独行道の碑
「五輪書」を書き終えたとき、武蔵は死を覚悟していました。
洞窟(霊巌洞)に引きこもったまま、最後を迎えるつもりでした。
武蔵のガンは進行していました。
いかに、武蔵の意志であるとはいえ、周囲の者は放置できません。
ようやく、鷹狩と称して胴窟を訪れた旧知の盟友が、帰宅を促し、居宅に連れ戻しました。
正保二年(1645)、春も暮れようとするころでした。
その年の五月、武蔵は身辺整理を始めました。
高弟の寺尾孫之に「五輪書」を、その弟・求馬助信行には「兵法三十五箇条」を与えました。
求馬助は、師の最後をみとるべく、側に付き添っていました。
その求馬助に、武蔵は筆を所望し、流麗な筆致で、一紙に以下、21ヵ条を書きました。
武蔵が自分の短所を克服するために自戒の事柄だといわれています。
米田天神社の近くの「武蔵生誕地碑」がある同じ敷地に、「独行道の碑」(写真)あります。読んでおきましょう。
独行道
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依怙(えこ)の心なし
一、身をあさく思い、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん(欲心)思わず
一、我事におゐて、後悔をせず
一、善惡に他をねたむ心なし
一、いつれの道にも、わかれをかなしまず
一、自他共に、うらみかこつ心なし
一、れんぼ(恋慕)の道思ひ、よるこゝろなし
一、物毎(ごと)にすきこのむ事なし
一、私宅におゐて、のぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物(しろもの)なる古き道具を所持せす
一、わが身にいたり、物いみする事なし
一、兵具は各別、よ(余)の道具たしなまず
一、道におゐては、死をいとわず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、佛神は貴し、佛神をたのまず
一、身を捨ても名利(みょうり)は捨てず
一、常に兵法の道をはなれず
正保弐年(1645 )
五月十二日 新免武藏
まさに、武蔵の人生観(独行道)でした。(no4697)
*『Ban Cul』(2003冬号)参照
*写真:「独行道の碑」(米田天神社前の「武蔵生誕碑」のそば)