試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区101F [Mc148] 3+4+3編成 (行先表示類変更,モハ100-103 動力ユニット整備) ※弁天橋区仕様+旧製品

2019-11-13 21:40:17 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
狭間。

各種整備を終えたKATO製国鉄101系ツヌ101F-2(Mc148:弁天橋区仕様+旧製品)が再出場した。
これでツヌ101F(T'c30)はツヌ101F-1(Mc193)を併せた全12両が装いを新たにしている。
全車とも側面窓セル窓サッシ印刷に劣化は無く車体改修を並行せずに竣工となった。




国鉄101系ツヌ101F (1984/X,1985/4)。
[ツヌ101F-1]:Mc193-M'808(-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53)。
[ツヌ101F-2]:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53。
※弁天橋区仕様+旧製品。
◆行先表示類変更,クモハ101-148 車体傾斜修正,モハ100-103 動力ユニット整備。

1985年4月現在の国鉄101系津田沼区には3+4+3編成が2本(ツヌ101F:Mc148,ツヌ105F:Mc118)存在していた。
約1年が経過した1986年4月現在では10編成中9本が4+6編成に組み替えられ残る1編成も3+4-3編成に変更されている。
組成形式統一の遅かった津田沼区ではツヌ101F,ツヌ105Fが最後の3+4+3編成を飾ったと思われる。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T'c61+Tc85-T255-M236-M'c174+Mc138-M'112-T'c54(1984/12)。
ツヌ101F,ツヌ105Fを組成していた20両のうち11両がJRへ承継された長寿車であった。
クハ100-35は1986年10付で廃車されたがクハ103-2002への編入改造を受け奈良区に配属となる。
残る10両も習志野区に在籍したまま5編成へ分散配置された。
習志野区101系の各編成は原則4+6編成への再編が起点になっている。
1985年4月当時はより車齢の若い車両も在籍していたがこの組成変更が分かれ道だったと思う。
◆ラシ102F:Mc173-M'218-T295-T'c50+Tc79-M198-M'192-T252-M193-M'c154(1987/4)。
◆ラシ103F:Mc133-M'107-T256-T'c64+Tc80-M209-M'203-T291-M236-M'c174(1987/4)。
◆ラシ104F:Mc136-M'111-T245-T'c30+Tc81-M230-M'224-T105-M237-M'c175(1987/4)。
◆ラシ105F:Mc148-M'170-T255-T'c54+Tc73-M251-M'245-T246-M208-M’c160(1987/4)。
◆ラシ106F:Mc191-M'248-T249-T'c61+Tc69-M212-M'206-T284-M232-M'c171(1987/4)。
◆ラシ107F:Mc202-M'256-T247-T'c34+Tc85-M253-M'247-T290-M262-M'c191(1987/4)。
ちなみにツヌ101F(Mc148)では先頭車両と中間組込車を行き来したクモハ101-148の動向が目に止まった。
1978年3月までは中間組込車が主な役割で1979年3月頃にようやく先頭へ立つ。
ところが1983年4月現在では中間組込車に戻り1984年12月以降から再び先頭車両を受け持った。
以後は習志野区101系が引退する1988年11月30日まで風を切る姿が見られた。
編成異動が繰り返された津田沼区101系でもクモハ101-148ほど出入りの激しい車両は珍しい存在だったかもしれない。
◆ツヌ131F:Tc37-M173-M'167-T255-T256-M165-M'c143+Mc148-M'170-T'c35(1970/5)。
◆ツヌ103F:Tc48-M190-M'183-T268-T72-M171-M'c147+Mc148-M'170-T'c34(1978/3)。
◆ツヌ127F:Mc148-M'170-T'c83+Tc83-M233-M'226-T128-T'242-M208-M'c160(1979/3)。
◆ツヌ105F:Mc154-M'168-T'c54+Tc57-T290-M231-M'c170+Mc148-M'170-T'c34(1983/4)。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T255_Tc78-T290-M239-M'c165+Mc148-M'170-T'c54(1984/10)。
◆ツヌ101F:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53(1984/12)。
◆ツヌ106F:Mc148-M'170-T241-T'c54+Tc83-M212-M'206-T84-M222-M'c166(1986/4)。


旧ツヌ123F。
※旧製品。


旧ツヌ124F。
※旧製品。

2015年12月に出場したツヌ101F(Mc148)はKATO製101系で運転台付中間組込車が4両組み込まれる初の編成だった。
変則組成はツヌ116F(Mc154:3+4-3編成),ツヌ103F(Tc48:3-4+3編成)が先発したが何れもツヌ118F(Mc155:旧製品)を投入した。
しかしこの増備方法では必ずサハ101-108若しくはサハ101-233(ツヌ118F)が保留車に廻る弱点を有していた。
そのためクモハ100-68(塗装変更車)を含む旧ツヌ131F(M'c143:6-4編成)の出場以降より運転台付中間組込車は偶数に限定される。
編成単位での導入を打ち破った切っ掛けは新金型車体でリリースされた初代弁天橋区仕様(Mc170ラシ101F:Mc201)であった。
クモハ101-170,クハ100-86Assy車体(弁天橋区仕様)を活用し元ツヌ124F(Tc74),ツヌ123F(Tc78)の順で車体更新が行われる。
捻出された元クハ101-74,元クハ100-43(元ツヌ124F),元クハ101-78,旧クハ100-89(元ツヌ123F)がツヌ101Fの礎となった。


クモハ101-109(クモハ101形編入車)。
※旧製品。

ツヌ101Fの組成都合により元クハ101-74,元クハ101-78は各々クモハ101-109,クモハ101-131(旧製品)へ形式変更される。
先頭に立つクモハ101-148,クハ100-53には車両更新予備車だったクモハ101-170,クハ100-86(Mc170)を転用した。
所要となるモハ100形は別途モハ100-232Assy車体(弁天橋区仕様)を調達し手持ちの部品類が組み合わされた。
唯一手配出来なかったサハ101-295だけはサハ101-233(ツヌ118F:旧製品)を導入し出場に結び付けた。
編成見附にも拘り全車弁天橋区仕様相当屋根板で揃え弁天橋区仕様出自車も[千ツヌ]電略標記へと改めている。
当初弁天橋区仕様車原形だったモハ100-103,モハ100-117は後年旧製品LOT側面窓セル交換を行いユニット間の見附を揃えた。


[[千ツヌ 定員144]]:モハ100-170。

[千ツヌ]電略標記にはレボリューションファクトリー製及びグリーンマックス製インレタを使用した。
だがグリーンマックス製インレタ(68-1)を用いたモハ100-103,モハ100-117,モハ100-170(弁天橋区仕様)は標記崩壊が著しかった。
そのため現在標準仕様化したボナファイデプロダクト製[千ツヌ 定員144]標記インレタを再転写している。
またレボリューションファクトリー製[千ツヌ 定員144]標記を代用したクモハ101-148も[千ツヌ 定員136]標記に改めた。
その他クモハ101-131,クハ100-30,サハ101-295(旧製品)では乱れていた2-4位側の車両番号標記修正した。
なおクハ100-53(弁天橋区仕様)はツヌ101F-1の行先変更と連動して暫定出場させた関係で入場車には含まれていない。


事前防錆対策を施したウエイト(サハ101-295)。

十七代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)の整備後から旧製品車両に組み込まれているウエイト腐食が気になり始めた。
さっそくウエイト点検を工程に組み入れクモハ101-193+モハ100-808(ツヌ101F-1)には事前防錆対策が行われる。
旧製品車両ではクハ100-53と床板を振り替えたクハ100-35が初点検車となった。
幸いウエイトに錆は発生しておらずマッキーで断面を塗り潰した上でクハ100-53へ移設している。
サハ101-295はツヌ101F(T'c30)で最も経年の高い床板を履いているはずでその状態が不安に思えた。
だが心配は杞憂に終わり事前防錆対策を行ったのみで全ての措置が完了している。


モハ100-103(動力ユニット搭載車)。
※弁天橋区仕様。

モハ100-103用動力ユニットは旧モハ100-808(旧ムコ3F-2:Mc193→モハ100-806:ムコ3F-2)からの転用品である。
初竣工当初から稼働時の癖が強く現れていたが単なる個体差だと思い続けてきた。
今回の整備で起動加速度が低かった主因はモーター本体にあったと判明している。
モーター軸受部への注油後も回転速度が上がらず高速度試験を繰り返して性能復元まで漕ぎ着けた。
この点は不動品を再生させたモハ100-208(ツヌ118F←モハ100-208:ツヌ118F)用動力ユニットのモーターよりも厄介であった。
ようやくKATO製101系の動力ユニット整備施工車は4両に達し各々で異なる症状の改善対策を会得できたと思う。


クモハ101-148 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区仕様前面窓セル,再生産品LOT相当床板装着車。
※弁天橋区仕様。


クハ100-53 [53C 武蔵小金井]:弁天橋区前面窓セル,旧製品LOT床板装着車。
※弁天橋区仕様。

クハ100-30以下8両はツヌ101F-1との共用車でありクモハ101-148(ツヌ101F-2)も[53C 武蔵小金井]表示へ変更となった。
[53C]幕,[武蔵小金井]幕双方とも嵌合が固ったが上辺に張り出しを抱えていた[13C]幕よりも見附は改善されたと思う。
編成内で床板振替が行えたクハ100-53に対しクモハ101-148は相当する供出車を引き当てられなかった。
元クモハ101-202(廃車:元ラシ107F)との相互交換は検討段階で中止となり再生産品LOT相当床板を流用した。
また弁天橋区仕様用前面窓セルも存置されLP411前照灯以外はクモハ101-170時代の面影を強く残している。
但し運転台付中間組込車では再生産品LOT床板更新が進行中のため折を見て旧製品LOT床板に振り替える予定である。


カノ18F,ツヌ101F-2。
※再生産品,弁天橋区仕様。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

弁天橋区仕様車での車体更新はクモハ101-118(ツヌ133F:Mc118←クモハ101-170:Mc170)を最後に打ち切られた。
これは2016年1月にツヌ118F(再生産品)のリリースが告知されたためで在籍車は5両に限られる。
ツヌ123F,元ツヌ124F,ツヌ133FはLP402前照灯編成でありツヌ101FだけがLP411前照灯編成となった。
2016年7月には元ツヌ124Fを旧ツヌ103F(Tc48→ツヌ103F:弁天橋区仕様+旧製品)へ再編したがプロトタイプ変更は経ていない。
ツヌ118F(再生産品)と弁天橋区仕様の隙間を縫って出場したツヌ101Fは何時の間にか貴重な存在になっていた。
LP411前照灯増強に適するAssy車体を含む弁天橋区仕様だがクモハ100形が存在せず10両編成化には形式構成の縛りが生じる。
よって弁天橋区仕様車を積極導入する理由に欠けており独自の前面見附は当面ツヌ101F-2だけの状況が続くと思われる。




ツヌ101F-2サイドビュー(クモハ101-148:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。
※弁天橋区仕様。


カノ18Fサイドビュー(クモハ101-191:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※再生産品。


ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。


ツヌ109Fサイドビュー(クモハ101-202:[千ツヌ]電略標記インレタ再現車)。

KATO製101系に於ける電略標記変更は古くから開始され2015年1月出場の旧ツヌ133F(旧製品)が嚆矢となった。
寄り合い所帯となったツヌ101Fも弁天橋区仕様(Mc170),弁天橋区仕様Assy車体組立車共に[南テシ]電略標記印刷を消去している。
新たに採用したボナファイデプロダクト製電略標記インレタはツヌ109F(Mc202)にて大凡の転写位置が決定した。
二代目弁天橋区仕様(Mc170)を種車とするクモハ101-148+モハ100-170,クハ100-34(ツヌ105F:Mc154)もこれに倣った。
そしてカノ18F(Mc191:再生産品←ツヌ118F:Mc155)では初となる編成単位での[西カノ]電略標記変更を達成させている。
旧ツヌ133F,旧ツヌ101F(Mc148)で見せた拘りは形を変えてツヌ101F(T'c30)に還元されたと言えよう。
この記事についてブログを書く
« モハ100-103[ツヌ101F] 動力... | TOP | 東京地下鉄5000系5013[63F] ... »