試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

国鉄101系中野電車区13F [Mc59] 3+7内嵌式尾灯車編成 (モハ101-68,サハ101-230,サハ100-17 車体振替,クモハ100-34 前面窓支持色変更)

2018-11-22 21:40:07 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
念願。

遂にKATO製国鉄101系カノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)からモハ101-68(塗装変更車)が姿を消した。
加えてサハ100-17(再生産品)の車体振替も実施したためモハ100-45以下8両は旧製品車両に一本化された。
なおカノ13F(塗装変更車+旧製品)はクモハ100-34(塗装変更車)が前面窓支持色変更試作車となり再出場している。




国鉄101系カノ13F 内嵌式尾灯車編成(1978/3)。
[カノ13F]:Mc59-M'45-T'c74+Tc39+M145-M'140-T230-T'17-M68-M'c34
※塗装変更車+旧製品。
◆クモハ100-34 前面窓支持色変更試行。
◆モハ101-68,サハ101-230,サハ100-17 車体振替。

国鉄101系クモハ101形,クモハ100形量産車は1960年度落成車以降から尾灯が外嵌式に変更された。
球切れ時の電球交換を容易にするためであったがライトケーシングが大きくなり前面見附は若干異なるものとなった。
内嵌式尾灯車はクモハ101-1~78,82,クモハ100-1~78,82と少数派の存在に留まる。
なおクモハ101-82,クモハ100-82は1960年度製造分の早期落成車であり内嵌式尾灯車となった。
津田沼区への101系投入は品川区からの転属車が多数を占めた。
正式配置は少なかった上に短期間で姿を消している。
◆クモハ101-33:1964年11月~1966年4月。
◆クモハ101-34:1964年6月~1966年4月。
◆クモハ101-47:1964年7月~1966年4月。
◆クモハ100-33:1964年11月~1966年4月。
◆クモハ100-50:1965年4月~1966年4月。
◆クモハ100-54:1964年6月~1966年4月。
配属が確認出来た車両は僅か6両であり1966年4月に揃って中野区へ転出した。
対照的に中野区では晩年まで活躍を見せる。
1978年3月時点でクモハ101-34は予備車に廻っていたが22編成中9編成に内嵌式尾灯車が組み込まれている。
この頃は101系初期製造車の老朽廃車が開始される直前であった。
中野区所属編成の内嵌式尾灯車は約半数に組成されていた事になり度々見掛けたられのは必然だったと言えよう。
◆カノ3F:Mc54-M'52-T'c45+Tc66-M1-M'1-T2-T'207-M146-M'c44(1978/3)。
◆カノ4F:Mc128-M'227-T'c39+Tc84-M256-M'250-T197-T96-M133-M'c74(1978/3)。
◆カノ6F:Mc49-M'143-T'c11+Mc149-M'149-T25-T206-T'25-M78-M'c79(1978/3)。
◆カノ7F:Mc74-M'129-T'c76+Tc46-M138-M'134-T259-T44-M131-M'c54(1978/3)。
◆カノ9F:Mc47-M'155-T'c77+Tc72-M172-M'166-T257-T'44-M257-M'c171(1978/3)。
◆カノ13F:Mc59-M'45-T'c74+Tc39+M145-M'140-T230-T'17-M68-M'c34(1978/3)。
◆カノ14F:Mc126-M'95-T'c37+Tc68-M159-M'154-T296-T'98-M104-M'c55(1978/3)。
◆カノ19F:Mc127-M'59-T'c71+Tc47-M253-M'247-T218-T'87-M144-M'c50(1978/3)。
◆カノ22F:Mc53-M'130-T'c27+Tc27-M184-M'177-T234-T'96-M103-M'c105(1978/3)。
101系1000番代へ編入された車両を除き全車が健在だった内嵌式尾灯車は1980年から急速に置き換えが進む。
中野区所属車も例外ではなく1982年~1983年に掛けて大幅に勢力が縮小した。
1984年10月になるとクモハ101形は消滅しクモハ100-44,クモハ100-74だけが生き残る。
何れも編成を組み最期の花道を飾った。
廃車はクモハ100-44:1985年1月,クモハ100-74:1984年11月で中野区からも内嵌式尾灯が淘汰された。
◆カノ17F:Mc120-M'104-T'c93+Tc70-M143-M'138-T296-T84-M133-M'c74(1984/10)。
◆カノ20F:Mc128-M'67-T'c74+Tc58-M192-M'186-T259-T127-M146-M'c44(1984/10)。
一方クモハ101形は1984年8月に廃車となったクモハ101-53が最終在籍車である。
中野区のクモハ101形は王子駅構内冠水被災救済用に充当された車両が含まれた。
これがクモハ100形より先に姿を消した要因の1つだと考えられる。
◆クモハ101-54:1982年10月→日根野区。
◆クモハ101-59:1982年9月→日根野区。
黄緑6号に塗装変更されたクモハ101-59に対しクモハ101-54は黄色5号のまま転出している。
クモハ101-54は[関西線]誤乗防止ステッカーが貼付され混色編成を組みながら窮地を救っている。
しかし車齢が高かったせいか活躍期間は長くなくクモハ101-54,クモハ101-59の廃車は各々1983年8月,1984年9月であった。


モハ101-68(車体振替施工車)。
※旧製品。

カノ20F(Mc53:塗装変更車+旧製品)を再編したカノ13Fは塗装変更車,旧製品車両,再生産品車両が集まる雑多な構成であった。
中途半端なまま終わった塗装変更車集約の名残を拭うべくサハ101-230(旧製品)を第一陣とし車体振替が開始される。
最後まで残ったモハ101-68もモハ101-68(旧製品←モハ101-91:ツヌ118F)で置き換え所定の塗装変更車廃止へと漕ぎ着けた。
そして捻出された旧モハ101-68,旧サハ101-230(元カノ13F:塗装変更車)は役目を終え廃車となった。
十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←旧ツヌ118F)の投入を契機に塗装変更車は廃車が進行し総勢9両まで達した。
なおクモハ101-59,クモハ100-34も塗装変更車だが製品化されていない内嵌式尾灯車であり当面は現状維持とする。
モハ101-68の竣工でモハ100-45以下7両は旧製品車両で固められた一方サハ100-17(再生産品)が取り残されてしまった。
在籍車両でも2両しか竣工例がないサハ100形黄色5号車両は稀少かつ出色の存在だけにLOT統一へ向け梶を切った。


サハ100-17(車体振替施工車)。
※旧製品。

結果的にモハ101-68への車体振替がサハ100-17(←元サハ101-233:ツヌ118F)を巻き込む起点となった。
サハ100-17用種車にはサハ101-239(ツヌ131F:Mc70)の車体振替用だったサハ101-233(ツヌ118F:旧製品)を充当した。
他車両と色温度が合わない101系800番代LOT屋根板はサハ100-99(ツヌ113F:Tc74)から旧製品LOT相当品を捻出し振替えた。
また屋根板色温度差の緩衝役を担っていたサハ101-230も旧製品LOT屋根板へ交換され完全な旧製品車両に復帰した。
ようやく屋根上見附統一を果たしたカノ13Fは現在でも多数の元カノ20F(←旧カノ20F)構成車が引き継がれている。
元カノ20Fのうちモハ100-139以下8両用種車は九代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←ツヌ118F)が出自だった。
再編に当たり無計画な車両異動で編成見附が崩れた旧カノ13Fだったが再び元カノ20F当時の構成へと戻された。




クモハ100-34 [13B 中野]:第四次前面窓支持色変更試作車。
※塗装変更車。

在籍する旧製品編成は車両更新,車体更新の進捗で激減したため何れも旧製品保持編成となった。
ただ増加した弁天橋区仕様(Mc170)組込編成,再生産品編成に対する見劣り感は拭えないままだった。
そこで前面窓寸法が原因だと思われる前面見附の違和感を前面窓支持色変更にて軽減する試験へと踏み切った。
現時点ではカノ1F(Mc178←元ツヌ113F:Mc185),ラシ105F(Mc148←旧ラシ105F:再生産品+旧製品)が試作編成に該当する。
カノ1F及びラシ105Fの起用はLP402前照灯編成,LP411前照灯編成各々で錯覚効果を確かめる名目があった。
結果以前ほど弁天橋区仕様組込編成,再生産品編成との格差は抱き難くなり一定の答が得られたように思えた。
一方両先頭車両に新金型車,旧金型車が配される特例編成は前面窓支持色変更試行対象から外してきた。
だが他編成との離合を考慮し今入場でクモハ100-34(←クモハ100-39:トタ5F)が前面窓支持色変更試作車に加わっている。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

前面窓支持色変更による旧製品運転台付車両の前面見附改善策は所詮投影面積が拡大したように見えるだけである。
クモハ100-34の前面見附は違和感こそ軽減されたがクモハ101-59(←元クモハ101-78:旧ムコ3F)には敵わない。
仮にクモハ101-53(元カノ20F→クモハ101-59)で101系800番代LOT前面窓セルを採用していれば異なる結果が出ていたと思う。
なお再出場直前にクモハ101-59用ジャンパホースの黒色塗装劣化箇所を超極細マッキーで塗り潰した。
この時車体前面屋根R頂点部に亀裂が生じていると判明し車体内側から流し込み接着剤で埋込を図った。
皮肉にも厚い塗装被膜が前面妻板を覆っており修復痕は殆ど判らない仕上がりに達している。
完全溶着された亀裂は進行こそ防げると思う一方分解には向かなくなったため最終形態となるかもしれない。
黄色5号津田沼区仕様ではツヌ133F(Mc118:弁天橋区仕様+旧製品←旧ツヌ133F:旧製品←ツヌ118F:Mc155)が特例編成に当たる。
乗務員室内に掲示されている行先表示用紙が金型差異を和らげており前面窓支持色変更は行わない予定である。


カノ1F,カノ13F。
※外嵌式尾灯車編成,内嵌式尾灯車編成。

対するカノ13Fは緩和要素を一切有しておらずツヌ133Fよりも前面窓天地寸法の違いに目が行ってしまう。
編成単位では今一つと言わざるを得ないがクモハ100-34の内嵌式尾灯が決定打となり再出場に至った。
第一次前面窓支持色変更試作編成に抜擢されたカノ1Fの中野方先頭車両はクモハ100-124(旧製品:外嵌式尾灯車)である。
前面窓支持色変更対象外だったクモハ100-34は前面見附の違和感が強く出ておりクモハ100-124との尾灯差異を削いでいた。
内嵌式尾灯車の特徴が活かしきれていない状況は望ましくなく今入場でクモハ100-34,クモハ100-124に共通項を持たせた。
これによりカノ1F,カノ13Fの中野方は前面窓支持色変更試作車で揃えられたため遡及点も尾灯形状に向くと思われる。




カノ13Fサイドビュー(クモハ101-59:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※塗装変更車。

カノ13Fの車体状態は入出場が繰り返されたクモハ101-59(←クモハ101-53←旧クハ101-35:旧ツヌ103F]以外問題無かった。
クモハ101-59だけは側面窓セル窓サッシ印刷再現が大幅に劣化しており油性ペイントマーカーで補修を行っている。
またクモハ100-34よりも劣る仕上がりだった車体を磨き直しモハ100-45以下8両の塗装被膜へ近付けた。
今後もクモハ101-59+モハ100-45,クモハ100-34+モハ101-68は塗装変更車+旧製品車両の変則ユニットで残される。
多少ではあるがクモハ101-59,クモハ100-34とモハ100-45以下8両の格差は薄められたと思う。
なおクモハ101-59,クモハ100-34,サハ100-17にはボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタを転写した。
このうちクモハ101-59,クモハ100-34は来たる時に備え[千ツヌ 定員136]標記を転写せずに空欄のまま竣工させていた。
所要数不足の可能性が高く全車への展開は先送りを余儀なくされたが初となる[西カノ]電略標記車登場には満足している。
この記事についてブログを書く
« サハ100-17[カノ13F] 車体振... | TOP | クモハ100-162[ツヌ116F] 現... »