ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

宮本武蔵 in 高砂(34) 武蔵死す (最終回)

2019-07-30 10:00:53 | 宮本武蔵 in 高砂市(米田町)

      武蔵死す (最終回) 

 正保2年(1645)年、武蔵は熊本で亡くなりました。

 その時の様を、寺林峻氏は『双剣の剣客』で次のように書いておられます。

 きょうのブログは小説です。武蔵の最後は作者(寺林氏)の想像です。

     高砂の潮風をききながら

 ・・・・

 「伊織よ、わしを生国播磨(高砂)へ運べ」

 末期の苦痛が武蔵を攻めているのがはた目にも明らかだった。

 「はい、父上。小康を得なされば、必ず・・・・」

 「ならぬ、今すぐだ。虚空に遍満せる真実はの、最後にはそれぞれがの、生まれし大地に伏せて受けとめるものなのだ」

 途切れとぎれに言うと、「いずこなるぞ、わが生国(高砂)は・・・」立てた右膝に身を預けたまま問う。

 「播磨国(高砂)はあの方角にございまする」

 伊織が寅(東北束)の山並みのはるか遠くを指す。

 武蔵は、一つ小さくうなずき、険しく大きい孤高の眼をその方角にしっかりと据える。

 伊織が寄り、添って父の細くなった背を支えた。

 「気をしっかり持って、剣一途の長いながい遍歴の終わりを、どうか高砂の地にてお迎え下され」

 伊織としても、できれば武蔵を描磨へ連れ帰りたい。

 「おお、高砂浦の波音が微かに聞こえてくるではないか」

 「はい。明け方など風が波音を米田の生家にまで届けてくれました」

 耳に届いている波音が実は有明海のものだと伊織は口にできない。

 武蔵の眼が、そのときにわかに和んだ。

 眼から険しさが消え、孤高の色が消え、心持ち細くもなったかと思うと、伊織は、父を支える腕に重さを感じた。

 「父上っ」

 ・・・・

 5月19日早朝、宮本武蔵は62歳の命をようやく肥の国のしたたる緑の中に溶け込ませた。(no4711)

 *『双剣の剣客』(寺林峻)参照

 *写真:宮本武蔵坐像(熊本県美術館蔵)晩年の肖像画と思われます。

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