ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(35) 食糧難の時代

2017-03-10 09:59:01 | 地域の風を読む

 下記の「加古川広報」の記事は、現在の私たちから読むと、まるで、「物不足の戦争中のお知らせか」と思えるのですが、昭和25・6年の戦争が終わって間もないころです。

 この記事から、当時の世相を想像ください。

     配給制度はなくなったが

 (昭和25年)11月1日から主要食粗の新配給刷度が実施されていることは、既に皆様ご承知の通りでありますが、いよいよ(昭和26年)2月末日をもって食糧配給公団が廃止になります。

 市内に10軒の米の販費店があって各地城の米屋で購入されていますが、明年(昭和26年)3月1日からは皆さんが好きな米屋を選んで登録し、登録した米屋で米を購入することになります。

 この登録は、明年1月15日から21日までの間に行われますが、登録期日までに登録を各世帯(消費者)に送付致しますから記載事項に記入して主要食糧購入通帳と共に登録所に持参して預くことになっています

 登録場所は、旧加古川町の区城の方は、加古川市公会堂,神野町、野口町、平岡町、尾上町の方は各支所が登録所になっています

 登録せなければならない世帯は、消費世帯と一部保有農家でありまして、この登録をせなかった方は、配給が受けられないことになりますから登録もれのないよう、特にご注意ねがいます。

   (略)

 明年1月1日から精麦類もフリークーポンによって購入することになります。クーポン券も一食券・三食券・六食券の三種類となって・・・

    子どもは、たくましかった

 昭和25・26年というと、終戦(昭和20・8・25)から、間もないころです。

 まさに戦後だったんですね。

 蛇足です。昭和25年私は小学校の1年生でした。物不足が当たり前だったでしょうね。何も感じませんでした。

 「宿題済んだか」というようなことも言われたことがなく、当然「塾」なんてありません。親の苦労も知らず遊びに熱中していました。(no3504)

  *写真:寺家町の腕白たち(昭和26年撮影)・三浦孝一さん提供

コメント
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