文観を追っています。その前にしばしば登場する確認してほしい用語があります。
それは「真言律宗」と「伊派石工集団」です。
ここで学習しておきましょう。きょうは「真言律宗」です。
常楽寺は真言律宗の寺
鎌倉時代、世の中は乱れました。
人々は、新興の仏教(浄土宗・一向宗・日蓮宗など)に救いを求めました。
新興の仏教は、「念仏を一心に唱えれば浄土は約束されている・・・」と説いたのです。
鎌倉仏教は、庶民の間に急速な広がりをみせました。
しかし、「念仏さえ唱えれば、他は何をしてもよいんだ」という風潮さえひろがりました。
つまり、修行を怠り破戒をあえてするものまで続出したのです。
当然、このような風潮を嘆く声もうまれました。
真言宗の信者であった叡尊(えいぞん)は、そんな宗教をみて衰えた戒律を復興するために、西大寺に入り新しく真言律宗を唱えました。
叡尊の唱えた真言律宗は、大いに広がりました。
(余談になるのですが、日本史の教科書では、真言律宗・叡尊についての記述がほとんどありません。もっと評価されべき人物です)
叡尊は、たんなる南都の律宗(奈良仏教)の復興ではなく、・らい患者に対する救済、各地の土木事業の遂行、その他社会福祉にも取り組みました。
西大寺の真言律宗は、播磨地方へもひろがりました。
加古川関係では「西大寺末寺帳」に西大寺の末寺に、常楽寺(現:加古川市大野)・報恩寺、そして成福寺(場所は不明)が見られます。
常楽寺は、西大寺の真言律宗の影響下にあった寺でした。(no3523)
*写真:現在の西大寺
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