ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(29) ボーダーの地域 (2)・鏡(同はん鏡)が語ること

2017-03-04 07:23:19 | 地域の風を読む

    加印地域を知るキーワードは「ボーダーの地域」

 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町は畿内の勢力下にありました。地図の上では都からは西国と近畿の接するボーダー(スマ)の地域でした。

 いつの時代も、この位置にある地域は、常に緊張した政治的状況にさらされました。

 自らを守るためには、湧き上がるエネルギーを必要としたのです。

 そして、「地域の風を読む(2)」ではその例として二例を紹介する予定したのですが、中道子山城跡に電波塔が建設される問題が、新聞で大きく取り上げられました。

 そのため、急遽抗議の意味もこめ、中道子山城の問題を書いてみました。

 話題を「加印はボーダーの地域」に戻します。

    ボーダーの地域 (2)・鏡(同はん鏡)が語ること

 写真は、東車塚古墳出土の「三角縁神獣鏡」(さんかくぶちしんじゅうきょう)です。

 東車塚出土の鏡は、「同笵鏡(どうはんきょう)」(以下「同はん鏡」とします)です。

 聞きなれない言葉ですが、同じ鋳型からつくられた鏡のことです。

 ですから、「同はん鏡」は一枚ではありません。

 この「同はん鏡」について歴史家は、「同はん鏡は、有力な豪族が、同盟を結んだ印として他の豪族に与えた鏡である」と考えています。

 したがって、「同はん鏡」の分布の範囲を知ることにより、当時の勢力関係が分かると言うのです。

 東車塚古墳から出土した「同はん鏡」は、大和(奈良)地方の豪族と同盟関係にあったことが分かりました。

 日岡山の古墳の多くは4世紀古墳です。

 ということは、4世紀に加古川地方の豪族は、すでに大和の豪族と同盟関係を持っていたことになります。

 日岡豪族にとって、大和の豪族と同盟を結ぶ必要がありました。

 加古川地方は、畿内と畿外との接点に位置していました。

 つまり、西には吉備地方・出雲地方の豪族が勢力を持っています。

 東は、もちろん大和の豪族です。

 加古川地方の豪族が、吉備地方の豪族から攻撃を受けた時、自らを防衛するために大和から応援を求める必要がありました。

 また、自らの地位を高める、ため大和の豪族と同盟を結んだとも考えられます。

 大和王権にとって、加古川地方は、吉備(岡山)地方との最前線基地でした。

 大和の豪族にとって加古川地方が、吉備(岡山地方)と同盟を結ぶことは大問題です。加古川地方を重要な拠点と考えたのは当然です。

 そんな、大和地方と加古川地方の濃密な関係が、私たちの地域に天皇の話を誕生させたのでしょう。(no3498)

 *写真:同はん鏡(加古川市文化センターの歴史資料館で展示)

 

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