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ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

東播磨の中世石塔と文観(5) 常楽寺は真言律宗の寺

2017-03-26 07:33:11 | 東播磨の中世石塔と文観

 文観を追っています。その前にしばしば登場する確認してほしい用語があります。

 それは「真言律宗」と「伊派石工集団」です。

 ここで学習しておきましょう。きょうは「真言律宗」です。

    常楽寺は真言律宗の寺

 鎌倉時代、世の中は乱れました。

 人々は、新興の仏教(浄土宗・一向宗・日蓮宗など)に救いを求めました。

 新興の仏教は、「念仏を一心に唱えれば浄土は約束されている・・・」と説いたのです。

 鎌倉仏教は、庶民の間に急速な広がりをみせました。

 しかし、「念仏さえ唱えれば、他は何をしてもよいんだ」という風潮さえひろがりました。

 つまり、修行を怠り破戒をあえてするものまで続出したのです。

 当然、このような風潮を嘆く声もうまれました。

 真言宗の信者であった叡尊(えいぞん)は、そんな宗教をみて衰えた戒律を復興するために、西大寺に入り新しく真言律宗を唱えました。

 叡尊の唱えた真言律宗は、大いに広がりました。

 (余談になるのですが、日本史の教科書では、真言律宗・叡尊についての記述がほとんどありません。もっと評価されべき人物です)

 叡尊は、たんなる南都の律宗(奈良仏教)の復興ではなく、・らい患者に対する救済、各地の土木事業の遂行、その他社会福祉にも取り組みました。

 西大寺の真言律宗は、播磨地方へもひろがりました。

 加古川関係では「西大寺末寺帳」に西大寺の末寺に、常楽寺(現:加古川市大野)・報恩寺、そして成福寺(場所は不明)が見られます。

 常楽寺は、西大寺の真言律宗の影響下にあった寺でした。(no3523)

*写真:現在の西大寺

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