きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「燃えよ剣」@明治座

2004年05月11日 | 宝塚・劇団四季以外の舞台(落語含む)
 脚本が「ツーハンマン」の鈴木聡氏でも、演出がラサール石井氏でも、ポスターはシリアスだったので、「司馬遼:燃えよ剣」ファンとしてはワクワクして行きましたが・・・。正直言って期待はずれでした。
 まずは、お笑い、ってこの芝居に必要だったのかなあ?「原作:司馬遼太郎『燃えよ剣』」とするのなら、小説の名場面は茶化して欲しくなかったよ。総司が死ぬ場面、なぜ笑わす。会場の笑いが先に立って、「黒猫が斬れない・・・」が全然生きていない。しかも笑いはイマイチ洗練されていない。次に、なにをポイントに作っているかわからない。小説のあらすじを舞台におこしただけで、どこ(どの話)を山場にしたいのか全然見えない。そのため、新選組の隊士がいつまでたっても垢抜けない田舎侍にしか見えなかった。そりゃ、京都の人から見れば多摩の田舎者だけどさ。百姓が武士の矜持を持って時流に反発したのがこの小説のキモだと思うのよ。終焉を迎えつつある江戸時代・封建社会・近世の象徴が新選組なんじゃない?なのに舞台は騒いで終わりなのよ。その矜持も「時代」もさっぱり見えてこない。ただただ話が流れていくだけだから、池田屋事件で絶頂期を迎え、鳥羽・伏見後は流れ流れて蝦夷の地へ、そのメリハリが皆無と言ってもいいかもしれない。京に上る前、池田屋前後、敗戦後の江戸、すべて皆おなじテンション・芝居。そしてなによりも!全然「殺気」感じられない。「血のにおい」が感じ取れない。どこが「人斬り狼」なのか?どこが鬼なのか?ただのいい人の集団にしか見えないんだよ~。
 主演の上川君からは非情さは窺えず、近藤役の風間杜夫からはカリスマ性は微塵も感じなかった。多摩での隊士志願者への台詞のあたり、「お前らターマへ帰れ」と諭したドン・コンドールが懐かしいよ。役者のせいではないけれど。沖田の葛山さんは結構声が通っていたな。劇場で売られていた写真集を撮ったのは内藤さん?山南の羽場さんは、3幕でお笑い幽霊で出るのなら、榎本武揚で登場して欲しかったね。
 舞台はセリ・盆多用。ラサール石井ってヅカファンだったよな、ってカンジの舞台使い。それにしても3幕は長かった。2幕で終えて、最後は「上川隆也オンステージ」でもよかったよ。
 とにかく不満だらけ。石田昌也&山本優の偉大さを感じました。帰宅後はすぐに「誠の群像」を再生しました。あ~、この迫力が欲しかったなあ。
コメント
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