シャウプ勧告・市の財政は火の車
「加古川市広報(2号)」(昭和26年1月)には、「税制と市財政と税務」という記事を載せています。
・・・シャウプ勧告に基づく税制改革の一環として去る八月改正税制が実施されました。
(略)
その改正税法は、即ち.国税.府県税に依存する従來の課税方法は廃止され、市町村税が当該市町村の財政を賄いうることを目途として確保されることになり、いわゆる財政自主性が、ようやく実現した次第であります。
以上、言い訳のような苦しい記事です。「戦後間もないころです。国は、あまりお金がありません。できる限り地方で工面し、自主的に運営しなさい」ということです。
以下は、補足です。
戦後の合併と二つの経済政策
聞きなれない用語ですが辛抱ください。「シャウプ勧告」と「ドッジ・プラン」です。
〈シャウプ勧告〉
戦後GHQは、地方自治を日本の民主化の重要な柱としました。
しかし、シャウプ(日本税制使節団長)は、「地方自治体の財政的な基盤は弱く、それまでの地方自治体の歳出は、国からの補助金に頼りすぎている」と勧告しました。
つまり、地方自治体の経済的な自立を求め、国からの補助金を減らしました。
〈ドッジ・プラン〉
アメリカの顧問・ドッジは、日本経済の自立と安定のために「インフレ・国内消費の抑制と輸出振興」を軸とする財政金融引き締め政策を勧告しました。
つまり、ともに財政引き締めによる地方への補助金の削減です。
戦後間もないころです。自治体の台所は火の車となってしまいました。
こうした状況が、合併に俄然拍車をかけることになりました。
加古川市は誕生したが
いろいろとありましたが、1950年(昭和25)4月10日、加古川市公会堂において、加古川町・尾上町・野口町・平岡町・神野町の関係5ヵ町が集まり市制実施の調印式が行われました。
財政的に苦しい出発でした。(no3503)
*写真:合併当時の加古川市役所(現在の中央公民館の場所)