試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区106F [Mc160] 6+4編成 (ツヌ118F[Mc155]再生産品Assy車体組立車投入) ※再生産品+旧製品

2016-07-20 21:43:14 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
二代目。

保留車,再生産品Assy車体組立車を連ねたKATO製国鉄101系ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)が出場した。
当初ツヌ103F(Tc66:1985/4)を出場させる計画だったが紆余曲折の末6+4編成が初登場に至った。
プロトタイプは在籍する101系津田沼区仕様でも少数派の1984年10月である。


国鉄101系ツヌ106F (1984/10)。
[ツヌ106F]:Mc160-M'204-T269-M217-M'210-T'c50+Tc81-M199-M'193-T'c64。
※再生産品+旧製品。

1985年10月現在の津田沼区101系はツヌ106F(Mc160)以外にツヌ108F(Mc133)が6+4編成だった。
組成条件の筆頭が前照灯違いだったためツヌ108Fは惜しくも落選している。
両先頭車両がLP411前照灯車で揃うツヌ101F-3(T'c30)が出場していなければツヌ108Fがお目見えしていたかもしれない。
◆ツヌ108F:Mc133-M'107-T262-M251-M'245-T'c52+Tc64-T247-M193-M'c154(1984/10)。
当初プロトタイプに選定したツヌ103F-2(Tc66)は十代目ツヌ118F(Mc155:再生産品←旧ツヌ118F)構成車の救済策も兼ねていた。
千葉方先頭車両は早々クハ101-75(ツヌ118F:再生産品)に内定し暫定出場解消直後より保留車へ廻した。
またクモハ100形にはクモハ100-133(ツヌ103F-2:塗装変更車),クモハ100-108(ツヌ118F:旧製品)を充当する予定だった。
だが途中でクモハ100-108(ツヌ118F:旧製品)が動力ユニット搭載試作車に改装されツヌ122F(Mc155)へ異動となる。
更にラシ107F(Mc202)への塗装変更車集約と連動してクモハ100-133はクモハ100-191(ラシ107F)に改番された。
これに乗じて旧クモハ100-191(塗装変更車)がクハ100-34(ラシ107F)に廻り旧クハ100-34(元ラシ107F:再生産品)を捻出した。
どうにか中野方先頭車両の新金型車体起用に目途が立った一方保留車からクモハ100形が消滅してしまった。
そのためクモハ100形2両組込編成が組成名目だったツヌ103F-2は成立不能に陥っている。
最初からプロトタイプ選定をやり直す羽目となり不足する形式は再生産品Assy車体組立車(ツヌ118F)で賄い10両編成化した。
◆クモハ101-160(再生産品)←クハ101-75(ツヌ118F:Mc155←クハ101-75:旧ツヌ118F)。
◆モハ101-199,モハ101-217,モハ100-193,モハ100-210,サハ101-269(再生産品):再生産品Assy車体組立車(ツヌ118F)。
◆モハ100-204(再生産品)←モハ100-208(元ツヌ122F:M215←モハ100-208:ツヌ118F)。
◆クハ100-50(旧製品)←クハ100-78(元ツヌ122F:Mc155クハ100-78:ツヌ118F)。
◆クハ101-81(旧製品)←クモハ101-155(ツヌ118F←クモハ101-155:ツヌ118F)。
◆クハ100-64(再生産品)←クハ100-34(元ラシ107F:Mc202←クハ100-78:ツヌ118F)。


クモハ101-160(クモハ101形編入車)。
※再生産品。

寄せ集めの車両が出自ながら他編成との振り替えにより全車メーカー塗装車体で統一された。
保留車,編成異動車,再生産品Assy車体組立車共にDT21非動力台車交換等を行い車輪は新品同様である。
ツヌ101F-3(Mc148:弁天橋区仕様+旧製品)も保留車組成名目だったが種車の下廻りを流用したためツヌ106Fの状態が上回る。
プロトタイプ選定が二転三転した割にはそれなりに揃った編成見附へ達したと思える。
なおクハ101-81,クハ100-50には旧ラシ107Fから捻出したメーカー塗装済LP411前照灯を取り付けた。
しかし何れも中間組込車であり殆ど効果は無く今後尾を引きそうな予感がする。
KATO製国鉄101系津田沼区仕様の行先表示は一巡し二廻り目に入ったため[03C 西船橋]とした。
採用編成が1編成に限られる[西船橋]幕,[飯田橋]幕,[武蔵小金井]幕のうち現在でも見られる[西船橋]幕を選択している。
[飯田橋]幕もかつて繁く見られた行先表示だが何処か中途半端さを抱いた。
101系メイクアップパーツ2だけに含まれる部品だが他編成の中間組込車で使用してしまい捜索が手間だった事も影響した。
運用数の少なかった[武蔵小金井]幕も起用し難く各々1編成で打ち止めになると思う。


ツヌ101F-2。
※旧製品+弁天橋区仕様。


ツヌ110F。

1984年10月がプロトタイプの編成はツヌ101F-2(Mc154),ツヌ110F(Mc195)に続く3本目となった。
ツヌ110Fは朱色1号編成,ツヌ101F-2は中間にクモハ101-193+モハ100-808を組み込む朱色1号混色編成である。
新たに加わったツヌ106Fも黄色5号編成ながら変則組成で何れも定番とは言い難い。
特に付属4両編成はクハ101-81,クハ100-64がモハ101-199+モハ100-193を挟む珍しい構成だった。
在籍する4+6編成には必ずサハ101形が付属4両編成側へ組み込まれておりツヌ106Fの特異点である。
手持ちの編成表でもこの形式構成は殆ど見受けられず良い隙間を突けたと思う。
付随車代用運転台付車両組込編成以外でサハ101形,サハ100形が1両のみに限定される組成例は少ない。
ツヌ106Fの構成がサハ101-264(ラシ101F:Mc201)での[サハ]標記インレタ使用にも繋がっている。
独特の組成だったが1986年4月現在の編成表では姿を消しており短期間だけ運用されたらしい。


ツヌ101F-2,ツヌ106F。
※弁天橋区仕様,再生産品。

編成前後で前照灯が異なるツヌ101F-2(Mc154:旧製品+弁天橋区仕様)は3+4+3編成である。
しかもクモハ101-154+モハ100-168をツヌ116F(T'c91:旧製品)から引き抜き都度組成する必要性が生じる。
そのためクハ100-53(弁天橋区仕様←クハ100-86:Mc170)だけが新金型車両になる。
再生産品先頭車両で前照灯違いを再現するのが最大の目的でありツヌ106Fの存在意義は大きい。
また習志野区仕様を含めて千葉方先頭車両だけがLP411前照灯車化されている編成は初登場となった。


元ツヌ106F。
※旧製品。

なおツヌ106Fは旧製品リリース当時に付番した時期があった。
初代ツヌ118F(Mc155)が回着した直後に4+6編成へと組み替え旧ツヌ106F(Mc155)を出場させた。
クモハ100-108(ツヌ118F)のみLP411前照灯へ交換しツヌ106F(Mc191:1986/8)に見立てたイメージ編成だった。
2013年3月付で習志野区仕様へと改装され旧ラシ106F(Mc155→ラシ106F:Mc191)に発展解消している。
それ以降KATO製101系は増備が続いたがツヌ106Fはプロトタイプ候補に挙がらず久々の編成番号復活となった。
元ツヌ106F以来約3年4箇月振りに現れたツヌ106Fだが形式構成はもちろん編成表に準拠し改番を行っている。


ツヌ106Fサイドビュー(クモハ101-160:ATS[B]標記インレタ再現車)。
※再生産品:クハ101-75形式変更車。

細かな箇所だが再生産品先頭車両起用に拘った結果ATS標記がインレタ再現に格下げされている。
クモハ101-160はクハ101-75(ツヌ118F)の編入車で折り込み済だったがクハ100-64でのATS[B]標記は意表を突かれた。
先にクハ101-35(ツヌ103F:Tc48)をATS[BS]標記へと改めたため唯一ATS[B]標記のクハ101形,クハ100形になっている。
形式変更車2両を含むツヌ106Fは地味な所に特徴がある編成になった。
プロトタイプ選定過程で要件を満たしたのはツヌ106Fだけで偶然が生み出した。
種車都合により当初の保留車組成計画はクモハ100形2両組込が絶対条件だった。
気が変わりクモハ100-108(ツヌ118F→ツヌ122F)を動力ユニット搭載試作車に起用した操配が分岐点となった。
その結果クモハ100形が組成されない編成の出現に至り初期計画とは真逆になっている。
6+4編成の登場で組成形態は更に雑多度が増し津田沼区仕様らしさを強める良い保留車再生になったと思う。
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