標記が消滅した。


クモハ101-118 [03C [千葉⇔中野] ]:乗務員室内行先表示用紙掲示車。
※弁天橋区仕様:現行LOTライト基板更新車。


クモハ100-131 [03C [千葉⇔中野] ]:乗務員室内行先表示用紙掲示車。
※旧製品:現行LOTライト基板更新車。

クモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)で車体更新を行ったクモハ101-118は長らく電略標記が空欄になっていた。
[北マト]標記と共にツヌ133Fの弱点であったがようやく[北イケ 定員136]標記が復活した。
乗務員室内[千葉⇔中野]行先表示用紙は車体更新時に再現が容易いセロハンテープ固定式へ改めた。
だが経年で粘着面が劣化してしまい前面窓内側に貼り付かなくなっていた。
今入場で再度ステッカー式へ戻したが掲示位置はセロハンテープ固定式時代のまま踏襲される。
よって車体更新が見送られたクモハ100-131(旧製品)との金型差異を吸収する錯覚手法は承継となった。


ウエイト事前防錆対策試作車だったクモハ100-131。

そのクモハ100-131は今入場で唯一大規模車体改修を施したが想定外のウエイト事前防錆対策試作車であった。
これまでの車体改修は劣化した側面窓セル窓サッシ印刷補修を主軸に据えていた。
しかし十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)にて腐食したウエイトと不動の動力ユニットを引き当ててしまった。
ウエイトの錆が進行すると廃車発生品では遣り繰り出来なくなるため床板点検を改修項目に含めた。
前回入場から期間が開いたがクモハ100-131は勿論モハ100-102,クハ101-61,クハ100-52(旧製品)もほぼ無瑕だった。
不名誉なウエイト腐食発覚第一陣となったモハ100-117,モハ100-169(旧製品)は軽度の防錆対策を経て竣工している。


クハ101-61(再生産品LOT床板更新車)。
※旧製品。

サハ101-94,サハ101-271(旧製品)も同様であり第一次改修と第二次改修を並行した車両は現れずに整備を終えている。
在籍編成で順次展開している運転台付中間組込車の再生産品LOT床板更新も同時施工とした。
何故か旧製品LOT床板向けライトスイッチ部品安定化対策がクハ101-61,クハ100-52には通用しなかった。
再生産品LOT床板更新は急務だったがクハ101形,クハ100形用床板(保管品)は絶対数が不足気味だった。
何とかクハ101-75(ツヌ118Fクハ101-75:旧製品),元クハ100-34(廃車:元ラシ107F)との振替えで急場を凌いでいる。
なおライトスイッチ機能が殺されていたクハ101-75用床板には別途ライトスイッチ部品(Z04-5547)を取り付け復旧させた。


部品状態は悪くなかったモハ100-163。

動力ユニット整備は不動車両だったモハ100-208(ツヌ118F→モハ100-208:ツヌ118F)を契機に必須工程へ格上げとなる。
性能復元を果たしたモハ100-206(ラシ107F:Mc191)の事例もありモーター軸受部への注油も決定した。
モハ100-163(旧製品)が搭載する動力ユニットは轟音を発していたものの駆動には差し支えないと考えていた。
奇しくも異音の大元はモーターにあったと判明し工程変更が的中している。
更には側板湾曲と2-4位側屋根板車体中央部の嵌合爪破損まで発覚しており各々修繕を施した。
恐らく車体は共振していたと思われ今後異音が再発する事態には至らないと思う。


ツヌ125F,ツヌ133F (前面窓支持色変更施工車,製品原形前面窓セル装着車)。
※旧製品。


ツヌ131F。
※塗装変更車+再生産品。

クモハ101-118だけが弁天橋区仕様となる変則構成に変更は無く編成前後の前面見附が異なる特例編成のまま存置された。
この点は車体更新が難しいツヌ131F,カノ13F(Mc59:内嵌式尾灯車編成)も同様であり全く気にしていない。
他に行先表示用紙掲示編成は存在せず新金型車体と旧金型車体の対比には適していると思う。
また定番化した旧製品先頭車両への前面窓支持色変更も見送りとなった。
そのためクモハ100-131は旧製品車両では珍しく前面窓明灰色Hゴム支持再現が生き残っている。
プロトタイプの近いツヌ125F(Tc48:旧製品)を前面窓支持色変更施工編成に仕立てており現状維持とする予定である。




ツヌ133Fサイドビュー(クモハ101-118:[北イケ]電略標記インレタ再現車)。
※弁天橋区仕様:車体更新車。


ツヌ125Fサイドビュー(クハ101-48:[千ツヌ]電略標記印刷再現車)。
※旧製品。


ツヌ131Fサイドビュー(クモハ101-70:電略標記未再現車)。
※塗装変更車。

側面見附の変更点はボナファイデプロダクト製[北イケ]電略標記インレタ再現化のみに等しい。
しかしグリーンマックス製インレタは崩壊が進み判読出来ない車両ばかりになっていた。
車体更新時に電略標記そのものが失われたクモハ101-118にも物足りなさを強く抱き続けてきた。
[北イケ]電略標記こそがツヌ133Fの特徴と言え改善を図れた収穫は大きかったと思う。
皮肉にもインレタ選択を誤ったツヌ131Fは未だに[北ウラ]電略標記が再現されていない。
ツヌ133Fに先を越されたが出来るだけ早く改修再開へと漕ぎ着けたいところである。
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