昭和26年9月発行の「加古川広報」は、別府町との合併を取り上げています。
以下は、そのリードの部分です。
・・・市制施行当時からの懸案であつた別府町との合併は、(昭和26年)8月25日、市役所で合併調印式が挙行され、本市多年の宿願はここに遂成されるに至りました。
そこで、別府町合併に伴う経過等について広く市民の皆さんに承知していただくため、詳細にわたりご報告することと致しました。・・・・
以下経過の詳細を書いていますが、分かりにくいので、別のところで報告した別の加古川市と別府町の合併の経過を紹介します。
加古川市と別府町との合併の経過①
別府町は、昭和26年(1951)10月1日、難産の末、結果的には加古川市と合併しました。
そのようすを『加古川市史(第三巻)』でみましょう。
別府町は、海運船舶業がさかんで、別府町との合併は「臨海工業都市への発展」を秘めた極めて魅力的な青写真でした。
そのため、別府町への合併の誘いは、加古川市だけではなかったのです。
神戸新聞は「・・・・(阿閇村・二見町との合併は)あらゆる面で共通した条件を持つものの団結で、将来の発展を期したいという提案があり、全員が大体賛成の意向を示したので、ちかく関係町村によって正式の合併相談が行われる模様である・・・」(昭和24年11月17日)と報じました。
今にも、別府と阿閇(現:播磨町)・二見との合併が実現しそうな雰囲気でした。
別府町長・木下収の考え
別府町長・木下収は、終始加古川市との合併を積極的に呼びかけ、町内の意見のとりまとめを図っていました。
町内の合意形成を目指した木下町長でしたが、まとまらず、昭和25年(1950年)2月4日、町議会が開催され「(加古川市との合併に対する)世論調査の投票」を行うことが決定しました。
昭和25年2月9日、投票は実施され、結果は次のようでした。(投票率 87.11%)
有効投票 2723票
賛成 1165票 反対 1558票
結果は、加古川市との合併反対が賛成を393票も上回るというショッキングな結果でした。
木下町長は、即日辞職願を提出しましたが、町議会で彼の辞職願は留意され撤回されたが、ここに加古川市との合併は一頓挫したのです。(no3506)
*写真:別府町役場(別府町役場は、大正14年、多木久米次郎が新築し別府町に寄付)