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試運転 ~TRIAL RUN~

初心者の拘りと見切りが激しい自己責任による鉄道模型軽加工記録

JR101系習志野電車区106F [Mc191] 4+6編成 (車体改修,2ndLOTライト基板更新,動力ユニット整備) ※旧製品

2019-02-03 21:47:09 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
修復。

老朽化対策のため入場していたKATO製JR101系ラシ106F(Mc191:旧製品)が車体改修を終え再出場した。
曇りが顕著だった車体,屋根板の清掃は全車で施工され他編成と肩を並べる仕上がりに達したと思う。
深刻だった側面窓セル窓サッシ印刷劣化も油性メタリックマーカー式にて復活へと漕ぎ着けている。




JR101系ラシ106F (1988/4)。
[ラシ106F]:Mc191-M'248-T249-T'c61+Tc69-M212-M'206-T284-M232-M'c171。
※旧製品。
◆車体改修,動力ユニット整備,2ndLOTライト基板更新。

JR移行直後の習志野区101系は4+6編成7本で纏められ編成毎の個性は強くなかった。
ラシ104Fには唯一サハ101形0番代(サハ101-105:7号車)が組み込まれていたが編成見附は殆ど変わらない。
一応LP402前照灯編成:ラシ101F,ラシ107F,LP411前照灯編成:ラシ102F,ラシ103F,ラシ104F,ラシ105Fに大別出来る。
しかしラシ106Fだけはクモハ101-191:LP402前照灯車,クモハ100-171:LP411前照灯車で組成された。
その点では7本で最も特色のある編成だったと思う。
中野区からの転入車が多く含まれる編成でもあり10両編成中6両が該当する。
◆クモハ101-191+モハ100-248(中野区→津田沼区:1985/3)。
◆クモハ100-171+モハ101-232(中野区→津田沼区:1984/2)。
◆クハ101-69(中野区→津田沼区:1985/3)。
◆クハ100-61(中野区→津田沼区:1984/2)。
◆サハ101-284(中野区→津田沼区:1985/3)。
中でもクモハ101-191+モハ100-248,クハ101-69,サハ101-284は中野区101系の終焉まで活躍した。
内嵌式尾灯車が末期まで運用に当たるなど経年の高い車両が多かった中野区だがこの4両は異色の経歴を辿った。
◆カノ10F:Mc139-M'127-T'c94+Tc82-M145-M'140-T284-T'97-M112-M'c130(1984/10)。
◆カノ18F:Mc191-M'248-T'c92+Tc79+M238-M'231-T292-T'84-M244-M'c179(1984/10)。
◆カノ19F:Mc166-M'202-T'c70+Tc69-M159-M'154-T'236-T'96-M123-M'c132(1984/10)。
転入当時は武蔵小金井区へ返却されたツヌ110F(Mc195)を補完する役割が与えられる。
当初は中野区,中原区からの借入車を含むツヌ110F(Mc191:3+7編成)を組成した。
◆ツヌ110F:Mc191-M'248-T'c92+Tc69-M253-M'247-T284-T'97-M244-M'c179(1985/4)。
モハ101-253+モハ100-247,クハ100-92は上記6両と共に津田沼区へ転入した車両だった。
借入車のクモハ100-179+モハ101-244:(中野区→中原区),サハ100-97(中野区保留車)も中野区を出自とする。
ツヌ110Fは元中野区所属車両で占められた上に編成構成まで中野区101系を彷彿とさせた。
その後津田沼~習志野区101系は車両異動を伴う4+6編成への組成変更が開始される。
クモハ101-191+モハ100-248はかつて中野区所属車だったクモハ100-171+モハ101-232とラシ107F(Mc191)を形成した。
LP402前照灯車とLP411前照灯車が編成前後を締める礎はこの時生まれている。
ラシ107F(Mc191)は習志野区最後の変則組成だと思われる4+3-3編成であった。
ただ4+6編成への移行途中で生じた可能性があり一時的な組成だったかもしれない。
更にラシ106F(Mc202)や予備車との車両異動が行われ4+6編成のラシ106F(Mc191)としてJR移行を迎えた。
◆ラシ106F:Mc202-M'256-T249-T'c61+Tc69-M206-M'212-T284-M262-M'c191(1986/11)。
◆ラシ107F:Mc191-M'248-T247-T'c34+Mc141-M'114-T290_Tc85-M232-M'c171(1986/11)。
7編成体制でJRへ移行した習志野区101系だったが1987年度から淘汰が始まる。
先ず103系ラシ331F(Tc741),ラシ332F(Tc743),ラシ333F(Tc773)の転入でラシ101F,ラシ102F,ラシ103Fが運用を外れた。
1988年度には103系ラシ334F(Tc295),ラシ335F(Tc461)が加わりラシ106F,ラシ107Fも戦列を離れている。
ラシ106Fは1988年6月を以て使用停止となり編成が解除された。
モハ101-212+モハ100-206,クハ101-69,サハ101-249,サハ101-284はしばらく車籍が残された後に廃車となる。
このうちサハ101-284は土崎工場で行われた103系車両更新工事に関連して控車へ改装された。
中原区へ転出した5両も1990年7月までに除籍となりラシ106Fの系譜は途絶えている。


旧ツヌ106F。
※旧製品。

ラシ106Fは2006年4月に回着した初代ツヌ118F(Mc155:旧製品)を種車とするKATO製101系投入第一陣編成である。
導入当初から101系メイクアップパーツ1(11-510)の取り付けを前提とし回着直後に旧ツヌ106F(Mc155:4+6編成)へ改装した。
当時は101系増強など毛頭になくプロトタイプは1編成でLP402前照灯車とLP411前照灯車を登場させられるツヌ106Fとなった。
併せてダミーカプラーもATS-B形車上子付胴受に交換され純正胴受は後の準再用ダミーカプラーへと繋がっている。
現在習志野区仕様で統一しているATS-B形車上子付胴受は旧ツヌ106F(→ラシ106F)がその方向性を決定付けた。
2013年3月にはJRマークインレタ転写及びKATO製B形防護無線アンテナ搭載を行い旧ラシ106F(Mc155)へ改装される。
車両番号標記印刷消去は消しゴム式を経た後にペイントリムーバー式へと発展し本格的な改番が開始となった。
長らくクモハ101-155以下10両のまま推移してきた旧ラシ106Fもペイントリムーバー式によりラシ106F(Mc191)へ改められた。
その後ラシ104F(Mc136:塗装変更車+旧製品)以降から習志野区仕様は新金型先頭車両での増備へと切り替えられている。


旧ラシ106F。
※旧製品。

習志野区仕様3編成目のラシ101F(Mc201)では初代弁天橋区仕様(Mc170)による新金型車体メーカー塗装先頭車両が初登場した。
そして十代目ツヌ118F(Mc155:再生産品←旧ツヌ118F)導入を切っ掛けに旧ラシ104Fが再生産品+旧製品編成へと改められる。
続くラシ107F(Mc202)もラシ104Fから捻出された塗装変更済先頭車両で纏められツヌ118F(旧製品)は増備に至らなかった。
習志野区仕様唯一の旧製品編成で取り残されたラシ106Fは行先配分調整のため一旦[千葉]幕から[三鷹]幕へ変更している。
しかし主流と言える[三鷹]幕を比較的編成見附の整った旧ラシ105F(Mc148:再生産品+旧製品)に充てラシ106Fの代替とした。
前面見附に違和感を抱く旧製品車両特有の弱点緩和策としてラシ106Fは[御茶ノ水]表示編成へ再変更となった。
この行先変更だが存在感向上には直結せず習志野区仕様の作業もラシ104F:車体更新,ラシ107F:塗装変更車廃止へと進んでいる。
またモハ100-206(ラシ106F:旧製品)用動力ユニット不調まで重なりラシ106Fは走行機会に恵まれないまま荒廃が進んでしまった。


ラシ105F,ラシ106F (第二次前面窓支持色変更試作編成,製品原形前面窓セル装着編成)。
※旧製品。

この嫌な流れは国鉄101系カノ1F(Mc178:旧製品)にて採り入れた前面窓支持色変更試行が止める切っ掛けとなった。
第二次前面窓支持色変更試作編成はLP411前照灯編成で決定していたが津田沼区仕様には相応しい編成が見当たらなかった。
そのため習志野区仕様の旧ラシ105Fから再生産品車両を廃止しラシ105F(旧製品)へと改めた上で試行する展開となった。
製品原形に近かったラシ106Fは前面窓支持色変更試作編成と対比させる新たな役目が与えられ今入場へと繋がっている。
改修工程は強力に付着した汚れの除去やペイントリムーバー式印刷消去による塗装被膜変質部への対処を主とした。
車両番号標記周囲の措置こそ各車で異なったが車体の艶は他習志野区仕様4編成と同格に戻せたと思う。
側面窓セル窓サッシ印刷は何れも劣化進行が激しくその大半で油性メタリックマーカー式補修を施した。
またクモハ101-191,クモハ100-171では2ndLOTライト基板更新も並行し前尾灯及び表示器類の点灯照度を回復させている。
これまで2ndLOTライト基板と現行LOTライト基板は[現行LOT相当ライト基板]と称して一括りで取り扱ってきた。
しかしクモハ100-171での点灯試験結果から前照灯照度に違いが存在すると判明したため今後は明確な区分を設ける。
前照灯照度が上回る現行LOTライト基板は原則LP411前照灯車用としその特性を最大限に活かす方向である。


クモハ100-171 [13C 御茶ノ水]:2ndライト基板更新車。
※旧製品。

モハ100-206(ラシ106F)ではKATO製101系に於いて初となる動力ユニット整備へと踏み切っている。
走行距離を稼いだ動力ユニットは駆動音増大,加速度低下,段付加速が著しくさすがに放置できない状況であった。
ところが初竣工から約12年9箇月が経過した割にDT21動力台車のギアボックスへの埃侵入は殆ど見られなかった。
その代わりプラスチック製ギア軸への糸屑巻き込みと油脂切れによる摺動抵抗増大には勝てなかったらしい。
台車集電板はピボット軸受部の汚れが特に際立っておりラプロス#6000で研磨を行った。
またモーターの挙動も今ひとつ不安定だったため軸受部へ注油を行い性能復元に繋げている。
意外にもモハ100形用動力ユニットは非常に簡便な構造を持ちモーターカバーを外すだけで構わなかった。
このお陰で整備性が高く他モハ100形動力ユニット搭載車への対応も労する事なく行えると思う。


KATO製101系では初施工となった動力ユニット整備(モハ100-206)。

ラシ106Fの車体改修結果はモハ100-206用動力ユニット整備を除けばほぼ予定通りに近い。
ただクモハ101-191の2-4位側側面用JRマークインレタが剥がれてしまったのは誤算だった。
TOMIX製旧JRマークインレタが転写されていたが予備分は既に無く完全復旧には至らなかった。
代替には今後も補充が見込める可能性の高いTOMIX製103系用High-Grade製品高運転台車LOTインレタを選択している。
その103系高運転台車LOTインレタだが色温度が異なるため現状はクモハ101-191の2-4位側側面用だけが淡灰色となった。
但し旧JRマークインレタの入手も諦めておらず濃灰色と淡灰色が混在する状況は次回のインレタ導入まで解消されない。
なおインレタ剥離は作業時の失策かと思えたが入場前から痛みが進んでいた模様である。
前回出場時の記録では欠損した箇所が変色しており何れは剥がれる運命にあったと思われる。




ラシ106Fサイドビュー(クモハ101-191:車体改修施工車)。
※旧製品。


ラシ105Fサイドビュー(クモハ101-148:車体振替施工車)。
※旧製品。

ラシ106Fの改修完了により在籍する101系習志野区仕様は完全なる5編成体制へと復帰した。
各所で発生していた老朽化は旧ラシ105Fの旧製品編成再編前から確認されており入場計画だけが描かれていた。
折しもKATO製101系ではラシ107F:更新出場,ツヌ109F(Mc202):新規出場,ツヌ105F(Mc154):新規出場が重なった。
着手こそ遅れたものの代わりに比較的余裕のある工程が組め各車両とも丁寧な補修を行えたと思う。
ちなみに習志野区仕様では車体と部品のLOTが揃っていない編成が4本を占めている。
旧製品保持編成が確定しているラシ105Fも再生産品LOT屋根板及び側面窓セルを取り付けた独自の外観を持つ。
製品原形に近い編成はラシ106Fだけの貴重な存在でその経歴もあり二度と荒んだ状態にならないよう心掛ける。

国鉄101系津田沼電車区131F [Mc70] 10両貫通青22号混色:B-Y-B編成 (運転台側TNカプラーSP取付試作車廃止)

2019-01-20 23:31:17 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
名残。

KATO製国鉄101系ツヌ131F(Mc70)が再出場した。
当初は改修を名目としたが[北ウラ]電略インレタが黒文字標記だっためその規模を縮小している。
この入場によりサハ101-239がメーカー塗装車体へ更新され廃車予定の塗装変更車は全て淘汰された。




国鉄101系ツヌ131F 青22号混色編成(1972/6/23)。
[ツヌ131F]:Mc70-M'68-T'216-T'25-M247-M'241-T239-T25-M64-M'c68
※塗装変更車+再生産品。
◆TNカプラーSP廃止,モハ101-247+モハ100-241,サハ101-239 車体更新。

京浜東北線に残存していた72系の置き換えは103系で開始された。
1965年当時はまだ8両編成で将来的に10両編成とする輸送力改善が名目であった。
しかし常磐線快速の混雑率低下が喫緊の課題に挙がり1967年12月以降の落成車103系は主に松戸区へ配置となる。
この影響を受け10両編成統一が完了しないうちに京浜東北線用103系の増備は中断された。
加えて新性能化も達成されておらず1970年11月から1971年3月にかけて101系50両が浦和区へ配属された。
旧配属区は前期転入30両:三鷹区,武蔵小金井区,豊田区,後期転入20両:中野区,津田沼区であった。
京浜東北線用103系に倣い車体塗装は青22号に変更され再開閉スイッチまで取り付けられた。
転入車には各区の予備車が含まれており形式構成は揃わなかった模様である。
編成番号はウラ30F~ウラ34Fを名乗ったはずだが参考資料にはウラ35Fが存在するなど不明な点が多い。
また頻繁に組み替えが実施されらしく組成年代,編成番号,車両番号の紐付けは行えなかった。
◆ウラ??F:Mc41-M'145-T'c7+Mc44-M'142-T7-T'231-T'7-M102-M'c120(※)。
◆ウラ??F:Mc107-M'92-T'c49+Mc59-M'45-T283-T2-T'2-M30-M'c18。
◆ウラ??F:Mc18-M'106-T'c56+Mc70-M68-T25-T'218-T25-M64-M'c68。
◆ウラ??F:Mc186-M'240-T'102-M245-M'239-T7-T'231-T'7-M102-M'c120。
◆ウラ??F:Mc70-M'68-T'c9+Mc44-M'142-T25-T'216-T'25-M64-M'c68。
◆ウラ??F:Mc18-M'106-T'c7+Mc51-M'63-T52-T215-T'52-M62-M'c67。
◆ウラ??F:Mc59-M'45-T'c49+Mc40-M'69-T2-T'283-T'2-M30-M'c18。
◆ウラ??F:Mc107-M'92-T'c56+Mc41-M'145-T265-T285-M158-M'153-T'c62。
浦和区101系は103系投入再開及びATC導入に向け1975年から順次姿を消していく。
折しも南武線新性能化が重なり主な転属先は中原区とされた。
中には武蔵野線(小金線)延伸開業用に101系1000番代へ改造が行われた車両も存在する。
◆クモハ101-107+モハ100-92(1976/3:武蔵小金井区)→クモハ101-1014+モハ100-1014(1977/1)。
◆サハ101-283(1976/3:武蔵小金井区)→サハ101-1207(1977/3)
◆サハ101-285(1975/12:中原区)→サハ101-1208(1977/3)。
そして京浜東北線の101系は1978年3月に運用終了となった。
1978年3月現在では10両編成1本の在籍が確認され最終運用を担ったと思われる。
組成はクモハ101-41以下10両による3+7編成(※)であった。
経緯は判らないがその後も一部は浦和区に残存し1978年6月を以て正式消滅している。
1,535両が製造された101系のうち青22号を纏った車両は僅か50両だけである。
京浜東北線での活躍は約7年5箇月の短期間に留まったがその存在は希少かつ鮮烈だったと言えよう。


元ツヌ131F-1。
※塗装変更車。

ツヌ131F(←ツヌ131F-2:T25)は旧ツヌ131F(M'c143→元ツヌ131F-1)のバリエーション用として出場させた編成である。
その後モハ101-247+モハ100-241(旧ツヌ122F:Mc155)の増備を図りツヌ131F-2との共用車に据え10両編成化した。
ただ6-4編成(元ツヌ131F-1)と10両貫通編成(ツヌ131F-2)の両立には無理があった。
モハ100-68は各編成に合わせ非動力車用床板と動力ユニットの入れ替えを要し取扱い面で不都合が生じた。
この解消にはクモハ100-108(旧ツヌ122F:第一次動力ユニット搭載試作車)の竣工が関与している。
旧ツヌ122F(M'c170)の形式構成は大幅に変更されモハ101-247+モハ100-241(旧製品)がツヌ131F-2へ正式異動となった。
その代わり旧ツヌ131F(Mc70)は元ツヌ308F(Tc81)を含む13両体制まで膨れ上がってしまった。
管理の見直しにより元ツヌ131F-1は廃止となりクハ101-81(元ツヌ308F)もクハ101-85(ラシ107F:Mc202)へと改番され消滅した。


サハ101-239(車体更新車)。
※再生産品。

10両貫通編成に一本化されたツヌ131F(Mc70)だったがサハ101-239は黄色5号車両唯一の塗装変更車体で残された。
塗装状態が劣る塗装変更車は2018年7月に施工したクハ100-34(ラシ107F)の車体更新を皮切りに淘汰が開始される。
十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を中心に玉突きを行いながら廃車を進めた。
途中で種車が底を突いてしまい新たにサハ101-233(ツヌ118F:旧製品)の新規投入を図りサハ101-239を更新する計画を立てた。
しかしサハ101-233サハ100-17(カノ13F:Mc59)の車体振替へ用途変更となる。
その結果サハ101-239の更新用種車は元サハ100-17(元カノ13F:再生産品)に振替えられた。
種車変更の影響はモハ101-247+モハ100-241(再生産品)にも及ぶ。
予め旧モハ101-199+旧モハ100-193(元ツヌ106F:Mc160)を捻出し黄色5号車両は全て再生産品車体へ更新となった。
塗装変更車の廃止は約6箇月に渡って続けられようやく終点に辿り着けている。


クモハ101-70 [53C 津田沼]:ダミーカプラー交換,2ndLOTライト基板更新施工車)。
※塗装変更車。

一方青22号車両は製品化都合により塗装変更車のまま残存となる。
柚肌を大幅修正する予定は元ツヌ131F-1出場より遅れたサハ100-25(第二次竣工車)を除き中断された。
但しクモハ101-70,クモハ100-68は旧ツヌ131F以来TNカプラーSP取付試作車のまま残されており別途入場に至る。
TNカプラーSP取付試作車は後にビス固定式を採り入れたため廃車発生品の床板を再用した。
クモハ101-70,クモハ100-68に取り付けたダミーカプラーは準再用品だが純正ダミーカプラーとの外観差は伺えない。
実質ダミーカプラーと化していたTNカプラーSPは廃止となり津田沼区仕様から異端車が消滅した。
また1stLOTライト基板に振り替えられていたクモハ101-70の現在LOTライト基板更新も施工している。
現行LOTライト基板は数に限りがありクハ100-54(ツヌ105F:Mc154)から捻出した現行LOTライト基板を転用した。
直接クモハ101-70には取り付けず元クモハ100-68用2ndLOTライト基板を捻出する遠回りな手法となった。
現行LOTライト基板を元クモハ100-191(廃車:元ラシ107F)に移設したのが全ての始まりであり誤った選択だったかもしれない。


ツヌ133F,ツヌ131F。
※旧製品,塗装変更車

青22号混色編成と言う特殊性からツヌ131Fの自由度は高くない。
1972年6月をプロトタイプとする編成はツヌ133F(Mc118:弁天橋区仕様+旧製品)との2編成体制が続いている。
ツヌ133Fもツヌ131Fと同じく船橋駅構内追突事故に絡む緊急組成編成である。
全車黄色5号車両で整っているように見えるが8両は池袋区からの借入車で構成される。
クモハ100-131(ツヌ133F)は幾度か車体更新対象に上がりながらも旧製品車体を維持し続けてきた。
これはクモハ100-68を新金型車体へ振替えられない現状を踏まえたものである。
そのためクモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)で更新されたクモハ101-118(ツヌ133F)とは前面見附が揃っていない。
この点は種車が異なるクモハ101-70クモハ100-68と同様の関係であり奇妙な合致点となった。
なおこの入場で1編成分のクイックヘッドマーク用マグネットが確保できた。
ツヌ131Fとの離合編成を増加させるべく列車線直通運用仕様の復活を計画している。
ただ先頭車両がクハ101形,クハ100形に限定される関係で在籍編成の行先変更は難しい。
7+3編成を組むと動力車位置偏位対策も課題に挙がるため再登場は遅れると思われる。




ツヌ131Fサイドビュー(クモハ101-70:旧製品LOT床板振替施工車)。
※塗装変更車。

TNカプラーSPが準再用ダミーカプラーに交換されクモハ101-70,クモハ100-68の床下見附はすっきりした。
両車とも種車や号車配置都合により純正ダミーカプラーは初装着となる。
若干空間が目立つものの津田沼区仕様では標準化されており特に不満は抱いていない。
塗装被膜改善は見送られ側面見附に変化は生じなかった。
前面腰板の修正を図ったクモハ100-68の結果から根本的に改めるのは難しいと思う。
ただ改修機会はもう一度訪れる。
[北ウラ]電略標記インレタを転写する前に最後の悪足掻きをする予定である。

国鉄101系津田沼電車区105F [Mc154] 3+4+3編成 ※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様

2019-01-04 23:52:47 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
復帰。

KATO製国鉄101系ツヌ105F(Mc154:再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)が出場した。
所属編成ではツヌ101F(T'c30←ツヌ101F-1:Mc193,ツヌ101F-2:Mc148)以来となる3+4+3編成が現れている。
また10両の竣工で保留車はモハ100-158(ツヌ118F:旧製品←旧ツヌ118F),モハ100-256(元ラシ107F:Mc202)まで削減された。


国鉄101系ツヌ105F (1983/4)。
[ツヌ105F]:Mc154-M'168-T'c54+Tc57-T290-M231-M'c170+Mc148-M'170-T'c34。
※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様。

手元では最古となる参考資料によると1970年4月現在の津田沼区101系は7+3編成が大半を占めていた。
全40編成のうち33編成がクハ101形,クハ100形を先頭車両とする7+3編成に該当している。
◆ツヌ101F:Tc85-M251-M'245-T86-T'86-M252-M'c183+Mc189-M'244-T'c95(1970/4)。
津田沼区101系に大きな動きが生じたのは1972年7月15日である。
この日に総武線は津田沼~錦糸町間が複々線化され113系1000番代による快速の運転が始まった。
101系の列車線直通運用は臨時列車を除き消滅する。
比例して所要本数の削減が行われ一部は津田沼区を去った。
1978年3月現在の編成表では32本体制へ縮小している。
この頃には組成が乱れ始めており運転台付中間組込車を4両含む細切れ編成も登場していた。
大規模な異動が行われた翌1979年4月現在に於いても確認出来る。
◆ツヌ125F:Tc56-M221-M'215-T'c95+Tc73-M168-M'c146+Mc189-M'244-T'c91(1978/3)。
◆ツヌ129F:Tc77-M162-M'c141+Mc160-M'204-T'c38+Tc73-M213-M'217-T'c36(1979/4)。
資料都合から編成表は1983年3月へ飛んでしまうが1985年4月までは1編成以上が必ず存在していた。
各年代とも予備車を組み込めば細切れ編成の解消が図れた。
103系投入による老朽車置き換えと弁天橋区への転出が重なったとは言え不思議に思える。
特にツヌ101Fは1983年6月から1985年4月に渡り組成変更を経ながらも3+4+3編成が維持された。
1984年12月以降はツヌ105Fとの2本体制になり4+6編成統一前の津田沼区を象徴する時期だったと思う。
◆ツヌ101F:Mc148-M'170-T'c30+Mc109-M'103-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53(1985/4)。
◆ツヌ105F:Mc118-M'102-T'c61+Tc85-T255-M236-M'c174+Mc138-M'112-T'c54(1985/4)。


ツヌ105F/c(Mc154:3+4+3編成)。
※弁天橋区仕様。

十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)のうち7両を車両更新が控えるツヌ107F(Tc83:再生産品)へと異動させた。
出番が無かったクモハ101-155+モハ100-158+クハ100-78(再生産品)は保留車に廻ったが低経年車両であり復帰策を探った。
プロトタイプ選定には十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←旧ツヌ118F)による塗装変更車廃止計画も絡む。
カノ13F(Mc59),ツヌ122F(Mc155),ラシ107Fの更新を終えた結果最終的に運転台付車4両が保留車へ廻る見通しとなった。
形式構成から3+4+3編成が出場への近道だと考え二代目弁天橋区仕様(Mc170)を新たに増備している。
3+4+3編成のプロトタイプ候補に挙がったツヌ105Fは2種が選択可能だった。
ツヌ105F(Mc154:1983/4)とツヌ105F(Mc118:1985/4)での一騎打ちはLP411前照灯所要数が勝負を分けた。
保管品に残る黄色5号LP411前照灯はクハ100-86Assy車体,二代目弁天橋区仕様(Mc170Mc170)から捻出した3灯しかない。
LP411前照灯を6両分用意しなければならないツヌ105F(1985/4)は選考漏れとなりツヌ105F(1983/4)に軍配が挙がった。


[[B],[千ツヌ 定員136]]:クモハ101-148。

ツヌ105Fの組成準備は一手間を要する二代目弁天橋区仕様(Mc170)が整備第一陣となった。
弁天橋区仕様車は車両番号標記,[南テシ]電略標記消去に加え印刷も濃く津田沼区仕様への改装に向いているとは言えない。
それにも関わらず二代目弁天橋区仕様の導入に踏み切った狙いは黄色5号LP411前照灯増強にあった。
2018年10月の回着整備では早くもクモハ101-170,クハ100-86(Mc170)共にLP402前照灯車へと改められている。
肝心な標記印刷消去だがラプロス式は弁天橋区仕様車には適しておらず久し振りとなるペイントリムーバー式を採用した。
更に消しゴム式印刷消去も加え中野方3両編成に配置するクモハ101-148+モハ100-170+クハ100-34を竣工させた。
なお転写した[千ツヌ]電略標記インレタは全車ボナファイデプロダクト製で統一されている。


ツヌ105F/b(Mc154:3+4+3編成)。
※旧製品。

作業進捗率を考え整備第二陣には中間4両編成へ充当する旧製品車両4両が選択される。
種車は十四代目ツヌ118F(旧製品)の他に旧ツヌ113F(Tc74),旧ツヌ122F(M'c170)からの異動車が含まれた。
101系800番代LOT側面窓セル装着車だった旧ツヌ122F出自車だが入場までに復旧させており外観差は生じていない。
全車改番を主工程としながらも古インレタ削減への執着が足を引っ張りインレタ転写で苦んでいる。
結果クハ101-57+サハ101-290+モハ101-231+クモハ100-170は何れも予定時間を大幅に超過して竣工へと漕ぎ着けた。
二転三転したクモハ100-170用種車には旧クモハ100-144(元ツヌ113F:第二次動力ユニット搭載試作車)が起用された。
当初3両目となるクモハ100形動力ユニット搭載車を竣工させる方向だったがこれは諸事情により撤回となる。
その代わりモハ100-235(ツヌ113F:再生産品)へ動力ユニットを再搭載させ旧クモハ100-144(旧製品)の捻出に繋げた。


ツヌ105F/a(Mc154:3+4+3編成)。
※再生産品。

整備第三陣の十三代目ツヌ118F(再生産品)3両は事前に側面窓セル交換を行い広幅Hゴム支持車へと改装済だった。
クハ100-78(ツヌ118F)だけは第一次整備でクモハ100-108(ツヌ118Fクモハ100-175:ツヌ107F)と側面窓セルを交換していた。
その後先行して整備を進めていたツヌ109F(Mc202)にて朱色1号車両の101系800番代LOT側面窓セル交換計画が頓挫する。
止むを得ず狭幅Hゴム支持車改装へと梶が切られクモハ101-155+モハ100-158(ツヌ118F)との三角交換に至った。
これにより千葉方3両編成を担うクモハ101-154+モハ100-168+クハ100-54も側面見附統一が果たされている。
なお取って置きの黄色5号LP411前照灯だったが対象がクハ100-54のみに限られたため中間組込車への充当となった。
また一時的に動力ユニットを搭載させていたモハ100-158(再生産品)はモハ100-158(旧製品)との床板相互交換で往なしている。


クハ100-54+クハ101-57 (元クハ100-78+元クハ101-75)。
※再生産品+旧製品。


クモハ100-170+クモハ101-148 (旧クモハ100-144+元クモハ101-170)。
※旧製品+弁天橋区仕様。

ツヌ105Fでは十三代目ツヌ118F,旧製品車両,二代目弁天橋区仕様(Mc170)が3+4+3編成毎へ別れるよう組成している。
従ってクハ100-54(再生産品)+クハ101-57(旧製品),クモハ100-170(旧製品)+クモハ101-148(弁天橋区仕様)がLOT境界となった。
その他クモハ101-148,クハ100-54は新製投入車初の新金型運転台付中間組込車として竣工を迎えた。
これまではJR101系クハ101-81,クハ100-30(ラシ104F:Mc136),クハ100-34(ラシ107F:Mc202)の3両に限られてきた。
何れも例外措置の車体更新車であり原則先頭車両へ集中配置してきたがツヌ105Fにて大幅な方針転換が図られている。
ちなみに両先頭車両でLOTが揃っていない新金型車体編成も塗装変更車組込編成を除き初登場となった。
そのためクモハ101-154(再生産品)とクハ100-34(弁天橋区仕様)では前面窓セル等に各LOTの特徴が垣間見える。


ツヌ101F-2,ツヌ105F。
※弁天橋区仕様,弁天橋区仕様。

ツヌ101F-2ではクモハ101-148(←クモハ101-170:Mc170),クハ100-53(←クハ100-86:Mc170)が先頭に立つ。
在籍するKATO製101系では数少ない弁天橋区仕様先頭車両かつLP411前照灯車でありツヌ105Fよりも種車の名残を残す。
共に3+4+3編成と一応共通項を有するが中間4両編成の形式構成はツヌ101F-2,ツヌ105Fで各々異なっている。
なお竣工当初クモハ101-148(ツヌ105F)は二代目だと思っていたが三代目になると後で気付いた。
従って初代:ツヌ101F-2(弁天橋区仕様),二代目:JR101系ラシ105F(旧製品),三代目:ツヌ105F(弁天橋区仕様)の構図となる。
プロトタイプはクモハ101-148(ツヌ105F)が最も古く唯一のLP402前照灯車が独自性を主張していると思う。
後追いで組成を図ったせいか既存編成との車両番号重複が相次いだ点も見逃せない。
結局ツヌ105Fで初登場を飾った車両はクハ101-57(旧製品←クハ101-75:ツヌ118F)の僅か1両だけに留まった。


ツヌ105Fサイドビュー(クモハ101-154:旧製品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。


ツヌ116Fサイドビュー(クモハ101-154)。
※旧製品。

行先表示類は初期の計画に従い[07C 三鷹]を採用した。
現在在籍編成では[三鷹]表示編成が少数派のためツヌ105Fにて勢力拡大を狙った。
しかし前途の通り車両番号重複が続出してしまい離合に相応しい編成は予想を下回っている。
101系中野区,津田沼区仕様で1983年4月をプロトタイプとする編成は今のところツヌ105F以外に存在していない。
よって当初から自由度の高い編成となるはずだったが思わぬ壁に当たってしまった。
2018年11月に[三鷹]表示編成へ変更したツヌ116F(Mc154:旧製品)には偶然にも初代クモハ101-154が組み込まれている。
基本組成はクハ100-91(第二次冷房改造車)を含む3+4-3編成(ツヌ116F-1:T'c91)であり何かと制約が付き纏う所まで被った。
未だ[飯田橋]表示編成の復活も果たせておらず年代毎に行先再配分を行った方が良いかもしれない。

国鉄101系津田沼電車区102F [Tc75] 7+3編成 (運行番号,行先変更) ※旧製品

2018-11-28 21:45:00 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
[西船橋]。

KATO製101系ツヌ102F(Tc75:旧製品)は全車旧製品車両での存置が確定しているLP411前照灯編成である。
奇遇にも旧製品保持編成指定を受けたツヌ116F(Mc154:LP402前照灯編成)に続き行先変更が行われ再出場となった。
ツヌ102Fで復活した[西船橋]表示編成だが旧製品保持編成による1編成体制も旧ツヌ116Fから受け継がれた。




国鉄101系ツヌ102F (1984/10)。
[ツヌ102F]:Tc75-M209-M'203-T256-T249-M208-M'c160+Mc138-M'112-T'c59
※旧製品。
◆運行番号,行先変更。

1984年10月現在で津田沼区に配置されていた101系は103系が28編成体制で一旦定着し9編成100両となっていた。
これに武蔵小金井区から借り入れたツヌ110F(Mc195)が加わり10編成が運用に就いている。
各々の組成は10両貫通編成:2本,7+3編成:2本,6+4編成:2本,3+7編成:2本,3+4+3編成:1本,3-4+3編成:1本とされた。
何れも形式構成が異なり10者10様の体を示す。
この当時は編成間異動が多く1983年4月から1985年4月にかけての形態は目まぐるしく変わった。
1983年4月時点でのツヌ102Fは既に7+3編成が組まれていたが僅か約1年半で大半の車両が異動している。
更に同年12月の組成変更では1ユニットが置き換えられた。
1985年4月までは3+7編成だったツヌ102F(Tc75)も4+6編成に揃えられる。
最後の組成変更だと思われる4+6編成化で落ち着きを見せ1986年9月には組織改編によりラシ102F(Mc173)へ改称される。
このまま1987年4月のJR移行を迎え1988年2月に運用離脱するまで活躍を続けた。
◆ツヌ102F:Tc78-M199-M'193-T88-T249-M179-M'c140+Mc109-M'103-T'c33(1983/4)。
◆ツヌ102F:Tc75-M209-M'203-T256-T249-M208-M'c160+Mc160-M'204-T'c59(1985/4)。
◆ツヌ102F:Mc173-M'218-T295-T'c50+Tc79-M198-M'192-T252-M193-M'c154(1986/4)。→ラシ102F。
なお1984年10月当時にツヌ102Fを構成していた車両は半数以上がJRに承継されている。
クモハ101-138+モハ100-112,クハ100-75の3両は1986年11月,1986年7月に惜しくも廃車となった。
◆クモハ100-160+モハ101-208:ラシ105F。
◆モハ101-209+モハ100-203:ラシ103F。
◆クハ100-59:ラシ101F。
◆サハ101-249,サハ101-256:ラシ106F,ラシ103F。


旧ツヌ124F。
※旧製品。

旧製品編成ながらツヌ118F(Mc155:旧製品)の新規投入が絡まなかったツヌ102Fは2016年8月に出場している。
この当時も旧製品先頭車両の車体更新を進めていたが旧ツヌ106F(Mc160:再生産品+旧製品)出場を以て一段落となった。
弁天橋区仕様Assy車体(Mc170)による更新は列車線直通快速仕様を兼ねていた旧ツヌ124F(Tc74:旧製品)が先陣を切った。
たが7+3非冷房車編成では今ひとつ特徴を欠いたためツヌ103F(Tc48:旧製品)用車両更新編成に引き当てられる。
ツヌ103Fはクハ101-35(旧製品)が組み込まれる3-4+3編成を特徴としながらもLP402前照灯編成で残されていた。
そこで元ツヌ124F(LP402前照灯編成)を廃止する代わりに旧ツヌ103Fが弁天橋区仕様+旧製品編成へ昇格している。
生憎旧製品先頭車両の前面見附違和感軽減策はまだLP411前照灯車への改装だけが頼りだった時期に当たった。
残された旧製品車両10両で新編成組成を目指したが当然の如くプロトタイプ選定はLP411前照灯編成に絞られる。
結果ツヌ102Fが選ばれ旧クハ101-48,旧クハ100-47(元ツヌ103F:旧製品),モハ101-229以下8両(元ツヌ124F:旧製品)を再編した。
よって全車旧製品車両が揃う編成ではあるがクハ101-75,クハ100-59とモハ101-209以下8両の出自は異なる。


旧ツヌ107F。
※旧製品。

その後旧製品LP411前照灯編成はツヌ102Fと旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)の2編成体制がしばらく続いた。
十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)の投入直前にはどちらを再生産品編成へ格上げするか検討している。
保留車が発生しないツヌ102F(7+3編成)は旧ツヌ107F(10両貫通編成)よりも条件的に有利だった。
しかし旧製品先頭車両が残存する状況で再生産品運転台付車を中間組込車へ充当する気にはなれなかった。
検討の結果更新対象編成は旧ツヌ107F(→ツヌ107F:再生産品)に決定しツヌ102Fが旧製品保持編成となっている。
現在では津田沼区仕様唯一の旧製品LP411前照灯編成でありツヌ116Fと同様前面窓支持色変更は未施工とした。
二代目弁天橋区仕様(Mc170)投入等により手持ちの黄色5号LP411前照灯は僅かに増加しつつある。
今のところ組成準備を進めているツヌ105F(Mc154)でのLP411前照灯使用数は1灯のみに留まる見通しである。
但しツヌ105Fを出場させた後も保留車は解消されず中には旧製品運転台付車両が含まれる。
この戦列復帰を旧製品LP411前照灯編成とする計画が持ち上がりツヌ102Fは製品原形前面窓Hゴム支持再現で存置された。
種車確保が課題であるが出場に結び付けられた場合にはツヌ102Fを旧製品保持LP411前照灯編成とする予定である。


ツヌ101F-2,ツヌ102F。
※弁天橋区仕様,旧製品。

[27C 飯田橋]表示編成だったツヌ102Fは運行番号,行先表示双方の変更を要した。
消滅した[西船橋]表示編成の復活には新たな運行番号を設定しなければならない。
なお行先方向幕部品の黒ずみに悩まされていた旧ツヌ116F用[西船橋]幕は再用せず新規切り出し品を起用した。
[西船橋]幕に併せ運行番号表示部品は製品指定の[11C]幕が採用されている。
製品付属部品の組み合わせが限られるKATO製101系だけに指定通りの表示を持つ既存編成は少数派に留まる。
黄色5号編成ではツヌ101F-2(Mc148)に採用した[13C 千葉]表示以来久々の登場となった。
但しツヌ101F-2では弁天橋区仕様改装車が先頭車両に充当されており製品純正仕様とは言い難い。
ちなみに準新品を用いた[西船橋]幕であったが黒ずみ問題は残されたままとなった。
また入れ替わりで[飯田橋]表示編成が消滅してしまったため今後も津田沼区仕様の行先変更は続く。




ツヌ102Fサイドビュー(クハ101-75:ホース付ジャンパ栓納め補修施工車)。
※旧製品。

KATO製101系は武蔵小金井区,豊田区仕様の組成都合からかモハ100形に動力ユニットが搭載されている。
そのため10両編成ではクモハ101形,モハ101形の配置が動力車位置偏位を招く要因と化していた。
推進比率が高かったツヌ102Fはクモハ100-160(7号車)を動力ユニット搭載車へ改装する計画が存在した。
モハ100-203用動力ユニットをクモハ100形用動力ユニットへ加工する予定だったが東行への変更で一時棚上げとなった。
但し3号車にモハ100形動力ユニット搭載車が配される編成は5本に達しており行先変更の制約となっている。
津田沼区仕様では東行と西行の配分が崩れているため再びクモハ100形動力ユニット搭載車を要するかもしれない。
LP411前照灯以外製品原形を保つツヌ102Fは極力その対象から外したいところである。

各車両とも特に目立った劣化は無くクハ101-75のジャンパホースを補修した程度だった。
種車の旧ツヌ103F,旧ツヌ124Fは出場こそ早かったがツヌ102Fへの再編時期が幸いし車体改修には至っていない。
ここは旧製品車両でも初期出場編成と後期出場編成に於ける大きな違いだと言えよう。
旧製品保持編成のうちツヌ102F,ツヌ116F,カノ1F(Mc178),JR101系ラシ105F(Mc148)は状況が再確認出来た。
だが初代ツヌ118F(Mc155:旧製品→旧ラシ106F:Mc155)を改装したラシ106F(Mc191)だけは手遅れで大幅な改修が必要となる。
幸い廃車発生品は温存されたためラシ106F改修へ向けて収穫に成り得るツヌ102Fの入場であった。

国鉄101系津田沼電車区116F [T'c91] 3+4-3第二次冷房改造車組込編成 (現行LOTライト基板更新,行先変更) ※旧製品

2018-11-26 21:36:21 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
均衡。

KATO製国鉄101系ツヌ116F(Mc154←ツヌ116F-1:T'c91,ツヌ116F-2:T98)の現行LOTライト基板更新が完了した。
照度低下が激しかったクモハ101-154,クモハ100-162用1stLOTライト基板は現行LOTライト基板に置き換えられた。
また在籍編成の行先配分都合により西行設定へ変更され再出場を迎えている。




国鉄101系ツヌ116F 第二次冷房改造車組込編成(1979/3)。
[ツヌ116F-1]:Mc154-M'168-T'c60+Tc49-M217-M'210-T'c91_T250-M213-M'c162
※旧製品。
◆現行LOTライト基板更新,行先変更。

津田沼区に配置された101系第二次冷房改造車は少数に留まった。
加速度低下を防ぐため原則的に付属3両編成だけが冷房改造車となる風変わりな組成であった。
第二次冷房改造車は散発的に改造が進められ竣工次第順次各区に配属された。
車歴表よると津田沼区には付属編成を形成するクモハ101形+モハ100形+クハ100形は3本相当しか配属されていない。
◆クモハ101-184+モハ100-237+クハ100-89:1979年1月冷房改造→1979年6月中原区。
◆クモハ101-185+モハ100-238+クハ100-90:1978年11月冷房改造→1979年4月中原区。
◆クモハ101-189+モハ100-244+クハ100-91:1978年7月冷房改造→1979年4月中原区。
1979年3月現在の編成表は大半の第二次冷房改造車が中原区へ転出する直前の記録である。
既にクモハ101-189+モハ100-244は編成から外されていた。
何故かクハ100-91だけはクモハ101-154以下9両の非冷房車と3+4-3編成を組んでいる。
しかも付随車代用であり7号車に組み込まれる珍妙な編成とされた。
当然ながら冷房用電源は無く起動は行えない。
津田沼区101系は1978年3月と1979年3月の間に大幅な車両異動が行われた。
1978年3月の時点でクハ100-91はツヌ125Fの先頭車両だった。
同年7月以降からは本格配置が開始された103系と共に総武線冷房化率向上の一翼を担う。
しかし津田沼区:103系,中野区:201系での101系置き換えに梶が切られ第二次冷房改造車も転属対象に挙がった。
手持ちの編成表では3本が健在だった当時の冷房改造車組込編成が特定出来ない。
組成変更でクモハ101-189+モハ100-244が編成を解除された後からクハ100-91は予備車となった可能性が高い。
従ってツヌ116Fへの組み込みも一時的なものだと考えている。
◆ツヌ125F:Tc56-M221-M'216-T'c95+Tc73-M168-M'146-M289-M'244-T'c91(1978/3)。


サハ101-98(ツヌ116F-2)。
※旧製品:波動用車両。

気付けばツヌ116Fは今や貴重な旧製品編成になってしまった。
KATO製101系津田沼~習志野区仕様では7編成目の増備で2014年6月と比較的初期に初出場している。
弁天橋区仕様(Mc170)のリリースを機に旧製品先頭車両の車体更新及び車両更新が開始された。
旧製品車両の置き換えは捻出車をツヌ101F(Mc148→ツヌ101F-2:弁天橋区仕様+旧製品)へ転用する計画を基に実施した。
ツヌ101Fはクモハ100形を含まない3+4+3編成であった。
そのため車両更新,車体更新対象車はクハ101形,クハ100形に絞られ旧ツヌ116F(Mc154)には影響しなかった。
一旦中断された車体更新だったがツヌ118F(Mc155:再生産品)のリリースから本格的に再開される。
当時クモハ101形,クモハ100形を先頭に据えた編成が少なくここでもクハ101形,クハ100形が更新対象となった。
現在に至るまで唯一の更新施工編成はツヌ115F(Mc144:再生産品+旧製品)のみに限られている。
旧ツヌ116Fはクハ100-91(第二次冷房改造車)の組み込みが自由度を狭める原因となり車体更新対象から外れた。
2016年11月にサハ101-104(再生産品)を増備し随時クハ100-91と入れ替える3+7編成(旧ツヌ116F-2:T104)を組成可能とした。
後に編成見附向上を名目としサハ101-88(ツヌ113F)との車体振替にてサハ101-104をサハ101-98(旧製品)へと置き換えている。
結果ツヌ116F-2(T98)は製品原形に近い見附へと至りツヌ116F(→ツヌ116F-1)の旧製品保持編成を決定付けた。


旧ツヌ116F。
※旧製品。

ツヌ116Fの再出場と同時に[三鷹]表示編成が復活した。
行先変更が繰り返され[三鷹]表示編成は旧ツヌ113F(Tc74)の1本だけに減少していた。
その旧ツヌ113Fからツヌ105F用組成準備車にクモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)が引き当てられる。
動力ユニット搭載車がモハ100-235(3号車)に戻されたツヌ113Fは牽引比率を高めるべく東行へ変更となった。
ツヌ105Fでの[三鷹]幕採用が内定していたが出場はまだ先の話である。
津田沼区仕様の行先配分も崩れており急遽ツヌ116Fを西行へ改めると同時に[三鷹]表示編成とした。
その代わり[西船橋]表示編成が姿を消している。
なおツヌ116Fの行先変更は通算4度目で[御茶ノ水]表示以来の西行設定復帰となった。


ツヌ102F,ツヌ116F (LP411前照灯編成,LP402前照灯編成)。
※旧製品。

津田沼区仕様の旧製品保持編成はツヌ102F(Tc75)も該当する。
ツヌ102FはLP411前照灯編成でありツヌ116Fよりも前面見附の違和感が緩和された印象を抱く。
現在旧製品保持編成では前面見附改善を名目とする前面窓支持色変更が試行中である。
第一次試作編成にはLP402前照灯編成のカノ1F(Mc178)に抜擢され良好な経過を見せている。
今入場でもクモハ101-154,クモハ100-162への施工が検討されたが見送りとなった。
流動的ながらツヌ118F(Mc155:旧製品)を未改番のまま出場させる計画が存在する。
仮に実現すればツヌ118Fは旧製品原形保持編成に指定される。
但し投入は当分先になると思われそれまでの間をツヌ116Fで埋めることにした。
何れは前面窓支持色変更施工編成に改める予定である。


クモハ101-154 [13C 三鷹]:現行LOTライト基板更新車。
※旧製品。


クモハ101-178 [13B 千葉]:カノ1F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品:第二次前面窓支持色変更試作車。


クハ101-75 [27C 飯田橋]:ツヌ102F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品:表示器点灯色変更施工車。

現行LOTライト基板への更新は保留車の存在が味方する。
クモハ100-162クハ100-91と相互交換を行ったがクモハ101-154ではクモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)を起用した。
ツヌ105Fで中間組込車となるクモハ101-170は前尾灯点灯機会が巡って来ない。
2ndLOTライト基板を含む現行LOT相当品は数に限りがあるため整備入場を待たず捻出対象にしている。
中野区,津田沼区仕様の旧製品存置編成では既にツヌ102F,カノ1Fが現行LOTライト基板更新を終えている。
ツヌ116Fへの施工により全編成が現行LOTライト基板へ改められた。
点灯色変更対策を要するが薄暗い表示器類からの脱出が図れ更新効果は十分に感じ取れる。
そして1stLOTライト基板を使用している編成はツヌ131F(Mc70),JR101系ラシ101F(Mc201),ラシ106F(Mc191)まで減少した。
現行LOTライト基板の残数に不安を抱えるが保留車を活用し完全廃止に結び付けたい。




ツヌ116Fサイドビュー(クモハ101-154:ホース付ジャンパ栓納め補修施工車)。
※旧製品。

高経年車両が集結するツヌ116Fだがサハ101-98を加えた全11両の状態は良かった。
クモハ101-154のジャンパホースに塗装剥離が見られた程度であっさり補修を終えている。
繁く施工している側面窓セル窓サッシ印刷補修は窓部の曇り程度で踏み止まっていたため行っていない。
クモハ100-162で1-3位側導電板を折損させる大失敗をしながらそれ以降は順調に作業が進められた。
ライト基板更新以外の項目が加わった入場だったが改修はしばらく考えずに済むと思う。

国鉄101系中野電車区13F [Mc59] 3+7内嵌式尾灯車編成 (モハ101-68,サハ101-230,サハ100-17 車体振替,クモハ100-34 前面窓支持色変更)

2018-11-22 21:40:07 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
念願。

遂にKATO製国鉄101系カノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)からモハ101-68(塗装変更車)が姿を消した。
加えてサハ100-17(再生産品)の車体振替も実施したためモハ100-45以下8両は旧製品車両に一本化された。
なおカノ13F(塗装変更車+旧製品)はクモハ100-34(塗装変更車)が前面窓支持色変更試作車となり再出場している。




国鉄101系カノ13F 内嵌式尾灯車編成(1978/3)。
[カノ13F]:Mc59-M'45-T'c74+Tc39+M145-M'140-T230-T'17-M68-M'c34
※塗装変更車+旧製品。
◆クモハ100-34 前面窓支持色変更試行。
◆モハ101-68,サハ101-230,サハ100-17 車体振替。

国鉄101系クモハ101形,クモハ100形量産車は1960年度落成車以降から尾灯が外嵌式に変更された。
球切れ時の電球交換を容易にするためであったがライトケーシングが大きくなり前面見附は若干異なるものとなった。
内嵌式尾灯車はクモハ101-1~78,82,クモハ100-1~78,82と少数派の存在に留まる。
なおクモハ101-82,クモハ100-82は1960年度製造分の早期落成車であり内嵌式尾灯車となった。
津田沼区への101系投入は品川区からの転属車が多数を占めた。
正式配置は少なかった上に短期間で姿を消している。
◆クモハ101-33:1964年11月~1966年4月。
◆クモハ101-34:1964年6月~1966年4月。
◆クモハ101-47:1964年7月~1966年4月。
◆クモハ100-33:1964年11月~1966年4月。
◆クモハ100-50:1965年4月~1966年4月。
◆クモハ100-54:1964年6月~1966年4月。
配属が確認出来た車両は僅か6両であり1966年4月に揃って中野区へ転出した。
対照的に中野区では晩年まで活躍を見せる。
1978年3月時点でクモハ101-34は予備車に廻っていたが22編成中9編成に内嵌式尾灯車が組み込まれている。
この頃は101系初期製造車の老朽廃車が開始される直前であった。
中野区所属編成の内嵌式尾灯車は約半数に組成されていた事になり度々見掛けたられのは必然だったと言えよう。
◆カノ3F:Mc54-M'52-T'c45+Tc66-M1-M'1-T2-T'207-M146-M'c44(1978/3)。
◆カノ4F:Mc128-M'227-T'c39+Tc84-M256-M'250-T197-T96-M133-M'c74(1978/3)。
◆カノ6F:Mc49-M'143-T'c11+Mc149-M'149-T25-T206-T'25-M78-M'c79(1978/3)。
◆カノ7F:Mc74-M'129-T'c76+Tc46-M138-M'134-T259-T44-M131-M'c54(1978/3)。
◆カノ9F:Mc47-M'155-T'c77+Tc72-M172-M'166-T257-T'44-M257-M'c171(1978/3)。
◆カノ13F:Mc59-M'45-T'c74+Tc39+M145-M'140-T230-T'17-M68-M'c34(1978/3)。
◆カノ14F:Mc126-M'95-T'c37+Tc68-M159-M'154-T296-T'98-M104-M'c55(1978/3)。
◆カノ19F:Mc127-M'59-T'c71+Tc47-M253-M'247-T218-T'87-M144-M'c50(1978/3)。
◆カノ22F:Mc53-M'130-T'c27+Tc27-M184-M'177-T234-T'96-M103-M'c105(1978/3)。
101系1000番代へ編入された車両を除き全車が健在だった内嵌式尾灯車は1980年から急速に置き換えが進む。
中野区所属車も例外ではなく1982年~1983年に掛けて大幅に勢力が縮小した。
1984年10月になるとクモハ101形は消滅しクモハ100-44,クモハ100-74だけが生き残る。
何れも編成を組み最期の花道を飾った。
廃車はクモハ100-44:1985年1月,クモハ100-74:1984年11月で中野区からも内嵌式尾灯が淘汰された。
◆カノ17F:Mc120-M'104-T'c93+Tc70-M143-M'138-T296-T84-M133-M'c74(1984/10)。
◆カノ20F:Mc128-M'67-T'c74+Tc58-M192-M'186-T259-T127-M146-M'c44(1984/10)。
一方クモハ101形は1984年8月に廃車となったクモハ101-53が最終在籍車である。
中野区のクモハ101形は王子駅構内冠水被災救済用に充当された車両が含まれた。
これがクモハ100形より先に姿を消した要因の1つだと考えられる。
◆クモハ101-54:1982年10月→日根野区。
◆クモハ101-59:1982年9月→日根野区。
黄緑6号に塗装変更されたクモハ101-59に対しクモハ101-54は黄色5号のまま転出している。
クモハ101-54は[関西線]誤乗防止ステッカーが貼付され混色編成を組みながら窮地を救っている。
しかし車齢が高かったせいか活躍期間は長くなくクモハ101-54,クモハ101-59の廃車は各々1983年8月,1984年9月であった。


モハ101-68(車体振替施工車)。
※旧製品。

カノ20F(Mc53:塗装変更車+旧製品)を再編したカノ13Fは塗装変更車,旧製品車両,再生産品車両が集まる雑多な構成であった。
中途半端なまま終わった塗装変更車集約の名残を拭うべくサハ101-230(旧製品)を第一陣とし車体振替が開始される。
最後まで残ったモハ101-68もモハ101-68(旧製品←モハ101-91:ツヌ118F)で置き換え所定の塗装変更車廃止へと漕ぎ着けた。
そして捻出された旧モハ101-68,旧サハ101-230(元カノ13F:塗装変更車)は役目を終え廃車となった。
十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←旧ツヌ118F)の投入を契機に塗装変更車は廃車が進行し総勢9両まで達した。
なおクモハ101-59,クモハ100-34も塗装変更車だが製品化されていない内嵌式尾灯車であり当面は現状維持とする。
モハ101-68の竣工でモハ100-45以下7両は旧製品車両で固められた一方サハ100-17(再生産品)が取り残されてしまった。
在籍車両でも2両しか竣工例がないサハ100形黄色5号車両は稀少かつ出色の存在だけにLOT統一へ向け梶を切った。


サハ100-17(車体振替施工車)。
※旧製品。

結果的にモハ101-68への車体振替がサハ100-17(←元サハ101-233:ツヌ118F)を巻き込む起点となった。
サハ100-17用種車にはサハ101-239(ツヌ131F:Mc70)の車体振替用だったサハ101-233(ツヌ118F:旧製品)を充当した。
他車両と色温度が合わない101系800番代LOT屋根板はサハ100-99(ツヌ113F:Tc74)から旧製品LOT相当品を捻出し振替えた。
また屋根板色温度差の緩衝役を担っていたサハ101-230も旧製品LOT屋根板へ交換され完全な旧製品車両に復帰した。
ようやく屋根上見附統一を果たしたカノ13Fは現在でも多数の元カノ20F(←旧カノ20F)構成車が引き継がれている。
元カノ20Fのうちモハ100-139以下8両用種車は九代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←ツヌ118F)が出自だった。
再編に当たり無計画な車両異動で編成見附が崩れた旧カノ13Fだったが再び元カノ20F当時の構成へと戻された。




クモハ100-34 [13B 中野]:第四次前面窓支持色変更試作車。
※塗装変更車。

在籍する旧製品編成は車両更新,車体更新の進捗で激減したため何れも旧製品保持編成となった。
ただ増加した弁天橋区仕様(Mc170)組込編成,再生産品編成に対する見劣り感は拭えないままだった。
そこで前面窓寸法が原因だと思われる前面見附の違和感を前面窓支持色変更にて軽減する試験へと踏み切った。
現時点ではカノ1F(Mc178←元ツヌ113F:Mc185),ラシ105F(Mc148←旧ラシ105F:再生産品+旧製品)が試作編成に該当する。
カノ1F及びラシ105Fの起用はLP402前照灯編成,LP411前照灯編成各々で錯覚効果を確かめる名目があった。
結果以前ほど弁天橋区仕様組込編成,再生産品編成との格差は抱き難くなり一定の答が得られたように思えた。
一方両先頭車両に新金型車,旧金型車が配される特例編成は前面窓支持色変更試行対象から外してきた。
だが他編成との離合を考慮し今入場でクモハ100-34(←クモハ100-39:トタ5F)が前面窓支持色変更試作車に加わっている。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

前面窓支持色変更による旧製品運転台付車両の前面見附改善策は所詮投影面積が拡大したように見えるだけである。
クモハ100-34の前面見附は違和感こそ軽減されたがクモハ101-59(←元クモハ101-78:旧ムコ3F)には敵わない。
仮にクモハ101-53(元カノ20F→クモハ101-59)で101系800番代LOT前面窓セルを採用していれば異なる結果が出ていたと思う。
なお再出場直前にクモハ101-59用ジャンパホースの黒色塗装劣化箇所を超極細マッキーで塗り潰した。
この時車体前面屋根R頂点部に亀裂が生じていると判明し車体内側から流し込み接着剤で埋込を図った。
皮肉にも厚い塗装被膜が前面妻板を覆っており修復痕は殆ど判らない仕上がりに達している。
完全溶着された亀裂は進行こそ防げると思う一方分解には向かなくなったため最終形態となるかもしれない。
黄色5号津田沼区仕様ではツヌ133F(Mc118:弁天橋区仕様+旧製品←旧ツヌ133F:旧製品←ツヌ118F:Mc155)が特例編成に当たる。
乗務員室内に掲示されている行先表示用紙が金型差異を和らげており前面窓支持色変更は行わない予定である。


カノ1F,カノ13F。
※外嵌式尾灯車編成,内嵌式尾灯車編成。

対するカノ13Fは緩和要素を一切有しておらずツヌ133Fよりも前面窓天地寸法の違いに目が行ってしまう。
編成単位では今一つと言わざるを得ないがクモハ100-34の内嵌式尾灯が決定打となり再出場に至った。
第一次前面窓支持色変更試作編成に抜擢されたカノ1Fの中野方先頭車両はクモハ100-124(旧製品:外嵌式尾灯車)である。
前面窓支持色変更対象外だったクモハ100-34は前面見附の違和感が強く出ておりクモハ100-124との尾灯差異を削いでいた。
内嵌式尾灯車の特徴が活かしきれていない状況は望ましくなく今入場でクモハ100-34,クモハ100-124に共通項を持たせた。
これによりカノ1F,カノ13Fの中野方は前面窓支持色変更試作車で揃えられたため遡及点も尾灯形状に向くと思われる。




カノ13Fサイドビュー(クモハ101-59:[西カノ]電略標記インレタ再現車)。
※塗装変更車。

カノ13Fの車体状態は入出場が繰り返されたクモハ101-59(←クモハ101-53←旧クハ101-35:旧ツヌ103F]以外問題無かった。
クモハ101-59だけは側面窓セル窓サッシ印刷再現が大幅に劣化しており油性ペイントマーカーで補修を行っている。
またクモハ100-34よりも劣る仕上がりだった車体を磨き直しモハ100-45以下8両の塗装被膜へ近付けた。
今後もクモハ101-59+モハ100-45,クモハ100-34+モハ101-68は塗装変更車+旧製品車両の変則ユニットで残される。
多少ではあるがクモハ101-59,クモハ100-34とモハ100-45以下8両の格差は薄められたと思う。
なおクモハ101-59,クモハ100-34,サハ100-17にはボナファイデプロダクト製[西カノ]電略標記インレタを転写した。
このうちクモハ101-59,クモハ100-34は来たる時に備え[千ツヌ 定員136]標記を転写せずに空欄のまま竣工させていた。
所要数不足の可能性が高く全車への展開は先送りを余儀なくされたが初となる[西カノ]電略標記車登場には満足している。

国鉄101系津田沼電車区109F [Mc202] 7+3朱色1号混色:R-Y-R編成

2018-11-17 21:43:46 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
増備。

ようやくKATO製国鉄101系ツヌ109F(Mc202)朱色1号混色編成が出場した。
101系の純増編成は2017年4月に出場したJR101系旧ラシ105F(Mc148:再生産品+旧製品)以来である。
津田沼区仕様に限ると2016年11月出場のツヌ108F(Mc133:再生産品+旧製品)まで遡る久々の増強となった。


国鉄101系ツヌ109F 朱色1号混色編成(1984/11)。
[ツヌ109F]:Mc202-M’256-T291-T84-T241-M222-M'c166+Tc65-M262-M'c191

1984年10月現在の津田沼区101系には朱色1号混色編成と朱色1号編成が1本ずつ在籍していた。
朱色1号混色編成のツヌ101F(Mc154)には4,5号車へ武蔵小金井区から転入したクモハ101-193+モハ100-808が組み込まれた。
転属は1984年5月で初めのうちは1,2号車に配されていたが程なくして組成変更が行われている。
一方朱色1号編成は武蔵小金井区から借り入れたツヌ110F(Mc195)であり正式配置ではない。
◆ツヌ101F:Mc154-M'168-T'c30+Mc193-M'808-T295-T'c35+Mc131-M'117-T'c53(1984/10)。
◆ツヌ110F:Mc195-M'810-T'c71+Mc194-M'809-T'68-T'227-T'94-M57-M'c805(1984/10)。
両編成ともクモハ100形800番代,モハ100形800番代で構成されクモハ100形0番代,モハ100形0番代は含まれなかった。
国鉄末期の1984年10月以降より大規模な広域転配が開始される。
津田沼区には1984年11月付でクモハ101-202+モハ100-256,クモハ100-191+モハ100-262が淀川区から転入した。
更に1985年4月には同じく淀川区よりクモハ101-201+モハ100-255,クモハ100-192+モハ101-263が転入となる。
一足先に回着したクモハ101-202+モハ100-256,クモハ100-191+モハ100-262は朱色1号のままだった。
この当時は国鉄の財政事情悪化により検査入場まで塗装変更が見送られていた。
一時的な代走を含め津田沼区のモハ100形0番代(朱色1号)は久々の登場であった。
黄色5号へ改められた上で転入したクモハ101-201+モハ100-255,クモハ100-192+モハ101-263とは対照的と言えよう。
なお組成はツヌ109Fとされクモハ101-109+モハ100-103がツヌ101Fへ異動しクモハ100-183+モハ101-252は予備車に廻される。
この組成変更でクモハ101-193+モハ100-808は予備車扱いとなり朱色1号混色編成同士の離合は実現しなかったと思われる。
◆ツヌ109F:Mc109-M'103-T291-T84-T241-M222-M'c166+Tc65-M252-M'c183(1984/10)。
クモハ101-202+モハ100-256,クモハ100-191+モハ101-262の検査入場年月はまだ掴めていない。
ツヌ110Fの返却は1984年12月であり津田沼区から101系朱色1号車両が消滅した時期を突き止められずに終わっている。


クモハ100-191(元クハ100-22:クモハ100形編入車)。

ツヌ109Fの組成は武蔵小金井区,豊田区仕様編成の波動用車両再編を契機とした。
朱色1号車両は元ムコ10F-2(Mc193),旧トタ5F(T209),元トタ5F-2(Mc1006)からの異動車である。
だが捻出車にはクモハ100形,モハ101形が存在せず各々クハ100-22(元ムコ10F-2)と元サハ101-209(元トタ5F)を形式変更した。
そのためクモハ100-191(←クハ100-22)は妻面配管が無い異端車のまま竣工させている。
別編成からの異動かつ形式変更車同士によるユニットだがムコ10F(Mc194:101系800番代)が種車であり見附は悪くないと思う。
モハ100-256(←モハ100-1006:元トタ5F-2)だけはモハ100-146(トタ5F:Tc14)の再改番車で若干褪色したような朱色1号となった。
本格組成開始が遅れた原因の一つに朱色1号車両用101系800番代LOT側面窓セル不足が挙げられる。
最後まで元サハ101-209用側面窓セル交換の目途が立たず途中で再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルへと転換した。
朱色1号車両と再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セルの組み合わせは初でありツヌ109Fならではの特徴と言えよう。


クハ101-65+モハ101-262 (元クハ101-83+元サハ101-209)。

在籍するKATO製国鉄101系での朱色1号混色編成はツヌ101F-1(Mc193)に続く2編成目が登場した。
ツヌ101F-1は千葉方ユニットのみが朱色1号車両となる変則的な混色編成であった。
両端ユニットに朱色1号車両が配されるツヌ109Fとは構成が異なっておりプロトタイプ競合は防げている。
行先表示類はツヌ110F(Mc195)の離合相手に適合させるべく東行が選択された。
クモハ100-191(ツヌ109F)の第一次整備で暫定設定した[07C 千葉]表示を踏襲している。
[千葉]幕はツヌ101F-1と被るが組成の経緯から両編成は共存しなかったと思われ変更しなかった。
ただ厳密なプロトタイプ時期縛りは行っておらず今後行先変更の可能性を残す。
その場合には[07C 津田沼]表示を採用する予定である。
なおツヌ109Fに[総武・中央線 各駅停車]誤乗防止ステッカーが貼付された記録は確認できなかった。
よって車両番号に間違いは無いもののイメージ編成に留まるかもしれない。


クモハ100-166+クハ101-65 (元クモハ100-108+元クハ101-83)。
※旧製品。

黄色5号車両はツヌ107F(Tc83:再生産品)への車両更新で保留車に廻った旧ツヌ107F(旧製品)構成車が5両を占める。
サハ101形が3両続くツヌ109Fにはクモハ100形動力ユニット搭載車を所要とした。
初期計画では旧クモハ100-175(元ツヌ107F:旧製品)にクモハ100形用動力ユニットを搭載させる方針だった。
だがこの予定は撤回となりクモハ100-108(元ツヌ122F:第一次動力ユニット搭載試作車)がクモハ100-166に充当された。
そのためクモハ100-166(旧製品)だけは旧ツヌ122F(M'c170)からの異動車となっている。
転用予定が流れた旧クモハ100-175だがクモハ100-144(ツヌ113F:Tc74)へ改番済で旧ツヌ107F出自の保留車も解消に至った。
なおツヌ109Fには新規投入車が1両も存在しない珍しい寄せ集め編成となった。
間接的に十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)が関わったのみであり編成見附向上を狙い部品交換まで手を伸ばした。
全車旧製品LOT屋根板で統一したつもりだったがサハ101-241だけが再生産品LOT屋根板装着車で残されていた。
出場直前に旧製品LOT屋根板へ交換し屋根上見附を揃えている。


サハ101-241(元サハ101-245:旧製品LOT屋根板交換施工車)。
※旧製品。

ツヌ109Fの整備は101系800番代LOT側面窓セル問題以外にも各種課題が多く三次に渡る長丁場となった。
2018年7月上旬に入場させたクハ100-22はクモハ100-191(ツヌ109F)への編入で一旦作業を打ち切った。
その後車両操配再考が繰り返され黄色5号車両の整備はそれから約2箇月が経過した2018年8月下旬まで遅れた。
旧ツヌ107F出自車を種車に引き当てた車両はクハ101-65以外節約式改番の深度を深め旧車両番号標記が積極活用される。
更にツヌ107F時代の号車配置は一切引き継がずインレタ転写軽減を最優先に置く改番入場とした。
◆旧サハ101-296(元ツヌ107F:8号車)→サハ101-291(3号車)。
◆旧サハ101-86(元ツヌ107F:4号車)→サハ101-84(4号車)。
◆旧サハ101-245(元ツヌ107F:5号車)→サハ101-241(5号車)。
◆旧モハ101-237(元ツヌ107F9号車)→モハ101-222(6号車)。
しかしペイントリムーバー式印刷消去車と古インレタの相性は想定よりも悪く転写崩壊が相次いでしまった。
途中から車両番号標記印刷消去痕をラプロスで均す工程を加えラプロス式改番車同等の塗装被膜まで持ち上げた。
この方式はその後のペイントリムーバー式改番車入場でも採用され標準工程に格上げされている。


クモハ101-193,クモハ101-202 (ツヌ101F-1,ツヌ109F)。
※101系800番代LOT前面窓セル装着車,再生産品LOT前面窓セル装着車。


クモハ101-193,クモハ101-195 (ツヌ101F-1,ツヌ110F)。
※101系800番代LOT前面窓セル装着車。

編成前後を締めるクモハ101-202,クモハ100-191はLP402前照灯車であった。
このうちクモハ101-202クモハ101-193(ツヌ101F-1)と行先表示まで重複してしまう。
如何に差別化を図るか課題となったがクモハ101-202,クモハ100-191の前面見附変更は前面窓セル交換に頼った。
既にJR101系ラシ101F(Mc201)とラシ107F(Mc202)でのプロトタイプ競合防止策として採り入れていた。
ツヌ109Fでは逆に再生産品LOT明灰色Hゴム支持前面窓セルを装着させツヌ101F-1とは一味違うに仕立てた。
再生産品LOT前面窓セルHゴム支持印刷再現色はトタムコ3F(Mc78)に近似の色温度を持つ。
津田沼区仕様の朱色1号運転台付車両は全車101系800番代LOTで統一されている。
LP411前照灯以外製品原形に近いクモハ101-195,クモハ100-805(ツヌ110F)とも異なる印象へと変わった。


ツヌ110F,ツヌ109F (LP411前照灯編成,LP402前照灯編成)。
※101系800番代LOT前面窓セル装着車,再生産品LOT前面窓セル装着車。

そのツヌ110F(←旧ツヌ110F:Mc194ムコ10F:Mc194)は津田沼区仕様唯一の朱色1号編成である。
構成も3+7編成であり元々ツヌ101F-1(3+4+3編成)とは競合しない設定だった。
新たに加わったツヌ109Fだがツヌ101F-1,ツヌ110Fの何れにも属さない新たな前面見附となる。
プロトタイプが限定される一時的な仕様は種車に左右されがちだが保管品が援軍になった。
クモハ101-202,クモハ100-191に起用した前面窓セルはクモハ101-202,クモハ100-191(ラシ107F:再生産品)の発生品である。
一旦元クモハ101-202,元クモハ100-191(廃車:元ラシ107F)に取り付けていたが短期間で復帰した。
奇遇にも同一車両番号車体を二度経て採用に至る珍妙な経過を辿っている。


ツヌ109Fサイドビュー(クモハ101-202:ATS[B]・[千ツヌ 定員136]標記インレタ再現,再生産品LOT側面窓セル装着車)。


ツヌ101F-1サイドビュー(クモハ101-193:ATS[BS]・[西ムコ 定員136]標記印刷再現,101系800番代LOT側面窓セル装着車)。


ツヌ110Fサイドビュー(クモハ101-195:ATS[BS]・[西ムコ 定員136]標記印刷再現,101系800番代LOT側面窓セル装着車)。

ツヌ109Fの工程で最後まで立ちはだかったのはATS[BS]標記,[西ムコ]・[西トタ]電略標記消去である。
特にATS[BS]標記からATS[B]標記への変更ではインレタによる印刷消去痕隠蔽策が採れず作業失敗は許されなかった。
一時はATS[BS]標記を残す事も考えたがユニクリーナー式印刷消去の新規採用で乗り切っている。
ユニクリーナー式は[西ムコ],[西トタ]電略標記印刷消去から開始し最後にATS[BS]標記へ着手する工程順とした。
念のためクモハ101-193(元ムコ10F-2),クモハ100-191(ツヌ109F)の入場は先送りとし各ユニット相手を先発させている。
初試行のモハ101-256では手加減が判らずに終わったがモハ101-262にて大凡の要領を掴めた。
単独では消去までの時間を要するため事前にラプロス#8000で印刷を崩した方が合理的だと思われる。
ちなみにクモハ101-193,クモハ101-195,クモハ101-202は全てクモハ101-193(ムコ10F:Mc194)を種車とする。
中でも全窓セル交換にATS標記,電略標記変更が加わったクモハ101-202はその出自が伺い難くなった。
側面用[総武・中央線 各駅停車]誤乗防止ステッカー貼付位置はツヌ101F-1,ツヌ110Fに倣っている。
前途の通り貼付実績が不明でこの仕様が正しいかは判らない。

立案から約5箇月を費やしツヌ109Fの出場まで漕ぎ着けた。
保留車は10両が戦列に復帰し大幅な削減を達成している。
当初は部品の遣り繰り都合から先発出場を目指していた。
しかしツヌ122F(Mc155:組成変更),ラシ105F(Mc148:車体振替),ラシ107F(車体更新)の後塵を拝する結果になった。
ただこの間にクモハ100-166用種車変更や再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル採用(朱色1号車両)が決定した。
ATS[BS]標記印刷消去方法の検討時間も十分に設けられたため出場を急がなかったのは正解だったと思う。

JR101系習志野電車区107F [Mc202] 4+6編成 (車体更新完了:塗装変更車廃止) ※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様

2018-10-31 21:41:31 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
一新。

長期に渡った車体更新と改修を終えたKATO製JR101系ラシ107F(Mc202:再生産品+旧製品+弁天橋区仕様)が再出場した。
2016年5月に初出場した当時から塗装変更車,再生産品車両,旧製品車両の3種が混結する雑多な編成だった。
その後の塗装変更車集約により塗装変更車と旧製品の2種へ纏められたが返って登場機会を減らす要因と化している。




JR101系ラシ107F (1988/4)。
[ラシ107F]:Mc202-M'256-T247-T'c34+Tc85-M253-M'247-T290-M262-M'c191
※再生産品+旧製品+弁天橋区仕様。
◆車体更新完了(塗装変更車廃止)。

JR移行直後7編成が在籍した習志野区101系は103系の投入により少しずつ勢力を縮小していく。
1988年2月から4月にかけてラシ101F(Mc201),ラシ102F(Mc173),ラシ103F(Mc133)が運用を離脱した。
ラシ101Fを構成した車両のうちサハ101-264がラシ104F(Mc136)へ異動となりサハ101-105を置き換えた。
サハ101-105は1990年8月まで車籍が残されたもののサハ101形0番代が第一線から退いている。
更に一部は中原区へ転属したが非冷房車のためか余り長い活躍は見られなかった。
次にラシ106F(Mc191),ラシ107F(Mc202)が運用から外れ中間組込車を含めたLP402前照灯車が消滅する。
残されたラシ104F,ラシ105F(Mc148)の引退は1988年11月である。
1988年2月から開始された101系の淘汰は約9箇月間で完了する短期間の出来事であった。
ラシ107Fは国鉄末期に淀川区から転入したクモハ101-202+モハ100-256,クモハ100-191+モハ101-262が特筆される。
一方クハ101-85,クハ100-34,サハ101-290は新製配置から運用離脱まで津田沼~習志野区を離れなかった。
また1985年3月に配属されたモハ101-253+モハ100-247の転出元は中野区である。
池袋区転入車のサハ101-247も1967年12月以降長らく活躍を続けた津田沼区に縁のある車両で両端ユニットとは対照的だった。
1986年11月現在では半数がラシ106を構成しており早期に4+6編成化された他編成には無い動きを見せている。
組成変更でラシ106Fへ組み込まれたモハ101-212+モハ100-206は鋼製の側扉が腐食し穴が開いた状態で庫内に留置されていた。
塗装も褪色が著しく廃車前提かと思われたがステンレス製側扉へ交換された上で運用に復帰する。
当時モハユニットの予備車はモハ101-212+モハ100-206しか在籍していなかった。
まだラシ107Fは3+4-3編成でありこのユニットが残っていなければ1987年4月以降も変則組成が見られたかもしれない。


旧ツヌ118F。
※再生産品。

本来ラシ107Fは再生産品初投入を飾った十代目ツヌ118F(Mc155ツヌ118F:再生産品)を種車に出場させる予定だった。
塗装変更車が集約される切っ掛けはクモハ101-136,クモハ100-175(旧ラシ104F:Mc136)の車体更新である。
代わりに旧クモハ101-136,旧クモハ100-175(元ラシ104F:塗装変更車)が捻出されたため十代目ツヌ118Fは分散配置へと進む。
激しい車両異動の結果ラシ107F用再生産品車両はモハ101-262,モハ100-256,クハ100-34まで削減された。
なおこの当時黄色5号新金型運転台付中間組込車は1両も在籍しておらずクハ100-34(ラシ107F)は特異な存在となった。
そのクハ100-34も旧クハ100-34(元ラシ107F:塗装変更車←クモハ100-191:元ラシ107F)により格下げされる。
これ以降クハ101-81,クハ100-30(ラシ104F:再生産品)の車体更新までメーカー塗装新金型運転台付中間組込車は登場しなかった。
再生産品車両廃止後も他編成の見附向上実施による車両異動が行われラシ107F用塗装変更車は過半数を超える6両に達した。


旧モハ100-256(元ラシ107F:現行LOT狭幅Hゴム支持再現側面窓セル装着車)。
※旧製品。

車体更新開始前に車体振替を施した車両のうち旧モハ100-256用種車には旧モハ100-224(元ラシ104F:旧製品)が充当された。
これはモハ100形塗装変更車が在籍していなかったためで編成見附の足を引っ張る存在ではなかった。
しかしユニット相手のクモハ101-202(塗装変更車)は旧クモハ101-148(元ラシ105F:Mc148)による車体更新が決定する。
その旧クモハ101-148は再生産品車両であり新旧LOT混結ユニット出現を嫌いモハ100-256(再生産品)への更新に至った。
敢えなく離脱となった旧モハ100-256(元ラシ107F:旧製品)は貴重な狭幅Hゴム支持車であるが原因不明の車体不等沈下を抱える。
現在モハ100形用床板の保管品は無く戦列復帰には新編成組成と動力ユニット新規搭載が条件で取り敢えず単独保留車とした。
辛うじて廃車こそ免れたものの再生産品LOT狭幅Hゴム再現側面窓セルは元サハ101-209(元トタ5F:Tc14)へ転用する予定である。


クハ100-34(車体更新車)。
※弁天橋区仕様。

ラシ107Fの塗装変更車体廃止は2018年7月に竣工したクハ100-34(弁天橋区仕様)が嚆矢となった。
部品取用だったクハ100-86Assy車体(Mc170)を転用しておりラシ107Fでは唯一の弁天橋区仕様に該当する異端車である。
弁天橋区仕様車の塗装被膜は旧製品車両とほぼ同等でクハ101-85以下4両(旧製品)に馴染んでいる。
側面窓セル窓サッシ印刷補修施工車であるがクハ101-85も油性メタリックマーカー式で改修を行ったため埋没してくれた。
またクハ101-81,クハ100-30(ラシ104F)以来となる新金型運転台付中間組込車が久々に登場した。
既に旧製品先頭車両の車体更新は完了し以後の編成増備でも車両異動を要さないため珍しい存在ではなくなると思われる。
第二次車体更新はツヌ122F(Mc155)の組成変更と同期したサハ101-247,サハ101-290(再生産品)が対象となった。
このうちサハ101-247用種車はサハ101-108(ツヌ122F:M'c170)だがサハ101-108(ツヌ118F:再生産品)の未改番車であった。
十代目ツヌ118Fからの離脱時に供出した部品へと復された挙げ句初期計画のラシ107Fへ異動する珍展開が繰り広げられた。


ラシ101F,ラシ107F。
※弁天橋区仕様,再生産品。


ラシ104F,ラシ105F。
※再生産品,旧製品。

また旧ラシ107Fは塗装変更車組成に加えラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)とのプロトタイプ競合が弱点となっていた。
旧製品編成再編によりラシ104F(再生産品)との差別化を図ったラシ105F(Mc148:旧製品)では前面窓支持色変更試行も加えた。
この結果は良好に感じられ旧ラシ107Fも旧製品前面窓支持色変更試作編成へ充てる計画が急浮上する。
しかし側面用灰色JRマークインレタの残数が厳しくなりつつありラシ105Fに続く旧製品編成再編は廃案となった。
結局旧クモハ101-148,旧クモハ100-160(元ラシ105F:再生産品)が車体更新用種車に確定しJRマークも温存された。
LP402前照灯編成がラシ101Fと重複する問題は101系800番代LOT前面窓セル等の流用で軟着陸に成功した。
101系800番代(ムコ10F:Mc194)は側面窓セルと同じく前面窓セルもHゴム支持印刷がやや暗く再現されている。
これによりクモハ101-201,クモハ100-192(ラシ101F:弁天橋区仕様)とは印象が若干異なる前面見附に仕上がった。
再生産品車両と旧製品車両の違いこそ存在するがLP411前照灯編成であるラシ104F,ラシ105Fでの再現差異に近い。
奇遇にも2編成ずつが在籍する習志野区仕様LP402前照灯編成,LP411前照灯編成で類似の手法が採り入れられている。
また再生産品車両は再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル装着車で統一し編成見附にも変化を与えた。
微々たる差異ではあるものの4+6編成で揃う習志野区仕様では十分な差別点になると思う。


クハ101-75 [27C 飯田橋]:ツヌ102F(現行LOTライト基板更新車)。
※旧製品。

その他クハ101-85,クハ100-34(ラシ107F)には各々竣工経緯を由来とする現行LOTライト基板が残されていた。
改修入場に併せクハ101-75,クハ100-59(ツヌ102F:Tc75)の現行LOTライト基板更新も同時施工した。
現存する1stLOTライト基板装着編成では特にクハ101-75(ツヌ102F:旧製品)の照度低下が著しかった。
現行LOTライト基板更新は開始からまだ日が浅くカノ1F(Mc178:旧製品),ラシ105Fに続く3編成目となった。
但し予め作業時間は然程要さないと判っていたため車体改修入場を迎えたクハ101-85,クハ100-34と並行させている。
クハ101-85,クハ100-34用現行LOTライト基板は殆ど点灯機会を得られておらず更新用途には最適だった。
別途現行LOTライト基板装着車を用意する事無くツヌ102Fの点灯照度向上へと結び付けられた。
ひとまずツヌ102Fは無事現行LOTライト基板更新を終え再出場となったがまだ1stLOTライト基板装着編成が多数残っている。
今後運転台付中間組込車の入場で現行LOT相当ライト基板を発見した際には1stLOTライト基板振替も行う方向である。




ラシ107Fサイドビュー(クモハ101-202:車体更新車)。
※再生産品。


ラシ101Fサイドビュー(クモハ101-201:クモハ101-170改装車)。
※弁天橋区仕様。

習志野区仕様ではATS-B形車上子付胴受(101系メイクアップパーツ1:11-510)を標準仕様としている。
クモハ101-202,クモハ100-191(再生産品)はDT21非動力台車こそ交換となったが種車の床板を受け継いでいる。
当然ながらATS-B形車上子付胴受ごと流用しており習志野区仕様5編成の下廻りは統一が維持された。
これに加え全編成ともクイックヘッドマーク用マグネット付プリズムケースで揃えられた。
今のところクイックヘッドマーク機構は[101系さよなら]ヘッドマークを掲げるラシ104F-2(T264)しか必要性が無い。
但し分散させるより管理が行い易くラシ107Fにもクイックヘッドマーク用マグネットを取り付けた。
なおまだ余裕のあるクイックヘッドマーク用マグネットに対しATS-B形車上子付胴受は入手が困難である。
よって習志野区仕様の増備を行える環境ではないがプロトタイプは一通り揃えられており各編成とも独自性を有する。
だが旧製品編成再編断念によりラシ101Fとラシ107Fは新金型車体編成が共通要素として残った。
しかしクモハ101-201,クモハ100-192は何れも初代弁天橋区仕様(Mc170)が種車で再生産品車両とは塗装仕上げが異なる。
急いて組成した旧ラシ101F(弁天橋区仕様+旧製品+塗装変更車)だったが逆にラシ107Fとの識別点となった。


旧ツヌ118F。
※旧製品。

そしてラシ107Fに集約配置されていた塗装変更車6両は全てが廃車され部品取車となった。
クハ100-34を除いた5両は十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品←旧ツヌ118F)の投入が車体更新の起点である。
十代目ツヌ118Fと同様十四代目ツヌ118Fも分散配置へと至ったが旧ラシ107Fの塗装変更車廃止を間接的に支えた。
部品取名目での導入を車体更新用途へ切り替えた狙いはラシ107Fで結実している。
これで更新予定の塗装変更車はモハ101-68(カノ13F:Mc59),サハ101-239(ツヌ131F:Mc70)まで削減が図られた。
見附に劣るモハ101-68,サハ101-239も早急な車体更新が行えるよう種車の確保に当たる。

国鉄101系津田沼電車区113F [Tc74] 7+3編成 (動力ユニット搭載車差替,行先表示類変更) ※再生産品+旧製品

2018-10-26 21:57:48 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
内実。

KATO製国鉄101系ツヌ113F(Tc74:再生産品+旧製品)が再出場した。
旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)がツヌ105F用組成準備車に決定しクモハ100-144(旧製品)で置き換えた。
代わりに動力ユニット搭載車として初竣工したモハ100-235(再生産品)が再び編成の主力へと復帰している。




国鉄101系ツヌ113F (1978/3)。
[ツヌ113F]:Tc74-M242-M'235-T'99-T88-M163-M'c144+Mc180-M'230-T'c85
※再生産品+旧製品。
◆運行番号,行先表示変更。

1978年3月現在の101系津田沼区所属編成は32本体制を誇る大所帯だった。
形式構成はクモハ101形,クモハ100形が先頭に立つ編成とクハ101形,クハ100形を先頭とする編成で揃う。
これは10両貫通編成等の変則組成を含め統一されていた。
列車線直通運用を担っていた当時も先頭車形式の組み合わせは守られている。
よって組成には何らかの法則が存在したと思う。
クハ101形,クハ100形はATS-BS併設車が多く後年まで担ぎ屋列車に充当される。
そのためか先頭車両がクモハ101形,クモハ100形の編成は過半数を切っていた。
ツヌ113Fは7+3編成グループでもやや癖を有する。
サハ101形200番代,サハ100形200番代を組まない編成は少数派で僅か3本しか存在しない。
7+3編成グループ,10両貫通編成を含めても総勢4本に留まる。
ちなみに中野区所属編成では全22本のうち1本に限られた。
◆ツヌ105F:Mc169-M’211-T’c59+Tc80-M175-M’169-T106-T89-M222-M’c166(1978/3)。
◆ツヌ106F:Tc55-M187-M’180-T127-T92-M180-M’c151+Mc172-M’216-T’c54(1978/3)。
◆ツヌ122F:Tc37-M202-M’195-T’104-T’100-M244-M’c179+Mc159-M’185-T’c61(1978/3)。
◆カノ4F:Mc128-M’67-T’c39+Tc84-M256-M’250-T197-T96-M133-M’c74(1978/3)。
翌1979年3月までには大幅な組成変更が行われた。
この際サハ101形200番代,サハ100形200番代の分散配置が図られ大半が姿を消している。
余り当てにならない1979年3月現在の編成表であるが確認出来たのは変則組成を除くとツヌ112Fだけであった。
◆ツヌ112F:Tc44-M182-M’176-T’88-T127-M183-M’c152+Mc169-M’211-T’c52(1979/3)。
この後103系の転属,新製投入で101系は急速に数を減らしていく。
残念ながら手持ちの編成表は1984年4月まで飛んでしまいその経過が判らない。
1984年4月現在では8本まで減少しており各編成の形式構成はまちまちに変わっていた。
この頃になるとサハ100形は淘汰が進み津田沼区所属のサハ100形0番代,サハ100形200番代も消滅している。
最末期までサハ100形が在籍し続けた中野区101系とは対照的な経過を辿ったと言えよう。


モハ100-235(動力ユニット再搭載施工車)。
※再生産品。

旧クモハ100-144(旧ツヌ113F)への動力ユニット搭載試行は2018年4月付でまだ日が浅かった。
動力車位置偏位対策の一環としたが措置未定だった保留車でツヌ105Fを仕立てる計画が浮上する。
これにJR101系ラシ107F(Mc202)での塗装変更車廃止計画が加わり旧ツヌ113Fの車両異動が確定した。
竣工から間もないクモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)はツヌ105Fの組成準備に向け編成から離脱となった。
新たなクモハ100形動力ユニット搭載車の竣工は考えず現状のまま動力ユニット搭載車を組み込む。
KATO製101系はモハ100形に動力ユニットを搭載しなければならない制約がある。
ツヌ113F用モハ100形は3号車と9号車に配されているため自動的にモハ100-235が動力ユニット搭載車となった。
モハ100-235用動力ユニットにはモハ100-232(Mc170:弁天橋区仕様)との床板相互交換で捻出した新品が廻されている。


クモハ100-144(非動力車:旧クモハ100-175改番車)。
※旧製品。

離脱した旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)の代替には旧クモハ100-175(元ツヌ107F:旧製品)が充当される。
旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)の車両更新で保留車に廻った旧クモハ100-175はその措置が二転三転していた。
当初は動力ユニット搭載を図りツヌ109F(Mc202)へ改番異動させる予定だった。
ところがクモハ100-108(元ツヌ122F:第一次動力ユニット搭載試作車→クモハ100-166:ツヌ109F)の転用で計画は消滅した。
組成予定のツヌ105Fへ組み込む新計画もクモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)を直接投入する方向に切り替えられる。
クモハ100形用動力ユニット搭載準備まで進めた旧クモハ100-175だったが非動力車のままクモハ100-144へと改番された。
中間組込車化に備え行先表示類は[07 千葉]へ変更済であった。
しかし転用が難しい弁天橋区仕様用行先方向幕部品の措置に困った。


クモハ100-144 [07 ]:印刷消去済[]幕装着車。
※旧製品。

保管品の[千葉]幕は今後の編成増強や行先変更で再用見込みがある。
そこで弁天橋区仕様用行先方向幕部品の削減を実行に移した。
色地[鶴見⇔扇町]幕は思いの外表示印刷消去に時間を要する。
そのため同じく用途不要の[鶴見線]幕よりも先に[]幕へと改めクモハ100-144へ取り付けた。
今後徐々に運転台付中間組込車の[]幕変更を進める予定である。
LP402前照灯への交換はクモハ100-166の入場時に行っていた。
ライトスイッチ機構が無効化されていた床板も保管品のクモハ100-806(ムコ10F:Mc194)用床板と振替え復活させている。
旧クモハ100-175は一時的ながら2M8Tになってしまった旧ツヌ113Fの1M9T化へ大きく貢献してくれた。
再び捻出される確率は低くこのまま定着すると思われる。
同時に旧ツヌ107F出自の保留車は全て転用を終えた。


モハ100-230+クハ100-85 (旧製品LOT側面窓セル装着車+再生産品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

モハ101-262,モハ100-256(ラシ107F)の車体更新と並行してモハ101-163,モハ100-230は旧製品LOT側面窓セルへ交換された。
ラシ107Fは旧製品LOT側面窓セル統一を目指しながら塗装変更車体廃止へと向かう方針に決まりかけた。
しかしJR101系ラシ101F(Mc201)とプロトタイプが重複するLP402前照灯編成だった。
側面見附に変化を与えるべく初期計画の再生産品LOT狭幅Hゴム支持印刷再現側面窓セル採用へと戻される。
旧ツヌ113Fは珍しく再生産品LOT側面窓セル装着車で揃う編成であった。
だがクハ101-74,クハ100-85(再生産品)には広幅Hゴム支持再現側面窓セルが残されていた。
これがモハ101-262,モハ100-163(旧製品)の旧製品LOT側面窓セル交換を後押ししクモハ101-180(旧製品)も続いた。
モハ100-230+クハ100-85は側面窓セルLOTに差異が生まれたが入場前の見附を上回ったと思う。


クハ101-74+モハ101-242 (再生産品LOT側面窓セル装着車+再生産品LOT側面窓セル装着車)。
※再生産品。

1-3位側だけ再生産品狭幅Hゴム支持再現側面窓セルが嵌め込まれていたクハ101-74は広幅Hゴム支持車に改められた。
同様の問題を抱えていたクモハ101-155(ツヌ118F:再生産品)と振替え両車から二面性が解消されている。
未入場のモハ101-242以下3両(再生産品)とモハ100-235は狭幅Hゴム支持車を維持する。
よってツヌ113Fは3種の側面窓セルが混在する再生産品+旧製品編成でも珍しい組み合わせとなった。
但しクハ101-74+モハ101-242の外観は従来と変わっていない。
在籍するクハ101形,クハ100形(再生産品)は多くがクモハ100-108(ツヌ118F:再生産品)との側面窓セル交換対象車に挙がった。
そのため広幅Hゴム支持車で占められており狭幅Hゴム支持車との混結は見慣れている。
旧製品LOT側面窓セル装着車組込による影響も殆ど感じられず一見では他再生産品+旧製品編成と同等に持ち込めた。


クハ100-85 [07C 千葉]:前面窓Hゴム支持印刷再現修正施工車。
※再生産品。

クハ101-74,クハ100-85の入場では長らく気になっていた前面窓Hゴム支持印刷再現を修正している。
縦桟の銀色塗料がHゴム支持モールドにまで進出しており前面窓支持を波打たせていた。
新金型車体用前面窓セルの予備代用品が生まれた事からようやく改善機会を設けられた。
修正には大幅な時間を要した上に僅かな銀色塗料が残ってしまったが波打ち現象は収まり一定の答を得た。
この様なエラーは余り見掛けないものの今後の増備で引き込む可能性が否定できないため良い施工例になったと思う。
一方再生産品車両特有の固い表示器部品嵌合は健在だった。
動力車位置偏位対策として東行へ変更したが[07C]幕,[千葉]幕には旧製品LOT部品を用いた。
しかしこれも焼け石に水と言え双方とも挿入に大苦戦している。
白濁を招かずに交換を終えられただけましかもしれない。


カノ1F,ツヌ113F。
※旧製品,再生産品。

東行用行先方向幕部品は保管品都合により[津田沼]表示と[千葉]表示だけに絞られる。
クハ100-85で試行した再生産品LOT表示器部品装着では[津田沼]幕が起用された。
初登場の再生産品LOT表示器部品だったが表示器両端に隙間が生じてしまい採用を見送っている。
結局保管品の[千葉]幕削減が優先され再生産品LOT[津田沼]幕は保管品に廻されただけとなった。
但しクモハ100-144に取り付けられていた[千葉]幕を[■]幕へ再変更したため保管品全体では1減に留まった。
101系メイクアップパーツ2(11-511)も比較的入手が難しい状況にあり東行の選択肢は少ない。
標準装備品である事から増備に比例して[千葉]幕が増加する事態は避けられない。
何処かで見切る機会を伺った方が得策かもしれない。
1978年3月をプロトタイプに据える編成はツヌ113Fを含め2本が在籍する。
しかし津田沼区仕様では1979年3月仕様以降から順次出場させた関係により皆無である。
唯一合致するカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)は所属区にあやかり[中野]表示編成とした。
都合良く東行と西行に分かれツヌ113Fへの[千葉]幕起用が当たった。
だが101系は製造年次差異が少なく形式構成の違いが目立つ程度である。
そのため新旧金型LP402前照灯編成による離合でも十分な面白味を醸し出せると思える。
中でも内嵌式尾灯編成のカノ13F,前面窓支持色変更試作編成としたカノ1F(Mc178:旧製品)は出色の存在と言える。
これにツヌ116F-2(Mc154)を加えた旧製品LP402前照灯編成の存在感が今になって増している。


ツヌ113Fサイドビュー(クハ101-74)。
※再生産品。

ツヌ113Fは一見行先表示類を変更しただけに見える。
実際には側面窓セル集約と旧クモハ100-144(第二次動力ユニット搭載試作車)離脱が絡む車両異動まで施された。
モハ100-235への動力ユニット搭載は弁天橋区仕様(Mc170)の存在が大きく寄与している。
ツヌ105F組成準備名目での先行投入車だったが弁天橋区仕様(Mc170)は非動力車編成化が必要項目であった。
未だにモハ100形用動力ユニットも予備品数が確定できていない。
動力ユニット搭載車差し替えが実らなければツヌ113Fは側面窓セル交換入場だけで終わっていたと思う。

JR101系習志野電車区105F [Mc148] 4+6編成 (車体振替完了:再生産品車両廃止,前面窓支持色変更試行) ※旧製品

2018-10-10 21:47:05 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
対照。

先頭車両では初の再生産品車両から旧製品車両への振替えを行ったKATO製JR101系ラシ105F(Mc148:旧製品)が再出場した。
国鉄101系カノ1F(Mc178:旧製品)に続く第二次前面窓支持色変更試作編成はLP411前照灯編成が試行対象となった。
習志野区仕様の選択により前面用JRマークやB形防護無線アンテナが加わったためカノ1Fとは異なる印象に仕上がったと思う。




JR101系ラシ105F (1988/11)。
[ラシ105F]:Mc148-M'170-T255-T'c54+Tc73-M251-M'245-T246-M208-M'c160
※旧製品:第二次前面窓支持色変更試作編成。
◆車体振替完了。

1986年11月現在では7編成81両の在籍だった習志野区101系は70両がJRへと承継された。
全て4+6編成の7本とされ予備車は削減されている。
最後の変則組成であったラシ107F(Mc191:4+3-3編成)はラシ106F(Mc202)及び予備車との入れ替えで消滅した。
◆ラシ107F:Mc191-M'248-T247-T'c34+Mc141-M'114-T260_Tc85-M232-M'c171(1986/11)。
僅か2年間で大幅に車両異動が実施され雑然とした編成で占められた津田沼区101系の名残は薄れた。
目立つ編成はLP402前照灯編成のラシ101F(Mc201),ラシ107F(Mc202),前後の前照灯が異なるラシ106F(Mc191)であった。
他4編成はLP411前照灯編成で揃えられている。
このうちラシ104F(Mc136)だけはサハ101-105が組み込まれ習志野区唯一のサハ101形0番代として活躍した。
4+6編成統一直前まで予備車にはサハ101-296が在籍していた。
何故サハ101形200番台で統一しなかったかは不明である。
その後サハ101-296はJR移行を待たず1987年1月に廃車となった。
◆ラシ104F:Mc136-M'111-T245-T'c30+Tc81-M230-M'224-T105-M237-M'c175(1987/4)。
ラシ102F(Mc173),ラシ103F(Mc133),ラシ105F(Mc148)はクハ101形,クハ100形の前照灯しか差異がない。
従ってラシ104Fを含めLP411前照灯編成の見附は殆ど同一になる。
津田沼~習志野区101系の4+6編成化は1986年頃を起点にしたと思われる。
この頃クモハ101-136以下10両は4+6編成に改められていた。
但し1986年4月現在の組成はJR移行当時と異なった。
1986年11月までに最終構成が形成され引退まで維持している。
◆ラシ105F:Mc148-M'170-T296-T'c54+Tc78+M212-M'206-T269-M252-M'c183(1986/4)。
習志野区101系の置き換えは山手区への205系投入で捻出された103系ラシ331F~ラシ336Fで行われる。
6編成に留まったのは101系全廃による速度向上で1運用が削減されたためだった。
ラシ104Fとラシ105Fは習志野区最後の101系となる。
運行終了直前には両編成で異なるさよならヘッドマークを掲げ有終の美を飾った。
営業線から姿を消したのは1988年11月30日であった。


クモハ100-171,クモハ100-160 (ラシ106F,ラシ105F)。
※旧製品:製品原形前面窓セル装着車,第三次前面窓支持色変更試作車。

旧ラシ105F(再生産品+旧製品)はツヌ118F(Mc155:再生産品)を軸に寄せ集めの保留車で出場させた新旧LOT混結編成だった。
その他の種車には旧ラシ104F(Mc136:再生産品+旧製品),旧ラシ107F(Mc202:塗装変更車+再生産品+旧製品)出自車等を充当した。
当初ツヌ105F(Mc148:1986/8)として整備を進めていたがクモハ101-148(ツヌ105F-2)がツヌ101F-2(Mc148)と重複してしまった。
ツヌ101F-1(1985/4)とツヌ105F-2のプロトタイプ時期は近く出場直前で念頭に置いていた習志野区仕様へと急遽変更された。
折しもラシ104F(Mc136:再生産品←ラシ104F-1:T105,ラシ104F-2:T264)の車体更新完了直後に出場を迎えている。
だがラシ104F,ラシ105Fに組み込まれるクモハ101形,クモハ100形,クハ101形,クハ100形はLP411前照灯車であった。
そのため差別要素が殆ど無く新旧LOT混結編成の旧ラシ105Fはラシ104Fに比べ見劣りを隠せなかった。
新金型編成ながら日陰の存在に甘んじており旧製品編成への再編と前面窓支持色変更試作編成抜擢で一新を図った。
製品原形に対し前面用JRマーク,KATO製B形防護無線アンテナが引き立ち旧製品運転台付車特有の違和感は和らいだように映る。
これに前面窓支持色変更が付加されたクモハ101-148,クモハ100-160は更に引き締まった前面見附へ改められたと思う。
なおラシ106F(Mc191:旧製品←旧ラシ106F:Mc155)はクモハ100-171だけがLP411前照灯車でありラシ105Fとは競合しない。




クモハ100-160 [11C 三鷹]:車体振替施工車。
※旧製品:第三次前面窓支持色変更試作車。

習志野区仕様での前面窓支持色変更試行は相応しい津田沼区仕様LP411前照灯編成が在籍せず急転直下で決定した。
これまで旧製品運転台付先頭車両の車体更新は専ら前面見附向上を名目としておりその流れに逆う工程となる。
但し出場当時から両端ユニットに再生産品車両が組み込まれていた旧ラシ105Fならば更新を否定しなくて済む。
ラシ104Fとの競合問題もあり第二次前面窓支持色変更試作編成は旧ラシ105Fに絞られ初となる旧製品先頭車両振替へと至った。
仮にカノ1F(LP402前照灯編成)での錯覚効果が薄ければ旧ラシ105Fは新旧LOT混結編成のまま残存させていたと思われる。
捻出された旧クモハ101-148,旧クモハ100-160(元ラシ105F:再生産品)はラシ107F用塗装変更車廃止準備車へ廻す予定だった。
だが習志野区仕様LP402前照灯編成には弁天橋区仕様(Mc170)を改装したラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)が在籍する。
LP402前照灯編成が重複要素であるラシ101F,ラシ107Fはラシ104F,旧ラシ105F(LP411前照灯編成)の二の舞になりかねない。
残数に限りがある側面用灰色JRマークインレタが気掛かりだがラシ107Fの旧製品編成再編も候補としもう一度考え直す。




ラシ104F,ラシ105F。
※再生産品,旧製品。

入場前まで旧ラシ105Fでは最大の弱点だったラシ104Fとのプロトタイプ重複も完全解消された。
明確なLOT区分に加え第二次前面窓支持色変更試作編成となったラシ105Fはその存在感を増した。
旧製品先頭車両で生じる前面見附の違和感は前面窓支持色変更試行で多少埋められたように思える。
クモハ101-148,クモハ100-160,モハ101-208,モハ100-170の車体振替では再生産品LOT側面窓セルを流用した。
再生産品LOT広幅Hゴム支持車だったクハ101-73,クハ100-54(旧製品)も側面窓セル交換を行い狭幅Hゴム支持車へと改めている。
残るサハ101-255以下4両は旧ラシ104F,旧ツヌ122F(Mc155)離脱時に狭幅Hゴム支持車へ改装済で整った編成見附となった。
但しクハ101-73,クハ100-54用側面窓セルはHゴム支持印刷再現が若干太く他車両とは雰囲気を異にする。
仕様変更を要さないサハ101-255以下4両(旧製品)は外観点検だけを行い側面窓セル窓サッシ印刷の状況を確認した。
旧製品LOT側面窓セル装着再生産品編成であるラシ104Fとは真逆の構成に至ったラシ105Fは対照的な外観へと変わっている。
なおクハ101-73,クハ100-54に取り付けられていた黄色5号LP411前照灯は弁天橋区仕様品であった。
確保に悩まされ続ける黄色5号LP411前照灯だが意外な運転台付中間組込車でメーカー塗装品が装着されていた。
朱色1号LP411前照灯(101系メイクアップパーツ3:11-516)を塗装変更すれば弁天橋区仕様用LP411前照灯が捻出できる。
今後措置未定保留車組成やツヌ118F(Mc155)増備時のプロトタイプ候補選択肢拡大に寄与してくれると思う。


クモハ101-148 [11C 三鷹]:現行LOTライト基板更新,表示器点灯色変更,現行LOTホース付ジャンパ栓納め装着車。
※旧製品。

意図的に車体振替を選択したためクモハ101-148,クモハ100-160は再生産品LOT床板が流用されている。
よってクモハ101-178,クモハ100-124(カノ1F:旧製品)で要した現行LOTライト基板更新は行っていない。
流用品には表示器点灯色変更対策済プリズムケースまで含まれており点灯具合は従前が維持された。
ライトスイッチ部品こそ未装着ながら旧製品LOT床板装着編成のカノ1Fよりも点灯安定性は高まると思われる。
ラシ105F用[101系さよなら]ヘッドマークは原版が手元に無く自作が難しい環境にある。
ただラシ104F用[101系さよなら]ヘッドマークと並べる機会に備えクイックヘッドマーク機構は存置された。
またクモハ101-148では再生産品LOTホース付ジャンパ栓納めが初採用となった。
クモハ101-152(ツヌ103F:Tc48)にて初試用した再生産品LOTジャンパ栓納め部品はホース無であった。
不安視された車体との色温度差は伺えずホース付ジャンパ栓納めもクモハ101-148で取り付けに至った。
その他旧製品運転台付車の前面見附違和感軽減策として前面用JRマークは若干車体裾側へ降ろした位置に転写している。


さよならツヌ102F-1,ツヌ102F-2。
※旧製品。

旧製品編成へと再編されたラシ105Fの陰で国鉄101系ツヌ102F-1(Mc138:旧製品,ツヌ102F-2:M206)がひっそりと消滅した。
編成の軸であったモハ101-206+モハ100-199(ツヌ102F-1:旧製品)がモハ101-208,モハ100-170用車体振替種車に引き当てられた。
保留車を10両編成化するにはモハ100形用床板の不足も懸念材料となっており廃止に踏み切っている。
ツヌ102F-1,ツヌ102F-2は旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)の車両更新で発生しかけた余剰ユニットを救済する名目が組成契機だった。
充当可能な在籍編成を探った結果ツヌ102F(Tc75:旧製品→ツヌ102F-3)が12両体制へ改められ波動用車両に収まった。
僅か約4箇月で廃止へ至るとは思わなかったがモハ101-208,モハ100-170での旧製品車両振替に大きく貢献してくれた。
幸い未改番のままツヌ102Fへ異動させる手法が採られたためラシ105F異動時の二度手間は生じていない。
同じ7-3編成ながらツヌ102F-1とツヌ102F-2では形式構成に違いがあり1ユニットの転用で2編成相当が姿を消している。
またツヌ102F-3(Tc75)は再度初出場当時の10両体制に戻され編成管理番号もツヌ102F(Tc75:旧製品)へ復帰となった。




ラシ105Fサイドビュー(クモハ101-148:車体振替施工車)。
※旧製品。


ラシ104Fサイドビュー(クモハ101-136:車体更新車)。
※再生産品。

全車旧製品車両で統一されたラシ105Fだが狭幅Hゴム支持印刷再現窓セルを流用しており側面見附は再生産品編成に近い。
振替入場したクモハ101-148以下4両は再生産品LOT屋根板まで引き継いだため編成見附も再生産品車両相当となった。
ラシ105Fは寄せ集めの新旧LOT混結編成から脱出し独自の外観を有する旧製品編成へと改められた。
習志野区仕様5編成体制でのATS-B形車上子付胴受(101系メイクアップパーツ1:11-510)装着も維持されている。
更に前面窓支持色変更試行まで加わり津田沼区仕様を含めた旧製品編成ではラシ105Fが群を抜く存在になったと思う。

KATO製101系中野区,津田沼~習志野区仕様で10両全車のLOTが揃う編成は少数派である。
特に再生産品運転台付車は単独増備を含め旧製品先頭車両の車体更新名目で投入された車両が多い。
但し編成単位での更新には至らなかったため再生産品車両で旧製品車両を挟む編成が続けざまに出場した。
現在でも純粋な再生産品編成は十三代目ツヌ118F(Mc155:再生産品)での車両更新を経たツヌ107F(Tc83)だけの在籍に留まる。
この更新も旧ツヌ107F(旧製品)が10両貫通編成であったからこそ踏み切れたようなものだった。
ラシ105Fとの屋根板,側面窓セル相互交換を行えばラシ104Fも完全なる再生産品編成へと仕立てられる。
しかしこれを実行に移すと今度はラシ105Fとラシ106Fの外観差が縮小してしまう。
敢えて車体と各部品LOTを揃えず各々ラシ104F,ラシ105Fの特徴に据える現状が最も賢い選択かもしれない。

国鉄101系中野電車区1F [Mc178] 3+7第二次冷房改造車組込編成 (前面窓支持色変更,現行LOTライト基板更新) ※旧製品

2018-10-04 21:40:15 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
颯爽。

第二次冷房改造車組込編成を特徴に据えるKATO製国鉄101系カノ1F(Mc178:旧製品)が再出場した。
カノ1Fはクハ101-64,クハ100-34(ツヌ108F:Mc133)での試行結果を踏まえた第一次前面窓支持色変更試作編成となった。
軽加工ながら前面窓投影面積が拡大したように見える錯覚効果で旧製品LP402前照灯車の違和感は軽減されたと思う。




国鉄101系カノ1F 第二次冷房改造車組込編成(1979/3)。
[カノ1F]:Mc178-M'227-T'c76+Tc41-M238-M'231-T229-T83-M111-M'c124
※旧製品:第一次前面窓支持色変更試作編成。

国鉄通勤形形式の冷房車は1970年7月に登場した103系試作冷房車(Tc179)が初陣を飾った。
一部大手私鉄から大幅に遅れを取ったが103系1972年度民有車から量産冷房車が新製される。
関東地区の103系量産冷房車はATC導入が連動した山手線,京浜東北線の他に中央線快速へ集中配置された。
101系では1972年に40両の第一次冷房改造車が豊田区へ配置され中央線特別快速運用の冷房化率向上が図られる。
一方総武・中央線各駅停車は101系非冷房車の牙城だった。
1978年中頃まで冷房化率は0%のまま続き旅客サービス低下が際立っていた。
101系の冷房改造は1976年から再開される。
しかし編成総重量の増加により加速度低下が生じるため10両編成は豊田区だけに限られた。
中野区,津田沼区に配属された101系第二次冷房改造車は付属3両編成側への限定組成となる。
その後中野区:201系新製配置,津田沼区:103系転属での冷房化率向上に切り替えられる。
そのため中野区,津田沼区の101系第二次冷房改造車は少数派に留まった上短期間で姿を消した。
この中には1979年1月に冷房改造が施されながら1979年5月付で津田沼区を去った車両も存在する。
結局中野区,津田沼区に在籍した101系第二次冷房改造車は僅か15両だけであった。


カノ13F。
※内嵌式尾灯車編成。

在籍する国鉄101系中野区仕様はカノ1F,カノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品+再生産品)の2編成体制から増強が図れていない。
保管品のサハ100形用屋根板を使い切ってしまい組成可能な編成は編成番号が特定出来ないクモハ101-127以下10両に限られる。
◆カノ??F:Mc127-M'59-T'c62+Tc68-M253-M'247-T230-T97-M100-M'c117(1985/10)。
中野区101系は殆ど3+7編成で揃えられていた上にサハ100形を組み込む構成が大半を占めていた。
そのためサハ100形を含まないツヌ118F(Mc155)は製品原形での改装が難しく候補には挙がるものの出場まで至らなかった。
また運行番号幕部品も中野区運用を示す[13B]幕が底を突き津田沼区運用代走仕様しか選択できなくなった。
[13B]幕はAssyパーツで補充が可能だがサハ100形用屋根板だけは中古製品やジャンク車両の出現を待つしかない。
しかしサハ100形0番代,サハ100形200番代共に巡り会える機会は極稀で当分現状維持が続くと思われる。


旧ツヌ113F。
※旧製品。

カノ1Fは旧ツヌ113F(Mc185:旧製品←ツヌ118F:Mc155+ツヌ118F:Tc75)を中野区仕様へ変更した編成である。
その旧ツヌ113F3+7第二次冷房改造車組込編成が特徴で旧ツヌ123F(Tc78:旧製品)との対比名目を兼ねていた。
しかし2015年11月に車体更新を経たツヌ123F(弁天橋区仕様+旧製品)が再出場し旧ツヌ113Fの存在感は薄れた。
中野区仕様を初登場させるにはほぼ同じ形式構成だった旧ツヌ113Fの改装が簡便だと思え新たな増備は見送っている。
だが入場時にクモハ101-186185(元ツヌ113F:旧製品)をクモハ101-172178(カノ1F)へ改番してしまう失策があった。
2016年8月以来長らく齟齬を抱えていたクモハ101-178だが前面窓支持色変更試行に乗じてようやく正式竣工へと辿り着いた。
カノ13F(←元カノ20F:Mc53)への再編ではクモハ101-59,クモハ100-34(塗装変更車)を先頭車両とする内嵌式尾灯編成に拘った。
出場済だったカノ1Fも第二次冷房改造車組込編成でありカノ13Fと共に中野区仕様は独自の癖を有する構成となっている。
ただ種車の都合上クモハ101-59(←クモハ101-53:元カノ20F←旧クハ101-35:旧ツヌ103F)以外は旧金型先頭車両が居並ぶ。
そのため中野区仕様3編成目は新金型先頭車両かつ非冷房車編成とし明確に差別化する方向で検討を進めると思う。


クモハ101-178(車両番号誤転写修正施工車)。
※旧製品。

旧ツヌ123Fの車体更新ではクハ101-78,クハ100-89をクモハ101-170,クハ100-86Assy車体(弁天橋区仕様:Mc170)と置き換えた。
新金型車体編成へと格上げされたツヌ123Fに対し旧ツヌ113F(Mc185)はこの時以来旧製品保持編成指定を受けている。
カノ1Fへの改装後も第二次冷房改造車組込編成がツヌ123Fとの共通要素でありこの方針に変わりはない。
前面窓支持色変更試行はLP411前照灯車よりも前面見附の違和感が強く出るLP402前照灯車を第一次試作編成に起用した。
最終候補にはツヌ116F(Mc154:旧製品)も残ったがクモハ101-172178の誤転写解消が図れるカノ1Fに決定している。
クハ101-64,クハ100-34(ツヌ108F:旧製品)と同様ガンダムマーカーを塗布した前面窓Hゴム支持再現色温度は濃色に振られた。
これによりカノ1Fの前面見附は大きく変化し新金型編成と離合させる際に生じる違和感も多少軽減されたと思う。
なおクモハ101-178は第二次冷房改造車でありクモハ100-124(非冷房車)が第二次前面窓支持色変更試作車の主役となる。
時間の経過と共に錯覚効果が薄れる可能性は否定できず各種津田沼区仕様との離合を繰り返しながら推移を見守る。


ツヌ123F,カノ1F。
※弁天橋区仕様,旧製品。

前面窓支持色変更試行に併せ照度低下が激しかった1stLOTライト基板を現行LOTライト基板へ更新した。
同時に表示器点灯色変更対策も行ったが新品同様の現行LOTライト基板であり当分は現状を維持出来ると思われる。
以前より計画していた先頭車両の現行LOT相当床板更新は所要数が賄えないと判明し敢えなく中止となった。
その代わり旧製品LOT床板装着車への現行LOTライト基板組込がクモハ101-178,クモハ100-124で初施工に至っている。
安定点灯に不安を抱いていた旧製品LOT床板だが当初からライトスイッチ部品が無かったせいか不具合は出なかった。
幸い旧製品保持編成用先頭車両はライトスイッチ部品撤去車が多く単独での現行LOTライト基板更新に道が拓けた。
但し捻出可能な現行LOTライト基板は数に限りがあるため2ndLOTライト基板を併用する方向で検討している。


クモハ101-178 [13B 千葉]:現行LOTライト基板更新車。
※旧製品。

その他今ひとつ連結器部品に建て付けの悪さが伺えたクモハ101-178用ダミーカプラーは胴受と一体化を図った。
クモハ100-39,クハ101-14(トタ5F:Tc14)の製品原形復帰入場で採用した準再用ダミーカプラーまでは溶着が原則だった。
現在101系メイクアップパーツ1(11-510)に含まれるATS-B形車上子付胴受は入手困難品となってしまった。
ただ確保の可能性は皆無ではなく連結器部品が移設可能なゴム系接着剤での固定へと切り替えている。
またクハ481形300番代用ダミーカプラー(Z04-0407)も僅かながら保有しているため2編成分程度なら対応出来る。
一時津田沼区仕様にもATS-B形車上子付胴受採用編成が存在したが現在は習志野区仕様に集約された。
今後入手が実現した場合には所属区毎の見附統一を考慮し優先的にカノ1F,カノ13Fへ充当する方向である。


ライトスイッチ動作改善の一手になりそうなライト基板端子端部平滑化(クハ100-76)。

車体不等沈下解消を狙ったクハ100-76(←クハ100-90:旧ツヌ113F)ではライトスイッチ部品が動かなくなる事態に見舞われた。
[OFF]位置まで届かない現象は旧製品LOT床板装着車で多発しており床板分解に併せ真因の追求を行った。
撤去したクハ100-76用ライト基板端子部周囲には削られたと思われるライトスイッチ部品のプラスチック屑が確認された。
同時に1stLOTライト基板端子端部も捲れていると判明し摺動抵抗を軽減すべく押し戻している。
ライトスイッチ部品には一切手を伸ばさなかったが動作状況は再生産品LOT相当床板装着車並に達した。
これまで発症の都度ライトスイッチカバーを取り外し[OFF]位置へ押し込んできた作業から解放されるかもしれない。
在籍編成の運転台付中間組込車は全て旧製品LOT床板装着車で統一されており今後に期待を抱かせる結果となった。


跳ね上がり角度が揃っていなかった運転台側導電板(クハ100-76)。

クハ100-78(ツヌ118F:Tc75)時代から見られた車体不等沈下は1-3位側用導電板M字形成形部が原因だったと思われる。
2-4位側用導電板に比べ運転台側の反力が弱かったため同一角度へ整形したところ症状は改善された。
旧ツヌ113F(Mc185)の初出場は2014年7月であり車両増備を経ていないカノ1Fには初期竣工車が集まっていた。
ところが経年の割に側面窓セル窓サッシ印刷再現は状態が良く全車とも補修を必要としなかった。
運行番号幕,行先方向幕部品交換入場を除きカノ1Fへ改装されるまで旧ツヌ113Fの本格入場は皆無であった。
第二次冷房改造車組込編成と強力かつ少数派のプロトタイプが味方し車両異動対象にも挙がらず現在に至っている。
やはり分解を伴う入場回数と側面窓セル窓サッシ印刷再現の劣化進行は比例すると思われる。
その代わりペイントリムーバー式印刷消去及び古インレタ転写の影響で車体は汚れが目立ち始めており転写糊除去を施した。


カノ1Fサイドビュー(クモハ101-178:第二次冷房改造車)。
※旧製品。

カノ1Fの入場は前面窓支持色変更試行が主工程だったが計画していた現行LOTライト基板への更新まで着手出来た。
再生産品相当LOT床板への更新は不要だと思えるものの若干不安要素があり前面見附の錯覚効果と共に要経過観察となる。
なお旧製品LP402前照灯編成での前面窓支持色変更試行はカノ1Fのみとし旧製品LP411前照灯車編成へ移る方針が決定した。
ただ旧ツヌ107F(Tc83:旧製品→ツヌ107F:再生産品)が消滅したためLP411前照灯編成はツヌ102F(Tc75:旧製品)しか残っていない。
しかしそのツヌ102Fは旧製品原形保持編成であり手出しは出来ず組成変更にて新たな旧製品先頭車両を仕立て試験に充当する。

国鉄101系津田沼電車区103F [Tc48] 3-4+3編成 (クモハ101-152,クモハ100-183 車体振替) ※弁天橋区仕様+旧製品

2018-09-21 21:55:25 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
不釣合。

2014年6月に出場したKATO製国鉄101系ツヌ103F(Tc48:旧製品+塗装変更車)は当初保留車を活用する予定だった。
しかし基本に据えるツヌ118F(Mc155:6両口)が手配できず七代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)を増備している。
組成計画も見直しとなりサハ101-233(ツヌ118F→旧サハ101-245:旧ラシ104F)を除く9両がツヌ103F用組成準備車となった。


国鉄101系ツヌ103F (1979/3)。
[ツヌ103F]:Tc48-M230-M'224_Tc35-T72-M252-M'c183+Mc152-M'159-T'c47。
※弁天橋区仕様+旧製品。
◆クモハ101-152,クモハ100-183 車体振替。

組成計画は比較的早く六代目ツヌ118F(旧製品→旧ツヌ116F:T'c91)の回着前までに大枠が決定していた。
僅かな差ではあるが旧ツヌ116Fの出場よりも先に旧クハ101-35(ツヌ103F)を竣工させている。
旧クハ101-35用種車には塗装変更及び形式変更を経たクモハ101-78(旧ムコ3F:Mc78)が起用された。
一方七代目ツヌ118Fの状態も決して万全とは言えなかったが保留車との差し替えは見送られる。
そのためクハ101-75,クハ100-78(ツヌ118F)を先頭車両に据えただけで3-4+3編成へと組み換えた。
基本的に旧ツヌ116F(3+4-3編成)とほぼ同一の組成方式が採られたツヌ103Fだがその後は対照的な経過を辿る。


ツヌ116F。
※旧製品。

旧ツヌ116F(→ツヌ116F-1:T'c91)も付随車代用運転台付車組込編成だが塗装変更車は起用されず全車旧製品車両で統一された。
折しも四代目ツヌ118F(旧製品)を旧ツヌ107F(Tc83:10両貫通編成)へ改装し出場させたばかりだった。
形式構成上保留車に廻されたクハ100-78(ツヌ118F)がクハ100-91(ツヌ116F:第二次冷房改造車)用種車となっている。
2016年11月にはサハ101-104(再生産品←元サハ100-99:ツヌ113F)が加わり旧ツヌ116F-2(T104:7+3編成)を組成可能とした。
その後サハ101-104をサハ101-98(旧製品←旧サハ101-88:元ツヌ113F)で置き換えツヌ116F-2(T98)も旧製品編成に改めている。
結果的にツヌ113F(Tc74:再生産品+旧製品)を介した車両異動がツヌ116F(Mc154)の旧製品保持編成指定を決定付けた。


旧ツヌ103F。
※旧製品+塗装変更車。

これに対しツヌ103Fはクハ68形用KATOカプラー取付試作編成に起用されて以降2015年12月まで殆ど動きが無かった。
かねてから塗装変更車かつ内嵌式尾灯車体だった旧クハ101-35の振替計画があり2016年1月に入場を迎える。
クハ101-35(旧製品)用種車には旧クモハ101-118(旧ツヌ133F:Mc118)が充当され先ず塗装変更車組込編成から脱出した。
代用していたサハ101形0番代用床板も2016年6月付で更新を果たしクハ101-35(ツヌ103F)は旧製品車両同等に至っている。
この間弁天橋区仕様(Mc170→旧ラシ101F:Mc201)導入を切っ掛けとして車体更新に拠る旧製品先頭車両削減が開始された。
第一陣には旧ツヌ123F(Tc78),旧ツヌ124F(Tc74)が都合良く各々旧ツヌ123F,元ツヌ124F(弁天橋区仕様+旧製品)へと改められた。


元ツヌ124F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

クハ101-35の車体振替を終えたばかりの旧ツヌ103Fだったが今度は旧クハ101-48,旧クハ100-47(旧製品)が更新対象となった。
まだ他編成には旧製品LP402前照灯先頭車両が多数残存しており前面見附の違和感軽減を狙ったLP411前照灯編成再編へと進む。
ちなみに旧ツヌ103Fを新金型編成更新対象に抜擢した名目はプロトタイプ変更が難しかっただけである。
そしてクハ101-74,クハ100-43(ツヌ124F:弁天橋区仕様)をクハ101-48,クハ100-47(ツヌ103F)へ改番異動させた。
これにより弁天橋区仕様+旧製品編成に昇格したツヌ103Fだがモハ101-230以下8両(ツヌ103F:旧製品)は従前のまま維持された。
なお旧ツヌ103F構成車2両,元ツヌ124F構成車8両はツヌ102F(Tc75:旧製品→ツヌ102F-3:LP411前照灯編成)に再構築している。


ツヌ102F-3。
※旧製品:LP411前照灯編成。

2016年7月の再出場以降ツヌ103F構成車のうち手が加えられた車両はクモハ101-152(旧製品)に限られた。
これはかつてクモハ101-195(ツヌ110F:Mc195)と相互振替した床板を復す入場であくまでツヌ110Fが主眼に置かれた。
長らく車両異動対象編成に挙がらなかったツヌ103Fだが十四代目ツヌ118F(旧製品←旧ツヌ118F:Mc155)の影響を受ける。
回着当時より打痕及び擦過痕が見られたクモハ101-155,クモハ100-108(ツヌ118F:旧製品)は先頭車両での起用を見送った。
中でもクモハ100-108旧ツヌ122F(M'c170)用組成変更種車に充当する予定だったため車両異動計画を見直している。
代替車両にはクモハ100-108(旧製品←元クモハ100-108:廃車)が配されツヌ122F(Mc155:塗装変更車+旧製品)を出場させた。


クモハ100-108(ツヌ122F)。
※旧製品:廃車体復籍車。

ツヌ122Fでの窮地は廃車体復籍にて凌げたが引き続きクモハ101-155,クモハ100-108(ツヌ118F)の取り扱いが課題となった。
ここで目を付けた編成が車体状態の思わしくない七代目ツヌ118F出自車7両を受け継ぐツヌ103Fであった。
元々モハ101-230以下7両(ツヌ103F)は擦過痕が多く乱れのあるメーカー塗装車をツヌ103Fへ集約する方向に落ち着いた。
ただクモハ101-155(ツヌ118F)の打痕は運行番号表示窓Hゴム支持モールドだけに留まっており側面見附には問題が無かった。
そのためクモハ101-184(ツヌ123F:第二次冷房改造車)を捻出すべくクモハ101-184(ツヌ123F:旧製品)への改番が決定した。
結果車体塗装に埃巻き込みを抱える旧クモハ101-184(元ツヌ123F:旧製品)がクモハ101-152(ツヌ103F)用種車へと廻っている。


クモハ101-152 [61 千葉]:再生産品LOTホース無ジャンパ栓納め装着車。
※旧製品。


JR101系クハ101-85 [07 臨時]:ラシ107F(旧製品LOTホース無ジャンパ栓納め装着車)。
※旧製品。

中間組込車対応化を要したクモハ101-184では元クモハ101-155(ツヌ118F)用ホース付ジャンパ栓納めが流用できなかった。
ジャンパ栓納め部品だけは十代目ツヌ118F(再生産品→旧ラシ107F:Mc202)回着後も旧製品LOT品を使用し続けていた。
これは2016年5月竣工のクハ101-85(ラシ107F:旧製品←クハ101-81:元ツヌ308F)から拘ってきた箇所である。
弁天橋区仕様(Mc170)で引っ掛かった車体との色温度差が懸念され再生産品LOT品は今や予備品の大半を占めるまでに達した。
その代わり旧製品LOTジャンパ栓納め部品が減少の一途を辿り遂にクモハ101-152(ツヌ103F:旧製品)での試験採用へと至った。
運転台付中間組込車ではあるが前面見附への影響は殆ど感じられず旧製品LOTホース無ジャンパ栓納め温存に繋がると思う。


消しゴム式で擦過痕を修復したクモハ101-183。

ツヌ103F構成車でも状態が良かったクモハ100-183(旧製品)はクモハ100-108(ツヌ118F)の直接投入にて置き換えている。
前途の通りクモハ100-108には数多くの擦過痕が刻み込まれており玉突き振替えを選択できる状況ではなかった。
現状での車体振替も可能だったが今後状態の良いツヌ118F(Mc155)が引き当てられるとは限らず擦過痕軽減策を試行した。
擦過痕埋没工程はラプロス式車両番号標記印刷消去過程で避けられない作業のため基本的にこれを踏襲している。
消しゴム及び磨きクロスに頼る限り多少製品とは異なる艶が生じるものの浅い傷の大半は誤魔化せたように思える。
事実上格下げとなったクモハ100-183(ツヌ103F:旧製品)だがツヌ103Fの編成見附を悪化させるまでには至っていない。


ツヌ103Fサイドビュー(クハ101-48:車両更新車)。
※弁天橋区仕様。

捻出した旧クモハ100-183(元ツヌ103F:旧製品)だがラシ107Fに残る塗装変更車廃止用種車には起用できない。
そのため保留車へ廻し旧クモハ101-152(元ツヌ103F:旧製品)と共に新たな転用先を探る予定である。
今入場ではクモハ101-152,クモハ100-183の車体振替のみでツヌ103F(弁天橋区仕様+旧製品)を再出場させた。
従ってクハ101-48,クハ100-47(弁天橋区仕様)とモハ101-230以下8両(旧製品)の車体状態に格差が現れている。
在籍する津田沼~習志野区新金型編成では異端と言えるがモハ101-230以下8両の車体更新は考えていない。
対処するとすればクモハ100-183で試行した擦過痕修正を実施する程度に留まると思う。

国鉄101系津田沼電車区122F [Mc155] 7+3黄緑6号混色:YG-Y編成 (組成変更,廃車体復籍,現行LOT相当ライト基板更新)

2018-09-09 21:47:59 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
旧態。

KATO製国鉄101系ツヌ122F(Mc155)が再出場した。
旧ツヌ122F(M'c170)は塗装変更車(黄緑6号,黄色5号),再生産品,旧製品が混在する雑多な編成であった。
通算8度目となる組成変更を経て塗装変更車(黄緑6号)+旧製品の2種類に整理されている。




国鉄101系ツヌ122F 黄緑6号混色編成(1979/X)。
[ツヌ122F]:Mc155-M'158-T253-T108-M215-M'208-T'c78+Tc75-M91-M'c108
※塗装変更車+旧製品:イメージ編成(1979/10)。
◆組成変更,塗装変更車(黄色5号)廃止。

国鉄通勤形形式で黄緑6号が制式採用されたのは103系だった。
当初山手線新性能化用に投入された101系は黄色5号であった。
ところが後継形式と言える103系試作車が黄緑6号で現れ池袋区に配置される。
熱容量都合で6M2Tとされた山手線101系は4M4Tと経済性の高い103系での置き換えが決定した。
103系で統一されるまで池袋区,品川区には101系と103系が混在した。
しかし101系は塗装変更される事無く使用され続けた。
101系は大半が黄色5号のまま中野区,津田沼区へ転属し両区の旧型国電形式を置き換える。
現在進行中であるE235系によるE231系500番代の転属劇に近いと言えよう。
なお資料によると総武線の黄色5号採用は東京オリンピックPR効果も影響したらしい。
結局関東地区で黄緑6号の101系を見られる機会は殆ど得られないまま終わってしまった。
鳳区,日根野区転出予定車や王子駅構内冠水被災救済車両以外の採用例は無く青22号車両よりも希少な存在である。
関西線では前面に黄色の警戒帯が入れられた。
そのため誤乗防止ステッカーこそ貼付されたが単色の黄緑6号車両は極短期間しか見られなかった。


旧ツヌ122F。
※塗装変更車+旧製品。

ツヌ122F(T'c43)の初出場は2014年6月で記憶と記録を頼りに組成した黄緑6号混色編成である。
当初は旧ツヌ124F(Tc74→元ツヌ124Fツヌ102F:Tc75,ツヌ103F:Tc48)とサハ101-256以下7両を共用する13両体制とした。
運用期間は1980年頃と思っていたが実際は1979年10月だった。
手持ちの101系編成表は1979年4月~1983年3月が抜けている。
各種資料を照合し[ツヌ122F]までは辿り着けたが車両番号は現在に至るまで不明のままである。
車歴表でも1979年の転属車が見当たらず王子駅構内冠水被災救済車両から付番を行った。
奇遇にもクモハ101-155+モハ100-158は津田沼区仕様の製品原形であるツヌ118F(Mc155:1978/3)と車両番号が重なった。
今回の組成変更によりサハ101-253を除く9両の車両番号が被る珍展開を見せている。
塗装変更車廃止へ用途変更された十四代目ツヌ118F(Mc155:旧製品)からの異動車が5両を占める構成に変わった。
第一次動力ユニット搭載試作車だった旧クモハ100-108(旧製品)も捻出となりクモハ100-166(ツヌ109F:Mc202)へ改番異動した。
なおクハ101-75(旧製品)だけは旧ツヌ122F(M132)時代から残存し続ける唯一の黄色5号車両となっている。


クモハ100-108(廃車体復籍車)。
※旧製品。

黄色5号車両は全車未改番の方針を貫いておりクハ101-75を含め製品印刷の車両番号標記が残された。
正規組成が判明した際には当然改番を行う。
だが旧ツヌ107F(Tc83:旧製品)を出自とするツヌ109F用組成準備車で節約式改番を採用したところ狙い通りに行かなかった。
サハ101-84,サハ101-241,サハ101-291(ツヌ109F)の結果から再改番よりも直接改番が有利と判り二度手間を回避した。
また種車の状態に左右されクモハ100-108(非動力車)には元クモハ100-108(廃車:元ツヌ118F)を起用している。
所要部品は代替廃車されるクモハ100-170元クモハ100-39(廃車:トタ5F)からの転用品で賄った。
2015年9月付で廃車された元クモハ100-108(旧製品)は約3年1箇月振りに車籍を取り戻す珍しい車両となった。
代わりにクモハ100-108へ充当予定だったクモハ100-108(ツヌ118F:旧製品)が保留車に廻っている。


クモハ101-155 [31C 幕張]:現行LOTライト基板更新,表示器点灯色変更施工車。
※塗装変更車。

クモハ100-108の車籍復活に際し保管品に廻されていた現行LOTライト基板更新済床板を再用した。
そのためクモハ101-155(←クモハ101-194:ムコ10F)も現行LOTライト基板更新入場へと至る。
2015年10月にクモハ101-155は現行LOTライト基板から1stLOTライト基板への振替えを行っていた。
この際導電板構造が2pcs式へ多重化された再生産品LOT相当床板の組み付けに苦戦を強いられている。
余り気が進まない入場で長期戦を覚悟したが作業中に視点を切り替え補助導電板の組み込みに新たな方式を取り入れる。
これが的中しクモハ101-155の現行LOTライト基板更新は滞りなく完了した。
同時に再生産品LOT,現行LOT相当床板に対する苦手意識が解消されている。
JR101系ラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)も1stLOTライト基板振替が施されており入場機会を伺っていた。
クモハ101-155での成功でライト基板再交換への道が拓かれた。
もう少し早く気付いていればツヌ110F(Mc195)での床板振替は不要だっただけに惜しまれる。
ちなみにクモハ100-108は旧製品車体に現行LOTライト基板が組み合わされる初の先頭車両となった。


カノ13F。
※塗装変更車+旧製品。

行先表示類は[31C 幕張]のまま存置された。
[幕張]表示編成はツヌ103F(Tc48:弁天橋区仕様+旧製品)で増発されており変更機会ではあった。
しかしクモハ101-155の表示器窓Hゴム支持は油性ペイントマーカー再現で障壁となる。
嵌込式の運行番号,行先方向幕部品を撤去する際に被膜が崩壊しかねなかった。
既にカノ13F(Mc59:塗装変更車+旧製品)等で痛い目に遭っている。
補修難易度の高さは油性ペイントマーカーが抱える弱点である。
塗装変更車体でもあり途中駅止まりの設定から抜け出せずに終わっている。
クモハ101-155が竣工した当初は[11C 中野]表示を採用していた。
これはサハ101-256以下7両を共用する旧ツヌ124Fへ揃えた結果だったが後の10両編成化時に選択を誤った。
おまけに元ツヌ124Fは発展解消してしまったため[11C 中野]表示を継続させるべきだったと思う。


ツヌ131F。
※塗装変更車+旧製品。

ツヌ122Fには黄緑6号混色編成にクモハ101-155クモハ100-108の前面見附が揃わない癖まで付加された。
代替の難しさや竣工までの手間等から編成前後で金型の異なる編成は特例編成として扱っている。
どうにかツヌ122Fを塗装変更車(黄緑6号)+旧製品編成で揃えたばかりでありクモハ100-108の車体更新は考えていない。
過去に組成変更が繰り返されようやく落ち着く機会を迎えたこの機会に合わせ特例編成扱いとした。
カノ13F(←元カノ20F:Mc53)では内嵌式尾灯を持つクモハ101形,クモハ100形初期製造車に拘った。
製品リリース都合が絡み物理的にクモハ101-59,クモハ100-34(カノ13F:塗装変更車)の金型統一は行えない。
加えてクモハ101形,クモハ100形内嵌式尾灯車(黄色5号)は製品化されていないため塗装変更車での存置も確定している。
青22号混色編成が特徴のツヌ131F(Mc70)に組成されるクモハ100-68は種車が用意できずクモハ100-108(Mc120)を加工した。
異例の内嵌式尾灯車化改装車は粗こそ垣間見えるもののそれなりの見附に至ったと考えている。
だが再びこの様な加工を経てまでクモハ100-68(新金型車両)を竣工させるつもりは無く現状維持とする。


ツヌ133F。
※弁天橋区仕様+旧製品。

池袋区借入編成であるツヌ133F(Mc118)はクモハ101-118だけをクモハ101-170(Mc170:弁天橋区仕様)にて更新した。
応急組成のためか行先方向幕が交換されず乗務員室内に手書きの行先表示用紙が掲示されていた。
クモハ101-118,クモハ100-131で掲示位置に違いが生じた結果新金型車体と旧金型車体の差異が薄れたように思えた。
これによりクモハ100-131は更新そのものが棚上げとなり現在でも旧金型車体のまま存置されている。
ちなみにツヌ133Fは車両番号の特定を済ませた一方で編成番号が突き止められていない。
仮編成番号を割り当てたまま時間が経過しておりツヌ122Fとは対照的な存在と言えよう。
前途の通り1980年の編成表を所有しておらず同時期がプロトタイプの編成は在籍していない。
但しツヌ122F自体がイメージ編成でありこの点は気にしなくて構わないだろう。


クモハ100-162,クモハ100-108 (ツヌ116F-2,ツヌ122F)。
※旧製品。

1979年3月をプロトタイプに据えたツヌ103F,ツヌ115F(Mc144)はツヌ122Fに最も近い存在と言える。
この20両は1979年10月現在でも津田沼区に留まっていた。
当時津田沼区では103系投入による101系の置き換えが順次開始された頃である。
恐らく車両異動を伴ったと思われ1979年3月の組成を維持したかは微妙だと思われる。
なお旧製品存置編成のツヌ116F(Mc154)はサハ101-98を含む11両体制であり3+7編成(ツヌ116F-2:T98)も組成できる。
クハ100-91(ツヌ116F-1:T'c91)はツヌ122Fと運用時期が合致しなくなる弱点がありサハ101-98の存在感が高まった。
更新対象から外されたためクモハ100-162(ツヌ116F)はクモハ100-108と同一形態で揃う。
LP402前照灯+旧金型先頭車両は車体更新及び車両更新にて削減を積極的に進めた。
ツヌ107Fを以て更新が完了した矢先にLP402前照灯車の旧製品先頭車両が本格登場するとは思わなかった。
今後ツヌ122Fの車両異動は車両番号が特定され組成形式変更を要する場合に限られるはずである。
よって当面はLP402前照灯車+旧製品編成同士の離合が続くと思う。




ツヌ122Fサイドビュー(クモハ101-155:クモハ101-194改装車)。
※塗装変更車。

改修入場ながら編成に残留した車両は目立った劣化が少なく側面窓セル窓サッシ印刷の補修に留まった。
十四代目ツヌ118Fからの異動車も101系800番代LOT側面窓セルを承継しており引き続きツヌ122Fでの特徴となる。
旧製品車両の増備は未定だがまだ塗装変更車(黄色5号)が残存するため投入の余地を残す。
7両(黄色5号)の車両番号が重複するツヌ118F(旧製品)との差別化には適していると言えよう。


さよならツヌ118F。
※旧製品。

暫定出場から約2箇月間活躍した旧ツヌ118F(Mc155←ツヌ118F:十四代目)は廃止された。
保守部品不足解消を導入名目としたが5両を残しツヌ122Fへ異動が図られ車両のまま生き残っている。
代わりにクモハ100-170+モハ101-231(元ツヌ122F),サハ101-247,サハ101-290(元ラシ107F:Mc202)が廃車となった。
何れも塗装変更車で装着部品捻出に支障はなく十四代目ツヌ118F本来の用途を果たせたと思う。
保留車に廻った5両は更なる塗装変更車廃止と連動させながら十三代目ツヌ118F(再生産品)を組み合わせ10両編成化を目指す。

国鉄101系津田沼電車区110F [Mc195] 3+7朱色1号編成 (側面窓セルHゴム支持再現色温度統一,窓サッシ印刷補修施工)

2018-08-08 21:45:11 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
自縛。

KATO製国鉄101系ツヌ110F(Mc195)が改修を終え再出場した。
過去の度重なる細工により全般的な疲れが各所に現れていた。
前回入場はクモハ101-195,クモハ100-805のみが対象で抜本的な修正は初施工となった。




国鉄101系ツヌ110F 朱色1号編成(1984/10)。
[ツヌ110F]:Mc195-M'810-T'c71+Mc194-M'809-T'68-T'227-T'94-M57-M'c805

201系による武蔵小金井区101系の置き換えは編成番号末尾から開始された。
並行して101系高経年車の廃車や低経年車の組成変更及び転属が進められている。
1983年1月現在の編成表に拠ると101系800番代で揃う編成はムコ5Fの1本だけであった。
後のムコ1F(←ツヌ110F)とは車両構成が異なり1年間で激しい車両異動が行われた形跡が伺える。
◆ムコ5F:Mc69-M'805-T'c72+Mc124-M'801-T10-T'216-T'10-M107-M'c807。
このうちクモハ101-69+モハ100-805,サハ101-10,サハ100-10,サハ100-216は1983年度中に廃車された。
この当時クハ100-71は中野区に所属していた。
武蔵小金井区への転属は1983年3月で中央線快速での活躍期間は短期間で終わった。
量産が加速した201系の増備に伴い武蔵小金井区101系はこの後も減少の一途を辿る。
1984年10月現在では総勢41両の配置で稼働編成は2編成まで削減が進んでいた。
201系での統一により所要編成数が1本削減される。
そのため1編成は予備扱いとされた。
◆ムコ1F:Tc59-M90-M'c98+Mc60-M'35-T128-T223-T'93-M55-M'c804。
◆ムコ00F:Tc67-M59-M'c102+Mc192-M'807-T'107-T219-T40-M109-M'c801。
運用終了を間近に控えた武蔵小金井区101系だったが豊田区101系1000番代の検査切れにより大きな動きを見せる。
津田沼区103系ツヌ304F(Tc179)の分散貸出による不足分は当初武蔵小金井区101系(Mc195→ツヌ110F)で補填された。
ツヌ110F充当編成は既にムコ予備00Fが付番されているためムコ予備0Fを名乗っていたと思われる。
103系の混色編成が消滅した直後に現れたツヌ110Fは朱色1号かつ101系800番代で揃う編成で強烈な印象を与えた。
1985年1月14日までの貸出予定は前倒しされ1984年12月中に武蔵小金井区へ復帰となった。
この際ムコ1F(Tc59)は編成が解除された模様で武蔵小金井に還ってきたクモハ101-195以下10両がムコ1Fへ充てられた。
ムコ1Fは101系中央線快速の最終定期運用(1928H)を担う記憶に残る編成にもなっている。
営業運転離脱後は即廃車とならず旧ムコ1F(Tc59),ムコ予備00F(Mc60)出自車と10両編成を組み庫内に留置された。
◆ムコ--F:Tc59-M108-M'c802+Mc60-M'35-T'68-T'227-T'94-M57-M'c805(1985/3/31)。
その後基本7両編成が[さよなら101系]運用に充当され最期の花道を飾っている。


ムコ10F。

旧ツヌ110F(Mc194→ツヌ110F:Mc195)の初出場は2013年9月と意外に早い。
KATO製101系ではトタ5F(Tc14),旧ツヌ106F(Mc155→旧ラシ106F:Mc155),旧ムコ3F(Mc78→トタ冷房5F:Mc198)に次ぐ。
種車となったムコ10F(Mc194:101系800番代)は当初からツヌ110Fへの改装が決定していた。
ところが肝心な車両番号が特定出来ておらずクハ100-22(旧ツヌ110F)は電装準備工事車のまま暫定竣工させた。
まだ改番方法すら思い浮かばなかった時期である。
よってムコ10Fへ[総武・中央線 各駅停車]誤乗防止ステッカーを貼附しただけのイメージ編成となった。
2014年6月に編成表を辿りようやく改番が実現しツヌ110F(Mc195)として正式出場している。
この際クハ100-71(←クハ100-22)用屋根板の交換を行いクハ100形後期製造車へ改装した。
またサハ100形が3両連なっていたとも判った。
順次サハ101-40,サハ101-209(旧ツヌ110F)をサハ100-36(旧ムコ3F),サハ100-38(トタ5F→旧ムコ3F)と差し替えている。
改番後は1stLOTライト基板振替を端緒としクモハ101-195,クモハ100-805の入出場が繰り返された。
更に純正ダミーカプラー交換,前面用[総武・中央線 各駅停車]誤乗防止ステッカー貼替等が続いた。


クモハ100-805:2ndLOTライト基板更新車。
※表示器点灯色変更施工車。

今回の入場は旧製品LOT床板装着車へ改装したクモハ101-195,クモハ100-805の前尾灯点灯安定化が主項目だった。
しかしモハ100-810以下8両もペイントリムーバー式印刷消去による車体汚れや側面窓セル窓サッシ印刷の劣化が激しかった。
そこで改修に名目を変更し10両全車が入場対象になっている。
ライト基板は2pcs式導電板を持つ台枠ごと交換し集電性能の向上を図った。
計画ではクモハ101-195クモハ100-805で床板LOTを揃えられるはずだった。
ところが床板捻出車のクモハ100-183(ツヌ103F:Tc48)が旧製品LOTに再交換されており計算を狂わされた。
トタムコ3F(Mc78),ツヌ118F(Mc155:再生産品)仕様運転台付中間組込車は少数派に留まる。
止むを得ずクモハ100-805はクモハ100-102(ムコ予備00F:Mc60←クモハ100-78:トタ<ムコ3F)との交換に迫られた。
ムコ10Fとトタムコ3FのLOT差はライト基板だけに等しく導電板構造の統一は果たせている。
クモハ100形は供出車が限られるため予備品の再生産品LOTクモハ100形用Assy床板は津田沼~習志野区仕様向けに温存した。
1stLOTライト基板が廃された代わりに表示器用プリズム色挿式にて表示器点灯色変更対策を行っている。


ツヌ102F-3,ツヌ110F。

側面窓セル窓サッシ印刷の劣化は短期間で進んだと思われる。
前回入場では気にならなかったクモハ101-195,クモハ100-805まで斑点状剥離が進行していた。
2016年8月に組成変更で登場したツヌ102F-3(Tc75)は全車旧製品車両で揃う編成である。
生産から日が短いはずのツヌ110Fだがツヌ102F-3よりも老朽化が進行している様に見えた。
プロトタイプが1984年10月で揃う両編成は外観の格差が生じていたが多少は改善されたと思う。
窓サッシ印刷の修繕は全車に施したが何れも側面窓部に油脂付着が見られた。
劣化の根本原因だと推測しており今後の進行は抑えられると思う。
他形式を含め側面窓セル窓サッシ印刷の補修では油性ペイントマーカーを塗布してきた。
クモハ101-194にて100円ショップで仕入れた油性メタリックマーカーペンを試用した。
作業性,見附共に油性ペイントマーカーを凌ぐ結果を得てサハ100-68以降から本格採用に至った。
まだインクの対擦過性の確認が出来ておらずサハ100-94を長期耐久試験車に指定している。
全段を油性メタリックマーカー再現に変更し経過観察を行う。
但し作業効率が高いため今後の窓サッシ印刷の修正は油性メタリックマーカーで進めていく。


サハ100-94(油性メタリックマーカー再現窓サッシ長期耐久試験車)。

出場直前にボナファイデプロダクト製国鉄電略標記インレタの入手に至った。
空欄や標記違い等長らく電略標記再現には悩まされてきた。
これを埋める役割を十分に果たしてくれている。
出自が異なるサハ100-68(←サハ100-36),サハ100-227(←サハ100-38)は[西トタ]標記から[西ムコ]標記へ変更された。
印刷消去の失敗により種車が判明するおまけまで付いている。
また両車とも国鉄103系サハ103-768,サハ103-769(ツヌ324F-1:Tc217)との振替えで101系800番代LOT側面窓セル交換を行った。
KATO製101系を種車とするサハ103-768,サハ103-769はムコ予備00Fの101系0番代LOT側面窓セル統一でも入場していた。
数少ない中間車両用101系800番代LOT側面窓セル装着車でツヌ110Fの側面見附統一に重要な役割を果たした。
実車の状況を鑑みてHゴム色温度統一対象編成から外していたが整った編成見附に改められている。


モハ100-809+サハ100-68 (101系800番代LOT側面窓セル装着車+101系800番代LOT側面窓セル交換施工車)。

記録で殆ど判らない変更点はクモハ100-805の前面窓セルにある。
2本ある前面縦桟のうち運転台側は当初から銀色印刷が3mm程度行き渡っていなかった。
下地と思われるHゴム支持再現の灰色塗料が剥き出しになっており角度によっては目立つ箇所であった。
改修項目に組み込みクモハ101-194との交換でメーカーエラーを解消させている。
またクモハ101-195ではジャンパホースの補修を行った。
ジャンパカプラー付近から生じていた黒色塗料の剥げは超極細マッキーで塗り潰した。
相変わらず塗装の技量が足りないため市販の文房具に頼らざるを得ない状況が続く。
初心者にとって超極細マッキーと油性メタリックマーカーは欠かせない戦力になってくれた。




ツヌ110Fサイドビュー(クモハ101-195:ジャンパホース,側面窓セル窓サッシ補修施工車)。

傷んだ状態の記録を残しておらず入場前の雰囲気と余り変わらないように映る。
裏を返せば小細工が通用した結果と言える。
改修入場で徹底的に清掃,修正を施し約1年4箇月の間に生じた格落ち感を拭えたと思う。
自らの取り扱い方法が劣化を招いた原因だった。
101系初期出場編成では共通で現れる傾向が強い。
残念ながら何時から考えを改めたか憶えていない。
今後は廃車予定車を除く塗装変更車を中心に現状確認及び改修を行った方が無難だろう。

JR101系習志野電車区107F [Mc202] 4+6編成 (クハ100-34 車体更新:塗装変更車体廃止,弁天橋区仕様車組込)

2018-07-04 21:41:26 | 国鉄/JR101系出場:総武・中央線
転換。

2017年3月の入場でKATO製JR101系ラシ107F(Mc202:塗装変更車+旧製品)には塗装変更車6両が集約された。
最早ラシ107F用組成準備編成だった十代目ツヌ118F(Mc155:再生産品←旧ツヌ118F)の面影は完全に失われている。
約1年4箇月前は塗装変更車を削減する気配すら無くラシ107Fも落ち着いた状況で推移してきた。


JR101系ラシ107F (1988/4)。
[ラシ107F]:Mc202-M'256-T247-T'c34+Tc85-M253-M'247-T290-M262-M'c191。
※塗装変更車+旧製品+弁天橋区仕様。
◆クハ100-34:車体更新。

但し101系習志野区仕様LP402前照灯編成にはラシ101F(Mc201:弁天橋区仕様+旧製品)も在籍している。
プロトタイプが被るラシ107Fはラシ101Fよりも編成見附に劣るため限られた登場機会を活かすしかなかった。
このまま先細り状態に陥りかねなかったが十四代目ツヌ118F(旧製品→ツヌ118F:Mc155)が転機となった。
ツヌ122F(M'c108)の組成変更及び保守部品増強を導入名目とした十四代目ツヌ118Fは塗装変更車廃止への充当が決定する。


国鉄101系ツヌ118F。
※旧製品。

ただ十四代目ツヌ118Fによる塗装変更車廃止はツヌ122F(Mc155),ツヌ109F(Mc202)の出場を待たなければならない。
しかもツヌ109F,ツヌ122Fでの所要形式を合致させる必要性から十四代目ツヌ118Fは分散配置が必要となる。
従って塗装変更車6両を含むラシ107Fの車体更新には間接的関与に留まり入場も先送りされる方向だった。
ところがクハ100-86用Assy車体(Mc170:弁天橋区仕様)により一転してクハ100-34(ラシ107F:弁天橋区仕様)の登場となった。


旧クハ100-34。
※再生産品。

2015年6月に初竣工を迎えたクハ100-34(ラシ107F:再生産品)はクハ100-78(ツヌ118F:Mc155)の改番車であった。
ラシ104F(Mc136:塗装変更車+旧製品)の車体更新計画を受け十代目ツヌ118F(再生産品←旧ツヌ118F)は分散配置が進められた。
但し操配都合が付かなかったモハ101-91,モハ100-158,クハ100-78(ツヌ118F:再生産品)に限り車両異動を諦めている。
しかし再生産品運転台付中間組込車はまだ在籍しておらずラシ107F(塗装変更車+再生産品+旧製品)での課題となった。


旧クハ100-34(旧クモハ100-191編入車)。
※塗装変更車。

早くも初出場から約1箇月後にクハ100-34(ラシ107F)は新編成組成用準備車となり車体振替が実施される。
クハ100-34(ラシ107F)用種車には旧クモハ100-191(ラシ107F:塗装変更車←旧クモハ100-175:ラシ104F)を引き当てた。
この入場では事前にクモハ100-133(ツヌ103F-2:Tc66)をクモハ100-191(ラシ107F:塗装変更車)へ異動させている。
なお捻出された旧クハ100-34(元ラシ107F)はクハ100-64(ツヌ106F:Mc160)へ改番され中野方先頭車両に転身した。


国鉄101系クハ100-67(弁天橋区仕様用側面窓セル装着車)。

そしてクハ100-34(ラシ107F:塗装変更車→旧クハ100-34)に続きモハ100-256(ラシ107F)も旧製品車両へと振り替えられた。
2017年3月には塗装変更車をラシ107F(塗装変更車+旧製品)へ集結させる方針が決定し旧ラシ107Fの再出場に至っている。
状態が悪化する一方だった旧ラシ107Fだがクハ100-67(ムコ3F:Mc78)での側面窓セル交換が事実上の分岐点となった。
101系800番代LOT側面窓セル装着車が残存していたムコ3Fの編成見附統一を実現するためクハ100-86Assy車体に頼った。


クハ100-34 [07 ]:車体更新車。
※弁天橋区仕様。

本来黄色5号LP411前照灯増強用途しかなかったクハ100-86Assy車体だが旧クハ100-34(旧ラシ107F)の車体更新にも適していた。
塗装被膜は旧製品車両相当でありラシ107F(塗装変更車+旧製品+弁天橋区仕様)への組み込みに支障しない。
但しクハ100-34(ラシ107F)への車体更新でも編成見附を整える必要から旧クハ100-34用部品が多数流用された。
その中には塗装変更済LP402前照灯,前面窓セルも含まれておりクモハ101-170,クハ100-86(Mc170)とは若干印象が異なる。


クハ100-34(ラシ107F:車体更新車)。
※弁天橋区仕様。


国鉄101系クハ100-34(ツヌ108F)。
※旧製品。

これまで塗装変更が二度実施された関係上旧クハ100-34(旧ラシ107F→元クハ100-34:元ラシ107F)の状態は非常に悪かった。
運転台付中間組込車へ新金型車両を充当する方針ではなかったもののクハ100-34(ラシ107F)に限れば正解だったと思う。
まだ十四代目ツヌ118の操配計画が定まっておらずクハ100-78(ツヌ118F)を廻せない中で貴重な戦力になってくれた。
なおクハ100-34(ツヌ108F:Mc133)も在籍しているがこちらは旧製品車両であり混同する恐れは無い。


ラシ107Fサイドビュー(クモハ101-202:旧クモハ101-136改装車)。
※塗装変更車。

クハ100-86Assy車体により僅か1両だけではあるがラシ107Fから塗装変更車が削減された。
編成見附向上には程遠いもののひとまず塗装変更車廃止へ向けての第一歩を踏み出せた。
前途の通り今後ツヌ109F,ツヌ122Fが絡む十四代目ツヌ118Fの入場を優先するためラシ107Fは車体更新が中断される。
早期作業再開と共に塗装変更車全廃が達成できるよう十四代目ツヌ118F構成車を異動させる予定である。