今年も日本の「加害責任」強調 戦没者追悼式で衆参両院議長
2008.8.15 12:39
河野洋平、江田五月の衆参両院議長は、15日に開かれた戦没者追悼式で、先の大戦における日本の「加害責任」を昨年に引き続き今年も強調した。
江田議長は、「わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめ広い地域の人々にも、多大な苦しみと悲しみを与えた」と明言した。
一方の河野議長は「非人道的な行為によって人権を侵害され、今もなお苦しんでおられる方々に、改めて心からなるお見舞いの気持ちを申しあげたい」と述べ た。昨年の追悼式では「日本軍の一部による非人道的な行為によって」と発言。今年は「日本軍の一部による」を削除したものの、お見舞いの気持ち」を「改め て」表明したことで昨年と同様の考えを伝えた。
河野議長はまた、「わが国と近隣諸国との関係においていまだに歴史に背景を持つ未解決の問題がトゲとなり、摩擦を引き起こしている」として東京裁判での A級戦犯を合(ごう)祀(し)している靖国神社を取り上げ、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置に真剣に 検討を進めることが求められる」と、国立で無宗教の恒久的な追悼施設の設置を積極的に提言した。
(産経新聞)
(引用終了)
8月15日、政府主催による全国戦没者追悼式が、東京都千代田区 の日本武道館で天皇皇后両陛下のご臨席を賜り開催された。多くの戦没者の遺族らも参列するが、追悼式なのであるから戦没者の生前をしのび、その死を悲しむ ことである筈であり、天皇陛下は「先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」と追悼のお 言葉を述べているものの、福田総理や河野洋平、江田五月の衆参両院議長は多くの戦没者の遺族の前で、日本の加害責任にも言及したことが報じられている。
これは遺族の前で、戦没者の悪口を言っているも同然であり、世間一般で行われている葬儀の際に故人をとむらう弔辞が読まれることがあるが、だいたい故人の 生前の功労などが述べられ、間違っても悪口を言うことはないだろう。また弔辞ではなく、会葬者同士の単なる立ち話であっても、故人の悪口を言えば、どこで 遺族の耳に入るかも知れないとして、避けるのは当然で、そもそも平然と故人の悪口を言うような人間にはろくな者はなく、支那人ではあるまいし、日本人であ れば、死者まで貶めようとする考えまで及ばないのが普通であろう。
福田総理は「とりわけアジアの諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた。深い反省と哀悼の意を表す」と加害責任にも言及したとのことで、これは追悼式に参列 している戦没者の遺族に対して、「今では戦没者となられたとは言え、かってはアジアの諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた戦争犯罪人ではないのか」と 言っているも同然で、遺族を前にして言うべき言葉ではなく、これには不快感を覚えた遺族もいたかも知れない。
河野衆院議長も加害責任を強調することを忘れないことは、支那から指令でも来ているのかと言いたくもなり、売国奴としての苦しい立場も分からないでもない が「非人道的な行為によって人権を侵害され、今もなお苦しんでおられる方々に、改めて心からなるお見舞いの気持ちを申しあげたい」とは慰安婦のことを示唆 していると思われる。
当時合法であった慰安婦制度が、なぜ問題になったかと言えば、それは強制連行をして本人の意に反して慰安婦にさせたとの話であり、本当のことであれば、そ の慰安婦達は、確かに「非人道的な行為によって人権を侵害され、今もなお苦しんでおられる方々」となる。だが、そのようなケースがあったとの証拠は見つ かっておらず、それでも、いわゆる河野談話を発表した張本人として、日本軍の一部によるとは言え非人道的な行為があったものとしなければならないようで、 証拠もないのに慰安婦の強制連行があったと信じ切っているようであり、それは河野氏の勝手だが、公の場で、その自説を述べるものではないだろう。
また「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置に真剣に検討を進めることが求められる」と、既に立ち消えになっ ている無宗教の国立新追悼施設の設置を改めて提言したとのことだが、河野氏が提言するようではやらない方が良く、売国奴が日本のためになるからと称して提 言する事にろくなものはないからである。
河野氏が支那のご機嫌をとるために無宗教の追悼施設を新たに作ると言うのであれば賛同者を募り、募金によって建設すれば良いことであり、支那が靖国神社に 対して拒否反応を示すので建設したらどうかとの声はあるとしても、もし完成したら行くつもりだと考えている人はいるとは思えず、さんざ靖国神社に対して拒 否反応を示していた支那や韓国でさえ、要人が来日したとしても参拝しないだろうし、だから何のために、また誰のために追悼施設を建設しようとしているのか 分からない。まして無宗教だから参拝とは言わないであろうから何と表現するのであろうか。
(2008/08/16)