試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区105F [Mc154] 3+4+3編成 ※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様

2019-01-04 23:52:47 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
復帰。

KATO製国鉄101系ツヌ105F(Mc154:再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)が出場した。
所属編成ではツヌ101F(T'c30←ツヌ101F-1:Mc193,ツヌ101F-2:Mc148)以来となる3+4+3編成が現れている。
また10両の竣工で保留車はモハ100-158(ツヌ118F:旧製品←旧ツヌ118F),モハ100-256(元ラシ107F:Mc202)まで削減された。


国鉄101系ツヌ105F (1983/4)。
[ツヌ105F]:Mc154-M'168-T'c54+Tc57-T290-M231-M'c170+Mc148-M'170-T'c34。
※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様。

手元では最古となる参考資料によると1970年4月現在の津田沼区101系は7+3編成が大半を占めていた。
全40編成のうち33編成がクハ101形,クハ100形を先頭車両とする7+3編成に該当している。
◆ツヌ101F:Tc85-M251-M'245-T86-T'86-M252-M'c183+Mc189-M'244-T'c95(1970/4)。
津田沼区101系に大きな動きが生じたのは1972年7月15日である。
この日に総武線は津田沼~錦糸町間が複々線化され113系1000番代による快速の運転が始まった。
101系の列車線直通運用は臨時列車を除き消滅する。
比例して所要本数の削減が行われ一部は津田沼区を去った。
1978年3月現在の編成表では32本体制へ縮小している。
この頃には組成が乱れ始めており運転台付中間組込車を4両含む細切れ編成も登場していた。
大規模な異動が行われた翌1979年4月現在に於いても確認出来る。
◆ツヌ125F:Tc56-M221-M'215-T'c95+Tc73-M168-M'c146+Mc189-M'244-T'c91(1978/3)。
◆ツヌ129F:Tc77-M162-M'c141+Mc160-M'204-T'c38+Tc73-M213-M'217-T'c36(1979/4)。
資料都合から編成表は1983年3月へ飛んでしまうが1985年4月までは1編成以上が必ず存在していた。
各年代とも予備車を組み込めば細切れ編成の解消が図れた。
103系投入による老朽車置き換えと弁天橋区への転出が重なったとは言え不思議に思える。
特にツヌ101Fは1983年6月から1985年4月に渡り組成変更を経ながらも3+4+3編成が維持された。
1984年12月以降はツヌ105Fとの2本体制になり4+6編成統一前の津田沼区を象徴する時期だったと思う。
◆ツヌ101F:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53(1985/4)。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T'c61+Tc85-T255-M236-M'c174+Mc138-M'112-T'c54(1985/4)。


ツヌ105F/c(Mc154:3+4+3編成)。
※弁天橋区仕様。

十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)のうち7両を車両更新が控えるツヌ107F(Tc83:再生産品)へと異動させた。
出番が無かったクモハ101-155+モハ100-158+クハ100-78(再生産品)は保留車に廻ったが低経年車両であり復帰策を探った。
プロトタイプ選定には十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←旧ツヌ118F)による塗装変更車廃止計画も絡む。
カノ13F(Mc59),ツヌ122F(Mc155),ラシ107Fの更新を終えた結果最終的に運転台付車4両が保留車へ廻る見通しとなった。
形式構成から3+4+3編成が出場への近道だと考え二代目弁天橋区仕様(Mc170)を新たに増備している。
3+4+3編成のプロトタイプ候補に挙がったツヌ105Fは2種が選択可能だった。
ツヌ105F(Mc154:1983/4)とツヌ105F(Mc118:1985/4)での一騎打ちはLP411前照灯所要数が勝負を分けた。
保管品に残る黄色5号LP411前照灯はクハ100-86Assy車体,二代目弁天橋区仕様(Mc170Mc170)から捻出した3灯しかない。
LP411前照灯を6両分用意しなければならないツヌ105F(1985/4)は選考漏れとなりツヌ105F(1983/4)に軍配が挙がった。


[[B],[千ツヌ 定員136]]:クモハ101-148。

ツヌ105Fの組成準備は一手間を要する二代目弁天橋区仕様(Mc170)が整備第一陣となった。
弁天橋区仕様車は車両番号標記,[南テシ]電略標記消去に加え印刷も濃く津田沼区仕様への改装に向いているとは言えない。
それにも関わらず二代目弁天橋区仕様の導入に踏み切った狙いは黄色5号LP411前照灯増強にあった。
2018年10月の回着整備では早くもクモハ101-170,クハ100-86(Mc170)共にLP402前照灯車へと改められている。
肝心な標記印刷消去だがラプロス式は弁天橋区仕様車には適しておらず久し振りとなるペイントリムーバー式を採用した。
更に消しゴム式印刷消去も加え中野方3両編成に配置するクモハ101-148+モハ100-170+クハ100-34を竣工させた。
なお転写した[千ツヌ]電略標記インレタは全車ボナファイデプロダクト製で統一されている。


ツヌ105F/b(Mc154:3+4+3編成)。
※旧製品。

作業進捗率を考え整備第二陣には中間4両編成へ充当する旧製品車両4両が選択される。
種車は十四代目ツヌ118F(旧製品)の他に旧ツヌ113F(Tc74),旧ツヌ122F(M'c170)からの異動車が含まれた。
101系800番代LOT側面窓セル装着車だった旧ツヌ122F出自車だが入場までに復旧させており外観差は生じていない。
全車改番を主工程としながらも古インレタ削減への執着が足を引っ張りインレタ転写で苦んでいる。
結果クハ101-57+サハ101-290+モハ101-231+クモハ100-170は何れも予定時間を大幅に超過して竣工へと漕ぎ着けた。
二転三転したクモハ100-170用種車には旧クモハ100-144(元ツヌ113F:第二次動力ユニット搭載試作車)が起用された。
当初3両目となるクモハ100形動力ユニット搭載車を竣工させる方向だったがこれは諸事情により撤回となる。
その代わりモハ100-235(ツヌ113F:再生産品)へ動力ユニットを再搭載させ旧クモハ100-144(旧製品)の捻出に繋げた。


ツヌ105F/a(Mc154:3+4+3編成)。
※再生産品。

整備第三陣の十三代目ツヌ118F(再生産品)3両は事前に側面窓セル交換を行い広幅Hゴム支持車へと改装済だった。
クハ100-78(ツヌ118F)だけは第一次整備でクモハ100-108(ツヌ118Fクモハ100-175:ツヌ107F)と側面窓セルを交換していた。
その後先行して整備を進めていたツヌ109F(Mc202)にて朱色1号車両の101系800番代LOT側面窓セル交換計画が頓挫する。
止むを得ず狭幅Hゴム支持車改装へと梶が切られクモハ101-155+モハ100-158(ツヌ118F)との三角交換に至った。
これにより千葉方3両編成を担うクモハ101-154+モハ100-168+クハ100-54も側面見附統一が果たされている。
なお取って置きの黄色5号LP411前照灯だったが対象がクハ100-54のみに限られたため中間組込車への充当となった。
また一時的に動力ユニットを搭載させていたモハ100-158(再生産品)はモハ100-158(旧製品)との床板相互交換で往なしている。


クハ100-54+クハ101-57 (元クハ100-78+元クハ101-75)。
※再生産品+旧製品。


クモハ100-170+クモハ101-148 (旧クモハ100-144+元クモハ101-170)。
※旧製品+弁天橋区仕様。

ツヌ105Fでは十三代目ツヌ118F,旧製品車両,二代目弁天橋区仕様(Mc170)が3+4+3編成毎へ別れるよう組成している。
従ってクハ100-54(再生産品)+クハ101-57(旧製品),クモハ100-170(旧製品)+クモハ101-148(弁天橋区仕様)がLOT境界となった。
その他クモハ101-148,クハ100-54は新製投入車初の新金型運転台付中間組込車として竣工を迎えた。
これまではJR101系クハ101-81,クハ100-30(ラシ104F:Mc136),クハ100-34(ラシ107F:Mc202)の3両に限られてきた。
何れも例外措置の車体更新車であり原則先頭車両へ集中配置してきたがツヌ105Fにて大幅な方針転換が図られている。
ちなみに両先頭車両でLOTが揃っていない新金型車体編成も塗装変更車組込編成を除き初登場となった。
そのためクモハ101-154(再生産品)とクハ100-34(弁天橋区仕様)では前面窓セル等に各LOTの特徴が垣間見える。


ツヌ101F-2,ツヌ105F。
※弁天橋区仕様,弁天橋区仕様。

ツヌ101F-2ではクモハ101-148(←クモハ101-170:Mc170),クハ100-53(←クハ100-86:Mc170)が先頭に立つ。
在籍するKATO製101系では数少ない弁天橋区仕様先頭車両かつLP411前照灯車でありツヌ105Fよりも種車の名残を残す。
共に3+4+3編成と一応共通項を有するが中間4両編成の形式構成はツヌ101F-2,ツヌ105Fで各々異なっている。
なお竣工当初クモハ101-148(ツヌ105F)は二代目だと思っていたが三代目になると後で気付いた。
従って初代:ツヌ101F-2(弁天橋区仕様),二代目:JR101系ラシ105F(旧製品),三代目:ツヌ105F(弁天橋区仕様)の構図となる。
プロトタイプはクモハ101-148(ツヌ105F)が最も古く唯一のLP402前照灯車が独自性を主張していると思う。
後追いで組成を図ったせいか既存編成との車両番号重複が相次いだ点も見逃せない。
結局ツヌ105Fで初登場を飾った車両はクハ101-57(旧製品←クハ101-75:ツヌ118F)の僅か1両だけに留まった。


ツヌ105Fサイドビュー(クモハ101-154:旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。


ツヌ116Fサイドビュー(クモハ101-154)。
※旧製品。

行先表示類は初期の計画に従い[07C 三鷹]を採用した。
現在在籍編成では[三鷹]表示編成が少数派のためツヌ105Fにて勢力拡大を狙った。
しかし前途の通り車両番号重複が続出してしまい離合に相応しい編成は予想を下回っている。
101系中野区,津田沼区仕様で1983年4月をプロトタイプとする編成は今のところツヌ105F以外に存在していない。
よって当初から自由度の高い編成となるはずだったが思わぬ壁に当たってしまった。
2018年11月に[三鷹]表示編成へ変更したツヌ116F(Mc154:旧製品)には偶然にも初代クモハ101-154が組み込まれている。
基本組成はクハ100-91(第二次冷房改造車)を含む3+4-3編成(ツヌ116F-1:T'c91)であり何かと制約が付き纏う所まで被った。
未だ[飯田橋]表示編成の復活も果たせておらず年代毎に行先再配分を行った方が良いかもしれない。
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