試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系中野電車区18F [Mc191] 3+7編成 ([西カノ]電略標記変更) ※再生産品

2019-05-22 22:43:15 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
念願。

十五代目KATO製国鉄101系ツヌ118F(Mc155:再生産品)はカノ18F(Mc191:1984/10)に改装され出場した。
これで中野区仕様はカノ1F(Mc178:旧製品),カノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品)を併せた3編成体制へと増強された。
なお車両更新・車体更新及び組成変更を伴わずに正式出場した再生産品編成はカノ18Fが初登場である。




国鉄101系カノ18F (1984/10)。
[カノ18F]:Mc191-M'248-T'c92+Tc79-M238-M'231-T292-T'84-M244-M'c179。
※再生産品。

1984年10月現在の編成表によると中野区101系は5本が最後の活躍を見せていた。
201系の増備が進み既に18編成が姿を消し編成番号は虫食い状態だった。
なお編成番号が振られていない1編成もモハユニットが検査出場待ちとの記載がある。
従って間もなく復帰したはずで実質6編成が運用に就いていたと思われる。
組成は全て3+7編成で揃う中野区101系の伝統が引き継がれていた。
一方内嵌式尾灯車,サハ100形0番代,サハ100形200番代が在籍するなど津田沼区とは如何にも対照的であった。
◆カノ10F:Mc139-M'127-T'c94+Tc82-M145-M'140-T284-T'97-M112-M'c130(1984/10)。
◆カノ17F:Mc120-M'104-T'c93+Tc70-M143-M'138-T296-T84-M133-M'c74(1984/10)。
◆カノ18F:Mc191-M'248-T'c92+Tc79-M238-M'231-T292-T'84-M244-M'c179(1984/10)。
◆カノ19F:Mc166-M'202-T'c70+Tc69-M159-M'154-T'236-T'96-M123-M'c132(1984/10)。
◆カノ20F:Mc128-M'67-T'c74+Tc58-M192-M'186-T259-T127-M146-M'c44(1984/10)。
◆カノ--F:Mc127-M'59-T'c62+Tc68-M253-M'247-T230-T97-M100-M'c117(1984/10)。
津田沼区には在籍車自体が少なかった内嵌式尾灯車だがまだクモハ100-44,クモハ100-74が健在だった。
サハ100形0番代も3本に組成されておりカノ19F(Mc166)に至ってはサハ100-236+サハ100-96が並ぶ貴重な編成と言えた。
ちなみにサハ100-96,サハ100-236の廃車は1984年12月付である。
よってカノ19Fは同時期に運用から離脱した可能性が高いと思う。
カノ18Fは1984年12月までに編成が解かれ5両が津田沼区へ貸し出される。
津田沼区ではカノ10F(Mc139),カノ20F(Mc128)等との借入車編成を組みツヌ110F(Mc191)を名乗った。
◆ツヌ110F:Mc191-M'248-T'c92+Tc69-M253-M'247-T284-T'97-M244-M'c179(1984/12)。
貸出車のうちクモハ101-191+モハ100-248,クハ100-92は1985年3月付で正式な津田沼区所属車となった。
同時にモハ101-238+モハ100-231,クハ101-79も津田沼区へ転出している。
ツヌ110F(Mc191)を組んだクモハ100-179+モハ101-244だけは中原区に去っていった。
中野区101系運用終了後も残存したサハ101-292,サハ100-84だったが1986年1月を以て廃車された。


ツヌ108F。
※再生産品+旧製品。

十四代目ツヌ118F(旧製品:車体更新準備編成)に続く十五代目ツヌ118Fは約11箇月振りとなる再生産品編成導入でもあった。
再生産品編成は十代目ツヌ118F,十一代目ツヌ118F,十三代目ツヌ118Fが該当するが全て分散配置された。
3編成とも運転台付車両の約半数が車両更新,車体更新用種車へ充当され既存先頭車両を置き換えている。
当時再生産品編成増備と旧製品先頭車両削減は連動しており再生産品編成が増加しない一因と化した。
また十二代目ツヌ118Fではツヌ118F(Mc155:再生産品)にツヌ118F(Tc75:旧製品)を組み合わせる策が採られる。
そのためカノ18Fが出場するまで再生産品編成はツヌ107F(Tc83),ラシ104F(Mc136)と少数派に留まっていた。
但し各々旧ツヌ107F(旧製品),旧ラシ104F(再生産品+旧製品←ラシ104F:塗装変更車+旧製品)を更新した編成だった。


カノ13F。
※塗装変更車+旧製品。

一方中野区101系に関する手持ちの資料も少なく中野区仕様は度々プロトタイプ候補に挙がりながら落選を続けてきた。
加えてサハ100形用屋根板と[XXB]運行番号幕が壁を高くし所属編成初の中野区仕様登場は2016年2月まで遅れた。
組成契機はクハ101-35(ツヌ103F:Tc48)と振り替えられた旧クハ101-35(塗装変更車←旧クモハ101-78:旧ムコ3F)である。
カノ20F(Mc53:1984/4)がプロタイプに定まり元クハ101-35(←旧クハ101-35)はクモハ101-53(カノ20F)へ形式変更となった。
中野方先頭車両のクモハ100-44(カノ20F:塗装変更車)には別途投入したクモハ100-39(トタ5F:Tc14)が引き当てられる。
しかし10両編成化までに車両番号が特定出来ず旧カノ20F(M'120:塗装変更車+旧製品)は暫定出場を余儀なくされた。
その後元カノ20F(Mc53)からカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)へと再編され齟齬解消を果たしている。


カノ1F。
※旧製品。

2016年8月にツヌ113F(Mc185:旧製品)を再改装した旧カノ1F(Mc178:1979/3)が出場し中野区仕様は2編成体制となる。
当時はツヌ113F,ツヌ116F(Mc154:旧製品),ツヌ123F(Tc78:弁天橋区仕様+旧製品)が第二次冷房改造車組込編成だった。
3編成のうちカノ1F(3+7編成)と形式構成が合致したツヌ113Fは中野区仕様へ変更され発展的解消を遂げる。
なおカノ13Fはカノ20F以来[XXB]幕の代わりに[31C]幕を用いる津田沼区運用代走仕様が常態化していた。
ところが初代弁天橋区仕様(Mc170旧ラシ101F:Mc201)用付属品の[13B]幕が目に止まりさっそく旧カノ13Fを再出場させた。
当然ながらクモハ101-178,クモハ100-124(カノ1F:旧製品)にも[13B]幕が採用されカノ1F,カノ13Fでの共通仕様となった。


クモハ100-179 [13B 津田沼]:LP411前照灯車。
※再生産品。

[13B]幕は初代弁天橋区仕様用の他クモハ101-170,クハ100-86(Mc170:弁天橋区仕様)用しか予備品がなかった。
2編成分に限られていた[13B]幕をカノ1F,カノ13Fへ廻したため新たな中野区仕様編成は望めなくなったはすだった。
だが措置未定保留車解消を名目とした二代目弁天橋区仕様(Mc170ツヌ105F:Mc154)の導入で再び[13B]幕が復活する。
但し約2年9箇月の間に黄色5号LP411前照灯不足が顕在化しプロタイプ選択は大幅な制約を強いられてきた。
この影響を受けツヌ105F(再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)用LP411前照灯車はクハ100-54(再生産品)だけに留められる。
生憎クハ101-54は中間組込車でありLP411前照灯先頭車両を登場させるべく十五代目ツヌ118Fの増備が決定した。


クモハ101-191 [13B 津田沼]:LP402前照灯車。
※再生産品。

[13B 三鷹]表示に決まりかけていたカノ18Fだが津田沼区仕様との行先配分が絡み急遽[津田沼]幕へ変更した。
そのため中野方を締めるクモハ100-172(←クモハ100-108:ツヌ118F)はせっかくのLP411前照灯が活かせなくなった。
現在101系津田沼区仕様は東行,西行の均衡が大幅に崩れており[千葉]幕表示編成への偏重まで生じている。
この状況から脱するためツヌ104F(Mc159:旧製品+弁天橋区仕様)を出場させた後に行先配分均等化へ取り掛かる。
併せてカノ18Fを[三鷹]幕に変更する方向でクモハ100-172のLP411前照灯が点灯する日はそう遠くないと思う。
なお千葉方先頭車両のクモハ101-191(カノ18F←クモハ101-155:ツヌ118F)は見慣れたLP402前照灯車である。


サハ100-84(サハ100形0番代編入車)。
※再生産品。


サハ100-17(カノ13F:サハ100形0番代編入車)。
※旧製品。

旧サハ100-99(ツヌ113F:Tc74→サハ100-99:ツヌ113F)を最後に保管品からサハ100形用電装準備屋根板が消滅した。
カノ18F組成にはサハ100形用電装準備屋根板が欠かせずサハ100-38(トタ5F:Tc14)を導入し部品取車とした。
種車のサハ101-108(ツヌ118F)はサハ100-38用屋根板への交換と標記類変更だけでサハ100-84に形式変更された。
車体こそサハ101-108時代と変わってないがサハ100-17(カノ13F:旧製品),サハ100-99(再生産品)も同一仕様であり差し支えない。
プロトタイプ都合もありサハ100形黄色5号車両はサハ100-99(ツヌ113F:再生産品+旧製品)が最終竣工車になると思われた。
しかし中野区101系はサハ100形組込編成が多くカノ18Fで3両目のサハ100形黄色5号車両登場を呼び込んでいる。


サハ100-84+モハ101-244 ([(1)]エンド標記インレタ再現車+[(2)]エンド標記インレタ再現車)。
※再生産品+再生産品。

インレタ転写を不得手としながら[千ツヌ 定員○○○]標記印刷再現から[西カノ 定員○○○]標記インレタ再現への変更も実施した。
カノ13Fで先行使用したボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタしか持ち合わせておらず綱渡りの作業が続いた。
物理的に[西カノ 定員136]標記が賄えずクハ101-79(←クハ101-75:ツヌ118F)では[西カノ]電略標記と[定員136]標記を組み合わせた。
一方[西カノ定員144]標記インレタも全車が竣工した時点での残数は0両分と文字通り滑り込み状態であった。
また原則存置した[(2)]エンド標記印刷だがモハ101-244(←モハ101-91:ツヌ118F)に限りインレタ再現へと改められる。
これは形式変更で全面的なインレタ標記再現に至ったサハ100-84と側面見附を揃える名目でありカノ18Fでは異端車となった。
なお今後の電略標記印刷消去は黄色5号車両:ペイントリムーバー式,朱色1号車両:ユニクリーナー式が定着すると思われる。


ツヌ106F。
※再生産品+旧製品。


ツヌ102F,カノ18F。
※旧製品,再生産品。

ツヌ101F(Mc148:弁天橋区仕様+旧製品→ツヌ101F-2)が1980年代中盤をプロトタイプに据えた編成の嚆矢である。
運転台付車両6両は全てLP411前照灯車だったがまだ黄色5号LP411前照灯に余裕があった時期であり難無く改装出来た。
しかし旧製品LP402前照灯先頭車両の前面見附違和感改善対策にも黄色5号LP411前照灯が活用され減少へと転じる。
選択肢が狭まる状況下でツヌ103F(Tc48:旧製品),元ツヌ124F(Tc74:弁天橋区仕様+旧製品)を旧ツヌ103Fに再編した。
残されたツヌ103F構成車2両,元ツヌ124F構成車8両はツヌ102F(Tc75:旧製品)に纏められLP411前照灯旧製品編成が登場する。
1984年10月現在の編成表に従った黄色5号編成はツヌ102Fが初でありその後旧ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)も加わった。
だが後続は無くツヌ110F(Mc195←ムコ10F:Mc194)を抱えながらもカノ18Fが出場するまで勢力拡大には至らなかった。


カノ18Fサイドビュー(クモハ101-191:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※再生産品。


カノ13Fサイドビュー(クモハ101-59:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※塗装変更車:内嵌式尾灯車。


カノ1Fサイドビュー(クモハ101-178:[千ツヌ]電略標記印刷再現車)。
※旧製品:第二次冷房改造車。

中野区仕様3編成目の出場を飾ったカノ18Fは全て狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルで揃う整った編成見附に達した。
但しクモハ100-179だけは第一次整備時にクモハ101-160(ツヌ106F:再生産品)との側面窓セル相互振替を行っている。
同時にツヌ106F(再生産品+旧製品)の広幅Hゴム支持車統一が実現し十五代目ツヌ118Fは相乗効果を生んだ増備となった。
[西カノ]電略標記車はカノ13Fにも含まれるがクモハ101-59,クモハ100-34(塗装変更車),サハ100-17のみの施工に限られた。
ボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタを全て使い切る苦しい展開に迫られながらも所期の目的は果たせた。
なお最早お約束となった車両番号重複はクモハ101-191+モハ100-248,モハ101-238+モハ100-231で発生している。
幸い前者:ラシ106F(Mc191:旧製品),後者:ラシ101F(弁天橋区仕様+旧製品)と何れも習志野区仕様であり完全には被っていない。
一見では津田沼区仕様と大差ないものの[13B]幕と[西カノ]電略標記再現はカノ18Fの強力な武器になると思う。
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