試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系津田沼電車区101F [T'c30] 3+4+3編成 (クモハ101-193+モハ100-808[ツヌ101F-1] 側面窓セル交換)

2018-06-04 22:12:21 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
両得。

KATO製国鉄101系ツヌ101F(T'c30←ツヌ101F-1:Mc193,ツヌ101F-2:Mc148)が再出場した。
本来ツヌ101F-1はツヌ101F-2(弁天橋区仕様+旧製品)のバリエーション組成に過ぎない。
しかし入場契機はクモハ101-193+モハ100-808(ツヌ101F-1)の側面窓セル交換であり多大な影響を及ぼしたと言える。




国鉄101系ツヌ101F 朱色1号混色編成(1984/X)。
[ツヌ101F-1]:Mc193-M'808(T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53)。
※イメージ編成(1984/6)。
クモハ101-193:前面用[総武・中央線 各駅停車]誤乗防止ステッカー交換。

1983年4月現在の津田沼区101系は8編成まで勢力を縮小していた。
この当時は弁天橋区への転属が控えており度重なる車両異動が行われている。
よって頼りにしている編成表は一時的なものだと思われる。
1984年に入ると101系は9編成に増えたが事情は分からない。
引き続き転属や車両異動が繰り返されクハ101形,クハ100形を両先頭車とする編成は消滅した。
その一方で各編成の組成は雑然化している。
9本は各々で組成形式が異なっており101系では珍しい10両貫通編成も2編成出現した。
◆ツヌ104F:Tc80-M140-M'133-T88-M235-M'229-T252-T263-M179-M'c140:1984/10。
◆ツヌ107F:Tc83-M206-M'199-T86-T245-M212-M'206-T296-M237-M'c175:1984/10。
1984年5月には武蔵小金井区からクモハ101-193+モハ100-808が転入し出色の存在となった。
津田沼区に初配置されたモハ100形800番代は101系高経年車置き換え計画に含まれていた。
1984年度中までに4ユニットが配置されるはずだったが弁天橋区への転属に変更されている。
先行転入したクモハ101-193+モハ100-808も1985年3月に津田沼区を去っていった。
ツヌ101Fは1983年4月から1984年12月までの間に少なくとも4度の組成変更が行われている。
上記のクモハ101-193+モハ100-808もツヌ101Fに組まれていた時期があった。
◆1983/4:Tc83-M198-M'193_Mc136-M'111-T252-T247-M217-M'210-T'c53。
◆1984/6:Mc193-M'808-T'c??+Mc???-M'???-T295-T'c35+Mc131-M’117-T'c53。
◆1984/10:Mc154-M'168-T'c30+Mc193-M'808-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53。
◆1984/12:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53。
残念ながら1984年6月の組成は特定できていない。
クハ100-30の津田沼区転入は1983年12月だった。
恐らく3号車にはクハ100-30が配されていたと思う。
1984年12月現在ではツヌ101Fから外れたクモハ101-154+モハ100-168,クモハ101-193+モハ100-808は予備車になっていた。
クモハ101-154+モハ100-168は1985年3月で廃車となりクモハ101-193+モハ100-808と同時期に姿を消した。
手持ちの編成表は1985年4月から1986年4月まで期間が開いている。
1984年4月にはツヌ104Fを除き4+6編成で統一されておりこの1年間での異動がどの様に行われたか気になるところである。
◆ツヌ104F:Mc159-M'185-T263-T'c35+Mc165-M’200-T259_Tc75-M118-M'c133(1986/4)。


国鉄101系ツヌ101F (1984/12)。
[ツヌ101F-2]:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53
※弁天橋区仕様+旧製品。

ツヌ101F-2は車体更新捻出車(旧製品):4両,弁天橋区仕様組立車:3両,セットバラし品:2両,中古製品(旧製品):1両で構成される。
まだツヌ118F(Mc155:再生産品)は告知前でツヌ118F(Mc155:旧製品)と弁天橋区仕様(Mc170)の異LOT混結編成で出場となった。
双方のLOTは車体塗装被膜の差が殆ど無く混結させても違和感の少ない編成であった。
一時はクモハ101-154+モハ100-168(ツヌ116F:Mc154)を共用する旧ツヌ101F-2(Mc154)まで在籍した程の自由度を持つ。
その一方でユニット間の側面窓セルLOTは揃っていなかった。
今入場によりクモハ101-109+モハ100-103,クモハ101-131+モハ100-177は旧製品LOT側面窓セルで統一されている。
なおクモハ101-148+モハ100-170は弁天橋区仕様が出自で側面窓セル交換の必要は無い。
但しモハ100-170はサスペンション機構が不調に陥っていたため入場させた。


モハ100-170(ツヌ101F-2:サスペンション機構修復車)。
※弁天橋区仕様。

モハ100-170(2号車)は全高が下がりクモハ101-148(1号車),クハ100-30(3号車)と段差が生じる有り様だった。
DT21非動力台車は全く反力が感じられずサスペンション機構は殺されているに等しい。
かつてライト基板振替入場でサスペンション機構を無効にした事例があった。
この修復履歴が物を言い原因は導電板にあると即断出来た。
予想通り導電板は台枠の導電板押えから両端部が外れていた。
導電板位置を修正するだけで復旧作業を終えている。


クモハ101-148+モハ100-170 (ツヌ101F-2:弁天橋区仕様+弁天橋区仕様)。

改修前のモハ100-170は貫通幌高の違いが見て取れるほど車体高が落ちていた。
サスペンション機構の機能回復によりクモハ101-148,クハ100-30との全高差は解消されている。
同じ非動力車のモハ100-117では発症しておらずモハ100-170だけの改修項目になっている。
初竣工時は確かに機能しており脱落した原因は掴めていない。
結局ツヌ101F(T'c30)ではモハ100形が全車が入場となった。


ツヌ102F,ツヌ101F-1 (旧製品,弁天橋区仕様)。

ツヌ101F-2は全運転台付車両がLP411前照灯車で構成されている。
セットバラし車両を充当したクモハ101-148,クハ100-53は行先表示類以外基本的に弁天橋区仕様が維持された。
そのためLP411前照灯と車体の黄色5号は若干色温度が異なる。
中間組込車のクモハ101-109,クモハ101-131,クハ100-30,クハ100-35(旧製品)は当初LP411前照灯(黄色5号)を取り付けていた。
その後現在まで続く深刻なLP411前照灯(メーカー塗装品)の数量不足に悩まされる。
そこで101系メイクアップパーツ3(11-516)に含まれるLP411前照灯(朱色1号)を黄色5号に塗装変更し上記4両へ試験装着した。
結果は上々に思え今入場でもクモハ101-109,クモハ101-131,クハ100-30,クハ100-35のLP411前照灯交換は不要だった。
このいんちき手法はLP411前照灯車化された運転台付中間組込車に波及しLP411前照灯(黄色5号)不足を補った。
1984年がプロトタイプのツヌ102F(Tc75)には旧製品車体に他車両から捻出したLP411前照灯(弁天橋区仕様)を取り付けている。
よって前照灯の色温度だけがツヌ101F-2と揃う珍景が見られる。
旧製品はLP411前照灯車化で特有の違和感を薄められると考えている。
ツヌ101F-2でLP411前照灯(朱色1号)の黄色5号化が思い浮かばなければツヌ102Fは車体更新対象に挙がったかもしれない。




ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:101系800番代LOT側面窓セル復旧施工車)。

ツヌ101F(T'c30)全体での表だった外観変化はクモハ101-193+モハ100-808の101系800番代LOT側面窓セル交換程度に限られる。
旧製品LOT側面窓セルと弁天橋区仕様側面窓セルのHゴム支持再現差異は見逃せる範疇にあった。
ただ仔細に見ると違いは明らかでユニット間のLOTを揃えた効果はそれなりに得られた。
異LOT車体混結は引き継がれるものの車体更新の予定は無い。
保留車再生が引き金で組成に走ったツヌ101F-2だが雑多さを弱められたと思う。
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