試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区113F [Tc74] 7+3編成 (動力ユニット搭載車差替,行先表示類変更) ※再生産品+旧製品

2018-10-26 21:57:48 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
内実。

KATO製国鉄101系ツヌ113F(Tc74:再生産品+旧製品)が再出場した。
旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)がツヌ105F用組成準備車に決定しクモハ100-144(旧製品)で置き換えた。
代わりに動力ユニット搭載車として初竣工したモハ100-235(再生産品)が再び編成の主力へと復帰している。




国鉄101系ツヌ113F (1978/3)。
[ツヌ113F]:Tc74-M242-M'235-T'99-T88-M163-M'c144+Mc180-M'230-T'c85
※再生産品+旧製品。
◆運行番号,行先表示変更。

1978年3月現在の101系津田沼区所属編成は32本体制を誇る大所帯だった。
形式構成はクモハ101形,クモハ100形が先頭に立つ編成とクハ101形,クハ100形を先頭とする編成で揃う。
これは10両貫通編成等の変則組成を含め統一されていた。
列車線直通運用を担っていた当時も先頭車形式の組み合わせは守られている。
よって組成には何らかの法則が存在したと思う。
クハ101形,クハ100形はATS-BS併設車が多く後年まで担ぎ屋列車に充当される。
そのためか先頭車両がクモハ101形,クモハ100形の編成は過半数を切っていた。
ツヌ113Fは7+3編成グループでもやや癖を有する。
サハ101形200番代,サハ100形200番代を組まない編成は少数派で僅か3本しか存在しない。
7+3編成グループ,10両貫通編成を含めても総勢4本に留まる。
ちなみに中野区所属編成では全22本のうち1本に限られた。
◆ツヌ105F:Mc169-M’211-T’c59+Tc80-M175-M’169-T106-T89-M222-M’c166(1978/3)。
◆ツヌ106F:Tc55-M187-M’180-T127-T92-M180-M’c151+Mc172-M’216-T’c54(1978/3)。
◆ツヌ122F:Tc37-M202-M’195-T’104-T’100-M244-M’c179+Mc159-M’185-T’c61(1978/3)。
◆カノ4F:Mc128-M’67-T’c39+Tc84-M256-M’250-T197-T96-M133-M’c74(1978/3)。
翌1979年3月までには大幅な組成変更が行われた。
この際サハ101形200番代,サハ100形200番代の分散配置が図られ大半が姿を消している。
余り当てにならない1979年3月現在の編成表であるが確認出来たのは変則組成を除くとツヌ112Fだけであった。
◆ツヌ112F:Tc44-M182-M’176-T’88-T127-M183-M’c152+Mc169-M’211-T’c52(1979/3)。
この後103系の転属,新製投入で101系は急速に数を減らしていく。
残念ながら手持ちの編成表は1984年4月まで飛んでしまいその経過が判らない。
1984年4月現在では8本まで減少しており各編成の形式構成はまちまちに変わっていた。
この頃になるとサハ100形は淘汰が進み津田沼区所属のサハ100形0番代,サハ100形200番代も消滅している。
最末期までサハ100形が在籍し続けた中野区101系とは対照的な経過を辿ったと言えよう。


モハ100-235(動力ユニット再搭載施工車)。
※再生産品。

旧クモハ100-144(旧ツヌ113F)への動力ユニット搭載試行は2018年4月付でまだ日が浅かった。
動力車位置偏位対策の一環としたが措置未定だった保留車でツヌ105Fを仕立てる計画が浮上する。
これにJR101系ラシ107F(Mc202)での塗装変更車廃止計画が加わり旧ツヌ113Fの車両異動が確定した。
竣工から間もないクモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)はツヌ105Fの組成準備に向け編成から離脱となった。
新たなクモハ100形動力ユニット搭載車の竣工は考えず現状のまま動力ユニット搭載車を組み込む。
KATO製101系はモハ100形に動力ユニットを搭載しなければならない制約がある。
ツヌ113F用モハ100形は3号車と9号車に配されているため自動的にモハ100-235が動力ユニット搭載車となった。
モハ100-235用動力ユニットにはモハ100-232(Mc170:弁天橋区仕様)との床板相互交換で捻出した新品が廻されている。


クモハ100-144(非動力車:旧クモハ100-175改番車)。
※旧製品。

離脱した旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)の代替には旧クモハ100-175(元ツヌ107F:旧製品)が充当される。
旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)の車両更新で保留車に廻った旧クモハ100-175はその措置が二転三転していた。
当初は動力ユニット搭載を図りツヌ109F(Mc202)へ改番異動させる予定だった。
ところがクモハ100-108(元ツヌ122F:第一次動力ユニット搭載試作車→クモハ100-166:ツヌ109F)の転用で計画は消滅した。
組成予定のツヌ105Fへ組み込む新計画もクモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)を直接投入する方向に切り替えられる。
クモハ100形用動力ユニット搭載準備まで進めた旧クモハ100-175だったが非動力車のままクモハ100-144へと改番された。
中間組込車化に備え行先表示類は[07 千葉]へ変更済であった。
しかし転用が難しい弁天橋区仕様用行先方向幕部品の措置に困った。


クモハ100-144 [07 ]:印刷消去済[]幕装着車。
※旧製品。

保管品の[千葉]幕は今後の編成増強や行先変更で再用見込みがある。
そこで弁天橋区仕様用行先方向幕部品の削減を実行に移した。
色地[鶴見⇔扇町]幕は思いの外表示印刷消去に時間を要する。
そのため同じく用途不要の[鶴見線]幕よりも先に[]幕へと改めクモハ100-144へ取り付けた。
今後徐々に運転台付中間組込車の[]幕変更を進める予定である。
LP402前照灯への交換はクモハ100-166の入場時に行っていた。
ライトスイッチ機構が無効化されていた床板も保管品のクモハ100-806(ムコ10F:Mc194)用床板と振替え復活させている。
旧クモハ100-175は一時的ながら2M8Tになってしまった旧ツヌ113Fの1M9T化へ大きく貢献してくれた。
再び捻出される確率は低くこのまま定着すると思われる。
同時に旧ツヌ107F出自の保留車は全て転用を終えた。


モハ100-230+クハ100-85 (旧製品LOT側面窓セル装着車+再生産品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

モハ101-262,モハ100-256(ラシ107F)の車体更新と並行してモハ101-163,モハ100-230は旧製品LOT側面窓セルへ交換された。
ラシ107Fは旧製品LOT側面窓セル統一を目指しながら塗装変更車体廃止へと向かう方針に決まりかけた。
しかしJR101系ラシ101F(Mc201)とプロトタイプが重複するLP402前照灯編成だった。
側面見附に変化を与えるべく初期計画の再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル採用へと戻される。
旧ツヌ113Fは珍しく再生産品LOT側面窓セル装着車で揃う編成であった。
だがクハ101-74,クハ100-85(再生産品)には広幅Hゴム支持再現側面窓セルが残されていた。
これがモハ101-262,モハ100-163(旧製品)の旧製品LOT側面窓セル交換を後押ししクモハ101-180(旧製品)も続いた。
モハ100-230+クハ100-85は側面窓セルLOTに差異が生まれたが入場前の見附を上回ったと思う。


クハ101-74+モハ101-242 (再生産品LOT側面窓セル装着車+再生産品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

1-3位側だけ再生産品狭幅Hゴム支持再現側面窓セルが嵌め込まれていたクハ101-74は広幅Hゴム支持車に改められた。
同様の問題を抱えていたクモハ101-155(ツヌ118F:再生産品)と振替え両車から二面性が解消されている。
未入場のモハ101-242以下3両(再生産品)とモハ100-235は狭幅Hゴム支持車を維持する。
よってツヌ113Fは3種の側面窓セルが混在する再生産品+旧製品編成でも珍しい組み合わせとなった。
但しクハ101-74+モハ101-242の外観は従来と変わっていない。
在籍するクハ101形,クハ100形(再生産品)は多くがクモハ100-108(ツヌ118F:再生産品)との側面窓セル交換対象車に挙がった。
そのため広幅Hゴム支持車で占められており狭幅Hゴム支持車との混結は見慣れている。
旧製品LOT側面窓セル装着車組込による影響も殆ど感じられず一見では他再生産品+旧製品編成と同等に持ち込めた。


クハ100-85 [07C 千葉]:前面窓Hゴム支持印刷再現修正施工車。
※再生産品。

クハ101-74,クハ100-85の入場では長らく気になっていた前面窓Hゴム支持印刷再現を修正している。
縦桟の銀色塗料がHゴム支持モールドにまで進出しており前面窓支持を波打たせていた。
新金型車体用前面窓セルの予備代用品が生まれた事からようやく改善機会を設けられた。
修正には大幅な時間を要した上に僅かな銀色塗料が残ってしまったが波打ち現象は収まり一定の答を得た。
この様なエラーは余り見掛けないものの今後の増備で引き込む可能性が否定できないため良い施工例になったと思う。
一方再生産品車両特有の固い表示器部品嵌合は健在だった。
動力車位置偏位対策として東行へ変更したが[07C]幕,[千葉]幕には旧製品LOT部品を用いた。
しかしこれも焼け石に水と言え双方とも挿入に大苦戦している。
白濁を招かずに交換を終えられただけましかもしれない。


カノ1F,ツヌ113F。
※旧製品,再生産品。

東行用行先方向幕部品は保管品都合により[津田沼]表示と[千葉]表示だけに絞られる。
クハ100-85で試行した再生産品LOT表示器部品装着では[津田沼]幕が起用された。
初登場の再生産品LOT表示器部品だったが表示器両端に隙間が生じてしまい採用を見送っている。
結局保管品の[千葉]幕削減が優先され再生産品LOT[津田沼]幕は保管品に廻されただけとなった。
但しクモハ100-144に取り付けられていた[千葉]幕を[■]幕へ再変更したため保管品全体では1減に留まった。
101系メイクアップパーツ2(11-511)も比較的入手が難しい状況にあり東行の選択肢は少ない。
標準装備品である事から増備に比例して[千葉]幕が増加する事態は避けられない。
何処かで見切る機会を伺った方が得策かもしれない。
1978年3月をプロトタイプに据える編成はツヌ113Fを含め2本が在籍する。
しかし津田沼区仕様では1979年3月仕様以降から順次出場させた関係により皆無である。
唯一合致するカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)は所属区にあやかり[中野]表示編成とした。
都合良く東行と西行に分かれツヌ113Fへの[千葉]幕起用が当たった。
だが101系は製造年次差異が少なく形式構成の違いが目立つ程度である。
そのため新旧金型LP402前照灯編成による離合でも十分な面白味を醸し出せると思える。
中でも内嵌式尾灯編成のカノ13F,前面窓支持色変更試作編成としたカノ1F(Mc178:旧製品)は出色の存在と言える。
これにツヌ116F-2(Mc154)を加えた旧製品LP402前照灯編成の存在感が今になって増している。


ツヌ113Fサイドビュー(クハ101-74)。
※再生産品。

ツヌ113Fは一見行先表示類を変更しただけに見える。
実際には側面窓セル集約と旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)離脱が絡む車両異動まで施された。
モハ100-235への動力ユニット搭載は弁天橋区仕様(Mc170)の存在が大きく寄与している。
ツヌ105F組成準備名目での先行投入車だったが弁天橋区仕様(Mc170)は非動力車編成化が必要項目であった。
未だにモハ100形用動力ユニットも予備品数が確定できていない。
動力ユニット搭載車差し替えが実らなければツヌ113Fは側面窓セル交換入場だけで終わっていたと思う。
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