きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ウィーン版エリザベート」

2007年04月07日 | 宝塚版以外の「エリザベート」
思いつくまま、つらつらと。

・ネット等で読んだ情報によると、今回はウィーン版の再演版で
 舞台装置等は簡略化されたらしい。
 初演版はもっともっと舞台(機構自体が)が動き、
 日本版も最初は四季に持ちかけられたけど、その複雑な機構に
 四季が断ったので、次に宝塚に持ちかけたとか。
 この再演版だったら四季の劇場で再現可能そう。
 そしたら、芝ルキーニとか、存在したのかしら。ドキドキ。
 まあ、宝塚が上演したことで、
 ・阪急交通社が観光客をオーストリアに送り
 ・阪急百貨店でオーストリア物産展を開催し
 ウィーン側としては思わぬ経済効果を得られたから
 良かったんだろうけどね。

・CD等で訳詞は知っていたけれど、
 舞台で見ると細かなニュアンスが伝わってくる。
 エリザベートは、子供時代に墜落したときから
 「死」が自分を「解放」してくれるのを知っていたんだ。
 彼女は常に「死」と共にあったんだな。
 トートは、宗教的に自殺ができない彼女の「自殺願望」が具現化している、
 という面もあるらしいけど、それが実感できる。
 「死」の具現化により、宗教的な禁忌が他宗教ほど無い日本で
 作品が受け入れやすくなっているとしたら皮肉だね。

・予備知識があるからわかるけど、いろいろショートカットしているなあ。
 もともとこうなのか、再演版で削ったのか。
 「ルドルフの死」も、日本的に例えて言うなら
 「玉川上水」=「太宰と富栄の心中」くらい
 自明の理なのだろうなあ。だから説明もいらないんだろうな。

・それを含め、日本人にはわかりづらいところを削り
 (赤い旗=共産主義とか。
  神から王権を授けられている王族が、神を否定するのは
  王族の存在意義を根底からくつがえすことになる。
  その親玉に皇太子がなる、という恐怖は
  いまの日本ではわかりづらいし)
  他の話に差し替えたのは、わかりやすくていいんじゃないかな。

・小池先生の宝塚への脚色は、すごいな。
 エッセンスを残しつつ、トート主役のラブ・ストーリー。
 そして70人体勢の構成。
 よくぞココまで作ったよ。

・逆に言えば、東宝版は、限りなくウィーン版で見たかったな。
 いっそ小池先生が外れてもいいんじゃないかなあ。
 トート役者でチケットが捌かなければいけない、
 という現実的な問題はさておき。

・宝塚版、そして東宝版では、エリザベートは常に正しい存在。
 だけど、ウィーン版では、彼女の奇矯さも浮き彫りにされている。
 バランスが良いな。
 オーストリアの人の見方も入っているんだろうな。

・マヤさんのエリザベートは、DVDでも思ったし、
 コンサートでも思ったけど、
 強くて脆い。強いから脆い。
 普通の人なら、諦めざるをえないところを、諦めない。
 強い意志があるからこそ、誰もいない荒野を
 恐怖に怯え、泣きながら進むしかない。
 もう少し弱ければ、楽な道があったのに。
 強迫観念のようなものが伝わってくる。
 (東宝版に一番足りない部分なんだけど
  それが役者によるのか、演出によるのかがわからない)

・ルカスさんは紅顔の美青年だった。
 繊細なルドルフだった。
 コンサートの時は、マテさんと似たようなビジュアルだったのに。
 どっちがトートでもOKと思ったのに。

・ルキーニが濃くない。
 舞台進行役で、狂気は感じられない。
 濃い人を見すぎたのか?
 CDなんかでは、あちらも濃いんだけど。

・音は弱いが、音響はいい。
 梅芸3階席なのに、歌詞がクリアに聞こえる。
 独語がわからん私にも、
 「カイザー」とか「カイザーリン」が聞き取れる。
 このクリアさのために、音を弱くしたのかなあ???
 これ以上大きくしたら音が割れちゃうの???
 しかし、お金をかければここまでできるんだなあ。
 「コパ」の音響はメチャクチャ悪かったんだけどなあ。

・娼館のお姉さん達の露出が少なかった。

・1回目のカーテンコールは音楽無し。
 こ、これで終わったらどうしよう!と思いました。
 なんならフランツが下手からセリ上がって・・・



後回しにするといつまでもアップできないので
途中だけど送信しちゃいます。

ま。アレだね。
東京で5千円の席があれば
10回行くね。
遠征を躊躇している人は
とりあえず行きましょう。
ウィーンに行くよりは安いよ!
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