ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(26) 余話として(2)、満祐山・円福寺

2017-03-01 06:51:59 | 地域の風を読む

 地域を歩いていると時々「なぜ、ウッソー」と思えることに出会うことがあります。地域史の面白さです。

 きょうと次回のブログは、そんな話題の一つです。

        余話として(2)、満祐山・円福寺

 東志方高畑に円福寺があります。

 そして、円福寺の山号は「満祐山(まんゆうさん)」といいます。

 ピンと来ましたか。

 「満祐」は歴史上「みつすけ」として登場する人物です。満祐の姓は赤松、嘉吉の乱の主人公、赤松満祐その人です。

    赤松満祐の法号(戒名)は、

          「慈徳院殿性具円福大居士」

 もうひとつ、満祐(まんゆう)が赤松満祐(みつすけ)である証拠があります。

 満祐の法号(戒名)は、「慈徳院殿性具円福大居士」といいます。

 なんと、高畑の「円福寺」は、満祐の法号(戒名)から付けられています。

 日本史上、満祐は嘉吉の乱をおこした人物であり、「ウッソー!」と、つい叫んでしまいたくなります。

復習です。

 赤松氏は、足利尊氏に忠誠を誓い、南北朝時代、北朝方として大きな役割を果たしました。

 建武三年(1336)、赤松氏の初代・円心(えんしん)は、播磨の守護につきます。

 室町時代の守護所は、円心から四代・満祐まで姫路書写の坂本城におかれ、播磨だけでなく備前国・美作(みまさか)にも大きな支配力を持っていました。

 志方は、赤松の領地として強い結びつきがあったようです。

 それにしても、志方の高畑の円福寺はどんな経過で満祐の名前を持つお寺となっているのでしょうか。(no3495

 *写真:満祐山・円福寺

 

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