ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

宮本武蔵 in 高砂(27) 養子・伊織は兄の子

2019-07-22 08:58:28 | 宮本武蔵 in 高砂市(米田町)

   話の筋が前後して申し訳ありません。

 今まで宮本伊織について説明もなく書いていましたが、少し話を戻し説明をしておきましょう。

             養子・伊織は兄の子

  後に、武蔵の養子となる少年伊織も米田に生まれました。

 家系図に従えば、伊織は、武蔵の実兄・田原久光の第二子です。

 武蔵は、甥を養子に迎えたことになります。

      伊織、明石藩に仕え、そして小倉藩に移る 

 妻子のなかった武蔵は、造酒之助の死後、新しい養子をもらいたいと、兄・久光に頼み、伊織を迎えることになりました。

  先に紹介したように、伊職は、田原本家を継いでいた久光の二男として、慶長17年(1612)に生まれています。

  15歳で、武蔵の推挙で明石藩主・小笠忠真に仕えました。

  武蔵は、伊織を養子として迎え、すぐに小笠原家に差しだしたようです。

  伊織は、忠真の側近として、次第に藩経営に才能を開花させ、弱冠20で藩政の中枢に入りました。

  寛永9年(1632)、主君の小笠原忠真が小倉へ転封されますが、伊織もこれに従い、小倉移り2500石の家老職についています。

  小倉に移って6午目、島原の乱の鎮圧のため小笠原軍が出陣します。

  伊織は、筆頭家老として存分の働きをしたようで、鎮圧後、加増され、4000石を与えられています。(no4703)

  *『Ban Cul(2003冬号)』の橘川真一「武蔵の実像」参照

  *写真:米田の西光寺の武蔵と伊織の像(伊織は左、右は武蔵)

 

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