武蔵の絵「枯木鳴鵙図」
「枯木鳴鵙図」は、鵙が画面の上部の木の枝に高くにています。
鋭い眼は、枯枝を這ってくる虫を捉えているだけでなく辺りを圧しています。
筆遣いは、枯木は下から「すうっ」と伸び、さらに継いで右へ掻(は)ねています。
細い枝が描かれています。
右下の空間には、枝と葉がうすく面的に描かれています。
上下左右の見事な画面構成で、武蔵の優れた空間感覚を示します。
知らなければ、この絵は宮本武蔵が描いた絵とは思われないでしょう。
この絵は、まさにプロの絵です。
徳川幕府は、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、合戦の世を終息させるや、幕府は
一国一城令を出し、藩主の居城を除き、他のすべての城砦の破却を命じました。これは諸大名の軍事力を削ぐための措置でした。
続いて「武家諸法度(ぶけしょはっと)」を公布して、大名を法的に規制し、同時に「禁中並公家諸法度」、「寺院法度」も公布して、朝廷や公家の伝統的権威を弱め、宗教勢力も統制下に置いて近世社会の秩序を形成していったのです。
幕府が権力強化のために大名を改易(かいんき)し転封することが頻発する時代となりました。
諸大名にとって、暮閣や他の大名、・旗本との交際はいわば「外交」であり、文武の道を嗜(たしなん)で、信頼を得るとともに、情報を取ることが重要時代に激変しました。時代の雰囲気が変わったのです。
武蔵は、本来多能な人でしたが、時代が変わり、自信の考えが変わる中で絵画に世界、「五輪書」に没頭したようです。
それにしても武蔵は多能な人でした。(no4705)
*「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」(和泉市久保惣記念美術館造)
*『宮本武蔵(魚住孝至著)』(岩波新書参照)
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