ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(1) 「加印地域」の歴史の話をしよう

2019-07-31 09:55:48 | 大河・かこがわ

       大河・かこがわ (1)

         「加印地域」の歴史の話をしよう

 「ふるさと」という言葉は、それだけで「詩」です。

 子どものころの思い出をいっぱい詰め込んだ言葉です。

 私は、この故郷(ふるさと)に、加古川市・高砂市・稲美町・播磨町を頭に描いています。

 私的なことで申し訳ありませんが、私の中学校時代(昭和30~32年)の加古川市の人口は5万人ぐらいでした。

 現在は26万人を超えていますから、5倍以上に膨れたことになります。

 多くの人は、加古川市を「ねぐら」にして、神戸・大阪・姫路方面に通っておられます。

 そのためか、「加古川市」が、好きでたまらない故郷であると考える人が少ないようです。

 それに、「加古川市」特に、「加古川の歴史」のことが、あまり語られていないように思えなりません。

 ひどい場合「加古川市に誇れる歴史なんてあるの?」とまで言われる人がおられます。

 それが、あるんですよ。加古川市は貴重な歴史の缶詰のような街です。

 もちろん、この事情は高砂市、稲美町、播磨町も同じです。

 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町は、かつて旧古郡・南郡に属しており、加印地域(かいんちいき)呼ばれ、一つの経済・文化圏でした。

 加印地域の歴史は、語られていないだけです。そんな歴史を訪ねましょう。

 テーマを「大河・加古川」としました。(no4712)

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