神宮寺(じんぐうじ)
神宮寺は米田天神社に隣接する米田第一公民館の東隣にある寺院です。
神仏混淆のあらわれとして、もとは米田天神社の付属寺院でしたが、明治以降の神仏分離によって独立しました。
宮本伊織は、天神杜、神宮寺ともども崇敬しており、天神社修復の時に、「三十六歌仙額」等を寄進しました。
伊織、神宮寺に鰐口(わにぐち)を寄進
神宮寺には別に鰐口(写真)を寄進しています。
鰐口は、参詣の際に本殿前で綱を振り動かして打ち鳴らします。
お賽銭等をする前に「がらん・がらん」と鳴らすのでおなじみの音響具です。
寄進された鰐口は、三重の円が刻まれており、その外円に「正保三年(1646)」「宮本伊織藤原朝臣貞次敬白の銘があります。
鰐口を寄進することでねんごろな供養ができるとされますが、伊織が、銘文どおり正保三年(1646)にこれを寄進したのであれば、三十六歌仙額の寄進に先立つ7年前のことで、修復とは関係ないでしょうが、その年は、武蔵か亡くなった翌年に当たることから、きっと養父・武蔵の一周忌供養のための寄進したのでしょう。
蛇足:玉屑
江戸時代の後期には、俳諧の玉屑(ぎょくせつ)が住職を務めた寺院としても知られています。
玉屑(ぎょくせつ)については後に紹介します。(no4693)
*『Ban Cul』(2003・冬号)参照
*写真上:(米田)神宮寺と伊織寄進の鰐口(『25周年記念、武蔵・伊織まつり』より)