試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

サハ100-17[カノ13F] (元サハ101-233[ツヌ118F] サハ100形0番代編入,屋根板交換施工) ※'再生産品

2016-05-31 21:07:58 | 国鉄/JR101系
希少車。

KATO製JR101系ラシ107F(Mc202:塗装変更車+再生産品+旧製品)の出場に際し大規模な車両異動を実施した。
この煽りで資料不足によりプロトタイプ合致作業が止まっていたカノ20F(Mc53:塗装変更車+旧製品)は組成中止となった。
更に1984年4月現在の編成表入手が困難だと予想されたためカノ20Fはプロトタイプ変更へと方針転換している。


さよならカノ20F。
※塗装変更車+旧製品。

カノ20Fではクモハ101-53+モハ100-139(カノ20F)がプロトタイプ合致を難しくしていた車両だった。
しかし手持ちの中野区編成表は1979年3月現在から1984年10月現在まで空白があり八方塞がりに陥っていた。
それでも内嵌式尾灯車のクモハ101-53,クモハ100-44(カノ20F:塗装変更車)は何としても活かす方向だった。
◆カノ20F:Mc128-M'67-T'c74+Tc58-M192-M'186-T259-T127-M146-M'c44(1984/10)。
このままでは埒が明かないためプロトタイプ時期を1978年3月へ前倒しする作戦に打って出た。
1978年3月現在の編成表によるとクモハ101-53,クモハ100-44は各々カノ22F(Mc53),カノ3F(Mc54)を構成していた。
◆カノ3F:Mc54-M'52-T'c45+Tc66-M1-M'1-T2-T'207-M146-M'c44(1978/3)。
◆カノ22F:Mc53-M'139-T'c27+Tc27-M184-M'187-T234-T'96-M103-M'c105(1978/3)。
カノ22Fは中野方先頭車両がクモハ100-105(外嵌式尾灯車)で内嵌式尾灯車編成の条件を満たさなかった。
一方カノ3Fも大幅な床下機器配置変更を要するサハ100-207が壁でカノ20Fの再編候補には相応しくない。
改めて中野区編成表を見直したところ1978年3月現在での内嵌式尾灯車編成編成は僅か2本であった。
自ずから候補はカノ7F(Mc74),カノ13F(Mc59)に絞られたがこのうちカノ13Fにはサハ100-17が組み込まれていた。
過去ツヌ112F(Tc44:1979/3),ツヌ110F(Mc191:1985/4)の出場計画頓挫によりサハ100形黄色5号車両は幻となった経緯がある。
製品化されていないサハ100形黄色5号車両を戦列に加えるべくカノ20Fはカノ13Fへのプロトタイプ変更が決定した。


国鉄101系元サハ101-233(ツヌ118F)。
※再生産品。

サハ100-17用種車には十代目ツヌ118F(Mc155:再生産品←旧ツヌ118F:Mc155)から脱車された元サハ101-233を起用した。
床板はサハ101-290(ラシ107F:旧製品←サハ101-127:元カノ20F)との相互交換でサハ101形0番代用に変更済だった。
実車とは床下機器配置が異なるものの武蔵小金井区,豊田区仕様用サハ100形0番代も手を加えておらずこのまま流用する。
交換したばかりの元サハ101-233用屋根板だが出番を待ち続けていたサハ100形用屋根板へ置き換えとなる。
なおサハ101-290との屋根板振替はサハ100形0番代への形式変更ではなく屋根上見附統一が名目で勇み足だったかもしれない。


入工中の元サハ101-233

サハ100形用屋根板はサハ100形を103系サハ103形750番代へ編入した際に3両分が捻出されただけだった。
これまで中野区,津田沼~習志野区仕様では起用機会に恵まれず眠っていたがカノ13Fへの再編でようやく登場を迎えた。
今回元サハ101-233(ツヌ118F:再生産品←ツヌ118F)に充当してもあと2両分が賄えるためまだサハ100形を増強出来る。
だが製造数が少なかったサハ100形は津田沼区でも比較的早く姿を消しており竣工させるなら中野区仕様に限られる。
よってサハ100形用屋根板に活躍の場が巡って来るかは微妙で保管品からの脱却はしばらく先になると思う。
なお形式変更に伴い元サハ101-233用ベンチレーターが1器余剰となり続いていた漸減傾向は一旦抑止された。


電装準備工事部が際立つサハ100形用屋根板。

以上の他元サハ101-233(ツヌ118F)への加工箇所は無く組み上げた後にラプロス式で車両番号標記印刷消去を行った。
グリーンマックス製車両番号標記インレタに含まれるサハ100形用組標記は専ら継ぎ接ぎ転写でしか用途がなかった。
サハ101形の改番では[サハ100-XX]標記しか転写対象にならず[サハ100-XX]は台紙に残される事例で占められてきた。
前記した通りサハ100形黄色5号車両は初登場でありサハ100形用黒文字組標記がそのまま活用出来る機会となっている。
[サハ100-17]標記の組み合わせは[サハ100-]+[1]+[7]とし[サハ100-17]には高経年台紙バラ標記インレタを用いた。
またサハ101形とサハ100形ではエンド標記位置が逆転するため新たにグリーンマックス製インレタで再現した。
なおエンド標記印刷消去は施工区間の狭さにより擦過痕が広がる危険性を考慮しペイントリムーバー式とした。




サハ100-17(カノ13F:元サハ101-233 サハ100形0番代編入,屋根板交換施工)。
※再生産品。

流れ続けたサハ100形黄色5号車両の増備計画後だけにサハ100-17(カノ13F:再生産品)の竣工は充実感が伴った。
多数が在籍する朱色1号車両では見慣れたサハ100形0番代だが初登場を迎えた黄色5号車両は何処か新鮮に映る。
サハ100形黄色5号車両初竣工を飾るはずだったサハ100-88(ツヌ112F)はツヌ118F(旧製品)の価格が急騰し着手出来なかった。
また十代目ツヌ118Fを製品原形のままツヌ110F(Mc191)へ充当した場合にはサハ100-97が登場していた。
仮にサハ100-88若しくはサハ100-97を竣工させていればサハ100形黄色5号車両に拘る必要性は薄れていたと思う。
そうなるとカノ20Fのプロトタイプ変更候補編成はカノ13Fではなくカノ7Fを選択していたかもしれない。
ちなみに実車は1979年4月頃までに電装準備工事関連設備が完全撤去されベンチレーター追設車へと改められた。
1978年3月がカノ13Fのプロトタイプであり電装準備工事車でも齟齬にはならないと思われる。


サハ101-259+サハ100-17 (カノ20F+カノ13F:元サハ101-233+元サハ101-233)。
※旧製品+再生産品。


サハ100-94(ツヌ110F)。

蛇足ながら十代目ツヌ118Fの改装候補に挙がったツヌ110F(Mc191)には中野区所属だったサハ100-97が組み込まれていた。
この時津田沼区は既にサハ101形0番代,サハ101形200番代で統一されており総武線を走行した最後のサハ100形だと思われる。
サハ100形は経年が高かった関係でサハ100-105,サハ100-106(第一次冷房改造車)を除き早期に廃車されてしまった。
そのため今後サハ100形黄色5号車両が増備される確率は極めて低く貴重な存在になると思う。
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